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初めての手料理 -2-

「ツヅリ」


 わたしが三つ目のおにぎりを完成させた時、アサギさんがキッチンへとやって来ました。


「今の歌、なんて曲なんだ?」

「うた?」

「今、口ずさんでいただろう?」

「えっ!?」


 完全に無意識でした。

 わたし、鼻歌なんて歌っていたのでしょうか?

 しかも、それをアサギさんに聞かれて……はぅ!? 恥ずかしいです!

 わたし、歌なんて上手でもないのに……


「……あの、わたし……今、なんの歌を口ずさんでいましたか?」

「いや、知らないから聞いたんだが……?」


 うぅ……あまり変な歌でなければいいのですが。

 どうしましょう。王立歌劇団の演目で聴いた、魔神が街を破壊しながら民を蹂躙する時の歌などを口ずさんでいたら……インパクトが強かったあまり、しばらく口ずさんでいたと指摘されたことがあります。……若干の振り付きで。


「あ、あの……わたしは今、街を破壊していませんでしたか?」

「どんな歌が候補に挙がってんだよ、お前の中で……」


 いえ、本当に印象的な歌で、是非一度アサギさんにも見ていただきたい演目ではあるのですが……一緒に見れば、またわたしはしばらく街を破壊する歌を口ずさんでしまいそうなので悩みどころです……


「あれ、おにぎり?」


 アサギさんが皿の上に並ぶ三つのおにぎりを見つけて言いました。

 あぅ……出来れば、上手に出来たものだけをお見せしたかったのですが……一番目と二番目は下手っぴです。


「作ってくれたのか?」

「は、はい。……上手には、出来ませんでしたが」

「そんなことないよ。ありがとう」



 ぞわ……っと、しました。



『ありがとう』

 そんな短い言葉が、こんなにも……

 こんなにも嬉しいだなんて。


 あぁ……作ってみてよかった。

 思いきって行動してみてよかった。


「ちょうど小腹が減ったしな。飯を作る前に食ってもいいか?」

「はい。どうぞ」


 そういえば、おにぎりはずっと置いておくとお米が硬くなるとおっしゃっていましたっけ?

 わたしはそんなことも忘れて、先走って作ってしまったんですね……

 でも、アサギさんはそんなことは口にしないで、わたしのおにぎりを食べてくれます。


 優しいです、アサギさん。


「それじゃ、これを……」


 と、一番下手っぴな、最初のおにぎりを取ろうとするので、慌てて一番マシな三番目のおにぎりを手渡しました。

 食べるなら、一番まともなヤツにしてください。


 これでも、あの……一応、「美味しい」と言われたいなんて、少しだけですが思っていますので。


「それじゃ、いただきます」

「ど、どうぞ……」


 アサギさんがおにぎりを口へ運ぶのを、瞬きも出来ずに見つめます。

 緊張します。

 果たして、お口に合うでしょうか…………


「…………」


 一口食べて、アサギさんが――止まりました。

 おや?

 表情が、固定されていますね。


 これは一体……


 不安に駆られ、わたしは二番目に作ったおむすびを一口食べました。


「甘っ!?」


 びっくりしました。

 口へ含めば、あのうっすらと塩味の利いた甘みのある白米の美味しい味が広がるのだとばかり思っていた脳が、突然の暴力的な甘さに茫然自失としています。


 これでは、アサギさんも止まって当然です。


「ど、どうしてこんなことに……」


 材料は間違っていないはずですのに……と、棚に目をやって「あっ」と、声が漏れました。


 小瓶に入った白い調味料が仲良く寄り添うように並んでいます。

 片方はお塩で、もう片方は……


「お砂糖……」


 わたし、間違ってお砂糖を使ってしまったようです。


「なんで砂糖が小瓶に入ってるんだよ」


 苦笑を漏らして、アサギさんが小瓶を二つとも手に取り、手のひらにそれぞれを一振りして味を確かめました。


「こっちが塩だな」


 と、お塩だけを棚に戻しました。


「あの、洗った小瓶の水分が乾き切ったので、中にお塩とお砂糖を入れたのですが……」

「こっちはコショウを粉にしてから入れるつもりだったんだよ」

「コショウを……ですか?」


 わたしはてっきり……


「お塩とお砂糖はいつも隣り合って一緒にいるので、なんの疑いもなくお砂糖を入れてしまいました」

「まぁ、確かに塩と砂糖はコンビみたいなもんだもんな」


 事情が分かるにつれ、アサギさんの顔に笑みが……それも、面白くて仕方ないというちょっと意地悪な笑みが広がっていきます。

 ……うぅ、失敗してしまいました。


「しかし、塩と砂糖を間違えるなんて、そんな漫画みたいな失敗を、本当にするヤツをこの目で見られるとはな」


 くすくすと肩を揺らして、アサギさんは緩む口元を手で隠します。

 む、むぅ……ちょっと、笑い過ぎな気がします。


「し、仕方ないじゃないですか。初めてだったんですから……」

「料理したことないのか?」

「いえ、それくらいはあります」


 お肉を焼いたり、野菜を切って盛り付けたり、パンをトーストしたり。

 おにぎりを作るのが初めてだったと、そう言いたかったのです、わたしは。

 おにぎりと、そして――


「誰かのために料理をするのは……初めてでした」


 そう言うと、アサギさんの顔から笑みが消えて……


「アサギ、さん?」


 ……なぜか、少し泣きそうな顔をされました。

 …………美味しくないものを食べて、気分が悪くなった……とか?


「す、捨てましょうね、こんな失敗作」


 少し胸が痛みますが、こんなものをアサギさんに食べさせるわけにはいきません。

 もっと、うまくやれると思っていました。けど……そんなわけ、ないですよね。

 練習もせず、努力もせず、思いつきで行動していい結果が残せるなんて、あり得ません。

 少し思い上がっていたようです。


 ……美味しいなんて、言ってもらえるわけがなかったんです。


 惨めな失敗作を廃棄しようとお皿を持ち上げると、ひょいっと、お皿を奪われました。


「俺のために作ってくれたんだろう?」


 真剣な瞳で問われ、わたしは、胸の内に渦巻く恥ずかしさと悲しさを抱えながら頷きました。


「……はい」


 アサギさんのために作った。

 その事実だけは変わりません。

 結果は、とても残念なことになってしまいましたけれど……


「じゃあ、俺の許可なく勝手なことはするな」


 そう言って、食べかけのおにぎりをひょいっと食べてしまいました。


「アサギさんっ!?」


 もぐもぐと、とても食べられたものではないおにぎりを咀嚼して、飲み込む。

 アサギさんは、カナさんのカフェオレに顔をしかめるほど、甘いものはお好きではないはずですのに。


 一つを食べ終え、わたしが一口齧ったおにぎりを掴んで、ぽいっと口の中へ。


「アサギさん、無理をしてはダメですよ。体を壊してしまいます!」

「そんなわけないだろう」


 そう言って、一番最初に作った、一番下手っぴなおにぎりを摘まんで――


「こいつが第一号か」


 そう言って、それも口の中へと放り込んでしまいました。

 ……バレてましたね。一番下手っぴなのが、最初の一個だって。


「……アサギさん」


 なんだか申し訳なくて……アサギさんに無理をさせてしまって……

 わたしは、なんだか泣きそうでした。


「甘いが、ちゃんと美味い」

「そんなわけ……」

「美味いよ」


 少し、涙に声が詰まりそうになったわたしの言葉を、アサギさんが優しく遮ります。

 そして、とても静かな手つきで、わたしの髪を、撫でました。


「俺さ、誰かに飯を作ってもらったこと、ないんだよ。飲食店以外ではな」

「……へ?」


 アサギさんは、お料理が上手だから、でしょうか?


「俺のためにって、飯を作ってくれたのは、お前が初めてだ。ありがとうな」

「アサギ……さん……っ」


 なぜでしょう。

『ありがとう』と言われて、言ってもらえて、涙があふれそうでした。


「ちゃんと、美味かったよ」

「…………ありがとう、ございます」


 食べてくれて。

 嘘でも、そう言ってくれて……


「ただ、俺以外には食わせない方がいいな」


 そう言って、苦笑を漏らす顔が、なんだか憎らしくて。


「アサギさん以外、誰も食べてくれませんよ、わたしの手料理なんか」


 少しだけ、膨れてしまいました。


「ツヅリ。教えてやるから、作ってくれるか? 俺のためのおにぎり」

「はい」


 それから、アサギさんと並んで、今度はちゃんとお塩を使っておにぎりを作りました。

 アサギさんに見られながらだと思うと緊張して、鼻歌も出ませんでした。


 時間にして、ほんの数分。三分も経っていないと思います。

 四つ目のおにぎりが完成しました。


 それを一口食べて、アサギさんはにっこりと笑いました。


「ツヅリ、料理の腕を上げたな」

「むぅ、それはさすがにからかってるって分かりますよ!」


 そんな意地悪を言った後で、アサギさんは「美味しいよ」と言ってくださいました。

 意地悪をされた直後なので、わたしは膨れているという演技をしていたのですが、本当はすごく嬉しくて、顔がふやけるのを我慢するのに必死でした。

 でも、そんなこと、アサギさんには内緒にしておきます。

 なんだか、恥ずかしいですから。



 ……そういえば、わたしの食べかけのおにぎりをアサギさんが食べたわけですけれど……これって間接――



 考えるのはやめておきました。







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