「ぇひゃあああ!?」
またっ!?
またしてもモナムーちゃんに頭を齧られました。
本当にどうしたというのでしょう?
反抗期でしょうか。
「やめてください、モナムーちゃん」
注意しても、のんきな顔で漂うばかり。
こちらの話を聞かないこの不遜な態度は確実に飼い主であるあの小さな所長の影響でしょう。
似なくてもいいところばかり似てしまうのですから、まったく……
「カサ~ネさん」
「へ?」
これまでに聞いたことがない、トラキチさんの砕けた声音にそちらを見ると、カウンターに両腕で頬杖を突いてニコニコしたいたずらっ子の目が私を見ていました。
「齧られたご感想は?」
……なんですか。
以前トラキチさんが齧られた時に私が素っ気ない態度を取ったことへの意趣返しですか?
あの時はモナムーちゃんがこんなお転婆だなんて思ってもいなかっただけです。
……もう、そのにこにこした目をやめてください。
「そうでした。ハーブティーをいれましょう。今日も冷えますからね」
返す言葉を持ち合わせていない私は敵前逃亡を試みました。
まったく、憎らしい。そんな勝ち誇ったような、嬉しそうな顔をして。
しかし。
ふふふ……
次は私の勝ちです。
今日はとっておきの秘策があるのです。
いつもいつも、私があなたの想定通りに行動する女だとは思わないことです。
いつものようにハーブティーをいれ、トラキチさんへとお出しする。
そして、色とりどりの角砂糖が入ったシュガーポットを差し出す。
「さぁ、召し上がってください」
さぁ、さぁ。
角砂糖をハーブティーへお入れください。
何個入れても構いませんよ。
選択肢は無限です。
何色でも構いませんので、選んでください!
「いや、今日はやめておきます」
「……え?」
「なんだか、神様とお見合いって聞いたら緊張しちゃって……甘いものは重く感じそうというか……。今日はストレートでいただきますね」
入れない……
選ばない……
ない……
途端に私の顔が熱くなりました。
一体私は何をしていたのでしょう。
勝負にこだわるあまり、社会人として、人として、女として、一人のオシャレ女子として、あるまじき暴挙に出てしまっていたと、今さらながらに痛感してしまいました。
どんなに策を弄しても看破されるのであれば、最初から見透かされるものがなければいい…………などと思いついてしまった昨日の私を砂利道に正座させて四時間半説教したい気分です。
あまつさえ、それすらも当てられて……
「申し訳ありませんが、所用が出来ましたので少し離席します」
「え、どちらへ?」
「更衣し……どこでもいいじゃないですか」
「あ、はい。すみません」
キッと睨むとトラキチさんは肩をすくめて小さくなってしまいました。
八つ当たりです。みっともない。
…………いや、八つ当たり、でしょうか?
そもそもトラキチさんが毎回毎回このようなことをしなければ…………そう考えると、この羞恥に対する怒りは正当なもののような気がしてきました。
まったく、トラキチさんは……まったくもう…………
いざという時のために、更衣室には『替え』が用意してあります。
その『いざ』というのが一体どのような事象を指すのか今まではぴんと来なかったのですが……こういう時なのでしょうね、『いざ』は。
当然靴下やシャツなども用意してあります。アレだけではありません。当然です。
なんにせよ、替えがあって助かりました。
……今の状況では、たとえ知られていないと分かっていても……落ち着きません。
なぜ今まで平気だったのでしょうか、私は。理解に苦しみます。
とにかく。
私はその替えを求めて更衣室へと向かいます。
席を離れる直前、シュガーポットから真っ白な角砂糖を一つ摘まみ上げ、トラキチさんのティーカップへぽとりと放り投げておきました。
深い意味は、ありませんけどね。
トラキチさんを見送り、自分のデスクへ戻った私は深いため息を吐きました。
打ち合わせの後半は、なんだかそわそわして平常心ではいられませんでした。
きちんと連絡事項を伝えられていたでしょうか?
……不安なので、後日工房へ伺って確認しておきましょう。
訪問すれば、ハーブティーも出さなくて済みますしね。
……はぁ。
「やぁやぁ、カサネ君。今日はヘンタイだったようだね」
「誰がですかっ!?」
無神経な所長の言葉に、神経を逆撫でするような面白がっている声音に、思わず立ち上がり大きな声を出してしまいました。
相談所にいた相談者様や同僚たちの視線が私に集まります。
慌てて俯き着席し、集まる視線に背を向けます。
耳が、熱いです。
……おのれ、所長め。
「にひひ……いや~、めんごめんご。『タイヘン』をちょこ~っと言い間違えちゃったよ。大変だったんだってねぇ~」
今日一番大変だったのは今の一瞬です。
私が今縮こまっているのと同じくらい、所長の背も縮めばいいのです。
「縮めばいいのです」
「おいおい、よしたまえよ、八つ当たりは」
「正当な怒りに対する報復です」
あの小さな頭に噛みついてやれとモナムーちゃんに視線を送りますが、のんきな浮遊魚はのんきな顔でぷかぷか浮かんでいるだけでした。
反抗期なら、飼い主に反抗すればいいものを。
「それで、きちんと伝えてくれたのかな? 今回のお見合いの形式を」
「もちろんです。今回はお店での会食という、いわゆる『お見合いスタイル』ではなく、お二人で街へショッピングに出かける『デート型お見合い』であるとお伝えしました」
「よしよし。ピクニックスタイルなんて面白いお見合いを考えるような坊やだからね、きっとそういうのも受け入れてくれると思ったんだよ。で、反応は?」
「前向きでした。『楽しそうですね』とおっしゃっていましたよ」
「うんうん。私の見込んだ通りだ」
ことさら嬉しそうに「にしし」と笑い、所長は澄んだ瞳をこちらへ向けました。
「君の働きにも期待しているよ、カサネ・エマーソン君」
「私はいつも通り職務を全うするだけです」
「君の勤務態度は重々理解しているし評価もしているよ。その上で、格段の注意を払ってほしいと言っているんだよ」
ぽんぽんと、気安い手つきで私の肩を叩く小さな手。
その手をすっと払いのけ、手の触れていた肩付近のほこりを払うようにさっさっと指で払います。
「失敬だね、君は」などという所長の言葉をさらりと流し、格段の注意を必要とするその理由を尋ねました。
「それは、お相手の方が之人神だから、ですか?」
元神であった者へは敬意を払うべし。
そのような概念に則ってのことなのかと問うと、所長は肯定とも否定とも取れる微妙な角度に首を傾けて、恐ろしく冷ややかな、ぞっとするほどの無邪気な笑顔で言いました。
「之人神の中でも、彼女は――死神だからね」