「アイナさん。以前、タコを倒した時のことを覚えてますか?」
「……キッカが船酔いになっていた時の?」
「はい。『あたしの実力見せてあげる』と豪語したのに、マストに掴まって身動きすら取れなかった、あの時です」
「……あんたらさぁ、あたしにケンカ売ってるわけ? ん?」
そんなことないですよ。
ないので、拳をそっと下ろしてください。速やかに。
「あ、あのようにですね……こほん。あの時のように、急に海の上に放り出されることだってあり得るんです。最悪、いきなり深海とか、いきなり上空とか、そんなこともあり得ます」
【ハンティングフィールド】は、作りたい料理の材料となる魔獣が『棲んでいる場所』に繋がる。
もっとも、それは実在する場所ではないのだが。
海の中や空の上では、いくら強くても身動きが取れない。
なのに、相手はそこがホームフィールドとなる。このハンデは計り知れない。
強さだけでは、【ハンティングフィールド】を攻略出来ないのだ。
……とはいえ、大体は強ければなんとかなるのだけれど。
万が一ということもある。ということだ。
「ボーヤくらい臆病でないと、命を落とすことになるぞ」
「どうせ臆病ですよ……」
「褒めておるのじゃ」
どこが褒め言葉なんでしょうかねぇ。
「ボーヤは、危険と判断すればすぐ逃げる。その判断力がボーヤ最大の武器なのじゃ」
「判断力……」
アイナさんの手が握られ、胸に添えられる。
「『もう少しだけ』『あと一回だけ』『ちょっとくらいなら』――人間は、そんな甘い考えをつい抱いてしまう生き物じゃ。じゃが、その甘い考えが、時に命を刈り取ってしまう」
そうなってから「あの時ああしていれば」「あんなことしなければ」「どうしてあの時、あんなことを……」などと考えても遅い。
「何かを求める時は、何かを失う危険がつきまとうものじゃ。それを理解出来んうちは、一人で【ハンティングフィールド】には挑まんことじゃ」
「『何かを求める時は、何かを失う危険がつきまとうものじゃ』……うむ。覚えておく」
「『ものじゃ』は要らないと思うけどね」
どんな小さなことも見逃さない。
そのツッコミ魂に敬礼っ!
「それからですね、【ハンティングフィールド】は、こちらの力を見ているんですよ」
「力を見る……とは?」
「ボク一人の場合、頑張れば倒せる魔獣か、死ぬ気で走れば逃げ切れる魔獣しか出ませんでした。けれど、あのタコは無理です。勝つことも逃げることも不可能な強さでした」
「つまり……こちらの力に応じて、出てくる魔獣も強くなる……」
「可能性の問題ですけど」
ボク一人で入っていた時は、どう転んでも勝てない魔獣ばかりが出てきていた。かと思えば、ボクでも余裕な魔獣が出てきたりもする。
振り幅は大きい。
「あたしと剣姫が揃っててアサリとかいう時もあったもんね」
「えぇ。なので、絶対に無理というわけではないんです。ただ、たったの一回危険な魔獣に出くわしたら、それだけで取り返しがつかないことになります。そういう意味で危険だと言っているんです。なので、別にアイナさんが弱いと言っているわけじゃありませんからね」
すかさずフォローも入れておく。
「じゃからの、【ハンティングフィールド】に入る時には、ワシかボーヤを連れて行くようにの」
「あたしと剣姫じゃダメなの?」
「おぬしらは二人とも勇ましいからのぅ。ほっほっほっ」
「なによ、それ?」
「逃げ時を心得ておらんからの。ボーヤはおぬしの何百……いや、何千倍も逃げておるからの」
「お師さん。それ自慢にならないのでやめてもらえますか?」
確かに、物凄い数逃げてますけども。
「でも、やっぱり心配ですので……約束、してくれますか?」
「心配……わたしが?」
「はい。アイナさんが心配です」
最初、戸惑ったような表情を見せ、そして、わずかに顔をほころばせる。
「うむ、分かった。約束しよう」
その笑みを、ボクは無条件で信じられると思った。