「何事ですか、これは?」
ざわつく教室の中に、高名瀬さんのつぶやきが聞こえた。
自席の、周りに派手な人たちが群がって騒いでいたら、それは驚くだろう。
高名瀬さんは自席に群がる派手な顔ぶれを見るや、ぎゅっと音がしそうなほど眉根を寄せて、僕と目が合うと泣きそうな目をした。
「鎧戸君」
かすれるような声で囁いて、小走りで駆け寄ってくる高名瀬さん。
「大丈夫? 何か、されてない?」
僕にしか聞こえないような小声で、僕を気遣ってくれる。
「大丈夫だよ。ちゃんと離し合いで解決したから」
両手を振って笑顔を向けると、高名瀬さんは微かにだが、ほっとした表情を見せた。
しかし、僕の手に握られている手作り湯たんぽを見て、また苦しそうに表情を歪める。
「あ、これ僕が盗んだんじゃないよ。あっちの、リコーダーぺろぺろ系男子が勝手にね」
「誰がだ、コラ!?」
「え?」
「ひぐぅっ!?」
怒鳴った彼に視線を向ければ、短髪君は絞り出したケチャップみたいな音を漏らして僕から距離を取った。
怖そうな見た目の人に怖がられてしまった。
「れ、れんごく!」
短髪君は、両目にうっすらと涙を浮かべて
「あいつら調子くれてんだよ! なんとか言ってやってくれよ!」
自分では勝てないと悟り、より強い御岳連国君に頼りたいらしい。
だが、食べ終えた弁当を丁寧にナプキンでくるんでいる御岳連国君は柳に風な感じでこともなげに言う。
「いや、お前らの方が悪いだろう。謝っとけよ」
それだけ言って、御岳連国君は「便所行ってくる」と席を立ち、残された短髪君は、呆然とその背中を見送っていた。
割と、まともな人なんだなぁ、御岳連国君。
「つ、……つーかさ」
沈黙の落ちた教室で、戸塚さんが絞り出すように声を発する。
このまま引き下がれるかというような、なんとなく意地や執念のようなものを感じさせる声音で。
「あんたら、なに? 二人とも外で食ってたみたいだけど、ランチデート? あんたら付き合ってんの?」
戸塚さんの言葉に、戸塚さんを取り巻く女子たちが「わっ」っと声を漏らす。
「え、マジで?」とか「この二人が?」とか「マジウケる」とか、発する声がどんどん増えて騒がしくなっていく。
そして、戸塚さんがトドメとばかりに大きな声で言う。
「地味な二人でデキてるとか、マジウケんだけど!」
いや、むしろ、カップルって同種族同士でなる方が多いと思うけど?
異色のカップルって、数が少ないから目立つわけで。
――と、そんな指摘は意味がないだろうからしないでおくとして。
「戸塚さんってさ」
それよりも真っ当な、ちょっと気になってしまったことを尋ねておく。
「男女がちょっと一緒にいただけで『付き合ってる』とか『何かあったに違いない』とか妄想が膨らんじゃう、頭ん中エロエロ桃色タイフーン系女子?」
「んなっ!?」
指摘すると、戸塚さんの顔が真っピンクに染まった。
わぁ、やっぱり桃色。
脳内桃色が顔に滲み出しちゃってるよ。
「いたんだよねぇ、近所の女子とたまたま帰りが一緒になっただけで『夫婦! 夫婦!』って騒いでた男子が。中学生のころその彼の部屋に入ったら、本棚にびっしりとエッチな雑誌が詰め込まれててさ。半数以上が女教師物だったんだけど、戸塚さんは何系のエロ雑誌を見てそんな妄想女子になっちゃったの?」
男子と女子が数百人もいる高校という限られた空間で、昼休憩に教室以外でご飯を食べる人間なんて無数に存在する。
そんなごくありふれた状況を見てすぐ「付き合ってる」「デキてる」なんて発想がぶっ飛んじゃうのは、きっと――
「欲求不満だからじゃないかと思うんだけど……大丈夫? 相談くらいになら乗ってあげられるけど?」
「お、大きなお世話だ!」
「僕から見れば、戸塚さんたちの方がよっぽど仲良く見えるけど、君たちのグループはみんながみんな付き合っていて、グループ内で二股三股が横行しているドロドロ恋愛グループなわけじゃないよね? だったら、君たちのグループ以外のみんなもそうなんだよ。分かる?」
「うるせぇんだよ、テメェ!」
「姉が言うには、恋人が出来ると、他人の色恋をいちいち気にしなくなるようだから、頑張って! 戸塚さん、顔は割と可愛いからその内彼氏とか出来ると思うよ!」
「うるせぇつってんだよ! みんな、行こう!」
と、戸塚さんが踵を返した瞬間、見計らったかのようにチャイムが鳴った。
「授業始まるから、どこか行くのは次の休み時間にした方がいいよ?」
「……っ、ムカつく……!」
いや、ムカつかれても、正論だし。
あ、正論だからムカつくのか。
足音を荒らげ、どすどすと床を踏みしめるように自席へ戻る戸塚さん。
他人より短いスカートでそんな歩き方したら、パンツ見えちゃいそうだけど……気にしないタイプの人なのかな。
高名瀬さんの席に集まっていた派手めなグループの人たちが解散し、僕は四方八方から突き刺すような視線を感じつつ、今回渦中にいながらずっと蚊帳の外だった高名瀬さんに彼女の私物を返却する。
「はい、これ。ちょっとシワになっちゃってるけど、平気?」
手作り湯たんぽを手渡すと、高名瀬さんは沈痛な面持ちで僕を見て、何かを言いかけて、やめた。
「はい、授業を始めるぞー、席につけー」
そのタイミングで教師が入ってきたので、僕は何も言わず、自席に着席した。