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死なば諸共、生きてこそ!
死なば諸共、生きてこそ!
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異世界ファンタジーダークファンタジー
2025年06月24日
公開日
4.6万字
連載中
「お前はどうやって死にたい?」 死にたがりの不死者と、殺されるために育てられた少女。 壊れた祈り、歪んだ信仰、踏みにじられた命。 全てが終わったはずの世界で、二人は出会い、旅を始める。 不死者同士の因縁。殺意を宿す装備たち。 破滅工房の魔女、不死の女王、壊れた神の断片。 それでも、「生きてみたい」と願った少女と、「死にたい」と呟く剣士は、互いを選び続ける。 終わりの無い命に、終わりを与える旅が始まる。 ――死ぬなら、一緒に。 “死なば諸共”。これは、生きたいと願う物語。

第一章 死なずの剣士はただ笑う

第一節

 快晴とは言いがたい。陽光を曇らせる薄雲が空一面に広がり、けれども空気は乾き、湿り気は乏しい。中途半端な天候の下、男は足元に咲く草の露を舌で舐め、乾き切った唇を湿らせた。


 飢えても、渇いても――身体というものは、なお生きようと足掻くらしい。地面に伏せ、息を殺し、足音すら立てず通り過ぎた蛇を掴み取った男は、そのまま頭部へ喰らいつき、噛み千切る。掌に跳ねた血を啜り、唇に滲む鉄の味を噛み締めた。


 鱗の皮を剥ぎ、ナイフで背を割く。骨と筋を引き裂いては貪り食い、指の隙間に残った肉の欠片すら舐め取って惜しまず。乾いた舌が草を引き抜き、茎に残る僅かな水分を啜った。


 肩を揺らし、ようやく一息。男は近くの木へ背を預け、腰の剣を抜く。片側は錆びに覆われた両刃の剣。もう片方は、地に舞い落ちた葉すら音もなく切れるほど鋭く研がれていた。


 ポーチから砥石を取り出し、無言のまま刀身を磨く。その眼差しが、ふと向きを変える。


 音もなく、少女が現れた。


 黒一色の修道服に身を包み、無装飾の裾が地を引きずる。首元にかけられた銀塗りのロザリオが、わずかに光を返していた。


 「へえ、お嬢さん。こんな天気に一人で散歩かい。無用心だねぇ。鬼が出るぞ、鬼が」


 男は剣先で空を指し、唇の端を皮肉気に歪めた。


 「……あの」


 「ん?」


 「貴男は」


 「俺? 気にすんな。人は取って喰わねえよ。用があるだけさ、この先の村に」


 その言葉に、少女の眉が微かに寄る。目の奥に警戒の色が灯った。


 「そう睨むなよ、お嬢ちゃん。睨まれても怖くねぇんだ、あんたみたいな華奢な子にゃな」


 「……村には、取るものなんてありません」


 「知ってる」


 「貴重な品も、何も」


 「金なんざ興味ねぇのよ、俺ぁ。ただ、欲しいもんはある」


 「……欲しいもの?」


 男はククッと喉を鳴らして笑った。紅玉のような瞳が、少女を真っ直ぐに射抜いた。


 「そう。呪いを祓うって噂の『聖人の血杯』――お嬢ちゃん、どこにあるか知らねぇかい?」


 少女は何も答えない。目の奥の色が変わらない。動きも、声も、熱も、ない。


 「嘘ついても喰わねぇよ。人を食うのは怪物の仕事、不死者ノスフェラトゥとかさ。俺みたいな普通の旅人には似合わねぇだろ?」


 少女は男を観察する。爪先から頭の天辺まで、ゆっくりと視線が這い、表情は変わらない。


 黒鉄の甲冑は斑に錆び、裂け目から覗く鉄網のような肌は血に染まり変色していた。腰のポーチは擦り切れ、鈍く曇った色が、過去に持っていた機能のすべてを否定している。


 だが、何より異様だったのは――表情。艶のある肌に張りついた笑み。裂けた唇から覗く牙。笑っているのに、冷たく、乾いている。


 「お嬢ちゃん、お願いがある。村まで案内してくれたら、嬉しいなあ。なんせ腹が減っててさ。あ、金なら払うぜ? 結構持ってんだよ、俺」


 「……名前も話さない人を、村には」


 「ダァト」


 「え……?」


 「ダァト・フォルグレス。カッコいい名前だろ? イカしてるって褒めてくれてもいいぜ。さて、こっちは名前を教えた。次はお嬢ちゃんの番だ。ずっと“お嬢ちゃん”じゃ、俺も呼びづらくってな」


 ダァトと名乗った男は、笑みを浮かべたまま木に寄りかかり、ゆっくりと立ち上がる。


 背丈はゆうに二メートル。岩のような体格に、全身を包む鈍色の甲冑。肩から滲んだ汗が陽光に濡れ、亀裂の隙間から滴る。


 その巨体が一歩踏み出した瞬間――

 少女の膝が、折れた。音もなく腰を落とし、地に座り込む。


 「おいおい、大丈夫か? 手、貸そうか? 冷たいけどよ、鋼の手」


 返事は、ない。


 「……参ったね、こりゃ」


 ダァトは籠手に包んだ手で剣の柄を握り、小気味よい音と共に凶刃を抜き放つ。白刃に映る己の影に、少女は顔を伏せる。ロザリオを胸に押し当て、目を閉じ、祈る。


 苦しまないように、穏やかに――それだけを願う、誰に届くとも知れない祈りを。


 「良い態勢だ、そのまま動くなよ?」


 鈍く唸った刃が振り上げられ、空を裂く風を孕んだその軌跡が、ただの威嚇に終わらないことを証明するように――。


 咆哮とともに木陰から飛び出した異形の影が、泥と落ち葉を蹴散らしながら襲いかかる。青い眼。血のように光る舌。

腫れ上がった肉と半壊した骨が不自然に繋がれたその身は、かつて獣だった名残を微かに残していた。だが、今はただの屍。意思なき殺意だけを宿した、腐肉の化物。


 唾液と腐臭を撒き散らし、爪を振り下ろしたその瞬間――


 「……な――あ?」


 低く、笑うような声と共に刃が弧を描いた。


 鈍色の空を背景に、血の軌跡が描かれる。


 ズバ、と生温い音を立て、狼の眷属ストリゴイイが空中で真っ二つに裂けた。断面から溢れた黒赤い臓物が雨のように降り注ぎ、腐肉の断片が木の幹に叩きつけられて潰れる。


 「お嬢ちゃん、良いことを教えてやろう。不死者ノスフェラトゥってのはな、自分の手をなるべく汚したがらねぇ。だからこそこうして――」


 ダァトは踵で腐った顎を粉砕し、地に転がる死体を踏み躙った。靴底から肉が裂ける音が鳴る。


 「眷属ストリゴイイを使役して、生者を食らわせる。なぁ、覚えとけ。聖職者ってんなら、尚更な」


 彼の声は笑っていたが、その眼は笑っていなかった。赤く、濁った瞳がまっすぐに少女を射抜く。


 マリアンヌは小さく瞬きをし、口元から微かな息を漏らした。


 「どうして」


 その声には、熱も抑揚も存在しなかった。機械のような抑制と、恐怖さえ遠い。


 「ん?」


 「私を助けてくれるんですか?」


 「そりゃ、お嬢ちゃんが――女の子だから、かな」


 ダァトは肩を竦め、クツクツと喉を鳴らした。


 「男ってのは、そういうもんさ。可愛い顔見りゃぁ、剣を引く。泣かれりゃ情けをかける。たとえそれが罠でもな。そういうもんだろ? 女にゃ勝てねぇよ、誰も」


 笑いながら、血濡れの剣を一度、二度と横に振り払った。肉片が飛び散り、赤黒い雫が草の上に滴る。


 その瞬間、茂みが一斉にざわめいた。


 「――来るぞ」


 腐肉に塗れた気配が複数。這う、跳ねる、蠢く。死体たちが地中から引きずり出され、木の間を縫うように現れた。犬のように四足で這いずり、骨が剥き出しの腕を振るい、口を開けば歯が剥き出し。どの一体も、獣の皮に人の絶望を縫い合わせたような、哀れな眷属たち。


 「そいじゃあ……お楽しみといこうか」


 愉快げに口笛を吹きながら、ダァトは前へと歩を進めた。


 剣を振るうたび、肉が裂け、骨が砕け、血が地に注ぐ。


 腐臭と鉄臭の中、踊るような剣筋が生きた死体たちを一つずつ、無慈悲に断ち切っていく。鋼の籠手が握る剣は重く、太く、そして速い。獣の頭を胴ごと叩き飛ばし、腕を失った眷属が絶叫と共に倒れる。


 「マリアンヌ、ポーチから魔石を取ってくれ。頼むよ」


 振り向かずにそう言ったダァトの声は軽く、どこか戯けたようでもあったが、その背中から迸る殺気は凄絶だった。


 「魔石……はい」


 彼女は無言でポーチに手を伸ばし、掌に収まる青紫の石を拾い上げる。


 「それだ。聖光の術、使えるか?」


 「……はい。でも、神父様から禁止されていました。私には……」


 「ふむ。まあ、やってみりゃいい。駄目ならそれまで」


 マリアンヌの指が震えた。禁を破るのは、神の怒りに触れること。誰かの悲鳴が響く暗い部屋、そこで祈る時間が何より恐ろしかった。


 「……ごめんなさい。できません」


 「そうか。なら仕方ねぇ。案内だけ頼むぜ? 眷属は全部、俺がぶっ潰す」


 「……わかりました」


 言葉に感情はなかった。ただ機械のように応答し、森の中を指さす。


 その指先を追い、ダァトは血と死の森を踏み抜いていった。





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