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四章

初めての手料理 -1-

「ふん、ふふん、ふ~ん♪」


 朝食後にアサギさんと二人でお買い物に出かけ、キッチン周りの小物を購入してきました。

 ふふ。もうすっかり、この場所は給湯室からキッチンへ格上げされていますね。

 いっそのこと、ここもトカゲのしっぽ亭のようにリフォームしてもらいましょうか? アサギさんが使いやすいキッチンへ。

 ティムさんも、使いやすくなったキッチンでバリバリ働いていらっしゃるようですし、アサギさんも、キッチンが使いやすくなったらもっと美味しい料理をたくさん作ってくださるかもしれません。


 ふふ。それはとても楽しみですね。


 現在わたしは、一人でキッチンの片付けを行っています。

 アサギさんは、自室用に買った小物や棚の片付けを行っている最中だと思います。

 元は物置だったあの部屋も、今ではすっかりアサギさんの私室となっており、わたしは入るのが憚られ、お手伝いが出来ないのです。


 なんだか、アサギさんの匂いがするような気がして、ドアの前に立つだけでも少し緊張してしまいますからね。


「ここも、少しだけアサギさんの匂いがしますね」


 キッチンを見れば、そこに立つアサギさんの姿が容易に想像できます。

 キレイに整頓された調理器具に調味料。

 アサギさんの几帳面な性格がよく表れています。


 よく使う物は近くに、滅多に使わない物は奥の方にしまわれ、食器類も大きさや色、用途別に並べられ、まるで小さなお店のようです。

 華美ではなくシンプルな容器に入れられたお砂糖とお塩が並ぶ棚には、麻の袋に入れられた香辛料が数種類可愛らしくディスプレイされています。

 香辛料を砕くミルなんて、アサギさんに教えていただいて初めて知りました。


「これで、よし」


 雑貨屋で買ってきた小さな小瓶にお砂糖とお塩を入れて、その棚に並べます。


 アサギさんが、お塩を入れる小瓶を欲しがっていたので買ってきたのです。

 お揃いの可愛らしい小瓶を二つ。

 なんでも、お料理の時にはこうして瓶に入っている方が都合がいい時もあるのだとか。

 ケースのフタを開け、計量スプーンで掬って、適量を振りかけるのではなく、小瓶に入ったお塩をぱらぱらと振りかける。そんなやり方がいい時があると。

 具体例として、おにぎりを挙げていました。濡れた手で計量スプーンを触ると、お塩がしけってしまうと。


 なるほど。

 そういうのはやっぱり、実際に料理をしている人にしか分からないものなのですね。


 おにぎりと言えば。

 片付けが終わったら、アサギさんが『簡単な昼食』をご馳走してくださるというお話でした。

「おにぎりと、あとは有り物でぱぱーっと作ったものになるけど」とおっしゃっていましたが、「有り物でぱぱーっと」作れるものなのでしょうか、料理というものは。

 レシピを用意して、指示された物を購入し、手順通りに作って初めて完成するものだと思っていたのですが……アサギさん、すごいです。


「おにぎり……ですか」


 おにぎりは、丸くて可愛くて美味しくて、わたしも大好きな料理です。

 ……わたしにも、作れるでしょうか?


「作り方は聞きました」


 手にお塩を付けて、優しく、包み込むように、そっと握る……ですよね?

 アサギさんのおにぎりは、口に入れると「ふわっ」と、「ほろっ」と解けていくんです。それがまたなんとも心地よくて――あれこそ、ライスの真骨頂だと思います。


 あの高みには届かなくとも……


「チャレンジ、してみましょうか?」


 炊きたてのご飯とお塩。

 材料はすべて揃っています。

 いつもいつも美味しい料理を作ってくださるアサギさんに、ほんの気持ち程度ですがお返しがしてみたい。

 それに……


「美味しいと、言ってくださいますでしょうか……?」


 わたしのおにぎりを食べてアサギさんが「美味しい」と言ってくださったら……


「……っ!」


 想像したら、なんだかすごく恥ずかしくなって、そして……すごく嬉しくなりました。


 やってみましょう。

 大丈夫です。一人暮らしをする中で、幾度か料理に挑戦したことはあります。

 パンをトーストしたり、野菜を切ってサラダを作ったり、お肉を焼いたことだってあります。


 ただ、誰かのために作るのは初めてなので……緊張します。


 手を洗い、濡れた手の上にお塩を一振り……本当ですね。ケースを開けて計量スプーンを使うより断然楽です。それに、量の調節も楽で、これはとてもいい買い物でしたね。


 透明な小瓶の中に入る白い粒たちがさらりと揺れます。


 湯気の立つ白いご飯を手に取り――


「熱っ……」


 思っていた以上に熱くて驚きました。

 アサギさんはこともなげに握っていたので、こんなに熱いとは思いませんでした。

 いつも、こんな大変な思いをして……


「たくさん、感謝の気持ちをこめましょう」


 美味しくなれと念じながら、そっと、アサギさんの手つきを真似して握りました。

 ……あぁっ!? お皿を用意していませんでした!

 おにぎりを手に持ったまま、急いで戸棚を開けて平皿を取り出し、最初のおにぎりを置きます。

 少し、形が歪になってしまいました。


 思っていた以上に難しいです。


「もう一度……」


 手を洗い、お塩を振って、もう一度――アサギさんを思い出して。あの手つきを思い出して……


「ふん、ふふん、ふ~ん♪」


 とても、穏やかな気持ちでした。

 店先でじゃれ合う子猫たちを見かけた時よりも、眠りに落ちるほんの一瞬前よりも、どんな瞬間よりも今この時が穏やかでした。



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