「ただいま」
貘がアジトに帰って来た。
靴を脱ぎ、真っ先にソファへと横たわる。
ツヅリはいつものラフな姿で縫い物をしながら、横目で貘を見た。
「どうしたんだい?浮かない顔して。あんたでもそんな顔するんだね」
「ん〜、人間ってよく分かんないなって思って」
貘は仰向けになり、天井を見ている。
「この前は面白いって言ってたじゃないか」
ツヅリの手は止まらない。
話よりも縫い物に集中している。
「面白いのは間違い無いけど⋯⋯」
「何だい、記憶を喰うのが嫌になったのかい?」
茶化すように言うツヅリ。
「記憶を見て喰って、その人を分かった気でいても、結果はズレるんだ」
「そりゃあ、『世の中そんなに甘くない』ってもんさ」
それから会話が無くなった。
貘は眠りについていた。
「⋯⋯あたしもそろそろ切り上げて寝ようかね」
ツヅリはリビングの電気を消して、自室へと入っていった。
翌朝。
目覚めたツヅリが自室のカーテンを開けると、外は雨が降っていた。
関東地方は梅雨入りが発表されていた。
「この時期は布にとっちゃ厄介なんだよねぇ。それに湿毒にも気をつけないと」
ツヅリがリビングに行くと、ソファで寝ていた貘の姿は無かった。
「⋯⋯あいつなりに思うところがあるんだろ」
そう言ってツヅリは紅茶を淹れた。
人々が激流を作る時間。
貘は傘を差し、それを眺めていた。
「こーんなに人がいて、それぞれに記憶があって。その数だけ正解不正解があって。それでも生きていく」
雑多な世界。
貘はその流れの記憶を、漠然と眺めていた。
人は川。
記憶は雨。
どれだけすくっても、手のひらからこぼれ落ちる。
それでも人は、手を伸ばす。
溺れかけながら、なお、過去にしがみつく。
「⋯⋯僕は分からない」
誰に向けるでもなく、ぽつりと落ちた言葉。
人は、なぜそこまで──記憶に縛られるのか。まるで誰かに問いかけているようで、けれど誰にも届かないまま、その言葉は雨に紛れて消えていった。
ツヅリは昼前にアジトを出た。
傘を差し、水溜まりを避けながら歩いていた。
「あいつにお使い頼めばよかったかね⋯⋯いや、下手に刺激しないほうがいいか」
ツヅリは除湿剤が欲しかったが、何処に売っているか分からない。
でも、このタイミングで貘に頼むのはデリカシーが無いと思い、とりあえず外に出た。
「誰か知り合いがいるといいんだけどねぇ⋯⋯」
ツヅリが周りをキョロキョロ見回していると、奇跡が起きた。
「あっ⋯⋯舞だ!おーい、舞ー!」
ツヅリは大きく手を振った。
舞もそれに気づき、小走りでやって来た。
「ツヅリさん!また会えたね!」
舞は嬉しそうにはにかんだ。
「な?だから言ったろう?必ず会えるって」
「⋯⋯ツヅリさん、ドヤ顔してるけど⋯⋯また道に迷ったんでしょ?」
ツヅリはギクッとして、
「まぁその⋯⋯湿気を無くす薬剤みたいなものがあるって聞いて、それを買いたかったんだ。でも何処に売ってるか分からなくてねぇ」
「それなのに歩き回っていると。無謀と挑戦は紙一重ですね」
「ま、まぁそうだね⋯⋯」
「しょうがない、私がドラッグストアまで案内しますよ」
「舞、ありがとう〜。奇跡を信じて正解だったよ」
(そんな低い確率に賭けてたの?⋯⋯でもツヅリさんならそんなのも関係無さそう)
ツヅリはドラッグストアで除湿剤を数個購入した。
「舞、ありがとうね。おかげで欲しい物が買えたよ」
「いえ⋯⋯代わりにと言ってはなんですけど、ちょっと付き合ってほしいところがあって」
「ああ、時間もあるから大丈夫だよ」
「本当?じゃあ行きましょ!」
ふたりは並んで歩き始めた。
しばらく歩くと、お洒落なカフェに着いた。
「ここです。前から来てみたくて」
「何の店なんだい?」
ツヅリは店内を覗く。
「カフェです。ここに美味しいパンケーキがあるってSNSで見たんです」
「かふぇ⋯⋯ぱんけーき⋯⋯えすえぬえす?よく分からないけど、美味い物があるんだね」
「はい、じゃあ入りましょう」
ふたりは傘を畳み、店内へ入った。
客層は若い女性が多く、しきりにスマホで写真を撮る人が多かった。
「みんなスマホで何してるんだい?まじまじと見て嬉しそうだけど」
「あれは写真を撮ってるんです。SNSに乗せる人もたくさんいますよ」
「しゃしん⋯⋯前にあたしの姿が写ってたようなやつかい?」
「そうです。ツヅリさんのはキャプチャ画像なので、ちょっと違いますけど」
「⋯⋯よく分からないけど、要は思い出として取っておくのかい?」
「そうそう!そういう人もたくさんいますよ」
「じゃあ、思い出を目に見える形にするのが、今の流儀かい?」
「そうですね。でも、撮ったあとあんまり見返さない人も多いですよ」
「⋯⋯なんだい、それじゃ記憶とは違うね。でも、人は忘れることが怖い生き物だからね」
「そうですね⋯⋯あ、何食べるか決めましょう?」
舞はメニューを広げ、ツヅリに見せた。
「う〜ん、どれも美味そうだねぇ」
ツヅリはニヤニヤしながら品定めをしている。(そう、このギャップ!たまらん!)
「ん?舞、あたしの顔に何かついてるかい?」
「え?あ、いや、その、私はイチゴとブルーベリーソースのやつにしようかな〜」
舞は誤魔化すようにメニューに目をやった。
「あたしはこれにしようかね。キャラメコーンの味に似てそうだしね」
ツヅリは塩キャラメルソースのパンケーキを指差す。
「キャラメコーン?何ですかそれ」
「野球を観に行ったときに食べたんだ。白くて小さくてふわふわして、たまに歯ごたえがあるやつ」
「⋯⋯もしかして塩キャラメルポップコーンですか?こういうやつ!」
舞はスマホで検索した画像をツヅリに見せた。
「あぁ、それだよ!甘じょっぱくて美味かったんだ」
「それで塩キャラメルが好きになったんですね」
「あぁ、昔はこんな菓子無かったからねぇ。いい時代になったよ」
(出た!昔の人ムーブ!本当にタイムスリップしてきたのかも⋯⋯)
「すみません、注文お願いします」
舞が店員を呼んだ。
「はい、お決まりですか?あ、SNSでバズってた人ですよね?本物だぁ〜!きれ〜い」
「あ、ありがとね⋯⋯」
ツヅリは瞬時に色を感じ取った。
(この子、澱んでるね⋯⋯気づいてほしいのかい?)
「⋯⋯ツヅリさん?どうしました?」
舞がツヅリの表情を見て声をかけた。
「いや、何でも無いよ、ちょっと考え事をね」ツヅリはばつが悪そうに笑った。
「そうですか⋯⋯えっと、このイチゴとブルーベリーソースのと、塩キャラメルのをお願いします」
「かしこまりました、少々お時間かかりますのでご了承ください。お姉さん、ごゆっくり」
そう言って、店員は厨房へ向かった。
ツヅリは辺りを見回し、他の客の色を見た。
(それなりに良くない色もある。でもそれは普段生活していたら当たり前のこと。でもあの子は何かを抱えてる)
「ツヅリさん、今日何か変ですよ?」
「⋯⋯そうかい?こんな所初めてだから色々気になっちゃってね、ハハハ」
しばらくすると、それぞれのパンケーキが運ばれて来た。
「ん〜いい匂いだ。あれ、これどうやって食べるんだい?」
「フォークを右手、ナイフを左手で持って、こうやって切って食べるんですよ」
舞は実演して見せて、一口食べた。
「う〜ん、美味しい!」
「そうやって食べるんだね⋯⋯」
キィィィ〜ッ。
「ひっ!」
店内に嫌な音が響き、客がこちらを見る。
ツヅリも思わず声が出た。
「⋯⋯背筋がゾクッとする音だね。薄気味悪い色も出てた」
「ツヅリさん、ナイフをお皿にあてすぎなんです。このパンケーキは柔らかいから、フォークだけでも切れますよ。こうやって⋯⋯」
「何だい、その方法があるなら最初から教えとくれよ⋯⋯こうやって⋯⋯っと」
ツヅリは何とかフォークでパンケーキを切り、食べる。
「ん~~〜!美味いねぇ!!あっという間にパンケーキが無くなっちまったよ!歯がいらないねぇ」
(口の横にソースついてるの可愛すぎる!)
(はっ!つい美味すぎて忘れるところだった。あの子⋯⋯人間関係の色かね)
ふたりはワイワイ言い合いながら、その時間を楽しんだ。
「あっ、もうこんな時間。そろそろ行かなきゃ」
「おや、予定があるのかい?」
「いえ、家に帰らないといけなくて」
「そうかい、じゃあまた今度だね」
舞が立ち上がり、おもむろに紙ナプキンを手に取る。
それをツヅリの口元に。
「⋯⋯いつも口の端についてます」
舞は頬を赤くして、目を細めた。
「あ、ありがとう⋯⋯」
ツヅリはぽかんとした。
「じゃあツヅリさん、また街の何処かで!」
「うん、またね」
舞は傘を差し、小走りで去って行った。
(何やってんだろ私!恥ずかしい〜)
(舞は可愛いね。去り際はぽっと色が溢れてた。でもあの子の色は、誰かに気づいてほしがってる。気づかないフリも、時には優しさになる。でも、これは⋯⋯どうだろうねぇ)
ツヅリは悩んだが、店員に声をかけることにした。
「なぁあんた、人間関係に悩んでないかい?」
「えっ?どうして分かるんですか?」
不躾な質問だが、的を射ていたようで、瞬時に反応していた。
「まぁその⋯⋯何となくね。お節介かもしれないけど、話を聞きたくてね。仕事は何時くらいに終わるんだい?」
「えっと⋯⋯もうちょっとで終わります」
「そうかい。じゃああたしはそこの公園の東屋にいるから、気が向いたらそこへおいで」
「はぁ、わかりました⋯⋯」
(占い師か何かなのかな?でも悪い人じゃ無さそうだし⋯⋯)
そう伝えるとツヅリは店を出て、傘を差して公園へと向かった。