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六時間目、鎧戸君は授業に出なかった。
五時間目終了後の休み時間、戸塚さんに連れられて教室を出て行ったきり、チャイムが鳴っても戻ってこなかった。
……どうしよう。
わたしのせいで。
戸塚さんとは、小学校のころ友達だった。
高名瀬と戸塚で名前が近く、一年生から六年生まで、ずっと出席番号が一つ違いだった。
新しい学年になると、必ずわたしの席の後ろには彼女がいた。
そんな彼女と仲良くなるのは、必然だったのかもしれない。
毎日他愛もないことを話しては笑い、お互いを「ぽぅちゃん」「りっちゃん」と呼び合って、わたしたちは本当に仲良しだった……と、思う。
少なくとも、わたしは彼女のことを親友だと思っていた。
あの日までは。
小学生でも、高学年になると成長の早い子は二次性徴の特徴が身体に現れ始める。
つまり、わたしは胸が大きく膨らみ始めたのだ。
それも、クラスの中の誰よりも大きく。
思春期に足を踏み入れるかどうかという時期で、男子の中にはそういういやらしい目を向けてくる子もいて、わたしはそういうのがすごく嫌だった。
でも、戸塚さんや他の女子がわたしのことを守ってくれていた。
わたしのことを『牛女』なんて言ってからかった男子には、ホウキを持って襲いかかってくれた。
そういえば、あの頃から結構容赦はなかったっけな……
それでもわたしには優しくて、「ぽぅちゃん、大丈夫?」っていつも気にかけてくれていた。
ぽーずって名前も、「可愛いじゃん」って言ってくれていた。
パ行が入るのは、パンダとかプリンとか、可愛いものばっかりなんだから羨ましいって。
それはどうかなぁと思っていたけれど、わたしのことを思ってそう言ってくれていたのを知っていたから、すごく嬉しかった。
事件が起こったのは修学旅行。
五年生の時の臨海学習は、熱を出したせいで欠席していたわたしにとって、初めての、クラスメイトとのお泊まりだった。
そのころには、男子たちも思春期が加速し始めていて、わたしの大きな胸に興味津々でしょっちゅうからかわれていた。
女子の中にも、「いいなぁ」とか「なに食べたら大きくなるの」とか、そういうことを言う子が増えていた。
わたしは「分からないよ。勝手に大きくなったんだもん」みたいなことを言ってそれらをかわしていた。
でもやっぱり、女子も興味はあったみたいで……それは、戸塚さんも例外ではなかった。
修学旅行の初日。
楽しかった市内観光はあっという間に終わり、お風呂の時間になった。
わたしの通っていた小学校は体電症対応の学校ではなかったため、担任に事情を話しわたし一人だけ時間をずらして入浴することになっていた。
担任も気を遣ってくれて、その事実を誰にも話さないでいてくれた。
わたしは風邪気味のため入浴をしないということにして、二日目の午前中宿に残り、みんなが遺跡見学をしている間に入浴することになっていた。
修学旅行二日目が潰れてしまうことになるが、それはそれで仕方ないと諦めていた。
さすがに三泊四日の修学旅行中、一度も入浴しないのは嫌だったから。
けれど、それで納得しなかった子がいた。
戸塚さんだ。
「風邪くらい平気だよ」と、「一緒にお風呂入るの楽しみにしてたのに」と、戸塚さんは私に入浴を執拗にせがんだ。
「ちょっと入って、すぐに出ればいいじゃん。体もしっかり拭いて、髪の毛洗わなきゃ風邪も悪化しないって」
と、かなりしつこく食い下がられた。
今思えば、戸塚さんも少し興味があったのかもしれない。
クラスの、他の誰とも違う、大きく成長したわたしの胸に。
もちろんそのような意図はないだろうし、ただ単純に見てみたいという好奇心のようなものだったのだと思う。
大人に憧れる子供のような――もしかしたら、予防接種を先に済ませた子に「痛かった?」と聞くような、その程度の好奇心だったのかもしれない。
でも、わたしには、その好奇の目が耐えられなかった。
わたしも、思春期だったし……でも、それ以上に――
私の胸にはコンセントがあるのだ。
胸のコンセントだけは、絶対に誰にも見られたくなかった。
これは、これだけは、成長とか発育とか、そんな常識の域を大きく逸脱した『変なこと』だから。
頑なに拒絶するわたしに、戸塚さんは強硬手段に出た。
「女の子同士なんだから恥ずかしくないじゃん」と、わたしの服を剥ぎ取ろうとした。
旅館の部屋で。
同室の女子が何人もいるところで。
その子たちも興味があったのかもしれないけれど、誰もわたしを助けてくれなかった。
何より、こういう時一番に助けてくれた戸塚さんが率先してわたしが嫌がることをしてくるという状況がわたしを追い詰めていた。
逃げ場はないのだと思った。
このままでは、わたしの『変なこと』が晒されると思った。
胸が大きいというだけで散々からかわれていたのに、こんな『変なこと』を知られたら、これまでの比じゃないくらいにからかわれてしまう。
それが怖くて、本当に嫌で――
わたしは戸塚さんの手を振り払った。
全力で。
泣きながら。
声の限りに叫んでいた。
「やめてって言ってるでしょ、りっちゃんの変態!」
『変態』という言葉は、しつこい男子に戸塚さんがよく言い放っていた、その当時のわたしにとって『もっとも破壊力のある暴言』だった。
あの時のわたしは、親友のりっちゃんがどうしてこんな酷いことをしてくるのか分からずに、パニックに陥ってたのだと思う。
泣きながら部屋を飛び出したわたしは担任の先生の部屋へ行き、今されたことを正直に話した。
その結果、わたしは先生の部屋で一泊し、翌日担任の先生に付き添われて帰宅することになった。
だから、その後同室の子たちがどうなったのかは知らない。
叱られたのか、窘められただけなのか、それとも何も言われなかったのか。
「高名瀬さんは、容態が急変したから先に帰る――ってことにしておいたからね」
新幹線の隣の席で、担任の先生が気遣うようにそんなことを言っていた。
憐れむような目だな……って、思ったのをよく覚えている。
週が明けて、通常授業が始まると――わたしはクラスの女子全員からイジメられるようになった。
「今まで散々助けてやったのに」
「恩知らず」
「自意識過剰」
そんな言葉で、表立ったところでも、表立っていないところでも。
幸い、と言っていいのか……女子からのイジメがエスカレートするのと反比例するように、男子からのからかいはなくなっていった。
たぶん、笑えないような状況だったのだろうと思う。
程なくして、わたしは学校へは行けなくなり、一週間の内数時間だけ保健室へ行って教師と面談しつつ、家庭学習をするようになった。
そして、和解するような暇もなく小学校を卒業し、一家で他県へと引っ越しをしたわたしは体電症対応の中学校へ入学した。
それでも、イジメられたという経験がわたしの中で重い枷となり、中学の三年間でわたしは友達を作ることは出来なかった。
仲良くなれば、話さなければいけないことが増えてしまう。
話せないことが増えれば、不信感を持たれてしまう。
……また、嫌われる。
だから、もう友達なんていらないと思った。
中学の三年間で、一人で過ごす方法を身に付けた。
面倒なことはたまに出てくるけれど、一人で過ごす時間は穏やかで、なかなか悪くはないと思えるようになった。
だから、高校に入って戸塚さんと再会した時には心臓が止まるかと思った。
雰囲気がガラッと変わっていたけれど、一目で分かった。
そして、それは戸塚さんも同じだったようで、物凄い目で睨まれた。
彼女は派手なギャルになっていて、相変わらず友だちが多かった。
戸塚さんとわたしが対立した時、同学年の女子は全員彼女につくだろうと容易に理解できた。
だから、わたしは高校生活も一人でひっそりと過ごそうと決めた。
……それでも、やっぱり寂しかったのかな。
まさかあんな形で自分の『変なこと』がバレて――バレたのに、鎧戸君は全然普通で、なんだか拍子抜けして……そうしたら、なんだか…………友達が、欲しくなって。
鎧戸君に甘えていた。
昨日今日と、わたしは盛大に鎧戸君に甘えていた。
それが分かった。
楽しかった。鎧戸君とお喋りをするのが。
そんな鎧戸君がわたしのせいで……わたしのゴタゴタに巻き込まれてしまって……
なんて謝罪すればいいだろう。
どう釈明すれば話を聞いてもらえるだろう。
嫌わないでほしいなんて思うのは、烏滸がましいだろうか……
「とにかく……、謝らなきゃ」
授業終了のチャイムが鳴るや、わたしはカバンを持って教室を飛び出した。
鎧戸君が行く場所といえば、部室しか知らない。
もしそこにいなければ、今日はもう会えないだろう。
祈るような気持ちで校内を駆ける。
運動は得意ではないけれど、一度も立ち止まらず、少しでも速く、部室を目指した。
階段を駆け上がり、心臓が破裂しそうなほど暴れて、息ができなくなって、それでも……
お願いします……どうか、鎧戸君がいてくれますように!
焦燥感と息苦しさで目に涙が溜まっていく。
涙目で神様に祈りを捧げ、走ってきた勢いのまま部室のドアを開け放つ。
「鎧戸君っ!」
そこには、鎧戸君が……
……いた。
いてくれた。
ズボンを膝までズラして、パンツ丸出しで、驚いて固まったままこちらを見ている鎧戸君が、いた。
部室で何してたんですか!?