急に脱力したエリザに気づいた師団長が慌てて駆け寄ってくる。
「エリザ! エリザ! 治癒魔法をかけるからもう少し頑張れ」
治癒魔法をかけるが、そもそも薬物摂取による中毒に対して治癒魔魔法は効きが悪い。
師団長が何度治癒をかけてもエリザの意識が戻る様子がない。
それなのに薬の効果で荒い息を吐いている姿が艶かしく、男二人は早くなんとかしなければと焦りがます。
「まずいな。無理矢理でも吐かせたほうがいいのか?」
「意識がない相手にそれは危険です。それにもう体に吸収されているのなら……治癒ではなく、体内に浄化魔法を巡らせてみましょう」
体内に吸収された薬を除去することを意識して、エリックが浄化魔法をかけ続ける。
するとようやく、閉じられていたエリザのまぶたが開いた。
「エリザさん! 聞こえる? 気分はどうです? 吐き気は?」
「は、い。大丈夫です……すみません」
身を起こしたいと言うと、ソファに足を延ばす態勢で座らせてくれた。そして水の入ったコップを渡されるがまだ視界がぶれていて手が震える。
「う……目が回る。気持ち悪い」
「水は飲めないかな。まさか押収品の薬を飲まされるなんて……すまない、僕がもっと早く気づけたらあなたをこんな目に遭わせなかったのに……」
まだ頭がぼんやりして、エリックが何を言っているのか分からず首をかしげる。
「いや、悪いのは俺だ。エリックは最初からクロストを疑っていたのに、にわかには信じられなくて証拠固めに時間をかけ過ぎた。俺の判断ミスでエリザを危険な目に遭わせてしまった。本当にすまない」
「一体……どういうことですか? エリックさんは、なぜここに」
疑問に思っていたことを問うと、二人は少し顔を見合わせてからここに至るまでの事情を説明し始めた。
「内部情報が流出している時から、スパイの存在を疑っていたんだ」
エリックは補佐官であるクロストが地下組織との内通者ではないかと疑っていた。
流出した情報のひとつに、師団長がクロストに言い間違えて伝えた内容がそのまま含まれていたことがあったため、そこから目をつけていた。
「エリックにクロストが疑わしいと報告されたんだがな、その時はアイツを信じていたから、単に盗聴されたんじゃないかと思っていたんだ」
自分がスカウトしてきた人材だから身元調査はしっかりしてある。地下組織と関わる理由もないと判断し、師団長はクロストを疑わなかったが、エリックは最初からクロストに不審なものを感じていたという。
「師団長は頼りにならないと思ったんで、僕ひとりで調査をすることにしたんですよ」
「いや、すまん……」
単独で調査を進めるものの、クロストは組織の人間と直接関わることがなかったため、確証が得られなかった。
複数の情報屋を経由させて、渡した情報を書いた紙は魔法で消えるよう加工してあり、クロストとの関与を証明するのが難しい。そのうえ容疑がエリザにいくよう情報を操作していた。
「ここまで裏付けを取るのに時間がかかりすぎて逮捕が遅くなった。こんなことになる前に捕まえたかったが……」
怖い思いをさせて悪かった、と謝られ、あいまいに首を振る。
「もうばれているが、エリックは赤狗のメンバーで、今回の件でずいぶん前から内部調査に動いていた。正直、コイツが調査してくれなかったらエリザの容疑も晴れなかったかもしれん」
「そう、なんですか……だから潜入捜査で私に近づいたんですね」
「というかだな、コイツが単独で捜査を始めたのはお前の容疑を晴らすためだぞ。俺は最初エリザを容疑者から外していなかったからな。無実を証明するってほぼ勝手に動き始めたんだよ」
師団長が微妙な表情をしながらエリックを指さす。
驚いて彼を見ると、気まずそうに目を逸らされてしまった。
容疑を晴らすため……ということなら、エリザが無実だと信じてくれていたということだが、そこまで味方をしてくれる理由が分からない。
「どうして……私が潔白だと思ってくれたんですか? 知り合いでもないのに……」
浮浪者の恰好をして公園で接触してきた時が初対面のはずだ。
師団長ですら疑いを持つような状況だったのに、見ず知らずの彼が潔白を信じてくれる要素がないはずだ。
エリザの問いかけに彼は目を逸らしてごまかそうとしていたが、師団長に背中をバンと叩かれしぶしぶ白状し始めた。
「僕とエリザさんは、あの日が初対面じゃない」
「え、じゃあいつ……」
「……任務の際に、僕はその時別の人間になっていたから、君は気づかなかっただろうけど。その時の印象で……裏表を上手く使い分けるような人じゃないと思ったんだ」
何故だか顔を赤らめながら話すエリックを師団長がにやにやしながら見ている。
「じゃあ、一緒に仕事をした仲間だから、信じてくれたということですか? でも信じるに足るほどの何かすごい働きを私がしたとは思えないんですが」
疑いのまなざしを向けると、こらえきれなくなった師団長がブハッと噴き出した。
「そうじゃなくて、任務で一緒になった時にエリザに惚れたんだろ。惚れた女が陥れられているって知って、姫を救う騎士よろしく立ち上がったんだよな」
「ちょっ……師団長! 僕はただ、彼女が無実ではないかと思ったから捜査員に志願しただけですよ。下心があったみたいに言わないでください。エリザさん、違うから。師団長の勘違いだから」
エリックが血相を変えて否定してくる姿に少々驚く。
クズ男を演じていた時は、もっと人を食ったような態度だったし、もう少し年嵩に見えた。師団長と話す彼は子どもっぽく感じる。この人の本当の姿はどれなのだろう。
硬い表情を崩さないエリザに対し思うところがあったのか、師団長は気絶しているクロストを担ぎ上げ、部屋を出て行く。
「ちょっと二人で話し合うといい。騙されていたエリザも聞きたいことや言いたいことがあるだろ? エリックも逃げていないでちゃんと話せよ」
「えっ、師団長待って……」
引き留めるエリザの声を無視して師団長は行ってしまった。
二人にされても正直気まずい。言うべき言葉を探して彼から目を逸らしていると、エリックがギクシャクと声をかけてくる。
「エリザさんはひとまず体を休めて。まだ薬が抜けきってないでしょう」
「あ、ありがとうございます」
水は? お茶は? 毛布は要る? と色々訊ねて気を遣ってくれているようにふるまっているが、ただ質問されないよう逃げているとしか思えない。
「大丈夫ですから、座って話をさせてください」
「う……分かった」
エリザがきつめに言うとしぶしぶ席に着いた。
「聞きたいことは山ほどありますけど……まず、正体がばれた時にどうしてなにも説明しないでいなくなってしまったんですか? 状況的に私に内偵がついてもしょうがなかったと思いますし、私のために調査に入ってくれた事情を説明してくれれば……」
あれだけ疑わしい要素が揃っていたのだから、警察がしたように即投獄でもおかしくなかった。師団長の言うとおり、エリックが内偵にはいってくれたおかげで冤罪を免れたのだ。感謝こそすれ、恨むなどありえない。
あの時もちゃんとエリザの嫌疑を晴らすためだったと説明されればすぐに納得できたはずだ。
それなのにエリックは何も告げずにいなくなることを選んだ。
今回も含め、何も知らされずただ守られていたことにあの日からずっと胸の中がモヤモヤして落ち着かない。
その気持ちをぶつけるようにやや恨みがましい言い方になってしまったせいか、エリックは難しそうな顔をして額を押さえうつむいてしまった。
「ずっと嘘をついていた相手から、あなたを助けるためだったなどと言われたって、信じられるわけがないだろう? そもそも、騙したのは事実だ。その騙した相手に理解を求めるつもりはないよ」
「でも、それは……任務で……」
「そうだ。僕は任務で君に近づいた。だから任務が終わったから離れた。それだけのことさ」
「じゃあ、だったらどうしてまた助けてくれたんですか? 離れたあとも、ずっと見守ってくれていたんじゃないんですか?」
「……違う」
エリザの疑いが晴れたなら、もう近くで見張る必要もないはずだ。それなのにあのタイミングで駆けつけてくれたのは、任務が終わっても気にかけてくれていたからではないのか。
「じゃあどうして、騙すつもりの相手に……任務だけで近づいただけの私に、あなたの本名を告げたんですか?」
「……っ」
最初偽名であるかのように告げた名前。
だが師団長が彼を『エリック』と呼んでいた。
潜入捜査用の偽名ではなく本当の名前だと思いカマをかけてみたら、当たりだったらしく、エリックはハッと息を呑む。
出会いも身元も、全て任務のために作られた設定なのに、どうしてか彼は本名をエリザに告げた。
「私の予想を言ってもいいですか? あなたは潜入捜査で私を騙すことになるのを後ろめたく思ってくれていたんだと思うんです。だから本当の名を告げたのは、あなたができる精一杯の誠意だったんじゃないかなって」
そう告げると、エリックの瞳が揺れた。