鯛焼きを手に、ツヅリと舞は並んで歩く。
さっきまでの喧騒が少し静まる。
「⋯⋯さっきからずっと“お嬢ちゃん”って呼んでるけど⋯⋯私、舞って言います。」
「あぁ、悪かったね。舞、ね。綺麗な名前だ。よし、じゃあ舞って呼ばせてもらうよ」
「うん、お願いします」
「じゃあついでに自己紹介しとこうかね。あたしはツヅリ。“縫う”って書いてツヅリって読むのさ」
「珍しい名前⋯⋯あの、服、すごく似合ってます」
「ありがと。洋服なんて初めて着たからちょっとむず痒いけどね」
鯛焼きをかじるツヅリ。
口の横には相変わらずちょっとだけあんこがつく。
「⋯⋯ツヅリさんって、変な人ですね」
「おや、いきなりだね。まあ否定はしないけどさ」
「でも、私、今日付き添って良かったなって思ってる」
「ふふ。あたしもだよ。今日は本当に運がよかった。あ、もちろん舞と仲良くなれたこともね」
「⋯⋯今日は私、学校行かなかったの」
「ほう、それはまた思い切った寄り道だねぇ」
「でもツヅリさんに会えたから、今日がちょっと特別になった。⋯⋯そういう日って、あるよね?」
「あるとも。そういう日こそ、心に縫い付けておきたいもんさ」
「⋯⋯それ、うまいこと言ったつもりでしょ」
「ばれたか」
ふたりは顔を見合わせて笑う。
歩調は自然と、ぴたりと合っていた。
しばらく歩いていると、
「多分この辺り⋯⋯あっ、あの赤い屋根の家かな?」
舞がそれらしき家を指差す。
「おっ、見覚えがあるよ⋯⋯舞のおかげで来られたよ、本当にありがとうね」
ふたりは家を見上げる。
夕日が赤い屋根に差し込んでいた。
「いえ、私も⋯⋯ツヅリさんに会えてよかった」
舞はポケットを探りながら、
「良かったら、連絡先交換しない?」
と、軽い笑みを浮かべる。
「連絡先?住所かい?」
「⋯⋯あ、いや、その⋯⋯(そういえばスマホ持って無いんだった⋯⋯)また⋯⋯会えるかな?」
ツヅリはふっと笑い、少しだけ遠くを見つめた。
「あぁ、必ず会えるよ」
一呼吸おいてから、やさしく続ける。
「縫い物と同じさ──一度、縫い合わせた縁は、そう簡単にはほどけないんだよ」
(ギャップが凄いけど、ちょっと一緒にいるだけで好きになっちゃった)
「⋯⋯じゃあ、私はこれで」
舞は名残惜しそうに頭を下げた。
「うん、またね、舞」
ツヅリも軽く手を振った。
そして、その家の玄関前へ行く。
「えっと、この箱の、これを押して⋯⋯」
ピンポーン。
しばらくして、インターホン越しに穏やかな声が返って来た。
「はーい」
「ツヅリだよ」
「あら、ツヅリちゃんね、今開けるわね」
カチャリ、と鍵が外れ、ゆっくりと扉が開く。現れたのは、60代くらいの、やや若めのおばあちゃんだった。
やわらかい笑みと、少し気品のある立ち姿。
「ツヅリちゃん、いらっしゃい」
「うん、お邪魔するよ。──この前の約束の物、持って来たんだ。あ、あと土産だよ⋯⋯」
ツヅリは鯛焼きが入った袋の中を見ると、もう1個しか無かった。
「あ、いや、これは自分のだね、ハハハ⋯⋯」(あまりに美味すぎて食べ過ぎちまったよ⋯⋯)
‐‐‐‐
ふたりの出会いは一週間前。
その日、空はどんよりと曇っていて、遠くで雷の音が小さく鳴っていた。
ツヅリは、道に迷ったついでにふらりと入った公園の片隅で、ひとりベンチに座る少女に気づいた。
制服姿、抱えたトートバッグ、膝に手を置いたまま動かない。
髪も服も少しだけ湿っていて──たぶん、ほんの少しだけ泣いていた。
ツヅリは、ためらうことなく隣に腰を下ろした。
「⋯⋯どうしたんだい、そんな顔して」
「⋯⋯べつに」
「ふぅん。じゃあ、どうしてこんなところで、こんな天気の中、ひとりなのさ」
少女は黙っていた。
でもしばらくして、ようやくぽつりとつぶやいた。
「ピアノの練習⋯⋯嫌になって、逃げてきただけ」
「ぴあの?ぴあのって何だい?」
「ピアノ知らないの?楽器だよ?⋯⋯来週、発表会があるの。なのに、うまく弾けない。衣装も決まってない。⋯⋯もう全部、嫌になった。なんでもよくなった」
ツヅリは黙って彼女の横顔を見ていた。
そして、ふっと笑って言った。
「“なんでもいい”はね、誰かの気持ちを捨てる言葉だよ」
少女ははっとして顔を上げる。
「そうだ、そのぴあの?って楽器、弾くところ見せとくれよ」
「えっ?でも⋯⋯ヒナ下手だから⋯⋯」
ヒナは上げた顔をまた俯かせた。
ツヅリはヒナの正面にしゃがみ、
「大丈夫。ヒナの心は負けてない。明るい色をしてるよ」
ツヅリはヒナの両手を取り、優しい笑顔で言った。
「本当?でも知らない人連れて行ったら怒られちゃうし⋯⋯」
「じゃあ、あたしたち今から友達だ。それでいいだろ?」
「友達⋯⋯?」
「あぁ、それなら怪しまれないだろ?」
したり顔のツヅリは立ち上がり、
「そろそろ家に帰ったほうがいいんじゃないかい?親御さんが心配してるだろうし。⋯⋯もう一回確認するけど、ぴあの、弾いてくれるかい?」
「⋯⋯うん!」
ヒナもベンチから立ち上がり、家へと向かった。
公園からはさほど遠くない場所に家はあった。
ヒナは家に入るのを少し躊躇っていた。
「どうしたんだい?」
「⋯⋯逃げ出したんだった」
「大丈夫、ちゃんと謝れば許してくれるさ」
ヒナは恐る恐る玄関のドアを開けた。
「お姉ちゃん、ちょっと待っててね」
ツヅリは後ろで小さく呟いた。
「鍵が開いてる?⋯⋯まぁそういうことだろうね」
すると、
「ヒナちゃんどこ行ってたの?いきなり飛び出して行っちゃうんだから」
祖母がリビングの方から来た。
「おばあちゃんごめんなさい⋯⋯あの、友達連れて来たの。ピアノ聴きたいって言うから」
「あら、そうなの。学校のお友達?」
「ううん。さっき公園で友達になったの」
「あら、それは良かったわね。じゃあ上がってもらって」
「うん!お姉ちゃん入っていいよ!」
ドアが開くと、そこには祖母のイメージとはかけ離れた「友達」が立っていた。
「初めまして。ヒナの友人のツヅリと申します。以後お見知り置きを」
「は、はぁ⋯⋯まぁ⋯⋯綺麗なお友達ね⋯⋯」
祖母は呆然と立ち尽くす。
それを尻目に、
「お姉ちゃん、こっちだよ!」
と、ツヅリの手を引く。
「おばあちゃん、お邪魔するよ」
ふたりはピアノのある部屋へ入っていった。
「お姉ちゃん、つづりって名前なんだね」
「自己紹介してなかったね、ごめんよ⋯⋯あ、これがぴあのって楽器かい?こんなに大きいんだねぇ」
「そうだよ、この鍵盤を指で押して弾くんだよ」
ツヅリが白鍵を指で押すと、高い音が響いた。
「うん、いい色だ。楽器は沢山の色を出せる。人間の感情の代弁者ってとこだね」
ヒナは不思議そうな顔でツヅリを見つめる。
「あ、すまないね、独り言だよ。早速弾いてもらおうかね」
「うん!」
ヒナはピアノの椅子に座り、弾き始めた。
小さな手を大きく広げ、真剣な眼差しで楽譜と鍵盤を交互に見ながら。
(うん。明るい色が更に塗り重なってくね。空気にも混ざってるよ)
ツヅリは一つ一つの色を見ながら聞いている。
演奏が終わり、
「ねぇ、どうだった?いつも間違ってたところも弾けたの!」
ヒナは嬉しそうに言った。
「私は正しい音の流れは分からないけど、いい色だったよ。特にこの辺りからが⋯⋯」
ツヅリは主旋律の一部分を弾いた。
「⋯⋯ヒナはここがいつも弾けなかったんだね。壁を越えて更に良くなった。色の力が濃くなったんだよ⋯⋯ん?どうしたんだい?おばあちゃんまで」
ヒナと、演奏に誘われ覗いていた祖母は呆気にとられた。
「⋯⋯つづりお姉ちゃんピアノ弾けるの?」
「ヒナちゃん、お友達ってピアノの先生だったの?」
ツヅリはばつが悪そうに、
「いや、ピアノ触ったのは初めてなんだけど⋯⋯たまたまだよ」
と、ごまかしたが、
「つづりお姉ちゃん凄い!私と一緒にピアノ練習しよう?」
ヒナは両手をぎゅっと握って、目を輝かせた。
「あー、いや、あたしは楽器はそんなに得意じゃなくてねぇ⋯⋯聴いてるほうが好きなんだ」
「そうなんだ⋯⋯でも、やりたくなったら一緒にやろうね!」
「うん、そうだね」
ふたりは顔を見合わせて笑った。
「ヒナちゃん、課題曲弾けるようになったのね。あとは衣装を買わないとね」
「その件なんだけど、あたしに預からせてくれないかい?」
ツヅリはやる気に満ち溢れた顔をしている。
「⋯⋯そんな、ツヅリちゃんに買わせるなんて」
「いや、あたしが仕立てるのさ」
「仕立てる?ツヅリちゃん、服を作れるの?」
「あぁ、あたしの生業なんだ」
「つづりお姉ちゃんの作った服、ヒナ着たい!」
ヒナはワクワクしている。
「そうねぇ⋯⋯それならお願いしようかしら」
「やったー!ヒナ楽しみ!」
「心象は掴んだよ。あとは針に託すだけさ。」
‐‐‐‐
「⋯⋯それにしても、一週間で作っちゃうなんて、ツヅリちゃん凄いわね。さぁ上がって」
ふたりは家の中へ入った。
「おばあちゃん、早速なんだけど、これが仕立てた服さ」
ツヅリはリビングのソファに腰を掛けて、鞄から依頼の品を取り出す。
祖母は受け取り、広げてみる。
「まぁ、花柄の可愛いワンピースね。本当にツヅリちゃんが作ったの?」
「あぁ、洋服を仕立てるのは初めてなもんだから結構苦戦しちまったよ」
すると、いいタイミングでヒナが帰って来た。
「ただいまー!あっ!つづりお姉ちゃん!服出来たの?」
「あぁ、ちょっと遅くなっちまってすまなかったね」
「ヒナちゃん、これがツヅリちゃんが作った服よ」
祖母はヒナにそのワンピースを渡した。
「わぁ〜、可愛い!ありがとう、つづりお姉ちゃん!着てみていい?」
「うん、いいよ」
ヒナはその場で着替え始めた。
「ヒナちゃん、お客さんの前ではしたないでしょ」
「だってすぐ着てみたいんだもん⋯⋯どう?似合う?」
「うん、よく似合ってるよ。寸法も丁度だねぇ」
「まぁ素敵。ヒナちゃん、よかったわね」
「うん!」
ヒナは鏡で自分の姿を見たとき、異変に気づいた。
「⋯⋯あれ、色が変わってる」
さっきは白地に花柄だったが、下地が薄いオレンジ色に変わっていた。
「その服はね、着てる人間の心の色に反応するのさ。ヒナは今嬉しいからその色なんだよ。」
「不思議ねぇ。手品みたい」
祖母は両手で口を覆って驚いている。
「凄い⋯⋯こんな服誰も持ってないし見たこともないよ!つづりお姉ちゃん、本当に貰っていいの?」
「あぁ、ヒナの為に仕立てたんだ。発表会で着てくれるかい?」
「うん!今日からずっと着る!」
「ずいぶんお気に召したようでよかったよ。仕立て屋冥利に尽きるね」
ツヅリは悪戯な笑顔を浮かべた。
「ツヅリちゃん、本当にありがとうね。これ気持ちと言ってはなんだけど⋯⋯」
祖母はポチ袋を差し出した。
「ん?いや、それは受け取れないよ。私がやりたくてやったんだ。商売しに来たんじゃないよ」
「でも⋯⋯」
「気持ちだけで大丈夫だよ⋯⋯ん?」
そのとき、ダイニングテーブルの上にあった物が目に入った。
「おばあちゃん、あれは何だい?」
「あれ?あぁ、あれはスコーンよ」
「すこーん?酢こーん?また酢漬けかい?」
祖母は苦笑いしながら、
「洋菓子よ。私が焼いたの。良かったら食べる?紅茶も入れるわね」
と、スコーンを皿に乗せツヅリに渡し、紅茶をテーブルに置いた。
(くんくん⋯⋯酢の匂いはしないな⋯⋯)
手で千切って、食べる。
「菓子と言う割にはそこまで甘くは無いな。外と中の生地の食感が違うのは面白い。そしてこの茶も合うね」
「つづりお姉ちゃん、これ塗るともっと美味しいよ!」
ヒナはクロテッドクリームとイチゴジャムを持って来た。
言われた通り、ツヅリはそれを塗って食べた。
「んんん~!何だいこれは!全然違う食べ物になったよ!美味すぎるよ!おばあちゃん、お代はスコーンでお願いするよ!」
ツヅリはまるで別人のように興奮した。
「これでいいなら持って行っていいわよ。クリームとジャムと紅茶もセットでね」
「ありがとうおばあちゃん!」
「⋯⋯つづりお姉ちゃん何で泣いてるの?」
辺りは少し暗くなり、夜を迎えようとしていた。
ツヅリは帰る準備をしながら、
「あたしはそろそろ御暇するよ。待ってる奴がいるからね。」
「あらそう。一人で帰れるの?」
「⋯⋯多分。帰れるか⋯⋯?」
ツヅリは全く自信が無かった。
実は一週間前も、知ってる道まで送ってもらっていた。
「じゃあつづりお姉ちゃん、3人で帰ろう?」
「ヒナ⋯⋯あんたはいい子だねぇ」
ツヅリは泣き真似をしながらヒナの頭を撫でた。
3人で外へ出て、歩く。
「ツヅリちゃん、今日は本当にありがとうね。ヒナちゃんがあんなに喜んでるの久しぶりに見たわ」
「お礼を言うのはこちらのほうさ。何処ぞの馬の骨の我儘に付き合ってもらったし、スコーンとも出会えたしね」
「ヒナ、発表会頑張るね!あと⋯⋯もし時間あったらつづりお姉ちゃんにも来て欲しい⋯⋯」
「確か来週末だったね⋯⋯うん、行けたら行くよ」
「わぁ!来てくれるといいなぁ〜」ヒナの服はカラフルな配色に変わった。
しばらく歩くと、向こう側にこちらを向いて立っている男が一人。
「⋯⋯ふたりとも、今日はここで大丈夫だよ、ありがとう。またね。」
「そう?分かったわ。また遊びにいらっしゃいね」
3人は笑顔で別れた。
少し離れてから、
「つづりお姉ちゃーん!またねー!」
と、ヒナが叫び、それにツヅリは手を振って応えた。
「あんたにしちゃあ珍しいね、お迎えかい?」
立っていた男は貘だった。
「いや、たまたま散歩してたら見かけたから、一緒に帰ろうかな〜って思ってさ」
「相変わらず嘘が下手だねぇ」
貘は歩きながらツヅリの全身を見る。
「あれ、ツヅリ太った?相当つまみ食いした?」
「⋯⋯そういう時だけ目を見て話すのやめろよな!あんたにはスコーンはやらない!絶っ対に!美味い鯛焼き屋も教えない!絶っ対に!!」
──ツヅリは今日も、誰かの心を縫い合わせていた。
この街に、少しずつ、色と温もりが縫い込まれていく。