「あのお婆さん、実は名のある地主とか大企業の会長だったりしないかな?」
校門を通り校内に入って、僕はそんな願望を口にする。
ちょっとした桜並木を歩いて、グラウンドの端で僕は駐輪場へ、高名瀬さんはそのまま下駄箱へ向かう。
その間の僅かな話題にでもなればと思って。
「そうですね。どこの企業の会長さんだと、利益が最大になるでしょうか……」
なのに、高名瀬さんは結構真剣に悩み始めた。
いや、軽いジョークだよ?
マンガだとそーゆーパターンよくあるよねーっていうだけの。
「この辺ですと、やっぱり
MiSSNaは十五年ほど前にこの地域に本社を移した大企業だ。
セキュリティ関連の会社で、国内で多くの企業やご家庭の安全を守っている超一流企業である。
セキュリティ以外にもいろいろ手広くやってるみたいだけどね。
「最近ですと、スマホゲーム事業にも乗り出していまして、わたしも一つプレイしてみたんですが、これがなかなか歯ごたえのある硬派なゲームで、並の課金ゲーとは一線を画しているといいますか、結構『やるな!』と感心していたんです」
高名瀬さんが熱い!
MiSSNa、ゲームもやってたのか。
で、高名瀬さん、ゲームやってたのか。
「高名瀬さん、散財はしないようにね」
「ご心配には及びません。わたしは課金などに頼らずともハイスコアを叩き出せるよう、おのれを磨いていますので」
ご心配に及びまくりだよ。
大丈夫なのだろうか、この人は、本当に。
「あ……」
熱く語る高名瀬さんを見ていて気付かなかったけど、駐輪場が目の前だ。
「高名瀬さん、付き合わせちゃったね」
「え? ……あ、駐輪場!?」
高名瀬さんも気付いていなかったっぽい。
「鎧戸君が興味深い話題を振るからですよ」
いえ、想定以上に食いついたのはあなたです。
「……これは、賠償が必要かもしれませんね」
「そんなに美味しかった、小倉バタートーストチョリッツ?」
「べ、別におねだりではないですからね!?」
いや、あなたの言う『賠償』は、確実におねだりだよ。
まぁ、もらい物のチョリッツくらい、いくらでも貢がせていただきますが。
「いらない? 名古屋に加えて、徳島すだちチョリッツもあるけど」
「鎧戸君、知っていますか? ……チョコレートと柑橘系の相性は最強だということを」
徳島のみなさん、おめでとうございます。
食いしん坊マスター高名瀬さんのお眼鏡にかなったようです。
今後も頑張って量産してください。
「これで、三時間目の壁を越えてください」
「お任せください」
いや、三時間目に壁を感じている人に何を任せろというのか。
「今日はちょっと、MiSSNaのゲームを突き詰めてみましょうか」
「ここでそんな厳ついスマホを出さないように。人に見られるよ。ゲーマーなの、秘密なんでしょ?」
「大丈夫です。気配を消しているので、他の生徒は私には気付きません」
忍者か。
絶対気付かれるから。
そんな話をしながら下駄箱へ向かうと、そこにクラスカーストのツートップがいた。
男子のトップ、御岳連国君。
女子のトップ、戸塚莉奈さん。
「なんだ、やっぱ付き合ってんじゃん」
僕たちを見るや否や、顔を不機嫌そうに歪めてそんなことを言い放つ戸塚さん。
やっぱり頭の中が桃色だ。
「じゃあ、君たち二人はお付き合いしてるの?」
そちらも男女二人でしょとやり返してみれば、戸塚さんは分かりやすく頬を染め取り乱した。
「は、はぁ!? そんなんじゃないし!」
わぁ、わっかりやっすぅ~い。
「あたしら、まだ全然そこまでじゃねぇーし! ね、ねぇ、レンゴク?」
こちらに向ける声とはまるで違う、可愛らしい声で御岳連国君に声をかける戸塚さん。
けれど、御岳連国君は物凄く不機嫌そうに戸塚さんを一瞥した後「知るか」と、低い声で吐き捨てた。
なんか、すっごい機嫌悪いね。
わ、こっち来た。
近くで見るとデッカいなぁ。
180センチ以上あるよね、絶対。
そんな長身の、縦にも横にもデカい御岳連国君が僕の顔を覗き込んでくる。
眉間にシワを寄せて、凄まじい眼力で、僕の目を見つめてくる。
「つまんねぇこと言ってんじゃねぇよ」
「言い出したのは、君のお連れさんだよ」
こっちは飛んできたボールを打ち返しただけですので。
「連れじゃねぇつってんだろ」
「友達なら連れでいいじゃない」
高名瀬さんを「恋人か」と聞かれれば否定するけれど「連れか」と聞かれれば肯定するだろう。
別に連れ合いと言ったわけではないのだから。
「『連れ』が恋人を指す言葉なら、『連れション』の難易度が爆上がりしちゃうし」
「なんの話をしているんですかっ」
ぺしりと、後頭部を叩かれる。高名瀬さんに
……あぶないなぁ。
こんなに顔を近付けられている時に後頭部を叩くとか……危うく僕のファーストチューが散っちゃうところだったよ?
三日三晩泣き続けるところだったよ?
「ごちゃごちゃうるせぇんだよ、テメェ。俺を舐めてんのか?」
「舐めてはないけど、ビビってもないよ」
だから、いくら凄んでも無駄。
その気になれば、プロボクサーのパンチでも避けられるしね、僕。
バッテリーを使えば、視力や聴力、反射神経を極限まで高めることが出来る。
筋肉の軋みを聞いて、迫る拳を見切り、神がかり的な反射速度で回避することが可能なのだ。
ただし、そこまで集中するとバッテリーを二割くらい使っちゃうんだけどね。
「おもしれぇ……俺はな、舐められんのが――一番キライなんだよ!」
大きく振りかぶられた拳が、僕の顔めがけて打ち出される。
すっげ、拳がバスケットボールくらいあるように見える。そんな大きいわけないのに。
すごい迫力だ。
でも――『集中』!
筋肉が伸び、拳が迫りきて……あ、アゴを狙ってるのか、そしてここで避け……あれ? 拳の勢いが止まった?
あ、寸止めか。
なんだ、怖い顔して結構優しいんじゃん、御岳連国君。
「……なんで避けなかった?」
「寸止めするって分かってたし」
いや、分かってはいなかったけどね。
避ける前に止まったから避けなかっただけで。
「俺には分かるぞ。お前はちゃんと俺の拳が見えていた。だからビビって動けなかったわけじゃねぇ……お前、何者だ?」
「同じクラスの鎧戸秀明です」
「そうじゃねぇよ!」
いや、そうじゃなくないんだけど?
鎧戸秀明ですし。
「……いいだろう。次は本気で行く」
え、待って。
何がいいの?
本気で来ないでほしいんだけど?
「俺の本気パンチ、受けられるもんなら、受けてみやがれぇ!」
大きく一歩踏み込み、先ほどとは比べものにならない迫力で、バランスボールくらい大きく見える拳が打ち出される。
いや、迫力凄過ぎ!
オーラ的なヤツで拳がデッカく見えちゃってるから!
君、本当に普通の高校生!?
しょうがないのでバッテリーを駆使して御岳連国君の拳を撃ち落とす。
チョップで。
手首を「えいっ!」って。
「ぅ……っぐ!?」
迎撃された御岳連国君が手首を押さえて僕から距離を取る。
バックステップで飛び退いて、ずざざってちょっと後方に滑る。
すっげぇ、マンガみたい!
かっけぇ!
「見た!? 高名瀬さん、今の見た!?」
「はしゃがないでくださいっ」
周りの目を気にしてか、ツッコミがいつもより小声な高名瀬さん。
周りの目を気にするということは、電話に出た時に声がワントーン高くなるタイプだね、きっと。
手首を押さえて、御岳連国君が僕をじっと見つめている。
「お前……名前は?」
おやぁ、何度か名乗ったんだけどなぁ?
「鎧戸秀明」
「よれぇーどひでぇーき……」
「え、僕ってそんな滑舌悪い!?」
「覚えておくぞ」
「やめて、それで覚えないで! よ・ろ・い・ど・ひ・で・あ・き! 鎧戸秀明です!」
選挙活動のような僕の声を聞いているのかいないのか、御岳連国君はこちらに背を向けて一人で歩いていってしまった。
……聞いてなさそうだなぁ。
その後ろを戸塚さんが小走りで追いかけていく。
あぁ、本当に連れじゃないんだ。
こりゃ、戸塚さんの片想いかな。
「鎧戸君」
高名瀬さんに呼ばれて振り返ると、高名瀬さんは嬉しそうな顔でこちらを見ていた。
「でぇーじょうぶでしたか?」
この人、まだそのネタ引っ張るのか。
どんなに頑張っても『秀明』は『しゅうまい』にはなりま…………
「あ、……れ?」
急に目の前が暗くなる。
なんでだ?
集中を二回使ったけど、まだバッテリーは半分以上残っているはず……あ、お婆ちゃん助けたんだった。
いっけね……忘れて……た。
そこで、僕の意識は途切れた。