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30 姉の名は

「ところで」


 僕たち姉弟へのお説教を終え、高名瀬さんが姉に向き直る。


「ササキ先生というのは、偽名だったんですか?」


 姉の苗字は、もちろん僕と同じ鎧戸だ。

 でも、ササキは偽名ではない。


「んにゃ、本名だよ」

「あ、ご結婚されてるんですね」

「あははっ、高名瀬さん、ナイスジョーク!」

「うっさい、愚弟!」


 姉のスクリューボディブローが脇腹にめり込む。

 ……姉。手加減って日本語、聞いたことない?


「あたしの所属してる研究所ってさ、まぁ、とにかくいろいろ新しいんだよね」


 初めて体電症が確認されたのが五十年前。

 それから組織を作って、最近になってようやく研究の成果が出始めたという、新しい研究所だ。

 というか、体電症の研究自体が新しいジャンルなのだ。


「だから、ちょっと特殊な人が多くてさぁ……」


 曰く、「自分の才能は家系とは関係なく自分自身が身に付けたものだから、家系の名で呼ばれることは侮辱に当たる!」とかなんとか大暴れした人がいたり、「結婚して苗字が変わったことで私のこれまでのキャリアが全否定された気がします!」と暴れた人がいたり、「じゃあもう、苗字だろうが下の名前だろうが、偽名だろうがペンネームだろうが、好きに名乗ればいーじゃーん!」と面白がって大暴れした人がいたりしたそうだ。


 ちなみに、最後のは、ウチの姉だ。


「……それで、他の病院には『みるきぃ先生』や『轟雷紫電先生』や『ゼオルギウス・グレイベル先生』みたいな……変な人がいたんですね」


 どの先生にも診察を任せたくないなぁ……

 というか、高名瀬さん、『変な』って言う前、一瞬言葉に詰まったね。

 詰まったけど、結局『変な』以外に適当な言葉が見つからなかったっぽいね。


「そうそう。ニッチな研究する人って、漏れなく変な人ばっかだから」


 それは語弊があるぞ。

 体電症の研究者が変人だらけなだけで、他のニッチな研究者はまともな人ばかりに違いない。

 知らんけど。


「でもササキって……」

「それ、あたしの名前なんだよね」

「……えっと、鎧戸、ですよね?」

「そうそう。鎧戸ササキ」

「……は?」


 びっくりするよね。

 全員そんな顔するもん、姉の本名を初めて聞いた人は。


「ウチの両親も体電症の研究者でさ、そこの第一子だからって、結構注目されたんだよ。で、お披露目の時にあたしの名前を発表――って流れだったんだけど、親父がガッチガチに緊張してさ……」


 半紙に筆で大きく書かれた姉の名を掲げながら、父は名前の読みを、言い間違えた。


「あたし、本当は『三々姫』で『みさき』になるはずだったんだけど、半紙にかかれた字面を見て、親父が『娘のササキです!』って言っちゃって」


 その時、会場は爆笑の渦に包まれたらしい。


「で、盛り上がり過ぎちゃったから『間違いです!』とも言えなくなって、『じゃあもう、ササキで』って」

「しっかりしてください、お父様!」


 ありがとう、高名瀬さん。

 姉のために不出来な父を叱ってくれて。


 今度メールで伝えておくよ。

 ヤツは今、日本のどこかで研究してるから。

 この前徳島のすだちチョリッツが送られてきたから、たぶん四国だな。


 ちなみに、母は東京のど真ん中に専用の研究室を構えて日夜研究漬けの毎日を送っている。


 ウチの両親、母は引きこもりで、父は回遊魚なのだ。

 一年に数回だけ出会ってるんじゃないかなぁ、ウチの両親。

 まぁ、呼び出せば集まってくるけども。


 昔はこの家で暮らしていたんだけど……僕が充電するとしょっちゅうブレーカーが落ちて、両親のPCがシャットダウンしちゃうから…………迷惑かけてすまんな、両親。


「だからさ、ウチでよければいつでも、遠慮せずに遊びに来てね」


 姉が笑顔で高名瀬さんの肩をペシペシ叩く。

 高名瀬さんは、我が家の特殊な家庭環境を聞かされ困惑顔だ。


 ごめんね、変な家族で。


「とりあえず、今日は泊まってく?」

「いえ、帰ります!」


 気が付けば、もうすっかり夜だった。

 しまった。引き止め過ぎた。

 高名瀬さんが叱られなきゃいいけれど。


「まぁ、任せろ! ……大人の力を見せてやる」


 姉がドヤ顔でスマホを取り出し、どこかへ電話をかける。


「もしもし、わたくし、お嬢様の主治医のササキと申します。あ、お世話になっております。実はお嬢様を偶然町で見かけまして、近況などを聞いている内にこのような時間になってしまいまして。えぇ、こちらの配慮が足らず申し訳ございませんでした。その後、ご家庭では不便などございませんか? ……はい……はい、そうですか。それは何よりです。では、お嬢様はこれからわたくしが車で送り届けさせていただきますので。はい。ご連絡が遅れて申し訳ありませんでした。はい。失礼いたします。…………どうよ?」

「悪い大人の見本を見た気分だよ」

「いえ、助かりました。わたしも、時間のこと忘れてしまっていたので」


 電話の時に声が高くなるのは、ウチの姉も一緒か。


 とりあえずこれで、高名瀬さんが叱られることはなくなりそうでよかった。

 もっと気を遣ってあげなきゃなぁ。


 友達なんかいたことなかったらか、そういう配慮にまだまだ疎いんだよねぇ…………ほっとけ。







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