「あ、そうだ」
こういうことは、一回一回、ちゃんと言葉にするべきだと、ボクは思う。
なので、言っておく。
「ありがとうございます。キッカさんを助けてくれて」
「い、いや……別に、これくらいは、当然、だから」
アイナさんは、どうにも感謝をされることに慣れていないようだ。
いつも俯いて、前髪をいじり始めてしまう。
最近になってようやく分かった。
アイナさんのこのポーズは、照れている時のポーズなのだ。おそらく無意識でこうしてしまうのだろう。
……そういうところを知ると…………可愛さ倍増するよね。
「優しいですね、アイナさんは」
「そんなことは……っ!?」
驚いたような顔でこちらを向き、大きな声で否定しかけて、口籠もって……
「……ない、と、思う」
やんわり否定するに留める。
そして、前髪いじいじ。
はぁぁ……連れ去りたい。このまま遠くへ。
そして、静かな湖畔で二人きり、ずっとアイナさんを見つめていたい……
「おぉ~い、ボーヤ」
「ちっ! なんですか、お師さん」
「おいおい隠せ隠せ。少しは負の感情を隠す努力をするのじゃ」
【ドア】からぬめっと顔を出してきたお師さんは、とても細かいことを気にする。
心の中と外に、さほどの違いがあるとも思えない。
「はぁ~あ……で、なんですか?」
「どうしてこんな子に育っちゃったんじゃろうのぅ。昔は可愛かったのにのぅ」
「シェ、シェフはっ、……今でも、か……かわいい」
後半、物凄く物凄ぉ~く小さい声でしたけど、今はっきりと「かわいい」って言われましたねボク!?
十代後半。ハイティーンのメンズであるボクとしては、「かわいい」は褒め言葉としては受け取りにくい部分もあるのですが、アイナさんならオールオーケーです。
『かわいい』でも『守ってあげたい』でも『滅茶苦茶にしてやりたい』でも、なんでも受け入れる所存です!
なんなら、アイナさんの口からもたらされる言葉なら、罵声ですら褒め言葉に聞こえるほどですよ。
『ばか……』『……えっち』『もう知らない!』
ほら、きゅんとする!
もっと酷い言葉だって構いませんとも!
『きもっ!』
「ぐはぁっ!」
「どうしたのだ、シェフ!?」
「すみません……生まれてきて、すみません……」
「シェフ!? お、お師さんっ、シェフがなんだか大変なことに!?」
「ほっほっほっ……な~んか、心に傷でも負ったんじゃろ~ぅのぅ」
うぅ……心が痛い。
あんなに短く、あんなに明確な拒絶の言葉は初めてだった……
何がいけなかったのか……いや、何がも何も、女性の髪の毛に無断で触れることそのものがキモい行為なのだ……ボクは、それを失念していた。
なんてことだ……
心がへし折られる三大ワードのウチの一つを引き出してしまうだなんて……
ちなみに、心がへし折られる三大ワードは、『キモい』『クサい』『生理的に無理』だ。
『嫌い』や『死ね』なんて可愛いものだ。
もし、初対面の女性に『死ね!』って言われても、「ツンデレさんかな? なら、未来が楽しみだなぁ~」くらいの感想しか持たないのが一般的だ。
だが、初対面で『クッサ!?』とか言われたら……
二度と、しゃべれなくなりますよね。
『キモい』は、そんな言葉と同レベルの破壊力を持っているのだ……
「すみません……ボクごときが貴重な酸素を浪費して……すみません」
「ど、どうしよう……シェフに『かわいい』と言ったら、物凄くヘコまれてしまった……」
「うむ。そこでヘコんどるわけじゃないんじゃがのぅ」
「シェ、シェフは、よ、よく見たら、そこまで可愛くないぞ!」
「それはフォローのつもりかの? それとも、トドメかの?」
アイナさんが右手で頭をかきむしる。
また髪がもはもはになる。あぁ……梳きたい。あのもはもはした髪をしっとりさらさらに戻したい……
でも、キモいと思われたくは…………そうだ! 笑顔を絶やさず、友好的に話しかけ、爽やかに、あくまで親切心であり下心など微塵もないのだというアピールをすれば……
『ち、ちげーし。別にオレ、そーいうーんじゃねーし。つか、髪とか意味分かんねぇし。マジ分かんねぇし。むしろいる? 髪とか、どうしても必要? 分かんねーわー。マジRKIF。ん? 「RKIF」? 「理解不能」』
理解不能はボクだー!?
なんだ、今のは!?
どこから湧いて出た妄想だ!?
そんなに髪に興味がないなら撫でなければいいじゃないか!
というかもはや、薄毛の嫉みにしか聞こえなかったよ!
そうじゃない!
笑顔! 楽しそうに笑うことで、周りの空気ごと明るくする感じ。
で、褒めよう。女性は褒められるのが好きだというし。
そう、こんな感じで……
『にやにや、にやにや。いやぁ~、アイナたんの髪の毛は、MJすべすべですのなぁ~。いと美し! でゅふっ、わ、笑いながらしゃべろうとすると、どうしても半笑いになるすな~、MJ半笑い。いと笑し! それにしても、つくづくさらさらすなぁ~。限りなくさらさらすなぁ~。この世の終わりかというほどさらさらすなぁ~。MJさらし! いとさらし!』
いや、キモいよ!
コレこそがキモいを集積した結果だよ!?
もしキモい教があったらご本尊だよ!?
キモい教ってなにさ!?
ないから! MJないし! いとないし!
……『マジ』を『MJ』って言うなぁああ!
「いと言うなしっ!」
「ん!? な、なんの話だろうか、シェフ?」
「いとなんでもないです!」
「……『いと』?」
妄想が垂れ流されていた。
下流は大災害だ。後処理が大変だ。
……後処理、しよう。
「えっと……『いと』っていうのは、『とっても』って意味です」
「『とっても』…………ドアのノブは『いと』?」
「『取っ手』じゃないです。『とっても』」
「……キッカは、もう少しふ『いと』いい」
「ん? …………もう少しふ『とっても』いい……あ、違いますよ!? そうじゃないです!」
「いや、しかし。抱いた時にもう少しふくふくしていてもかわいいと思う!」
「『太ってもいい』ってところを否定したわけではなくてですね!?」
「じゃあ、シェフも、キッカはもっと太った方がいいと思う?」
「え? あぁ……まぁ……キッカさんは少し華奢ですし、……多少は。本人の意思であれば」
「では、キッカを太らせる同盟を組もう!」
「なにとんでもない同盟を組もうとしてんのよ、剣姫!?」
ドアからキッカさんが飛び出してくる。
アイナさんにドロップキックが炸裂する。……キレーなフォームだ。プロだな、あれは。