★★アサギ★★
カナが少し寂しそうな顔をしたから、思わず店番を申し出てしまった。
こんな賑やかな日に、静かな店の中でずっと一人きりってのは、ちょっと可哀想かなと思ってしまったのだ。折角凝った仮装もしていたのに。
それに、あのくらいの年齢の女の子なら、友達とはしゃぎたい盛りだろうに。
「ツヅリが受け入れてくれてよかった」
一緒に回ると約束をしたのに、ツヅリに確認することなく店番を代わってしまったことが気がかりだった。
約束を破るのかと怒ったり、ほんの少し寂しがったりするかと思ったが、取り越し苦労だった。
ま、俺と回れないことをツヅリが悲しがるわけないよな。
あいつはみんなでわいわいしているのが好きなのだ。
エスカラーチェがいて、カナがいて、仲良く屋台を回るのはきっと楽しいだろう。
これで、よかったはずだ。
「……静かだな」
カウンターの中からボーっと店の外を眺める。
これから大通りへ向かうのであろう人々が、楽しそうな顔で通り過ぎていく。
誰も彼も凝った仮装をしている。
元ネタが分からないものが多いが、見ていて楽しい。
店先へ出て、じっくりと眺めてみる。
「てっ、てて、手を、つな、つながない、か?」
「は、はい、それは、もちろん……こ、恋人同士、ですので」
「にゃふぅ~……恋人……むひゅふふふ」
奇妙な声に視線を向ければ、付き合い始めなのかぎこちなく手をつなごうとしているカップルがいた。
男の方は爬虫類のような顔をしていて、職人か板前かというような折り目正しい顔つきをしている。
女の方は、端正な顔立ちに大きな胸が目立つ整ったプロポーションで、黙って立っていれば街中の男が群がってくるのではないかと思うような美人だった。
だが、その美人は現在「みゅふみゅふ」言いながら、板前爬虫類の指先に触れるか触れないかという位置へ手を出したり引っ込めたりしている。
締まりのない表情で端正な顔が台無しだ。
というか、手ぐらいさっさとつなげばいいだろうに。
なにせその二人は、仮装なのかただのバカップルなのか、ハート満載のなんとも恥ずかしいペアルック法被を羽織っているのだから。
初々しい付き合いたてカップルといった感じか。
アホくさ。
さっさと店内へと退散する。
仲良くやってろ。
結婚するのは勝手だが、思い違いを拗らせて面倒な離婚騒動だけは勘弁してくれよと、そんなことを思いながら。
「ごめんください」
カウンターに戻る途中、店に一人の女が入ってきた。
深い紺色の髪に赤い瞳。陶器のように白い肌はまるで透き通っているかのように美しく、作り物めいた美しさを纏った美女。
パンツスーツを身に纏いメガネをかけているため理知的に見える。
ツヅリとはまた違ったタイプの美人だ。
なんにしてもでたらめだ、この『世界』は。常識を超えるような美女が多過ぎる。
「いらっしゃいませ。生憎と、店主が不在ですので出来合いのものしか販売できませんが、よろしいですか?」
一応、調理も出来るには出来るが、俺が勝手に作ったベーグルサンドで食中毒など起こしてしまってはシャレにならない。
責任者不在の今、カナが作ったベーグルを販売するに留めておくのが無難だろう。
「申し訳ありません。客ではなく、人を探しているのです」
落ち着いた声で青髪の女性は言う。
店内をぐるっと見渡し誰もいないとみるや、身を屈めてカウンターの下を覗き込み、近くにあった椅子を傾けてその脚の下を確認する。
どんだけ小さいんだよ、お前の探し人?
「ご覧の通り、今日はお客さんがいないので、お探しの人はいないと思いますよ」
「いえ、ですが、アレは戸締まりをしっかりしていても知らない間に入り込んでいる可能性がありますので」
「ハエですか?」
「似たようなものです」
この人は、こんなにも人でごった返す日にハエを探して街中を練り歩いているのか。
なんて気の毒な人なんだ。いろんな意味で。
「見た目も中身も完全に子供な年増女なんですが、もし見かけたら『さっさと家に帰れ』とだけお伝え願えますか?」
「えっと……たぶんご期待には沿えないと思いますが、まぁ、承りましょう」
俺が了承すると、彼女は少しだけほっとした表情を見せた。
そういう何気ない表情は、棘が取れた薔薇のようで可憐に見えた。
「ところで、本日は仮装祭りですが、仮装はされないのですか?」
と、パンツスーツを着た女性に尋ねられる。
いや、お前がな。
「これは、俺のいた世界のモンスターで、ヴァンパイアってヤツの仮装なんです」
「……参拝者?」
「その聞き間違い、今日二度目です……」
そうか。
この女性はツヅリと同レベルなんだな。
なんて残念な人だ。
「そちらは、仮装されないんですか?」
「していますよ」
どこがだ!?
「ちなみに、何の?」
「見て、分かりませんか?」
と、ドヤ顔でメガネをくいっと押し上げる。
うん。分からん。
けどまぁ、説明されても「へぇ~」としか感想は言えないだろうし、聞かなくてもいいや。
「よくお似合いですね」
「ありがとうございます。……あっと、長居をしては邪魔になりますね。では、私はこれで」
深々と頭を下げて、メガネっ娘は店を出て行った。
品性を感じさせる所作に、耳に心地のよい聞きやすい声。なんとなく、あんな人が結婚相談所にいれば、同僚としてうまくやれたような気がする。
……もし同僚だったら、塩屋虎吉をあの人に押しつけたのに。残念だ。
店を出ていく彼女の後ろ姿を見つめ、そんなことを思った。
☆☆ツヅリ☆☆
大通りに並ぶ屋台をぐるっと回りトカゲのしっぽ亭へ戻ると、お店が大繁盛していました。
「わぁっ、すごいなの!? どういうことなのカナ、これは!?」
「おぉ、カナ! 助かった。カウンターに入ってくれ!」
店内には仮装した女性客がひしめき合っていました。
心なしか、皆様頬を紅潮させ、キラキラした目でアサギさんを見つめている気がします。
「……極悪ですね、サトウ某さん。野放しにするのは危険です」
呟いて、エスカラーチェさんが群がる女性客の中へと飛び込んでいき、あっという間に整列させてしまいました。
鮮やかな手腕です。わたし、何もする暇がありませんでした。
「大家さん。申し訳ありませんが、コレを持って外へ出ていてくださいますか?」
と、アサギさんの首根っこを掴んで言うエスカラーチェさん。
『コレ』って……
「コレを置いておくと、際限なく集まってきてしまうので」
それは危険ですね。
もしその中に大企業の社長さんがいて、有能なアサギさんをヘッドハンティングしようとしたら……ウチでは太刀打ちできないかもしれません。
また、その女社長さんがはっと息をのむほどの美人だったら……アサギさんもきっと、綺麗な女性の方がお好きでしょうし……むむ、やはり危険ですね。
「分かりました。アサギさんは、わたしが責任を持って隔離しておきます」
「いや、分かるなよ、ツヅリ……」
いえ。当相談所は、今アサギさんを失うわけにはいかないのです。
少々浅ましいですが、アサギさん囲い込み大作戦です!
屋台で美味しいものをご馳走して、懐柔いたしましょう!
「アサギさん。大通りに、美味しそうなおイモ蒸しパンの屋台があったんですが、ご一緒しませんか?」
「お前は、ブレないな……、分かった、奢ってやるよ」
「え、いえ、それはわたしが……」
「じゃあ悪い、エスカラーチェ。カナを頼めるか?」
「はい。そちらも、大家さんをくれぐれもよろしくお願いしますね」
「おう。迷子にならないようにしっかり見ておくよ」
はうっ! 酷いです! 子供扱いです! 酷いです! むぅ!
女性客でごった返す店内を抜け、大通りを目指して歩き出しましたが、わたしのヘアテールはへそを曲げてぷんぷん揺れているのでした。ぷんぷん!
「おいし~でふ」
おイモ蒸しパンは、想像通りに美味しくて、一口で幸せが口中に広がりました。
ヘアテールが上機嫌にるんるん揺れます。るんるん。
大通りの中程にあるおイモ蒸しパンの屋台へ来るまでには、結構な時間を要しました。
午後になり人手が増え、前へ進むのも大変です。
これから夜にかけて、ますます人出は増えていくでしょう。
落ち着いておイモ蒸しパンを食べるために、人の波から外れて開けたスペースで足を止めます。
止まることなく流れていく人の流れを眺めて、アサギさんは楽しそうに目を細めました。
赤く染まった空が、アサギさんの横顔を照らしていました。
「楽しいですか?」
「ん? あぁ。賑やかでいいな」
アサギさんは賑やかなのがお好きなんですね。
覚えておきましょう。
「そのドリンクはどうですか?」
「コレはハズレだ」
屋台で買った不思議な色の、見た目がとても綺麗なドリンクは、アサギさんが購入前に「きっと見た目だけで味はいまいちなんだろうな」とおっしゃった通り、あまり美味しくはなかったようです。
それでも、こくこくとアサギさんは静かにその見た目だけはとても綺麗なドリンクを飲まれています。
あぁ、よかった。
アサギさんが楽しんでくれて。
本当に、よかったです。
アサギさんとこうしてお店を回れて。
「アサギさんと一緒にいられて、嬉しいです」
「ごふっ!」
あまり美味しくはないというドリンクを噴き出して、アサギさんが咽ました。
そんなにつらいなら、無理して飲まなくてもいいと思うのですが……?
「あぁ……悪かったな、午前中は。勝手に、店番引き受けちまって」
「いいえ。カナさん、とっても楽しそうでしたよ」
屋台を見て回っていたカナさんは、とても楽しそうでした。
お店も大切ですけれど、カナさん自身が楽しむことも大切だと思います。
アサギさんも、きっとそう思ったから店番に名乗りを上げたのでしょう。
本当に、優しい方です。
「それに、アサギさんとは、今こうしてお店を回れているので、わたしは満足です」
一緒に回りたいというわたしの願いは叶いました。
アサギさんが謝ることなんて、何もありません。
「それに、屋台は夜からが本番なんですよ」
日が落ちて、屋台の店先に明かりが灯されれば、世界は一層幻想的に見えることでしょう。
そんな中を、アサギさんとのんびりお散歩できれば、きっと、とても楽しいと思います。
「それじゃあ……」
そんなわたしの気持ちを察したのか、アサギさんがこんな提案を――
「今夜は、ちょっと遅くなっても……」
「かぷっ」
――しかけて、後頭部を大きなお魚さんに齧られました。
「ぅおおぉう!? なんだこいつは!?」
アサギさんらしからぬ、低い声が漏れてきました。
なんとものんきなお顔をした大きなお魚さんが、空をふよふよと浮遊して、アサギさんの後頭部をかじかじと齧っています。かじかじ。
「えぇい、離れろ!」
後頭部に齧りついたお魚さんを振り払い、その胴体に張られた張り紙の文字を読み、「げっ歯類……?」と呟いたアサギさん。
このお魚さんはげっ歯類の仮装をしているようです。胴体に張られた張り紙にそう書いてあるので、とても分かりやすいです。ナイスアイデアですね。
お魚さんは、のんきな顔をしたまま、ふよふよと暗くなり始めた空へと昇っていきました。
「……なんだったんだ、アレ?」
「さぁ? でも、可愛かったですね」
「いいや、まったく」
不貞腐れて、乱れた髪を手櫛で直すアサギさん。
珍しい表情を見られて、わたしは少し得をした気分になりました。
「そういえば、アサギさんと似た格好をされていた方にお会いしましたよ」
「へぇ、そうなのか。そいつは何の仮装をしていたんだ?」
「たしか、『古いオケツマシーン』だとおっしゃっていました」
「本当に似てたか、俺の格好と!?」
はい。シルクハットの有無という差異はありますが、雰囲気は似ていました。
「それでは、そろそろ行きましょうか」
「あぁ」
「今日は、少し遅くなっても構いませんよね」
「……あぁ」
ちょっと間をあけて、アサギさんが頷きました。
夜のお祭りを、アサギさんと楽しみたいと思います。
「ただ、夜は人が多くなりますから――」
わたしは、おイモ蒸しパンがなくなり空いた手を差し出しました。
「手をつないでいきませんか?」
はぐれてしまうと困りますので。
アサギさんは少し迷った様子で、わたしの指先に触れるか触れないかの位置で手をさまよわせて、「爬虫類じゃあるまいし」と呟いてわたしの手を握りました。
言葉の意味は分かりませんでしたが、アサギさんの手はひんやりとしていて気持ちよく、細くしなやかで、ちょっとだけごつっとしていました。
男の人の、手です。
それから様々な屋台を覗き、遊んで、食べて、笑って、わたしは夜の仮装祭りを堪能しました。
つないだ手を意識してしまって、少しだけ緊張していることをアサギさんに悟られないように。