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第2話 俺の道

日本の野球人口は約100万人。

その中で、プロ野球選手はわずか840人。

更にその中でタイトルを獲得出来るのは僅か数名。

この選ばれた選手達の中に、一際輝いていたスター選手がいた。


堂島烈(どうじま・れつ)。


球界きってのスラッガーで、「内角殺し」の異名を持つ。

過去5年連続本塁打王を獲得し、名実ともに最高の選手「だった」。




2年前、シーズン序盤。




堂島は前年に引き続き好調をキープし、常にセイカーズの勝利に貢献していた。


今年も本塁打王間違い無し、来年にはメジャー行き確実とまで言われていた。


しかし⋯⋯


実況「イーストコメッツの先発は2年目の東海林隼人、昨年はルーキーながら5勝の勝ち星を挙げました。今年はどれだけ勝ち星を挙げられるでしょうか」


それは2回表の第一打席。


初球だった。東海林の160km/hの速球が堂島の脇腹に当たった。


どよめく球場内。


堂島は脇腹を手で押さえたまま蹲り、動けない。


救護班やチームスタッフが堂島を担架に乗せ、救急搬送された。


その後東海林は制球が乱れ、一つもアウトが取れず、2回5失点でマウンドを降りた。



翌日のスポーツ紙の1面。



「堂島、来季メジャー絶望」

「堂島、今シーズン復帰は厳しいか」

「日本球界の損失」



それはプロ野球界に衝撃を与えた。




明るい陽が差し込む病院の窓際のベッドに、堂島は横になり、ただ外を見ていた。


たまに吹くそよ風が心地良く感じた。

(焦ってもしょうがない、しっかり治してまたやればいいさ)


そんな時、見舞い客が来た。


イーストコメッツの東海林隼人だった。


東海林は直接謝罪したいとセイカーズのフロントに掛け合ったが、酷い剣幕で追い返された。


しかしそれを番記者から聞いた堂島は快く了承した。


ドアをコンコンとノックする音。


「どうぞ」


ドアを開けた東海林はスーツ姿で、若さのせいか、着せられてる感じがした。


「堂島さん、すみませんでした!」


東海林は深々と頭を下げた。

「俺のせいでシーズンもメジャー行きも全部ダメになって⋯⋯俺、俺⋯⋯」


東海林は頭を下げたまま肩を震わせた。


「東海林、顔を上げろ」


堂島は怒るどころか、優しい口調で言った。


顔を上げた東海林の瞳は涙に歪んていた。


「お前はインコースに投げた。それがたまたま抜けた。それだけだ。避けられなかった俺が悪い」


「でも⋯⋯」


「お前は勝負してくれたんだよな?だからインコースに投げた。そうだろ?」


「⋯⋯はい」


「2年目で生意気じゃないか。でもその負けん気は大事だ。色々バッシングはあるだろうけど気にするな。お前は球界を代表するピッチャーになれる。頑張れよ」


堂島は柔らかい笑顔で言った。


この後の苦しみなど知る由もなく。




堂島の怪我は肋骨の骨折に伴い、内臓も損傷していた。


球団からは半年は休むように言われていた。


テレビで自軍の試合を見て、自分がいなくてもいつも通りの状況にもどかしさを感じたが、しっかりと回復を待った。


軽いトレーニングが出来るようになった頃、既にシーズンは終わっていた。




翌シーズンのキャンプに、堂島の姿はあった。自主トレを経て、順調そのものだった。


しかし、紅白戦でのこと。


バッターボックスに立った堂島は違和感を感じた。


ピッチャーが投げたインコースの直球。


いつもならスタンドに入っている球が、キャッチャーのミットに収まっていた。


チームメイト達が動揺している。

「堂島さんどうしたんだ?絶好球だったぞ?」


しかも、身体を大きく仰け反らせていた。

(俺はどうして逃げた?当たらないコースなのに)


その日は3打数ノーヒット。


練習とはいえ酷い有様だった。




その不調はオープン戦、シーズン中も続いた。


あまりの打撃不振に打率は1割を切り、ルーキーイヤー以来の2軍落ちを経験した。


(あの一球がこんなにも尾を引くとは⋯⋯)


それでも堂島は腐らずに黙々と練習を続けた。


いつか克服出来ると信じて。




しかし、2軍のままその年のシーズンを終えた。


契約交渉時、フロントからは遠回しに、このままなら来季までだと言われた。


一方で、東海林は18勝を挙げ、最多勝利投手となった。




また年が明け、堂島は2軍スタートとなった。 それでも練習は黙々と続けた。 


ホームランを打つことは考えず、ヒッティングにシフトしたバッティングが出来るようになり、僅かながら打率も上がったが、かつての堂島はそこにはいなかった。 


もう自分を信じられるのは自分しかいなかった。


シーズンが開幕したが、堂島は相変わらず2軍。 


そこから2週間ほど経ったある日、1軍昇格を告げられた。 故障者が数名出た為の数合わせだろう。 


ただ、堂島はこれをチャンスだと思った。 


また、あの大歓声のバッターボックスで、ヒーローとして、活躍したい。


 強く、静かに、燃えていた。


堂島は大きな鞄を持ち、ドーム球場の見慣れた裏口から選手ロッカーへ向かう途中、 


「おはようございま〜す」


と、警備員に挨拶された。 


(何か随分軽い感じだな) と思いつつも、

「おはようございます」 と返し、すれ違った。 


すると、


「堂島さん、落としましたよ」


と、先程の警備員から何かを渡された。 


「⋯⋯紙?」 


その紙に目をやると、




あなたの記憶、喰います




と書かれていた。 


「(気味悪いな)俺のじゃないですよ」 と警備員に返そうとしたとき、無意識に裏面の文字が見えた。




「「目が合いましたね」」




その瞬間、警備員の声が二重に聞こえた。 一つは本人から、もう一つは、紙から。 


辺りは一気に闇となり、そこにいるのは堂島と。


貘だけだった。


貘は右手を堂島の額に翳した。

「堂島さん、喰って欲しい記憶、ありますね?」


「お前⋯⋯何言ってるんだ?」


「そのままの意味ですよ。ありますね?」 


堂島は狼狽えながらも、瞬時にデッドボールの瞬間や、怪我の休養期間のことを思い出した。


「堂島さん、それ、その記憶。やっぱりそれですよね?⋯⋯デッドボールの」


「なっ⋯⋯」

 堂島は察した。


「記憶を覗かれている」と。


「堂島さん、実は今回は僕の我儘でここにいるので、記憶を喰わない選択肢もあげます」


「我儘⋯⋯?」


「どうします?僕、ずっと手挙げてるの疲れてきちゃいました」


堂島はこれまで地道にやってきたが、以前の輝きは戻らなかった。 


自分を信じることで耐えてきた。 


でも、誰かに手を差し伸べられたとき、どうする? 


掴まなければそのまま、掴めば上がるか下がるか。


 ⋯⋯そうだ、今日はチャンスを掴む為に来た。


それならもう、一択だ。


「⋯⋯俺のデッドボールの記憶を喰ってくれ」


堂島は少し顔を伏せ、目を閉じながら言った。


「フフッ、人間ってトラウマとか消したいよね〜。分かるよ、その気持ち。いただきます」


貘は堂島の記憶へと入って行った。




貘はデッドボールの記憶に手を伸ばす。

「わぁ、痛そうだ。リスクしかないのによくやるよ」


その記憶を毟り、喰う。


「ん?トラウマって結構味が複雑でザラザラしてるんだけど⋯⋯味はともかく滑らかだなぁ。へぇ~」 


貘がその先の怪我の休養期間の記憶に目をやる。 


「堂島さん、「デッドボールの記憶を喰ってくれ」って言ってたけど、怪我の休養期間の記憶も頭に浮かんでたな。じゃあサービスだね」 


貘はその記憶も手で掴み、喰う。 


「ん〜やっぱり美味しいもんでもな⋯⋯何だ?声?」 


記憶が喉を通る度、身体の内側から声が聞こえる。 


「⋯⋯したい。⋯⋯球がしたい。⋯⋯野球がしたい。野球がしたい!野球がしたい!野球がしたい!」 


堂島の記憶の内なる叫び。 


「フフッ、正真正銘の野球バカだね、堂島さんは」 


そう言うと残りの怪我の記憶を喰った。 




「ごちそうさまでした」




貘は目を開けると、 


「堂島さん、あなたは不器用なんだね」

そう言い残し、指を鳴らした。


(いつからここにいた? 確か警備員が挨拶してきて⋯⋯) 


堂島は何かが抜けたような感覚がありながらも、そのときは分からず、ロッカーへと向かった。




着替えを済ませ、練習をしにグラウンドへ。 


ランニングやキャッチボールをし、打撃練習の為にバッターボックスに向かう。 


(ドームのバッターボックス、久しぶりだなぁ。この景色が本当に好きだ) 


軽く笑顔を滲ませ、構える。 


打撃投手が投げる。


カキィィン!!


柵越えはしなかったが、鋭い当たりが3塁線を走った。 


(うん、打撃音の響きもいい) 


チームメイトたちは釘付けとなった。

「堂島さん⋯⋯インコース打ってる」 


打撃投手の2球目。


カキィィィン!


先程より更にインコースの球をレフトのフェンスにぶつけた。 


そのとき、堂島はふと妙な感覚に襲われた。


 (俺、どうしてインコースの球打てなくなったんだ?) 


その記憶は残ったままだからこそ、分からなくなった。 




「おい、堂島、ちょっと」 


打撃コーチが呼んだ。 


「堂島、やっと克服したか!」


「⋯⋯克服、ですか?」 


コーチは顔がほころび、堂島は分かっていない。 


「何言ってんだよ、内角恐怖症だよ。イーストコメッツの東海林の速球、脇腹に食らってから変わっちまって」 


「内角恐怖症?デッドボール?」 


「何だ?人でも変わっちまったか?でもそうかもな。バッティングフォームも全盛期と遜色ないしな」


 (何言ってんだはこっちのセリフだ⋯⋯) 


コーチは、混乱する堂島の背中をポンと叩き、


「今日の試合、スタメン起用を監督に提案してくるな」 


そう言ってコーチはベンチへと下がっていった。


 (俺が打てなくなったのはデッドボールのせい?東海林の速球?見たことはあるが対戦したことは無いぞ?でも、妙にインコースの球に敏感になってた⋯⋯) 


堂島はこのモヤモヤを消せずにいた。




ベンチ奥の監督の部屋に、打撃コーチが来た。 監督の正面の椅子に座り、前のめりで、


「監督、堂島を今日のスタメンで出してみませんか?」 


少し気の入った声で言った。 


「いや、今日は昨日と同じでいく。推す理由はあるのか?」

監督は背もたれに寄りかかり、気だるそうに言った。 


「堂島の打撃練習を見たんですが、あれは内角恐怖症を克服してます。何なら、全盛期のフォームが戻ってます。これなら、またチームは強くなれます!」 


「⋯⋯いや、昨日と同じでいく」


「どうしてですか!」 コーチは立ち上がった。 


「⋯⋯フロントの意向だ。あれだけの選手に金を積むのは当たり前。でも2シーズン結果を残せないなら金食い虫だ。そして、今年が契約の最後の年。引導を渡す気だろう」 


「でも今年はまだ始まったばかりです!まだ⋯⋯まだ遅くないです!」 


「俺にも立場ってもんがあるんだ。分かってくれ」 


「⋯⋯分かりました」 


コーチは苛立ちを隠せず、部屋のドアを強く閉めて去っていった。


結局、堂島はベンチスタートとなった。




(コーチは評価してくれたけど、監督が動かなければ何も起きない、か) 


それでも堂島は、久しぶりのドームの雰囲気を満喫していた。


そのドームの観客席の最上段、ツヅリがいた。


 (ふぅ、やっと着いた⋯⋯しかし大きな箱だねぇ。こんな遊びの為に必要なのかねぇ) 


ツヅリは初めて野球観戦に来た。


途中で貘と別れ、場内をぐるぐる周り、自分の席に着くまでに1時間もかかった。


 (あいつはどこをほっつき歩いてるんだい、全く) 


すると、そこに貘がやって来た。


「いや〜お待たせ、ドームは広いねぇ」 


ツヅリが眉間に皺を寄せながら、


「あんた何だいその格好。この場に似つかわしくないよ?」 


貘は警備員の格好のままだった。 


「だってさ、自由に行き来出来るんだよ。最高〜⋯⋯そういうツヅリも、何その格好」


「これは⋯⋯皆が着ているから、ここの正装なんだろ?」 


ツヅリは髪をポニーテールのように束ね、セイカーズのユニフォームを着て、メガホンを持っていた。

ユニフォームの背面には背番号「1」、ネームは「TSUZURI」と入っていた。 


「すっかり馴染んでていいと思うよ〜」


 貘は前を向いたまま言った。 


「あんたそうやって言うときは大体嘘だって分かってるからね」 


「はいはい、あと、あまり目立たないでね〜」 


「??? どういうことだい?」 


ツヅリの完璧な応援スタイルと容姿がたまたまテレビカメラに抜かれ、SNSでちょっとした話題なったのは、この少し後だった。




セイカーズ対イーストコメッツの試合が始まった。 


イーストコメッツの先発は東海林隼人。 


今シーズンは始まったばかりだが、既に2勝を挙げ、その一つは9回完封勝利。 


日本球界の若きエースとしての地位は揺るがないものになっていた。 


(堂島さんがいる⋯⋯俺は野球を辞めようと思った。責任をとって。俺が辞めたって何もならないのは分かってた。でも、堂島さんは励ましてくれた。いいピッチャーだって言ってくれた。だから俺はここまで来れた。そして、これからも。俺は、投げる)


試合は3回表にイーストコメッツが1点先制したあとは試合は動かず、拮抗していた。 


東海林はほぼパーフェクトピッチングで0を並べていった。


 (堂島さん⋯⋯出て来てくれ⋯⋯俺ともう一度⋯⋯)


「ふあぁぁぁぁ、野球ってのはつまんないねぇ。色はそれぞれいいの持ってる奴もいればやる気ない奴もいるし⋯⋯おっ、何か甘い匂いがするな。ちょっと行ってみようかね」 


ツヅリは匂いに釣られて席を離れた。 


「迷子にならないようにね〜もう少ししたらいいもの見れると思うよ〜」 


貘には自信しか無かった。




試合が静かに動き出したのは8回裏。

それまで抑えていた東海林がヒットとフォアボールで出塁を許す。 


送りバントと内野フライで2アウト。

そのとき、ベンチが動く。 


「堂島、行くぞ」


「はっ、はい!」 


監督はただそれだけしか言わなかった。 


(堂島、残念だがフロントはお前を手放す。だがせめて、最後に因縁の相手と対峙しろ。そして⋯⋯勝ってみせろ) 


堂島はメットを被り、素振りをした。

(これは最後のチャンス。絶対に掴む!)



ウグイス嬢「セイカーズ、選手の交代をお知らせします。バッター、石井に変わりまして堂島。堂島。背番号5」


球場内は歓声よりもどよめきが強かった。 


観客「何で堂島なんだよ!石井のほうがまだ打てるぞ!」 


実況「さぁここで代打⋯⋯はぁ〜堂島ですか!」 


解説「以前のようにホームランは打てなくなりましたけど、外角の球に食らいつく泥臭いヒットなら打てますからね、ここはまず1点をということでしょう」


 実況「さぁ8回裏セイカーズの攻撃、2アウトランナー2塁3塁。イーストコメッツピッチャーは東海林隼人、今日初めて得点圏にランナーを置いています」


ツヅリ「おや、あの堂島って奴が今回の?なかなかいい男じゃないか。あんたについていけばよかったかね」 


貘「その格好じゃまず無理だね」 


ツヅリ「あんたも「ここ」では浮いてるんだよ」



堂島(東海林隼人⋯⋯間違い無くいいピッチャーだ)


東海林(やっと来た⋯⋯堂島さん!!)



実況「ピッチャー東海林、1球目投げました!」 

実況「アウトコーススライダーストライク!」 


観客「おい、今の堂島なら泥臭いヒット狙うところだろ!」

観客「だから石井のままでいいんだよ!」


ツヅリ「お、このキャラメコーン?甘じょっぱくて美味いねぇ」 


貘「楽しそうでなりよりだよ」




実況「さぁ東海林2球目、投げました!」 


東海林(しまった!また当たる!) 


堂島(うおっ!!)


堂島は間一髪かわし、大の字になった。


実況「ボールです 堂島何とかかわしました〜」


解説「2年前のデッドボールも東海林の速球でしたからね これは怖いですよ〜」 


堂島は立ち上がり、メットを被り直した。


 実況「東海林も意図しなかった様子。当ててはいませんが帽子を取って詫びています。それに応える堂島」 


東海林(堂島さんが明らかに違う⋯⋯あの時と同じ⋯⋯大きい!!)


堂島(こんな球食らったらひとたまりもないぞ⋯⋯)


実況「さぁ1ボール1ストライクの3球目!東海林⋯⋯投げました!」


東海林(堂島さん、勝負だ!!)


東海林「うおおおぉぉぉぉ!!」




堂島(インパクトの前の一瞬の静けさ。自分の鼓動の音だけが響く。そう、これだ。思い出した)




貘「⋯⋯わーお」

堂島「来た」




カキィィィィン!!!


実況「打ったあああああああああ!!レフトは一歩も下がらないいいいい!!堂島烈、確信歩き!復活の!今シーズン第1号逆転3ランホームラーーーーン!!」


球場内はチーム関係無く大歓声が上がり、堂島はゆっくりとダイヤモンドを回った。


東海林(堂島さん⋯⋯やっぱり凄ぇよ!)


実況「堂島今ホームイン!セイカーズ貴重な3点が入りました!打たれた東海林は⋯⋯笑ってますねぇ。球速は何と165km/h!自己最速のストレートでした!」


貘「僕のシナリオ通りだね」


ツヅリ「⋯⋯あんたあいつに何したんだい?」


貘「僕は依頼を遂行しただけだよ。でも、人間は面白い。想像を超える生き物だ。そう思わない?」


ツヅリ「あいつの色は元々真っ赤さ。あれだけ赤けりゃなかなか消えないよ」


貘「しかし、結果が甘い味とはねぇ(ポリポリ)」


ツヅリ「あたしのキャラメコーンだっ!!」




試合終了後、裏口から出て来た堂島。


「お疲れ様です」警備員が声をかけた。


堂島は満面の笑みで、

「おお、ありがとうな」


と、警備員の肩を嬉しそうに叩き、去って行った。


「えっ?」

警備員にはその意味が全く分からなかった。

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