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第3話 このクズ、飼いませんか?

 フィルが入学してすぐの頃は、忙しくても時間を作ってエリザの元へ来てくれていた。休日はいつも一緒に過ごしていた。それが変わったのはいつからだったか。

 新しい制服が必要、学用品を買わねばならない、研修費がかかるなどと言われ、だんだん渡すお金が増えていって、お金を稼ぐためにエリザが危険手当のつく業務を受けなくてはならなくなり、泊まり込みの仕事が増えて会えない期間が増えてきた頃だろうか。

 気付けば手紙も返事が滞りがちになり、ここ最近はお金の無心がくるだけで、近況を知らせる内容などはひとつもなかった。


 この状況に、不安がなかったわけではない。

 けれど、エリザとフィルの関係は、単なる恋人ではないという自負があった。

幼馴染でお互いのことを知り尽くし、切れない絆が二人の間にはあると思っていた。


「どうして彼があんなふうになってしまったのか、全然分からない……」


 いろんな泣き言と一緒にそんなことを男に言うと、男は心底不思議そうに首をかしげてこう言い放ってきた。


「どうしてって、そんなのあなたが恋人をそんなふうに育てたからでしょ」


「えっ?」


「違うの? 話を聞いていると、頑張ってクズの育成に励んだんだなあって思ったけど」


「はあ? なんでそうなるんですか! 話聞いていました?」


「ええ、ちゃんと聞いていたよ。だからてっきり君はクズが好きで、わざわざ手間とお金をかけて自分好みのクズを作ったんだとばかり」


「どうしてそうなるの? 私、そんなこと一言もいってない!」


「えー? でも実際見事なクズに育て上げたじゃないか。普通の人はそこまで成長するまでエサを与えたりしないんだよ。でも自覚がないってことは、きっと君は無意識に育成しちゃったんだね。いいんだ、大丈夫。人の趣味はそれぞれだ。クズな男が好きでも誰も君を咎めないよ」


「そんなことないって言ってるでしょう! 人を変態みたいに言わないで」


「いやー恋人を養うことに喜びを覚える性癖とか? そうだね、自分がいなければ生きていけない状況というのは、誰しも少なからず快感を覚えるものだ。いいじゃないですか、寄生先を求めるクズからすると、あなたのような趣味を持つ女性は実に貴重な存在だから、そのまま飼育を趣味にしてくれれば皆幸せだ」


「え? え? ちょ、ちょっと待って。それじゃ本当にフィルがあんなふうになったのは、私のせいだって言うの? いくらなんでもそれは暴論だわ」


 男の言う理論でいけば、悪いのはエリザということになってしまう。『私のなにがいけなかったのかな……』と考えたりしたが、だからと言ってあんな仕打ちを受けて暴言を吐かれたことまでも自分の責任だとはさすがに思えない。


「うーん。そうだね。確かにその彼は失敗作だね。養われているクズにもそれなりの作法ってもんがあるのにね。その彼は養い主に感謝の言葉もなく、挙句暴力までふるっている。ヒモにあるまじきクズだ。もう飼う価値はないですよ」


「作法……? あるまじきクズ……?」


 何を言っているか分からない。

 だからヒモを養っていたわけではないと言っているのに、全く違う話をされてわけがわからなくなっている。

 そもそも何故自分はこんな見ず知らずの薄汚れた男に事情を話してしまったのだろう。傷ついて、誰でもいいから愚痴を言いたい気持ちがあったのは否定できないが、どうも相手のペースに飲まれている気がする。


「も、もういいです。そのかごの中身は全部差し上げますから、さようなら」


 急に頭が冷え、こんな得体のしれない男相手に何をやっているのかと一気に後悔が襲ってくる。

 誰かに話して楽になりたくても、こんな生活破綻者からまともな返答がくるはずもないのに何を期待していたのか。

恥ずかしさを振り切るようにベンチから急いで立ち上がり男に背を向けた。

だがそれを慌てて引き留める声がかかる。


「ああ待って待って! えーと、ひとつ提案があるんだ。その前に確認なんだけど、君を金蔓呼ばわりした彼を、これからも養い続けるわけじゃないよね?」


「……当たり前です。もう金輪際近づくなとまで言われて、付き合い続けられません」


 振り返ってキッと睨むと、意外なことに男は喜色満面で「よかった!」と叫んだ。


「良かったら、後釜に僕を飼いません?」


「……はい?」


「前の奴は行儀のなっていないクズでしたが、僕は分をわきまえたクズですよ。与えられるエサだけで満足するし、飼い主を労わることも忘れません。どうです? お買い得ですよ? このクズ飼いませんか?」


「な、なにを馬鹿なことを言っているんですか! 飼いませんよ! そもそもあなたは成人男性なんですから、馬鹿なことを言ってないでちゃんと働いたほうがいいですよ!」


 とんでもない提案に怒鳴りつけてしまうが、男は意に介することなく手をひらひらさせてなだめてくる。


「でもねえ、レディはクズを育てて養った実績があるから、多分またクズ男に目を付けられると思うよ? それで次はもっとあくどいクズに引っかかって、身ぐるみはがされて売り飛ばされるかもしれない。もしかして前の彼が、あなたのことを良い金蔓だと吹聴して、他のクズがあなたを食い物にしようと狙ってくる可能性だってある。だったら、僕みたいなお行儀のいいクズを飼っておいたほうが何倍も安心だ」


 男に指摘されて、ハッとする。

 フィルの後ろにいた人々。彼らの中でもエリザのことが『金蔓』だと認識されている以上、まだ金を引っ張ってこようとするかもしれない。

 アイツは金を持っている、頼めばいくらでも出してくれるなどと言い触らされたらたまらない。

 疑心暗鬼にならざるを得ないほど、エリザのなかで彼らの印象は悪かった。


「それにね、レディはすごく騙されやすいタイプだと思うんだ。僕も伊達に何年もクズやってないからね、同類を見分けるのはお手の物だ。番犬がわりとしても、飼う価値あると思うよ」


「……あなたがあくどいクズかもしれないじゃない」


「僕は働きたくないだけの消極的なクズだから、あくどいことをするほどの気概はないよ。とはいっても、今この場で僕の安全性を証明するのは難しいから、とりあえずお試しということで、レディの安全性を確保したうえで飼ってみられたらどうです? 僕、毛布一枚あれば床でもどこでも寝られるんで、費用対効果が良いヒモだよ」


「はあ? まさかあなた、家に来る気ですか? 私一人暮らしなんですけど」


「心配なら外から鍵のかかる部屋に入れるなり、リードでつなぐなりしてくれて構わないよ。それに君、自分で『強いから大丈夫』って言っていたじゃないか」


 まあ、確かに強いけど……と心の中で呟く。


 実はエリザは魔法師団に勤めており、体術もそれなりに身に着けている。


 フィルに突き飛ばされた時も、本来なら避けることも払いのけることもできたはずだが、彼が自分を突き飛ばすとは想像もしていなかったので、驚きすぎて受け身も取れなかったのだ。


 ……いや、違う。フィルの前ではただの女の子でいたいといつもか弱いふりをしていたから、とっさに切り替えられなかった。

 恋人に幻滅されたくなくて、ずっと『普通』の令嬢を演じていた。仕事モードに戻れば、エリザは普通の男性くらい片手で倒せる。



 顔を上げ改めて男を見てみると、ひょろりと痩せて猫背のシルエットが無気力さを漂わせている。

 空気が抜けた風船のように生きる気力も感じられない。よく言えば、男性特有のギラギラした部分がない。

 その顔をじっと観察すると、相手がニコッと口角を上げ、作り笑顔を見せてくる。

 うさんくさい笑顔だ。

 でもそのうさんくささを隠さないのが正直でいいと感じた。


 しばらく無言で見つめあったあと、エリザはスンと鼻をひとつ鳴らして、彼の提案を受け入れた。


「使用人部屋があるから、そこを使わせてあげてもいいわ」


 どうかしている、と思いながらも、この男の主張に納得する点を見出してしまった時点でエリザの負けだ。

言っていることはクズで無茶苦茶に思えても、相手を納得させる力を持っている。

 恋人に酷い言葉で罵られ、笑い者にされて自棄を起こしていたと言われればそれまでだが、男の話に乗ってみるのもいいじゃないかという気になって、彼の提案を受け入れることにした。


「おお、有難い。なぁに、僕は躾が行き届いた行儀のよいヒモですよ。飼ってみて損はさせません」





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