ふたりが住むアジトに朝日が射し込む。
陽の光を浴び、背伸びをするツヅリ。
適当にまとめた髪、黒縁眼鏡に上下グレーのスウェット。
現代の一般女子のような格好で、この時間まで服を作っていた。
「ふぅ。やっと出来たね。ワンピースってやつ。花が所々に咲いてる模様がいいね」
ツヅリはまじまじとそれを見つめる。
「初めて仕立てたにしては、上出来じゃないかい?」
目を細め、少し笑った。
「ふあぁぁぁぁ、ツヅリおはよう。朝から元気だね」
貘がよたよたと起きてきた。
「おはよう。あんたにしちゃあ起きるのが早いんじゃないかい?」
「ん〜今日は特に何も無いからまだ寝てようかな⋯⋯」
貘は立ったまま寝始めた。
「⋯⋯相変わらず器用な奴だね」
ツヅリは貘をよそに、身支度を始めた。
「私も着てみようかね、ワンピース」
仕立てたものと別の、青空のような色のワンピースを身に纏い、鏡の前に立つ。
「いざ自分が洋服を着てみると、ぎこち無いねぇ。で、靴ってやつは⋯⋯」
靴箱にあった、ハイヒールを履いてみた。
「おっ、これは安定しないけど⋯⋯みんなこんなの普段から履くのかい?」
ツヅリは数歩歩いて、すぐに壁に手をついた。足元がふらつく。
けれど、倒れるほどじゃない。
「うん。よく分かったよ、これは“慣れ”が物を言うやつだね」
鏡に映った自分を見て、小さく首を傾げる。
「⋯⋯似合ってないとは思わないけど、“あたし”じゃない気もするねぇ」
裾をつまみ、くるりとひと回り。
動きに合わせて布がふわりと広がる。
ツヅリは少し微笑んだ。
「でも、悪くないね。洋服ってやつも」
ツヅリは仕立てたワンピースを畳み、鞄にしまった。
そのままハイヒールの不安定な足取りで玄関へ向かう。
「ちょっと行ってくるよ。たぶん夜までには帰るよ」
そして、パタンとドアが閉まる。
立ったまま寝ていた貘は、またソファに寝そべった。
新緑の季節。
春より少し暖かくなり、道端の花壇にも様々な花が咲き乱れる。
(この季節は好きだよ。今も昔もね)
そんなことを思いながら歩くツヅリ、すれ違う人たちが振り返る。
「えっ、あの人モデル?」
「めっちゃ綺麗」
(ん?何か視線を感じるねぇ)
多少の違和感を感じながらも、歩く。
すると、信号待ちしていた少年たちが、ツヅリに気づく。
「あれ、お姉さん見たことある」
ツヅリが目線を合わせて、
「おや、そうかい?でも⋯⋯あたしは坊やのこと覚えてないよ⋯⋯ごめんね」
と、少し申し訳無さそうな顔をする。
「ううん、えっとね、これ」
少年がスマホを取り出しツヅリに見せる。
「こ、これは⋯⋯」
ツヅリの顔は一気に赤くなる。
先日の野球観戦時にたまたまテレビカメラに抜かれた画像だった。
(あいつが言ってたのはこういうことか⋯⋯)
その頃、アジトで爆睡の貘。
「へくしっ!⋯⋯あれ、風邪でも引いたかなぁ⋯⋯zzz」
野球少年は無邪気に、
「お姉さん世界でめっちゃ有名人だよ!いいねも10万ついてるし、ビューも600万越えてるよ!」
ツヅリは困った顔をしながら、
「いいねとかびゅーってのはよく分からないけど⋯⋯世界に顔が知れてるってのは何だか落ち着かないねぇ⋯⋯」
少年は続けて、
「お姉さん野球好きなの?僕たち近くの公園で練習してるから、今度見に来て!」
と、ニコニコしながら言った。
「ああ、時間があるときに見させてもらうよ」ツヅリはそう言うと立ち上がり、手を振って少年たちと別れた。
(ふぅ。この時代は奇っ怪だねぇ。あんなもんで有名になっちまうなんてさ)
そんなことを考えて歩いていると、見たことの無い場所にいた。
(おや?コンビニって店を右に曲がるはずだったけど⋯⋯行き過ぎたかい?)
ツヅリは道に迷った。
ドーム球場で、自分の席にたどり着くのに1時間かかるくらいの方向音痴。
知らない場所に行ってしまったら最後、確実に路頭に迷ってしまう。
(こんなこともあろうかと、事前に行き先を書いてもらってたのさ)
ツヅリは鞄からマップル関東版と書かれた大きな地図を出した。
(確か栞を挟んだこの丁に行き先が⋯⋯全然分からん)
ツヅリは頭から煙が出るような感覚に襲われた。
マップルを開いて固まる、青空のような色のワンピースを来た美女。
そんな滑稽な姿を見かけた女子高生が恐る恐る声をかけた。
「あの⋯⋯野球観戦してた人ですよね?」
呆然としてたツヅリは我に返り、
「あ、あんたも知ってるのかい?あの坊やが言ってたのは本当なんだねぇ⋯⋯」
女子高生は笑顔になり、
「わぁ本物だ!本当にいたんだ!あまりに美人だからAI画像だって言われたりしてたんですよ?」
ツヅリは苦笑いしながら、
「まぁ美人だって言ってくれるのは有り難いけど、半分以上何言ってるか分からないねぇ⋯⋯あぁお嬢ちゃん、あたしはここに行きたいんだ。知らないかい?」
ツヅリは目的地の印がついたところを指差す。
女子高生は少し難しい顔をしながら、
「うーん、ちょっと分からないなぁ⋯⋯あ、お姉さん、スマホ持ってないんですか?」
「すまほ⋯⋯酢まほ?何かの酢漬けかい?」
女子高生は一瞬ぽかんとした顔をした。
「いや、その⋯⋯これです」
スマホの地図アプリの画面を見せる。
「あ〜この板ねぇ、さっき坊やが見せてくれた奴だ。 これがすまほって言うんだね。あたしはこれ持って無いんだ。地図はこれだけなんだよ。林檎の表紙が可愛いだろ?」
と、自慢げにマップル関東版の表紙を見せる。
(おじいちゃんの車の中にあったような⋯⋯持ち歩く人いるんだ⋯⋯)
女子高生は愛想笑いしながらも、
「あの⋯⋯良かったら案内しますよ?」と言った。
ツヅリの表情がぱあっと明るくなる。
「⋯⋯いいのかい?これは渡りに船だね。恩に着るよ!」
(言葉遣いがいちいち古いのはどうして?美人なのに⋯⋯)
そうしてツヅリと女子高生は歩き出した。
「お嬢ちゃん、同じ格好の子を何人も見かけたけど、何かあるのかい?」
ツヅリは不思議そうに聞いた。
「学校の制服です、私けっこう気に入ってるんです」
「学校の制服⋯⋯学校てのは何だい?制服ってのは決まりってことかい?」
「学校は勉強するところです。制服は学校によって違うんですけど⋯⋯お姉さん学校知らないんですか?」
ツヅリは歩く生徒たちを見ながら、
「学校⋯⋯あっ、寺子屋みたいなもんかい?」
「寺子屋⋯⋯ま、まぁそんな感じです⋯⋯」
(あれ?私タイムスリップしちゃった?寺子屋なんて歴史の授業でしか聞いたことないよ⋯⋯)
ツヅリは少し視線を落としながら、
「あたしは寺子屋に行かないことを選んだけど⋯⋯今はみんな学校に行ける時代なんだね」と、羨ましそうに言った。
女子高生は混乱しているが、この人は悪い人ではない、それだけは確信していた。
「お姉さん、いい匂いしますね」
笑みを浮かべて言うと、
「本当だね。生地の焼けるような匂いがするよ」
(違う!貴女がいい匂いなの!)
ツヅリは匂いに釣られて歩くスピードが早くなった。
「ちょっと!お姉さん!どこ行くの?」「あたしの好きなものがこの先に待ってるんだよ!」
そう言ってしばらく歩いた先には鯛焼き屋があった。「今川焼かと思ったら魚の形⋯⋯どうしてだい?」
ツヅリは無垢な瞳で店主や女子高生に尋ねる。
(何だこの美人な姉ちゃんは?そんな目で俺を見るな⋯⋯)
店主は狼狽えながらも、
「一説によると、今川焼が売れなかったから、鯛の型を使って焼いたのが始まりらしいんだ」と、答えた。
「今川焼が売れない?そんなことあるわけないだろ。でもこれも美味そうだねぇ。一つ貰ってもいいかい?」
「お姉さん、行くところあるんでしょ?早く行かなくていいんですか?」
女子高生は心配そうに言う。
「予期せぬ出会いも大事にしたいのさ、あたしは。それにお嬢ちゃんが一緒ならたどり着けそうな気がしてるのさ」
ツヅリは微笑んだ。
そんな姿を見て、店主はときめきながらツヅリに鯛焼きを渡す。
(美人は微笑んでも美人⋯⋯)
そして、ときめいたのはもう一人。
(私、この人を絶対送り届ける!)
「ありがとう。アチチ⋯⋯焼き立て美味そうだねぇ」
ツヅリが一口食べる。
「んんん~美味いねぇ!!おやっさんの鯛焼きは日本一だよ!」
満面の笑顔のツヅリ。口の横に少しあんこをつけながら。
(いかん。これは惚れる。)
店主は落ちた。
「⋯⋯姉ちゃん、良かったら何個か持って行くか?」
「いいのかい?ありがとうおやっさん。これで土産も出来たよ」
ツヅリはニコニコしながら鯛焼きを受け取り、店主に手を振りながら、
「おやっさん、今度は迷わず来てみせるよ!またね!」と、言って女子高生と去っていった。
(俺の街に女神がやって来た⋯⋯!!)