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第21話 あなたは役目を果たすべき



 そんなエリザの微妙な表情に気付くことなくクロストは勝手に女性の役割だとか責務だとかをペラペラと語っている。




「貴族の女性はこうあるべきだと母を見ていると思うんです。なによりも尊い責務を女性は背負っているわけですからね。あなたにもどうかその尊さを分かってもらいたい」


「はあ……」






 ここまで言われて、そういえばクロストは元から女が魔法師団に所属していることを快く思っていなかったんだったと思い出す。


 この脈絡のない話は結局ここにつなげるつもりで話していたのかと気づいて一気に気持ちが冷える。


 そういえばコイツはそういう差別的な奴だったのに、うっかり雑談をしてしまった自分の愚かさに嫌気が差す。




「エリザさんはもうお金を稼ぐ必要はなくなりましたよね? 今回の件でさすがに懲りたのではないですか? これを機に、師団を辞めて貴族令嬢としての責務を果たしては?」




「……クロスト補佐官の言う、責務とは結婚と出産のことですか?」




「当たり前でしょう! 優れた魔力を持つ女性は、より多くの子を産み、その才能を次世代に引き継がねばなりません」




「それは補佐官の考えであって、私はそうは思いません。魔力の強さは必ず子に引き継がれるものではないし、魔力のために結婚する貴族の価値観は、私には受け入れがたいです」




 魔力を持たない貴族の子がどのような扱いを受けるのかは、フィルを見て嫌と言うほど知っている。


 魔力がなければ家の子と認めない貴族の風潮をエリザは忌み嫌っていた。


 だからきっぱりとクロストの意見を突っぱねる。


 きっと言い返したら激高するだろうなと分かっていたが、案の定彼の表情が一変した。




「まだそんなことを言っているんですか!? そうやって意地を張って師団で働き続けた結果が、恋人の裏切りと冤罪でしょう! 疑いは晴れても一度広まった悪い噂を消すのは不可能です。あなたは魔法師団で働き続ける限り、誰とでもすぐ寝る女で地下組織に情報を売った犯罪者だと言われ続けるんですよ。だからこの期にすっぱり辞めるべきだ!」




「噂は事実無根だと証明されています! それでも信じると言う人は、理解力が乏しいとしか私は思いません!」




 だからクビにならないかぎり辞めるつもりはありません、と言い返しクロストを睨みつける。


 彼がどのような主義主張をしていても構わないが、それを他人に押し付けないでほしい。しかも辞めろなどと言われる筋合いはない。


 コーヒーはまだカップにだいぶ残っていたが、これ以上不毛な言い争いをしたくないので、ごちそうさまでした! 言い捨ててカップを持って椅子から立ち上がった。




「……っ!?」




 視界がぐるんと回って膝から崩れ落ちた。立ち上がろうとしても手足がぐにゃりと溶けたみたいで力が入らない。


 もがいているうちに息があがってきて、胸を押さえてうずくまった。




 貧血や過労などではない。明らかに異常な状態だ。


 床に転がるカップが目に入る。




 半分ほど飲んだコーヒー。


 クロストが手ずから淹れてくれたもの……。ここまでくれば、考えなくても分かる。




「……っなにか、盛りました?」




 補佐官が自分に毒を盛るなんてあるわけがない。けれど、今のこの全ての状況がそうであると告げている。


 グラグラと揺れる頭を気力で持ち上げ、クロストを睨みつける。


 彼は無表情で微動だにせずエリザを見下ろしていた。




「少量でよく効くというのは本当のようですね。体に力が入らなくなるのですか? 息が上がっていますが、興奮が高まっている感じはありますか?」




「な、なにを……」




「地下組織から押収した例の薬物ですよ。コーヒーに少量混ぜてみました」




「……!」




 押収品を勝手に持ち出した上に、危険なものだと知りながら騙して人に飲ませるなんて、一発で懲戒処分になりかねない違法行為だ。どうしてクロストがそのような暴挙に及んだのか。




「貴族たちが危険を冒してでも手に入れようとしていたのは、この薬を少量摂取しただけで、意識が朦朧とし性的な興奮が高まる作用があるからだそうです。薬が効いているあいだは記憶が曖昧になるため、貴族の夜会で『そういう目的』のために使われていたようですね」




 エリザも調書で読んだので知っている。


 お互い同意の下使うのではなく、何も知らない女性を夜会に連れてきて、薬で酩酊させて凌辱するという行為が一部の貴族のあいだで行われていたらしい。


記憶が曖昧になる作用があるため、被害を訴える者がほとんどいなかった。だからこれまでずっとこの危険な薬物が野放しにされていたのだ。




「そ、んな、危険なものを……私に飲ませるなんて、どういうつもり、ですか」




 それをわざわざ告げてくるクロストの異常さに、危機感が高まってくる。


 まさか……とこれから起こり得る可能性が頭に浮かんで考えて背筋に冷たいものが走る。


 自分が性的な対象に見られているとはこれまで感じたことがなかったため、この期に及んでまだ何か別の理由を探そうとしていた。


 だがクロストが愉悦を抑えきれないような笑みを浮かべているのを見てしまい、一気に恐怖心が襲ってきた。


 死の恐怖よりも気色悪く恐ろしい。


這うようにして必死に逃げようともがくが、その前にクロストに腕を取られた。




「私だって本当はこんな手を使いたくなかったんです。でもあなたはどうしても魔法師団を辞めないと言う。あなたがもっと素直になってくれたら、もっと優しくできたのに」




 つかんだ腕を床に押し付け、のしかかってくる。


 ここまでくればもう否定しようもない。


クロストは、エリザを凌辱しようとしている。


 これを魔法師団から追い出すための手段だとするのなら、これ以上ないほど最低なやり口だ。




 もしエリザが被害を訴えても、すでに男性関係の悪い噂があるためこちらが不利になる可能性が大きい。


 ただでさえ地下組織との関係を疑われ問題を起こしていた自分と、師団長の右腕として信頼も厚いクロストとでは、彼のほうに分がある。


 下手をすれば、上官相手に揉め事を起こした責任をエリザが問われる可能性だってある。


 だからと言って自分を凌辱した相手と同じ職場で働き続けられるわけもない。


 泣き寝入りして逃げ出す以外に道がないと踏んで、あえてこういう手段に及んでいるのか。


 そうまでして自分を辞めさせたいのかと怒りがこみ上げる。




「さ、いてい。そこまで私のことが、嫌いですか。目障りだとしても……ここまでするなんて」




 意外なことにクロストは、笑って首を横に振る。




「あなたを嫌ったことなど、一度もありませんよ」




「は……?」




 じゃあどうして、とつぶやくエリザの頬を優しくなでる。ぞっとして顔をそむけるが、力ずくで前を向かされた。




「初めて会った時から、私にふさわしい女性はあなたしかいないと思っていました。私とエリザさんならば、きっと素晴らしい素質を持った子が生まれる。誰からも祝福される結婚となるはずです」




「こ、ども? なん、で、意味が分からない」




「それほど優れた魔力を持っているのに、子を産まないのは国家の損失ですよ? 私との子を成すことがあなたの使命なのです。貴族として生まれたのならその役目を果たすべきだ。だからずっと、貴族令嬢としての立場を説いてきたのに……」




 爆弾発言とともに、にこりと笑いかけられる。


 素晴らしい素質を持った子?


 誰からも祝福される結婚?


 子を成すことが使命?




「それって……あなた、私と結婚、するつもりで、こんなことを?」




 結婚して自分の子を産ませようとしている男の考えに愕然とする。


 あれだけ貶してきた奴がどうして自分と結婚したがっているなんて思うのか。


しかもその理由が、恋慕でもなく子を成すためだけというのだから、最低にもほどがある。




 横っ面をひっぱたいてやりたいが、薬が回って意識を保っているのがやっとだ。気を抜くとそのまま夢の中に引きずり込まれそうで、必死に唇を噛んで耐える。


 目の焦点が合わなくなってきたエリザの様子を見て、クロストは詰襟をゆっくりと緩めて、満足そうにうなずいた。





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