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30話 飛び込んできた事件 -1-

「お願いします! 娘が…………娘を、助けてくださいっ……お願い、します……」


 店内に入るなり、床にうずくまる男性。年齢は三十代中頃、だろうか。

 そんな男性に寄り添う女性は二十代後半に見えた。

 二人とも全身傷だらけで、酷くやつれて見える。


「あ、あの。一体何があったんですか?」

「ボーヤ。その前に水じゃ」

「あ、そうですね。アイナさん、キッカさん」

「うむ。……あ、はい」

「分かった」


 アイナさんとキッカさんにそれぞれ水を渡し、男性と女性に手渡してもらう。

 一人に一人ついてもらったのは、気が動転しているお客様を落ち着かせるためだ。

 誰かがそばにいてくれるだけで人は落ち着くものだから。どうしていいか分からない時ほど、余計に。


「……あ、ありがとう、ございます」


 コップ一杯の水を飲み干し、男性が礼を告げる。

 そして立ち上がり、頭を下げた。


「取り乱してすみません。私は、エルダの町で農夫をしています、ドイルと申します」

「妻のクレハです」


 ドイルさんとクレハさんは、エルダという町で農業を営んでいるらしい。

 ここで町の名を出すということは、現在【ドア】は、そのエルダの町から少し離れた場所にいるのだろう。

 名前を出さないとどこから来たか分からない、けれど、名前を出すと「あぁ、あそこね」と分かる、それくらいの距離に。


「それで、あの……騎士団に連絡を取りたいのですが、馬を貸してはいただけませんか?」

「あ、えっと……馬は、あいにく飼っていませんで」

「そう……ですか」


 ドイルさんは分かりやすく落胆する。

 一刻も早く町に戻り、騎士団に連絡をしたかったのだろう。

 何かの事件か……


「よろしければ、何があったのか聞かせていただけませんか? お食事もお出ししますし」

「い、いえ。自分たちは食事をしている暇などは」

「あなた。馬がないのなら諦めましょう。早く町へ戻らないと、あの子が……」


『あの子』という言葉に、アイナさんとキッカさんが反応を見せる。


「子供が誘拐されたの?」


 両親が揃っていて子供がいない。

 そして、騎士団に連絡を入れようとしている。

 そのことから、キッカさんは今回の件を誘拐だと推測したようだ。


「……はい。そうです」


 沈痛な面持ちでドイルさんが言う。

 子供がさらわれた。親としては生きた心地がしないだろう。


「山賊か何か、なのか?」


 子供をさらう代表例は、やはり山賊、盗賊、海賊あたりだ。

 身代金を要求したり、奴隷商に売りつけたり……それ以上に非道なことに利用したり……なんにせよ、早く助け出さないと酷い目に遭う。


「山賊では……ありませんっ」


 ドイルさんの体が小刻みに震え始める。

 クレハさんは、こらえきれずに嗚咽を漏らし始めた。


「あの子は……セナは…………ブギーマントに……っ!」

「ブギーマント!?」


 声を上げたのはキッカさんだった。

 知っているらしい。


「ねぇ。もしかして、もうすぐ収穫祭なの?」


 鬼気迫るような顔つきでドイルさんの顔を覗き込むキッカさん。

 緊迫した様子が声からもうかがえる。


「は、はい……収穫祭は、四日後に……」

「四日後……か」


 すっくと立ち上がり、腰に差したナイフを確認する。


「ねぇ、タマちゃん。今お店がある正確な場所、分かる?」

「いえ。分かりません」


 お店のある場所が分からない――というのは、ドイルさんたちからすれば奇妙な話だろう。

 だが、この【歩くトラットリア】は世界中のどんな場所にでも行ける。どこにでも行けるからこそ、今どこにいるのかが分からない。


 地図を手に入れれば、自分たちの場所が把握出来るのかもしれないけれど……自分たちの場所が分かることで、偏った感性を持ちたくないと、ボクは思っていた。

 どこかの国で嫌なお客様に出会った時に、その国に対してマイナスなイメージを持ってしまわないように。

 そして、そのマイナスイメージが、その国を避ける理由になってしまわないように。


 出来る限り平等に、ボクは誰かを救ってあげたい。

 たとえ、昨日食事を食べた人と、今日食事を食べている人が殺し合いをするような関係だったとしても、どちらにも肩入れせずに、ボクは料理を振る舞いたい。そう思っていた。


  だから、ごめんなさい。

 地図はないんです。






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