「あれ?」
廊下を歩き、もうすぐ教室だというところで、高名瀬さんが声を漏らした。
自分のカバンをがさごそと漁っている。
「スマホがありません」
おぉっと……
絶対に落とさないと言っていたスマホを落としたらしい。
「たぶん、保健室じゃないかな? ほら、さっきカバンを投げつけてきた時に」
「あぁ……」
お尻丸出しの僕がベッドから出るのを阻止しようとした、渾身の一投。
あの時、結構中の物が散らばっちゃってたし。
「では、責任は鎧戸君にありますね」
「いやいや……」
カバン以外にも、僕を止める手段はあったと思いますけどね。
「たとえば『お尻!』って叫ぶとか」
「そんな奇行、わたしは生涯一度だって行いませんよ」
奇行って……
「『お尻!』って叫ぶシーンなんていくらでもあるでしょう?」
「ないですよ。どんな奇抜な家庭環境で育ったんですか」
ウチの家庭環境が奇抜だというのなら、その大部分は姉に責任があると言える。
「じゃあ、今回の件も姉の責任だね」
「なんでもかんでも他人のせいにするのはよくないですよ」
どの口が言ってんのかな!?
スマホを落としたのを僕のせいにした張本人が。
「ホームルームが終わってから取りに行けばいいんじゃない」
「では、お手数ですがよろしくお願いします」
「……僕が行くの?」
「だって、あんな厳ついスマホケース、わたしのイメージじゃありませんし」
「じゃあ、使わなきゃいいのに」
「あのですね、鎧戸君。あのスマホケースには一言では語り尽くせない物語が――」
「教室着いたよ。ゲーマーがバレたくないならお口チャックね」
「……むぅ」
なんですか、その可愛い抗議は。
聞いてほしかったんですか?
なんなら、このまま授業をエスケープしてじっくり伺いましょうか?
やぶさかではないですよ、こちらは。
「……なんだか、騒がしくないですか?」
教室のドアの前。
閉じられたドアの向こう側が、確かに少々騒がしい。
わーわーと声を上げているような賑やかさではないのだが、ヒソヒソと多数の人が小声で話し合っているような。
なんとも落ち着かない、嫌な雰囲気のざわめきがドアの向こうから漏れ聞こえてくる。
「僕が倒れちゃったから……かな? あ、しかも高名瀬さんが介抱して今まで保健室に付き添っていてくれたから」
「それは大丈夫だと思います。ササキ先生が前もって事情を話しておいてくれましたので」
そうか。
さすが姉。
腐っても社会人。
根回しはお手の物というわけか。
とかなんとか考えていると、ドアの向こう、教室の中から「鎧戸じゃね?」という男子生徒の声が聞こえてきた。
……やっぱり、何か僕の話をしているようだ。
なんだろう……やだな。
あんまり目立ちたくはないんだけれども。
「とりあえず、入ろうか?」
「……ですね。ずっとここにいるわけにもいきませんし」
そう言って、「お先にどうぞ」と手で示す高名瀬さん。
あなたという人は、さり気なく他人を使いますよね?
この空気の中、先頭を切って入るのはやっぱ抵抗ありますもんね。
分かりました。
頼りない
意を決し、僕は教室のドアを開く。
「すみません、遅れました」
「おぉ、鎧戸! 高名瀬もいるか。入れ入れ!」
そっとドアを開けると、教卓の前に立つ佐々木先生が僕たちを手招きして呼び寄せた。
教室へ一歩足を踏み込むと、クラス全体から一斉に視線を向けられる。
……なんだろう。
めちゃくちゃ注目されている。
全員が僕たちを見ている。
めっちゃ見ている。
マジで、何があったんですか?
みんな興味津々じゃないですか。
「…………」
中でも、射殺さんばかりの迫力でこちらを睨んでいる御岳連国君。
……なんでそんなに睨むんですか?
下駄箱でのイザコザは、あなたが絡んできた結果でしょうに……
無遠慮な視線にさらされ、一歩ごとに体力を削られていくような錯覚を覚えつつ、なんとか教卓までたどり着いた僕と高名瀬さん。
そんな僕たちに、担任の佐々木先生は暑苦しいまでに爽やかな笑顔を向けてくる。
「全員に聞いたんだが、持ち主が見つからなくてな。おそらくお前たち二人のどちらかの物だと思うんだが――」
そんな前置きをして、必要以上に膨れ上がった筋肉だらけのゴツい肉体に隠れて僕たちからは見えていなかった右手に持った物体を差し出してくる。
御老公のお供が印籠を見せつけるような豪快さで。
「このスマホは、お前たちどちらかの物か?」
そう言って突き出されたのは、ダークドラゴンを想像させるような厳ついスマホケースに覆われた、高名瀬さんのスマホだった。
……やらかしたな、高名瀬さん!?