『りーんりーん……』と、虫の声が聞こえる。
「シェフ、お腹の虫が」
「鳴ってますね」
昨日に引き続き、接客の練習をしているアイナさん。――というか、接客の練習という名目で昨日に引き続きシブーストを食べているキッカさん。
綺麗に完食している。紅茶も四杯おかわりした。
「お客さんが来るのね」
「そうですね。準備しましょうか」
「じゃあ、剣姫。これ下げちゃって」
「うむ。……あ、はい」
すそそ、っと足音を立てないように近付いて、アイナさんがぺこりと頭を下げる。
「オシャレしてよろしいでしょうか?」
「好きにしなさいよ!?」
「アイナさん。『お下げしてもよろしいでしょうか?』ですよ」
「あ…………か、噛んだ!」
いいや。完全に言い間違えてました。
でも、アイナさんが噛んだというのであれば噛んだのだという真実のみが歴史に刻まれるべきだ。
「噛んだなら仕方ないですよね」
「甘やか・す・な!」
キッカさんが角砂糖を指で弾いて飛ばしてくる。
見事にボクのおデコに命中したそれは、バウンドしてカウンターの上に転がる。
……もう。食べ物で遊んじゃダメなのに。
「お、落ちとるの。ラッキーじゃ」
ぬめっと現れたお師さんが、カウンターの上の角砂糖をつまみ上げて口へ放り込む。
「うむ。甘い」
ざりざりと角砂糖を咀嚼するお師さん。……この人の味覚は子供のまま止まっているのではないだろうか。砂糖をダイレクトって……
「お師さん。どうやらお客さんが来るらしい」
「おぉ、お嬢ちゃん。随分とウェイトレス姿が板に付いてきたようじゃなぁ」
「え、どの辺が?」
情報共有しようとするアイナさん。
見当外れな返事をするお師さん。
に、突っ込むキッカさん。
……どうしよう。まともな人がアイナさんしかいない。
「ボーヤよ。材料は何があるのじゃ?」
「鶏(魔獣)肉と野菜、あと、リンゴとブドウがあります」
「もうちょっといろいろ揃えておいた方がよぃのぅ。折角これだけの人数がおるんじゃし」
「では、わたしが『ファイティングワンダーランド』に行ってくる!」
「どこの娯楽施設よ、それ!?」
「アイナさん。【ハンティングフィールド】ですよ」
「あ…………か、噛んだ!」
「嘘吐くにも程があるわ!」
「噛んだなら仕方ありませんよね」
「甘やかすなって、一日に何回言わせる気なの、タマちゃん!?」
キッカさんの職業はきっと『ツッコミ』なのだろう。もはやプロの域だ。
「お嬢ちゃんよ」
角砂糖を食べ終わり、長い舌で口周りを舐めるお師さん。
ふざけた顔と体勢ではあるが、その目は鋭かった。
「【ハンティングフィールド】に一人で挑もうなんて、無謀なマネはするでないぞ」
「無謀……だろうか?」
そう。
【ハンティングフィールド】は、とても危険な場所なのだ。
「何言ってんのよ。剣姫が危険にさらされるような魔獣なんかいるわけないじゃない。あたしでさえ苦戦するような相手なんだから」
いえ、キッカさん。
あなたは惨敗してました。……とは、口にしない方が長生きが出来そうだ。
「強さに自信を持つのは、命を縮めることになりかねんぞ…………おぬしらが知らぬ魔獣も、世界にはまだまだおるんじゃからな」
世界は広い。
その中で、人間が行動出来る範囲などほんの一部でしかない。
その小さなエリアの中だけですべてを語るのは危険なことだ。
到底人間が住めないような過酷な環境に平然と棲んでいる魔獣もいる。
強さだけでは、どうやっても覆せないことなんて、この世界にはいくらでもあるのだ。