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第12話 劣等感と憎悪



「それにさ、エリザは仕事仕事で俺のことほっときっぱなしだったしさあ。お前にだって悪い部分はあったじゃん。だから今回のことはお互い様ってことで終わりにしよう。な?」




 訳の分からない理論でエリザにも責任があるかのように責めてくる。


黙ったままでいると、許されたと思ったのか、距離を詰めて抱きしめる体勢で腕を伸ばしてきた。




「……やめて!」




 酒臭い息がかかり、ぶわっと嫌悪感が湧き上がる。とっさにその手を叩き落としてしまった。


手を叩かれ拒絶されたフィルは、一瞬にして怒りで顔を真っ赤にしていた。




「っ、この……!」




 激高したフィルが右手を振り上げる。


 ひどい扱いを受けてきたが、それでも暴力を振るわれたことはこれまでなかった。


ここまで変わってしまったのかと思いながら、冷静にそれを避ける。




(付き合っている頃だったら、殴られてあげたのかしら……)




 余計なことを考えながらでも酔っ払いの平手打ちを避けるのは難しくなかった。


 空振りしてしまったフィルは、憎々し気にエリザを睨む。だがエリザがじっと見つめ返すと、さすがに気まずそうに目を逸らした。




「殴りたいほど私のことが嫌いなんでしょ? よりを戻すなんてできるわけない。自分でも分かってるでしょ……」




 また激高させてしまうかなと思ったが、その言葉にハッとした様子でフィルは目線を彷徨わせる。




「……俺だって、色々辛かったんだ。八つ当たりしたのは謝る。悪かった。でも今はエリザも冷静じゃないみたいだから、出直してくるよ。また今度お互い頭が冷えたらちゃんと話そう」




 そして手に持っていたプレゼントをエリザに押し付けて、逃げるようにして走り去っていった。




 手元に残ったプレゼントをどうするか悩んだけれど、ここに捨てていくわけにもいかず仕方なく今度突き返そうと一旦家に持ち帰ることにした。




 ため息をつきつつ玄関を開けると、そこには腕を組んで壁にもたれているエリックの姿があった。




「……ただいま」




 真夜中の静まり返った路地での話し声は家の中にも響いたのだろう。様子を見に玄関で待っていたようだ。




「エリザさんは彼氏の前ではずいぶんと弱気になるんですね」




「見ていたの?」




「ええまあ。殴り返すくらいはするかと思って見ていたんですけどね。結局言われたい放題でしたね。プレゼントも受け取っているし、よりを戻す流れになったら止めにいこうかって悩んでいたところでした」




「べ、別に、殴る価値もない人だから。これも今度来たら突き返すわよ」




 目を合わせず横を通り過ぎようとすると、無遠慮に腕をつかまれプレゼントを取り上げられた。




「ちょっと……!」




 エリックは勝手に箱のリボンを解いて、中身を確認する。するとそこには可愛らしい香水の小瓶が入っていた。




「へえ、割とセンスがいい。高いものじゃないが、若い女性に人気の香水ですよ。良かったじゃないですか。あんな馬鹿にした態度を取られた挙句殴られそうになったのに、彼からのプレゼントは受け取ってしまうんだね。なんだかんだ言ってやっぱり嬉しかったのかな?」




「そんなわけないでしょう! いい加減なこと言わないで!」




 カッとなって声を荒らげると、エリックはさらに距離を詰めてくる。




「そうやって僕にははっきり強く言えるのに、なんで彼にはそれができないのかな? これまでも要求がおかしいと分かっていても、それを指摘できず彼の言いなりになってお金を渡して甘やかしてきたんでしょう? 君は恋人というより、子どもを甘やかす親みたいだ」




 痛いところを突かれてぐっと言葉に詰まる。




「そ、そうだとしてもエリックさんには関係ないことでしょ。首を突っ込んでこないで」




「関係大ありですよ。もしエリザさんがやっぱり彼が好きだから金蔓に戻ると言い出したら、僕は追い出されるでしょうし、死活問題ですよ」




 さすがにヒモを二人も養ってはくれないだろうからと口元だけで笑って見せる。




「好きな気持ちは少しも残ってないわよ」




「じゃあどうしてあんなに弱腰なんです? 嫌いな相手にあんなに優しくしてやる必要ないでしょう」




 どうして、と問われ少し考える。


 弱腰というか、彼の言葉を否定しない癖がついていた。それは二人の始まりが関係している。




「彼が家から追い出されると決まった時、彼は人生に絶望していて……すごく傷ついていたの。だから私は絶対彼を傷つけないと心に誓った時から、強く言えなくなったのかもしれない」




 あの頃のフィルは、家族に捨てられ世の中の全てが敵になってしまったような気持ちでいた。だからエリザは、自分だけは彼の絶対的な味方であろうと心に誓ったのを覚えている。


 彼の希望をできるだけ受け入れて否定しないようにしてきた。それで少しでも傷ついた彼の心が癒えればいいなと思ってのことだった。


 結果、不自然なお金の要求が増えておかしいと思いつつも強く問いただすことができなかった。


 彼の機嫌を損ねないように、彼の言葉を否定したり疑ったりするようなことは言えなくて、無理な要求にも黙って従うようになっていた。




「そうだろうね。長い付き合いなら、彼も君の気持ちをよく理解していたんだろう。その結果、無理なお願いをしても受け入れてもらえると学習して、最終的にあれだけのクズに君が育ててしまった」




「……でも、それって私が悪いの? 恋人に優しくしたい、望みをかなえてあげたいと思うのは間違いなの?」




 泣きそうなエリザをエリックは黙ったままじっと見つめる。涙がこぼれそうになった時、彼は少したじろぎ一歩引いて目を逸らした。




「最初に話を聞いた時、君のような強い女性がどうしてそんなクズの男にいいようにされているのか不思議だった。惚れた弱みと君は言ったけれど、どうもそうじゃないようにみえるんだ。何かもっとこう……彼に対する負い目みたいなものがあるのかなと感じる」




「負い目……?」




「そう。例えば、君は自分だけが魔力持ちであったことに、勝手に罪悪感を抱いていたのでは? 同じ時に魔力検査をして、一方は優れた魔力持ち、もう一方は持たざる者と判定され完全に明暗が分かれた。魔法師団からスカウトされた君に対し、彼は家族から絶縁されてしまった。自分だけ恵まれていて、申し訳ないとか思っている……とか」




 ずっと自分の中でくすぶっていた感情を言い当てられ、思わず肩がびくりと跳ねてしまう。その反応で図星だとばれてしまったのか、エリックの目に憐みがこもる。




「……どうしてそう思ったの?」




「なんだろう、君がまるで罪滅ぼしをしているみたいに見えたから。でも、その罪悪感は間違いだよ。たとえ口にしなくとも、彼のほうはきっと憐れまれていると感じただろうからね」




 憐れんだつもりはない。


 ただ、フィルが持たざる者と分かったすぐ後に、自分が優れた魔力持ちであると判定された瞬間の、彼の絶望したような顔が忘れられないだけだ。


 自分が悪いわけでないと分かっているが、タイミングが違えばフィルもあれほど傷つかなかったかもと思うと、どうしても罪悪感を覚えてしまった。




「で、でもフィルがどう思っていたかなんて本当のところは分からないわ。少なくとも彼は、私に魔力持ちであるのを羨んだことなどない」




「君には分からなくても、僕には分かるよ。だって僕は彼と同じように底辺の人間だからね」




 ――――羨ましいだなんて口にしたら、あまりにも自分が惨めになる。だから高みにいる人に対して、劣等感を抱いていないふりをするしかないんだとエリックは語る。




「あの男は内側で劣等感を膨らませていった結果、君に八つ当たりをするようになったんだ。高圧的な態度で無理な金銭要求を繰り返したのも、君を自分に従わせることでちっぽけな自尊心を満たしていたんだろうね。暴言を吐いて別れを告げた時は、ようやく君の上に立てた気になってさぞかし快感だったろう」




「ああ……」




 思い当たる節がある。


 フィルはエリザが彼の言うことに逆らわずに従うととても満足そうにしていた。笑みを浮かべる彼に嫌なものを感じていたが、突き詰めて考えないようにしていた。


 あれはただ、自分を従わせることだけが目的だったのか。そう考えると、誕生日の行動も全て納得がいく。




「私は……フィルに恨まれていたのね。貶めて笑い者にしたいほどに」





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