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第3話 ツヅリはじめてのおつかい(後編)

鯛焼きを手に、ツヅリと舞は並んで歩く。

さっきまでの喧騒が少し静まる。


「⋯⋯さっきからずっと“お嬢ちゃん”って呼んでるけど⋯⋯私、舞って言います。」


「あぁ、悪かったね。舞、ね。綺麗な名前だ。よし、じゃあ舞って呼ばせてもらうよ」


「うん、お願いします」


「じゃあついでに自己紹介しとこうかね。あたしはツヅリ。“縫う”って書いてツヅリって読むのさ」


「珍しい名前⋯⋯あの、服、すごく似合ってます」


「ありがと。洋服なんて初めて着たからちょっとむず痒いけどね」


鯛焼きをかじるツヅリ。

口の横には相変わらずちょっとだけあんこがつく。


「⋯⋯ツヅリさんって、変な人ですね」


「おや、いきなりだね。まあ否定はしないけどさ」


「でも、私、今日付き添って良かったなって思ってる」


「ふふ。あたしもだよ。今日は本当に運がよかった。あ、もちろん舞と仲良くなれたこともね」



「⋯⋯今日は私、学校行かなかったの」


「ほう、それはまた思い切った寄り道だねぇ」


「でもツヅリさんに会えたから、今日がちょっと特別になった。⋯⋯そういう日って、あるよね?」


「あるとも。そういう日こそ、心に縫い付けておきたいもんさ」


「⋯⋯それ、うまいこと言ったつもりでしょ」


「ばれたか」


ふたりは顔を見合わせて笑う。

歩調は自然と、ぴたりと合っていた。




しばらく歩いていると、


「多分この辺り⋯⋯あっ、あの赤い屋根の家かな?」

舞がそれらしき家を指差す。


「おっ、見覚えがあるよ⋯⋯舞のおかげで来られたよ、本当にありがとうね」


ふたりは家を見上げる。

夕日が赤い屋根に差し込んでいた。


「いえ、私も⋯⋯ツヅリさんに会えてよかった」


舞はポケットを探りながら、

「良かったら、連絡先交換しない?」

と、軽い笑みを浮かべる。


「連絡先?住所かい?」


「⋯⋯あ、いや、その⋯⋯(そういえばスマホ持って無いんだった⋯⋯)また⋯⋯会えるかな?」


ツヅリはふっと笑い、少しだけ遠くを見つめた。


「あぁ、必ず会えるよ」


一呼吸おいてから、やさしく続ける。


「縫い物と同じさ──一度、縫い合わせた縁は、そう簡単にはほどけないんだよ」


(ギャップが凄いけど、ちょっと一緒にいるだけで好きになっちゃった)

「⋯⋯じゃあ、私はこれで」

舞は名残惜しそうに頭を下げた。


「うん、またね、舞」

ツヅリも軽く手を振った。


そして、その家の玄関前へ行く。




「えっと、この箱の、これを押して⋯⋯」

ピンポーン。


しばらくして、インターホン越しに穏やかな声が返って来た。


「はーい」

「ツヅリだよ」

「あら、ツヅリちゃんね、今開けるわね」


カチャリ、と鍵が外れ、ゆっくりと扉が開く。現れたのは、60代くらいの、やや若めのおばあちゃんだった。

やわらかい笑みと、少し気品のある立ち姿。


「ツヅリちゃん、いらっしゃい」


「うん、お邪魔するよ。──この前の約束の物、持って来たんだ。あ、あと土産だよ⋯⋯」


ツヅリは鯛焼きが入った袋の中を見ると、もう1個しか無かった。

「あ、いや、これは自分のだね、ハハハ⋯⋯」(あまりに美味すぎて食べ過ぎちまったよ⋯⋯)




‐‐‐‐




ふたりの出会いは一週間前。


その日、空はどんよりと曇っていて、遠くで雷の音が小さく鳴っていた。


ツヅリは、道に迷ったついでにふらりと入った公園の片隅で、ひとりベンチに座る少女に気づいた。


制服姿、抱えたトートバッグ、膝に手を置いたまま動かない。

髪も服も少しだけ湿っていて──たぶん、ほんの少しだけ泣いていた。


ツヅリは、ためらうことなく隣に腰を下ろした。


「⋯⋯どうしたんだい、そんな顔して」


「⋯⋯べつに」


「ふぅん。じゃあ、どうしてこんなところで、こんな天気の中、ひとりなのさ」


少女は黙っていた。

でもしばらくして、ようやくぽつりとつぶやいた。


「ピアノの練習⋯⋯嫌になって、逃げてきただけ」


「ぴあの?ぴあのって何だい?」


「ピアノ知らないの?楽器だよ?⋯⋯来週、発表会があるの。なのに、うまく弾けない。衣装も決まってない。⋯⋯もう全部、嫌になった。なんでもよくなった」


ツヅリは黙って彼女の横顔を見ていた。

そして、ふっと笑って言った。




「“なんでもいい”はね、誰かの気持ちを捨てる言葉だよ」




少女ははっとして顔を上げる。


「そうだ、そのぴあの?って楽器、弾くところ見せとくれよ」


「えっ?でも⋯⋯ヒナ下手だから⋯⋯」


ヒナは上げた顔をまた俯かせた。


ツヅリはヒナの正面にしゃがみ、

「大丈夫。ヒナの心は負けてない。明るい色をしてるよ」


ツヅリはヒナの両手を取り、優しい笑顔で言った。


「本当?でも知らない人連れて行ったら怒られちゃうし⋯⋯」


「じゃあ、あたしたち今から友達だ。それでいいだろ?」


「友達⋯⋯?」


「あぁ、それなら怪しまれないだろ?」


したり顔のツヅリは立ち上がり、

「そろそろ家に帰ったほうがいいんじゃないかい?親御さんが心配してるだろうし。⋯⋯もう一回確認するけど、ぴあの、弾いてくれるかい?」


「⋯⋯うん!」


ヒナもベンチから立ち上がり、家へと向かった。




公園からはさほど遠くない場所に家はあった。

ヒナは家に入るのを少し躊躇っていた。


「どうしたんだい?」


「⋯⋯逃げ出したんだった」


「大丈夫、ちゃんと謝れば許してくれるさ」


ヒナは恐る恐る玄関のドアを開けた。

「お姉ちゃん、ちょっと待っててね」


ツヅリは後ろで小さく呟いた。

「鍵が開いてる?⋯⋯まぁそういうことだろうね」


すると、


「ヒナちゃんどこ行ってたの?いきなり飛び出して行っちゃうんだから」


祖母がリビングの方から来た。


「おばあちゃんごめんなさい⋯⋯あの、友達連れて来たの。ピアノ聴きたいって言うから」


「あら、そうなの。学校のお友達?」


「ううん。さっき公園で友達になったの」


「あら、それは良かったわね。じゃあ上がってもらって」


「うん!お姉ちゃん入っていいよ!」


ドアが開くと、そこには祖母のイメージとはかけ離れた「友達」が立っていた。


「初めまして。ヒナの友人のツヅリと申します。以後お見知り置きを」


「は、はぁ⋯⋯まぁ⋯⋯綺麗なお友達ね⋯⋯」


祖母は呆然と立ち尽くす。


それを尻目に、

「お姉ちゃん、こっちだよ!」

と、ツヅリの手を引く。


「おばあちゃん、お邪魔するよ」

ふたりはピアノのある部屋へ入っていった。




「お姉ちゃん、つづりって名前なんだね」

「自己紹介してなかったね、ごめんよ⋯⋯あ、これがぴあのって楽器かい?こんなに大きいんだねぇ」


「そうだよ、この鍵盤を指で押して弾くんだよ」


ツヅリが白鍵を指で押すと、高い音が響いた。


「うん、いい色だ。楽器は沢山の色を出せる。人間の感情の代弁者ってとこだね」


ヒナは不思議そうな顔でツヅリを見つめる。


「あ、すまないね、独り言だよ。早速弾いてもらおうかね」


「うん!」


ヒナはピアノの椅子に座り、弾き始めた。


小さな手を大きく広げ、真剣な眼差しで楽譜と鍵盤を交互に見ながら。


(うん。明るい色が更に塗り重なってくね。空気にも混ざってるよ)


ツヅリは一つ一つの色を見ながら聞いている。


演奏が終わり、

「ねぇ、どうだった?いつも間違ってたところも弾けたの!」

ヒナは嬉しそうに言った。


「私は正しい音の流れは分からないけど、いい色だったよ。特にこの辺りからが⋯⋯」


ツヅリは主旋律の一部分を弾いた。


「⋯⋯ヒナはここがいつも弾けなかったんだね。壁を越えて更に良くなった。色の力が濃くなったんだよ⋯⋯ん?どうしたんだい?おばあちゃんまで」


ヒナと、演奏に誘われ覗いていた祖母は呆気にとられた。


「⋯⋯つづりお姉ちゃんピアノ弾けるの?」


「ヒナちゃん、お友達ってピアノの先生だったの?」


ツヅリはばつが悪そうに、

「いや、ピアノ触ったのは初めてなんだけど⋯⋯たまたまだよ」


と、ごまかしたが、


「つづりお姉ちゃん凄い!私と一緒にピアノ練習しよう?」

ヒナは両手をぎゅっと握って、目を輝かせた。


「あー、いや、あたしは楽器はそんなに得意じゃなくてねぇ⋯⋯聴いてるほうが好きなんだ」


「そうなんだ⋯⋯でも、やりたくなったら一緒にやろうね!」


「うん、そうだね」

ふたりは顔を見合わせて笑った。


「ヒナちゃん、課題曲弾けるようになったのね。あとは衣装を買わないとね」


「その件なんだけど、あたしに預からせてくれないかい?」

ツヅリはやる気に満ち溢れた顔をしている。


「⋯⋯そんな、ツヅリちゃんに買わせるなんて」


「いや、あたしが仕立てるのさ」


「仕立てる?ツヅリちゃん、服を作れるの?」


「あぁ、あたしの生業なんだ」


「つづりお姉ちゃんの作った服、ヒナ着たい!」

ヒナはワクワクしている。


「そうねぇ⋯⋯それならお願いしようかしら」


「やったー!ヒナ楽しみ!」


「心象は掴んだよ。あとは針に託すだけさ。」




‐‐‐‐




「⋯⋯それにしても、一週間で作っちゃうなんて、ツヅリちゃん凄いわね。さぁ上がって」

ふたりは家の中へ入った。


「おばあちゃん、早速なんだけど、これが仕立てた服さ」


ツヅリはリビングのソファに腰を掛けて、鞄から依頼の品を取り出す。

祖母は受け取り、広げてみる。


「まぁ、花柄の可愛いワンピースね。本当にツヅリちゃんが作ったの?」


「あぁ、洋服を仕立てるのは初めてなもんだから結構苦戦しちまったよ」


すると、いいタイミングでヒナが帰って来た。


「ただいまー!あっ!つづりお姉ちゃん!服出来たの?」


「あぁ、ちょっと遅くなっちまってすまなかったね」


「ヒナちゃん、これがツヅリちゃんが作った服よ」


祖母はヒナにそのワンピースを渡した。


「わぁ〜、可愛い!ありがとう、つづりお姉ちゃん!着てみていい?」


「うん、いいよ」


ヒナはその場で着替え始めた。


「ヒナちゃん、お客さんの前ではしたないでしょ」


「だってすぐ着てみたいんだもん⋯⋯どう?似合う?」


「うん、よく似合ってるよ。寸法も丁度だねぇ」


「まぁ素敵。ヒナちゃん、よかったわね」


「うん!」


ヒナは鏡で自分の姿を見たとき、異変に気づいた。


「⋯⋯あれ、色が変わってる」


さっきは白地に花柄だったが、下地が薄いオレンジ色に変わっていた。


「その服はね、着てる人間の心の色に反応するのさ。ヒナは今嬉しいからその色なんだよ。」


「不思議ねぇ。手品みたい」

祖母は両手で口を覆って驚いている。


「凄い⋯⋯こんな服誰も持ってないし見たこともないよ!つづりお姉ちゃん、本当に貰っていいの?」


「あぁ、ヒナの為に仕立てたんだ。発表会で着てくれるかい?」


「うん!今日からずっと着る!」


「ずいぶんお気に召したようでよかったよ。仕立て屋冥利に尽きるね」


ツヅリは悪戯な笑顔を浮かべた。



「ツヅリちゃん、本当にありがとうね。これ気持ちと言ってはなんだけど⋯⋯」


祖母はポチ袋を差し出した。


「ん?いや、それは受け取れないよ。私がやりたくてやったんだ。商売しに来たんじゃないよ」


「でも⋯⋯」


「気持ちだけで大丈夫だよ⋯⋯ん?」


そのとき、ダイニングテーブルの上にあった物が目に入った。


「おばあちゃん、あれは何だい?」


「あれ?あぁ、あれはスコーンよ」


「すこーん?酢こーん?また酢漬けかい?」


祖母は苦笑いしながら、

「洋菓子よ。私が焼いたの。良かったら食べる?紅茶も入れるわね」


と、スコーンを皿に乗せツヅリに渡し、紅茶をテーブルに置いた。


(くんくん⋯⋯酢の匂いはしないな⋯⋯)


手で千切って、食べる。


「菓子と言う割にはそこまで甘くは無いな。外と中の生地の食感が違うのは面白い。そしてこの茶も合うね」


「つづりお姉ちゃん、これ塗るともっと美味しいよ!」


ヒナはクロテッドクリームとイチゴジャムを持って来た。

言われた通り、ツヅリはそれを塗って食べた。


「んんん~!何だいこれは!全然違う食べ物になったよ!美味すぎるよ!おばあちゃん、お代はスコーンでお願いするよ!」


ツヅリはまるで別人のように興奮した。


「これでいいなら持って行っていいわよ。クリームとジャムと紅茶もセットでね」


「ありがとうおばあちゃん!」


「⋯⋯つづりお姉ちゃん何で泣いてるの?」


辺りは少し暗くなり、夜を迎えようとしていた。




ツヅリは帰る準備をしながら、

「あたしはそろそろ御暇するよ。待ってる奴がいるからね。」


「あらそう。一人で帰れるの?」


「⋯⋯多分。帰れるか⋯⋯?」


ツヅリは全く自信が無かった。


実は一週間前も、知ってる道まで送ってもらっていた。


「じゃあつづりお姉ちゃん、3人で帰ろう?」


「ヒナ⋯⋯あんたはいい子だねぇ」

ツヅリは泣き真似をしながらヒナの頭を撫でた。


3人で外へ出て、歩く。


「ツヅリちゃん、今日は本当にありがとうね。ヒナちゃんがあんなに喜んでるの久しぶりに見たわ」


「お礼を言うのはこちらのほうさ。何処ぞの馬の骨の我儘に付き合ってもらったし、スコーンとも出会えたしね」


「ヒナ、発表会頑張るね!あと⋯⋯もし時間あったらつづりお姉ちゃんにも来て欲しい⋯⋯」


「確か来週末だったね⋯⋯うん、行けたら行くよ」


「わぁ!来てくれるといいなぁ〜」ヒナの服はカラフルな配色に変わった。


しばらく歩くと、向こう側にこちらを向いて立っている男が一人。


「⋯⋯ふたりとも、今日はここで大丈夫だよ、ありがとう。またね。」


「そう?分かったわ。また遊びにいらっしゃいね」


3人は笑顔で別れた。


少し離れてから、


「つづりお姉ちゃーん!またねー!」

と、ヒナが叫び、それにツヅリは手を振って応えた。




「あんたにしちゃあ珍しいね、お迎えかい?」


立っていた男は貘だった。


「いや、たまたま散歩してたら見かけたから、一緒に帰ろうかな〜って思ってさ」


「相変わらず嘘が下手だねぇ」


貘は歩きながらツヅリの全身を見る。


「あれ、ツヅリ太った?相当つまみ食いした?」


「⋯⋯そういう時だけ目を見て話すのやめろよな!あんたにはスコーンはやらない!絶っ対に!美味い鯛焼き屋も教えない!絶っ対に!!」



──ツヅリは今日も、誰かの心を縫い合わせていた。



この街に、少しずつ、色と温もりが縫い込まれていく。


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