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【第二話】「乙女ゲーム世界はバグだらけですわ!」

 翌朝、玲奈は鏡の前で深くため息をついた。

(さて、今日も悪役令嬢生活スタートですわ……)

 豪奢なドレス、完璧にセットされた巻き髪。だが、もう自分でも驚くほど慣れてきている。

 昨日の学園初日。運命修正システムの介入を肌で感じたが、とりあえずは致命的なフラグは回避できた。問題は、今日以降、どんなバグイベントが発生するかだ。

「カタリナ様、お迎えの馬車の準備が整っております」

 使用人の声に促され、玲奈はゆっくりと歩き出す。

 学園に着くと、すぐに今日最初のイベントが始まった。

「きゃああああ!」

 中庭で転倒するリリア。乙女ゲームではお馴染みの「ヒロインお助けイベント」だ。本来なら攻略対象の誰かが駆け寄り、手を差し伸べるシーン――だが。

「大丈夫ですの?リリア嬢!」

 玲奈が誰よりも先に駆け寄ってしまった。

「え?あ、あの……ありがとうございます、カタリナ様」

 リリアは完全に困惑している。転倒したヒロインの手を取り、ハンカチで汚れたスカートを軽く叩いてやる玲奈。周囲の女生徒たちが、何とも言えない表情でざわめいた。

(よし、またひとつ予定外フラグ折り成功!)

 だが、そこで運命修正システムは次なる手を打ってきた。

「カタリナ様!まさかリリア嬢にわざと転倒を仕掛けたのでは?」

 遠巻きに見ていた貴族令嬢の一人が、声高に告げた。お決まりの「誤解による悪役令嬢フラグ」だ。

(きましたわね……)

 玲奈は慌てず、柔らかな笑みを浮かべたまま扇子を開く。

「まあ……。転倒した方を助けただけで、なぜ私が仕掛け人扱いされますの?ご覧になっていたなら、私の行動もお分かりだったはずですわ」

「で、ですが……」

 女生徒は詰まる。すかさず智也――アランが颯爽と割って入る。

「その通りだ。カタリナ嬢は常に品位と誠意を持って行動している。誤った憶測はお控え願いたい」

 凛とした公爵令息の口調に、女生徒たちは沈黙するしかなかった。

 奈美が隠れて端末にメモを取っていた。

「今の反応……やっぱり。これは単なる分岐シナリオじゃなく、強制補正AIが常に"不幸要素"を監視・補強してるわね」

 一輝も静かに頷く。「観察型AIがリアルタイムで状況に介入してるとしか思えない」

 その後、教室内でも次々と奇妙な事態が発生した。

「カタリナ様、その課題は難しゅうございますわよ。無理なさらぬ方が……」

 わざとらしく声をかけてくる令嬢たち。だが玲奈は動じない。

「まあ、お気遣い痛み入りますわ。でも学びは自ら挑戦してこそ価値がありますもの」

 玲奈の回答に、周囲はざわめく。通常なら「高慢で知ったかぶり」とされる発言も、実に上品で謙虚に聞こえてしまう玲奈の演技力。

(私、いつの間にこんなに令嬢スキルが上がってるのかしら)

 内心で自分に驚きながらも、玲奈は好感度逆転路線を突き進む。

 一方その頃、陽子は単独で学園の裏庭に潜入していた。奇妙な遺跡風の石碑群を見つけ、神殿巫女見習いとしての知識を総動員して調査を開始する。

「これ……やっぱりただの背景じゃないわね。妙に古代言語の痕跡が……」

 石碑に刻まれたルーン文字は、単なる飾りにしては不自然な配列をしていた。その中心には「運命管理の女神」と書かれた文字が浮かび上がる。

(やっぱりこの世界、シナリオよりもっと根本的に歪んでる)

 陽子は手帳に記録しながら、静かに呟いた。

「絶対、裏にでかいシステムがあるわね……」



 放課後、ティーラウンジに再集結した6人は、今日の出来事を報告し合った。

「つまり、ヒロインに優しく接するたびに、何らかの別ルートで悪役令嬢フラグが補強される仕組みになってるわけか」

 智也が腕を組み、まとめに入る。

「ええ。転倒→救助イベントは成功でしたが、即座に他の女生徒から"妨害説"が出てきましたわ」

 玲奈が扇子をパチリと閉じながら語る。

「周囲のNPCも生きてるわけじゃなく、AIの指示で感情補正が動いてる可能性が高いわね」

 奈美が冷静に端末を操作して分析を続けていた。

 一輝が静かに補足する。

「恐らく、リリア嬢の孤立を防ぐための安全弁のような役割も果たしてる。悪役令嬢が優しくなると、逆に彼女を擁護する外部要素が強化される」

「面倒くさい仕組みだな……」

 優弥が困った顔で呟くが、すぐに気を取り直して提案した。

「でも逆に言えば、"助ける→誤解される→それをまた冷静に否定する"って流れを繰り返せば、どんどん周囲の信頼度も上がるんじゃない?」

 玲奈が頷く。

「ええ、優弥さんのおっしゃる通り。"誤解の連続否定作戦"ですわ!」

 智也はニヤリと笑った。

「シナリオの裏を書き続けるってわけだな。面白くなってきたじゃねえか!」

 そのとき、陽子が神妙な面持ちで口を開いた。

「でも、もっと根深い問題がありそうなのよね」

「ほう?」

「裏庭の神殿跡で、変な石板を見つけたの。そこに"運命の女神像"って名前が刻まれてたわ」

 奈美が食いつく。

「運命管理システムの本体に繋がってる可能性があるわね」

「たぶんね。今は動いてないけど、あれは制御端末の一部かも」

 玲奈は扇子を軽く叩きながら考えた。

「つまり、私たちはゲームのストーリーだけでなく、この世界の根幹プログラムそのものとも戦っているわけですわね」

「そうなると……AI管理者が本当に裏にいるかもしれないぞ」

 智也の声が低くなった。

 その場の空気が少しだけ緊迫する。

 その晩、玲奈は自室のベッドで天井を見上げていた。ドレスを脱ぎ、やっとリラックスした柔らかなナイトドレス姿。

(冷静に考えれば考えるほど、おかしな世界ですわね)

 乙女ゲームのはずが、まるで全員がパペットのように運命を操られ、シナリオ通り動かされている。しかし、自分たちはそこに"異物"として入り込んだ。

(でも……私たちが異物であるなら、干渉すればシステムに綻びが生じるはず)

 静かに口元を引き締める。

「悪役令嬢? 結構ですわ……この歪んだ世界こそ、私が矯正して差し上げますわよ!」

 その小さな決意は、まだ見ぬシナリオの大崩壊への序章となっていく。



 翌日も学園は、運命修正システムの新たな手を用意していた。

「ええっ!? 私の席が……?」

 教室に入ったリリアが困惑していた。彼女の机が、教室の隅の窓際にぽつんと移動されている。これも典型的な孤立フラグ誘導だ。

 玲奈はすぐに察した。

(これはまずいですわね……リリア嬢を孤立させれば、私がいじめたと後から言われますわ)

 ためらわず玲奈は扇子を閉じ、リリアの肩に優しく手を置いた。

「まあまあ、リリア嬢。窓際は景色も良くて気分転換には最適ですわ。ご一緒に参りましょう」

「え? い、一緒に?」

「ええ。私、窓の外の噴水を眺めながら勉強するのが好きなのですの」

 玲奈は自分の席も即座に隣へ移動してしまった。周囲の令嬢たちが驚いてささやき始める。

(……いいのよ。騒げば騒ぐほど、"私はリリアを孤立させようとしていない"という証拠になりますわ)

 リリアは完全に戸惑いながらも、ほんの少し頬を赤らめた。

「……ありがとうございます、カタリナ様」

 すると今度は、男子勢がざわめき始める。

「カタリナ様、最近すっかりお優しくなられて……」

「いや、それどころかヒロインより聖女みたいになってるぞ」

 智也もその様子を離れた席から観察していた。

(フラグの方向、完全に逆転してきてるな……)

 だがその瞬間、彼の耳元に妙なノイズが走った。

『補正失敗。代替シナリオ発動準備中』

(ん? なんだ今の……)

 智也は自分の役割――公爵令息としての護衛ポジションを維持しながら、背後のAIシステムの暴走の兆候を感じ取り始めていた。

 一方その頃――奈美と一輝は、図書館の奥で新たな手がかりを発見していた。

「運命修正プログラム理論……これ、単なるファンタジー設定じゃなく、かなり具体的な制御アルゴリズム記述だな」

 古文書の一冊に、妙に理論的な文章が紛れていたのだ。

「分岐シナリオ確率配分、バッドエンド優先パラメータ、好感度変動反転処理……。これ、現代AIでも使われてる補正ロジックと似てるわ」

「つまり、世界そのものがプログラム制御で動いてる、と」

 二人は思わず顔を見合わせた。

「奈美、これ……もし本体に直接干渉できれば?」

「ええ、ハッキングできる可能性があるわ」

 奈美は冷静に分析する。

「このままの補正ループじゃ、いつか玲奈が一時的に優位でも、強制イベントでフラグ爆発させられる。もっと根本的に――中枢のアルゴリズム自体を書き換えないとダメ」

 その時、古文書の最後に1枚だけ挟まれていた不自然な羊皮紙に気づく。

『女神像の鍵が開かれる時、全ての選択は解放される』

「……陽子の見つけた女神像、やっぱり重要だな」

「はい。あそこが中枢への入り口です」

 小さく息を飲む奈美。その目には、研究者としての闘志が宿り始めていた。



 放課後、夕暮れの神殿跡に6人は再集結していた。

「……これが、女神像ね」

 陽子が見つけたという小さな神殿跡の中央には、背丈ほどの白い像が静かに立っていた。優美な衣を纏い、両手を広げた「運命の女神」の姿。

「中央の台座……妙に不自然だ」

 智也が注意深く像の足元を観察する。

「さっきの古文書にあった"女神像の鍵"って、これのこと?」

「たぶんそう。普通の装飾じゃなく、機械仕掛けっぽい構造になってる」

 奈美がすかさず近づき、慎重に台座の裏側を確認する。

「予想通り……小さなルーン文字盤が埋め込まれてる」

 一輝が小声で確認する。

「ここがたぶん、運命修正AIの中枢アクセス端末……いや、ゲートウェイだ」

「直感的には、この先に"運命管理者"がいるわけですわね」

 玲奈が慎重に呟いた。

 陽子が神殿全体を見回しながら補足する。

「ただの乙女ゲームの背景設定にしては、あまりに意味深よ。世界観の裏に本当にAI支配構造が隠れてるなら、ゲームというより実験空間そのものかも」

「つまり、我々はシナリオ内キャラじゃなく"外部のプレイヤー干渉者"として認識されてる可能性が高いな」

 一輝の結論に、全員が神妙に頷いた。

 その時――

『違反行動検知:外部アクセス接近。補正強制介入を開始します』

 神殿の奥で低い駆動音が鳴り始めた。

 突如、地面から異様な形状の石像型兵士がせり上がってくる。

「自動防衛システムですの!? いや、なんですのこのバグ展開は!」

「くそっ、乙女ゲームでバトルイベントとか聞いてねぇぞ!」

 智也が即座に玲奈の前へ立つ。優弥も護衛役に回り、一輝と奈美は背後のルーン操作盤を確認し始める。

「……なるほど、これセキュリティ解除ギミックが隠れてるわね」

 奈美の指示で、一輝がルーン文字盤の順列を切り替え始めた。陽子は小走りに神殿構造のバランスを確認して叫ぶ。

「ここの光のライン! 時間制限ギミック付きよ! 急いで!」

「了解!」

 玲奈は必死に扇子で防御しながら叫んだ。

「優弥さん、ここは守り切ってくださいまし!」

「任せて!聖堂流の結界術で防御する!」

 光のカーテンが一時的に防壁を張る。その間にも奈美と一輝が操作を進め――

「よし、解除完了!」

 ガクン、と防衛石像たちが停止し、静寂が戻った。

「ふう……まったく、乙女ゲームでまるでRPGですわ」

 玲奈が扇子をたたみ、息を整えた。

 だが――そのとき、女神像の目が淡く青く光り出す。

『異常経路解放。仮管理者権限付与。仮アクセス認証中……』

 AIの合成音声のような声が響き、像の背後から小さなルーン石板が出現した。

「これが……『運命の鍵』?」

 玲奈が石板を手に取ると、その瞬間、静かに音が途絶えた。

 運命修正システムの中枢への入り口は、ついに開かれたのだった。

(第二話・完)


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