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24話 シェフとキッカと剣姫 -1-


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


「……ありがと」


 そう言って顔を上げたキッカさんは、涙で赤く染まった瞳でこちらを見つめ、とても優しい笑みを浮かべていた。

 涙でぐしゃぐしゃになっていたけれど、ボクはその表情を、とても可愛いと思った。



 ……で。この状況なに!?



 なんでキッカさんがボクに抱きついてるの!?

 しかもなんで泣いてるの!?


 バックドロップはなさそうだけれど……ドキドキが止まらない。

 えぇ、残念ながらトキメキのドキドキではなく、恐怖のドキドキだ。……冷や汗が止まらない。


 しばし、見つめ合う。

 ………………食われる? いや、まさか…………まさか。


 状況を整理しよう。まず――


Q.なぜ泣いているのか?

A.マダムたちにやいのやいの言われたから。


 それはあり得る。

 相当トラウマだったのかもしれない。きっと、従業員スペースへ行くなり泣き出してしまったのだろう。さもありなん。


Q.なんの「ありがとう」なのか?

A.マダムたちを追い払ってくれて……かな?


 だとすれば、キッカさんはあのマダムや姉たちのことに関して、自身の中で区切りをつけているということだろうか。なら、そんなに怒られることはない……の、かもしれない。


Q.なぜ抱きついているのか?

1.バックドロップ

2.背骨を粉砕

3.ジャンプして180度回転、頭を下にしつつドリルのような回転も加えて地面に頭からドーン!


 なぜ最終問題だけ三択に!?

 しかも、どれも結果が酷い!


 いやいや。待とう。

 単純に考えて、感謝の言葉を述べた直後に、その相手に危害を加えるなんてことはそうあることじゃない。


『んふふ~、タマちゃ~ん。ありがとね、刺すから歯ぁ食いしばって☆』


 ……いや、キッカさんならあり得る。

 っていうか、歯を食いしばることでダメージを軽減出来るのは「殴る」だけですからね? 「刺す」には効果ないですからね?


 とはいえ。

 とはいえですよ。

 この状況で、いきなりキッカさんが豹変して襲いかかってくるなんてことは……


「むはっぁああ!?」


 豹変したぁ!?

 キッカさんが、ボクを抱きしめていた両腕を高く掲げ、まるで獲物をしとめる直前のカマキリのような威嚇ポーズを取る。

 思わず、急所である頭を抱えてガードする。……こんなガード、気休めにもなりはしないのだろうけれど!


「あ……あのっ、……ゃ、ちが…………これは、その……ちが……くって……」


 カマキリのポーズでキッカさんが呪文を唱え始めた。

 魔法だ!?

 何かとてつもない攻撃魔法を繰り出す気だ!?

 さては、さっきの抱擁は、ボクの魔力を吸い取るためだったんだな!?

 ……ボク、魔力とか持ってませんけど!?


「ご、ごごごご、ごめっ、ご、ごめ……ご、ご……」


 なんか「ごごごご」言い始めた!?

 効果音!?

「ゴゴゴゴ……」って、凄みのある効果音ですか、それ!? 自分で言っちゃう派ですか!?


 下手に動けば……ヤられる! 恐ろしくて漢字を当てられない感じで「ヤられる」!

 今は身動きをせず、じっと我慢だ…………と、その時、気配を感じた。


 あっ。


 従業員スペースのドアの前に、アイナさんがいた……いつから見られていたのだろうか…………やばっ!?

 もし、キッカさんに抱きつかれていたところを目撃されていたとしたら……誤解されてしまう!

 どどどどどどうしよう!?

 そ、そうだ!

 と、とりあえず笑っておこう!


 あは、あははは。


 笑う門には福来る。

 きっと笑っていればアイナさんもにっこりと微笑んでくれ……


「にっこり」という効果音が、おどろおどろしく聞こえてきそうな、そんな――魔の者が裸足で逃げそうな迫力を持った笑顔だった……ので、思わず目を逸らしてしまった。


 うぅ……心にやましいことがあると、直視出来ません。


 溢れ出す冷や汗に溺れそうになってると、「ごっ、ごみゅん!」という謎の鳴き声を残してキッカさんが従業員スペースへと駆け込んだ。

 後に、盛大にこんがらがって転倒したような音だけが響いてきた。

 あぁ、こけたんだろうな。ボクもたまにやるし。廊下の荷物、どこかにやらないとな。



「たぶんですけど……廊下を走っている時に、積んである荷物に足の小指をぶつけて、その痛さに飛び退いたら後方の壁に後頭部を強打して、悶え苦しみながら廊下に倒れたところへ、積み上げてあった荷物の箱が崩れて覆いかぶさってきたんでしょうね」


 そんなことを言うと、アイナさんは少しニヤッとして、しばし真顔で何かを考えた後、こんな言葉を呟いた。


「……もう少し、表情を殺す練習をしなければ」

「えっ!? それ以上ですか!?」


 ただでさえもアイナさんは表情があまり変わらず、心を読むのが難しいのに。

 今よりもっと難易度が上がってしまう。


 ……あれ。

 なんかちょっと、ほっぺたがぷくってした。

 うわ、突きたい。ぷしゅってしたい。


 とか思っていると、アイナさんがふと従業員スペースのドアへと視線を向ける。

 そして、落ち込む。

 な、なんだろう?

 アイナさんの感情が全く読めない。

 振り幅は極めて狭いけれど、感情の波が激しい。振り幅こそ、限りなく狭いのだけれども!

 とか思っていると、アイナさんがどんどん萎んでいく……ように、床にうずくまった。膝を抱える。

 …………えっと、これは?


「あの、アイナさん?」


 なんだか元気がない。

 俯いた顔を覗き込んでみるも、なんの反応も見せない。


「大丈夫、ですか?」

「だ、大丈夫だ……です」


 なぜ敬語!?

 いや、言葉遣いはどうでもいいのですが……何を思ってそうしたのかが……気になる。

 アイナさんの思考を読もうと黙考していると、微かにアイナさんの唇が動く。


「……何に?」

「え、何がですか?」

「…………何が?」

「え?」

「え?」


 なにこれー!?

 難しい! 難しいですよ、アイナさん!?







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