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寒さの正体 -2-

「はぁ……幸せでした」


 事務所に帰り、薪ストーブの前で温かいスープをいただいて心も体もぽかぽかです。

 おなかもいっぱいです。


「こんな日が、いつまでも続けばいいですね」

「イモ尽くしはさすがに勘弁してほしいけどな」


 なぜでしょう?

 それはきっと幸せなことだと思いますが。


 手のひらを擦り合わせて、それを薪ストーブに向けます。

 じんわりと熱が広がり、温かいです。

 こんなこと、今までしたこともなく、感じたこともありませんでした。

 なんだか損をしていた気分です。

 火の温もりって、気持ちがいいものなんですね。


「寒いか?」

「いいえ。薪ストーブのおかげでぽかぽかです」


 薪ストーブの前にしゃがみ、温もりを独占していると、背後にアサギさんが立って、わたしの頭上からにょき、にょきっと二本の腕が伸びてきました。

 見上げればアサギさん。

 ……ちょっと、近いです。


「前は、薪ストーブに近付くこともなかったのにな」

「そう……でしたか?」


 薪ストーブとアサギさんに挟まれ、あまつさえ頭上もアサギさんの腕でフタをされ、気分は四面楚歌……もっとも、とっても温かくて安心できるので絶体絶命とは異なりますが。

 ……少々どきどきして、困ってしまいますが。


「ツヅリの部屋には暖房はあるのか?」

「ありません。必要ありませんから」


 わたしは、これまで特に寒さを感じることはありませんでした。

 空気が冷たいなぁと思うことはあっても、だからといって暖房を必要だとは思ったことがなかったのです。

 事務所の薪ストーブは、あくまで来客用の暖房器具でした。


「導入した方がいいんじゃないか? 今年は寒いだろ?」

「そう、ですね」


 確かに、今年はなんだかすごく寒いです。

 ここ最近は、毎日寒いと感じていました。


 自室へ戻るのが夜間のみだからかもしれませんが、あの部屋で過ごす夜はとても寒々しく感じています。

 どんなにもこもこの服を着ても、布団にくるまっても、その寒さは和らぐことはなく、わたしはただひたすら朝が来るのを待っています。

 朝になれば、アサギさんに会えますから。

 一緒に新聞を買いに行って、朝ご飯をいただいて、一緒にお仕事をして、その間ずっと楽しいおしゃべりをして――夜、自室に戻るまでの間、ずっと楽しくて、その間は寒さのことを忘れてしまいます。

 寒がりのアサギさんが、いつも室内を温かく保っていてくれるから、でしょうか?


「わたし、薪ストーブの前で背中を丸めているアサギさんを眺めているの、結構好きなんですよ」

「今はお前が背中丸めてんじゃねぇか」

「そうですね。……うふふ。エスカラーチェさんが言っていた通りです」


 以前、エスカラーチェさんに言われたことがあるんです。


「あまりアサギさんのそばにいると、アサギさんが伝染うつるって」

「あのヤロウ……」


 アサギさんを見上げれば、アサギさんもまた天井を見上げていました。

 好戦的な笑みを浮かべて、拳を握って。


 もう、すっかり仲良しですね。

 嬉しいです。わたしの……


 わたしの…………あれ?


 エスカラーチェさんは、わたしの…………なんでしたっけ?

 えっと……お友達…………そう、お友達です。


 わたしのお友達と仲良くなってくれて、嬉しいです。


 ……そもそも、わたしとエスカラーチェさんはどこで出会ったんでしたっけ?

 わたしがここに引っ越してきてから?


 いいえ、それよりもずっと以前から……もっともっと、昔から……


「ツヅリ」

「は、はい?」


 気が付くと、アサギさんがこちらを見つめていました。


「難しい顔してたぞ」

「そ、そう、でしょうか? えへへ、ちょっと考え事です」


 過去のことは、いいです。

 目の前に、大切な『今』がありますから。


「明日、トカゲのしっぽ亭へ行きませんか?」

「明日もたぶん雪だぞ」

「はい。カナさんが風邪を引かれていないか、気になりますので。それに――」

「ティムのその後も気になるか?」

「はい。どのような結果にせよ、ティムさんの気持ちがきちんと相手の方に伝わっているといいのですが」

「じゃあ、きちんと気持ちを伝えてフラれたのか、気持ちを伝えられずにフラれたのか、確認しに行くか」

「もう。アサギさん、酷いですよ」


 フラれていないかもしれないじゃないですか。

 それは、誰にも分かりません。


 みなさんが幸せになればいいなと思います。

 誰もが好きな人のそばにいて、毎日を幸せに過ごせるなら、それはなんとも素晴らし世界だと思います。


 ティムさんも、カナさんも、これまで離婚危機を残り越えられてきたみなさんも、ハルス司祭たちも。

 そして……、アサギさんも。


「…………っ」


 少し、思い出して恥ずかしくなりました。

 アサギさんが、わたしにヤキモチを焼いてくださったこと。



 アサギさんの好きな人って……もしかして…………



「あ、暑いですね」


 薪ストーブに当たり過ぎたようです。

 なんだか顔が熱くて、ボーっとしてしまいます。


 ストーブの前から避難して、アサギさんからも少しだけ距離を取って……心臓を落ち着けます。

 毎日こんなにどきどきしていては、くたびれてしまいます。


 もっとも、その疲労感も、心地よいと感じているのですけれど。



 それから二人でハーブティーを飲んで、とりとめもない、とても楽しいおしゃべりをして、今日も夜が更けていきました。


「もうこんな時間ですね」


 もう少し、お話をしていたかったのですが、アサギさんに夜更かしをさせるわけにもいきませんし、それに、また明日になれば今日のように楽しく過ごせるはずです。

 いつまでも、変わらずに。

 ずっとこのまま。


「それでは、そろそろ休みましょうか」


 毎日、毎日……

 あぁ、部屋に戻りたくないなぁ……なんて思いながら生きていくのでしょうか、わたしは。


 夜が来るのを憂鬱に思い、あの暗い部屋で、一人で眠る毎日が、これからずっと……

 いえ、それも日が昇るまでの間だけです。

 太陽が昇れば、朝になれば、またこうしてアサギさんに会って…………




『ニセモノのカッコよさで好かれるよりも、ホンモノの情けなさで嫌われる方が、今のお前にとってはいいことだと思うぞ』




 不意に、アサギさんの言葉が蘇り、心臓が軋みを上げました。


 わたしは、どうだろう?

 本当の自分を偽って、にこにこ顔で、何も知りませんみたいな顔をして――



 アサギさんに、大切なことを何も話していない。



 本当のわたしは、もっと……

 でも、そんなことを知られたら、きっとアサギさんは……



 ぞくっとして、その後断続的にゾンゾンと首の後ろから背中にかけて嫌な寒気が広がっていきます。

 もし、アサギさんがいなくなったら……




 朝になっても、アサギさんに会えなくなったら――きっと、わたしは耐えられな……



「ツヅリ!?」


 寒気が酷く、めまいがして、世界がぐにゃりと歪んだと思ったら真っ暗になりました。

 遠くで、アサギさんがわたしを呼んでいましたが、返事をすることは、出来ませんでした。







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