学校が近付き、周りに同じ制服を来た学生が増え始めたころ、突然けたたましいクラクションが鳴り響いた。
視線を向けると、横断歩道の真ん中でお婆さんが立ち尽くしていた。
手には果物が入った袋。
そしてお婆さんに迫る、トラック。
歩行者用信号はとっくに赤になっているのだが、お婆さんは渡り切れなかったようだった。
「危な……っ!」
高名瀬さんの悲鳴に似た声が耳をかすめた時には、僕はすでに駆け出していた。
坂の途中に自転車を放り出して、全速力で車道に飛び出す。
距離にして300メートル。
お婆さんとトラックの距離は数10センチ。
ちんたら走っていては間に合わない。
僕は体内バッテリーをフル稼働させて、人知を超えた速度で駆け抜ける。
一瞬でお婆さんに肉薄し、衝撃を与えないようにお婆さんを抱きかかえ、そのまま一足飛びに反対車線へと跳ぶ。
僕が着地して、お婆さんを地面に下ろした時、僕の耳に世界の音が戻ってきた。
「きゃぁあああ………………あれ?」
事故を目の当たりにしたと思った女子生徒が悲鳴をあげるが、大惨事は未然に回避されていたため悲鳴のやりどころに困った――そんな声を漏らす。
横断歩道に突っ込んできたトラックのドライバーは……うわぁ、止まらずに逃げていった。
あの人、お婆さんを轢いたかどうかの確認すらしなかったな。
しばらく「轢いた? 轢いてない?」って無駄にドキドキしているがいい。
「大丈夫ですか?」
「ほ……? …………はぇ?」
何が起こったのか分かっていないらしいお婆さんは呆けていて、返事もまともに寄越してこない。
事故のショックでこうなっているのか、常時こうなのか…………前者でありますように。
「鎧戸君っ!」
僕の自転車に乗って、高名瀬さんが物凄い速度でやって来る。
スカートで立ち漕ぎはあんまりやらない方がいいと思うな。
「大丈夫ですか!?」
「えっと……怪我はないと思うけど、ちょっと呆けちゃってて」
「鎧戸君が、です!」
「あぁ、僕はへっちゃら」
どっこも怪我してないし。
「……よかった」
はぁ……っと息を吐いて、高名瀬さんが自転車から降りる。
心配かけてしまったようだ。
「え……、今、何があった?」
怪我人がいないと分かると、辺りがにわかにざわつき始めた。
マズいな。
僕の体電症のことは知られてはいけないと言われているし……
「いや~、たまたま近くにいてよかったぁ~」
そう、たまたま近くにいたんです。
なんなら、一緒に横断歩道渡ってたくらいに。
「そばに、いたか?」
「いましたよ? あれ、僕ってそんなに存在感ありません?」
「いや、まぁ…………そうか」
一切の動揺を見せずに言い切ると、僕たちを取り囲んでいた生徒たちは、なんとな~く納得して、ぱらぱらと学校へ向かって歩き始めた。
……ほっ。
誤魔化せた。
「……嘘つき」
「嘘つくしかないでしょう?」
耳元で高名瀬さんがぼそっと呟く。
やめてください。ぞくっとしちゃって「おぉ~いぇ~す」って声が漏れかけたじゃないですか。
と、そんなこんなをやっている間も呆けているお婆さん。
大丈夫かな、本当に?
「お婆ちゃん、大丈夫ですか? 何が起こったか認識できていますか? あなたはさっき、危うく異世界に転生するところだったんですよ? お婆ちゃんの年齢で電気のない異世界ファンタジーの世界はつらいでしょう?」
「異世界転生の読み過ぎです、鎧戸君」
やっぱり、本棚はチェック済みか。
「それに、このくらいの年齢の方は、異世界への転生特典で肉体が若返るか、魂が別の肉体に宿るかするものなので、肉体年齢は考慮しなくても大丈夫です」
あなたも結構読んでんじゃないの、異世界転生?
「もしかしたら、お婆さんは異世界で王子様や騎士様を侍らせて逆ハーレムを形成できていたかもしれなかったんですよ」
「あれ? 今って、僕責められてる?」
折角の逆ハーレムチャンスを潰しやがってって?
だったらごめん、お婆ちゃん。
「お婆さん。信号はきちんと見て渡りましょうね」
僕に代わって、高名瀬さんが声をかけると、お婆さんは「……信号?」と微かな反応を見せた。
そして、今まさに青から赤に変わった信号を睨みつけてしわがれた声で言い放つ。
「ふん! あたしゃ、この信号がここに出来るよりずっと前からこの道を通ってるんだ! あとから出来た分際でデカい顔をするんじゃないよ、信号ごときが!」
うん、なんだろう……ちょっと、轢かれてもよかったかも、って頭をよぎった。
よぎっただけだよ?
無事でよかった~、切実に。うん。