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第5話 誤算(前編)

「ただいま」


貘がアジトに帰って来た。

靴を脱ぎ、真っ先にソファへと横たわる。 


ツヅリはいつものラフな姿で縫い物をしながら、横目で貘を見た。


「どうしたんだい?浮かない顔して。あんたでもそんな顔するんだね」


「ん〜、人間ってよく分かんないなって思って」 


貘は仰向けになり、天井を見ている。


「この前は面白いって言ってたじゃないか」 

ツヅリの手は止まらない。

話よりも縫い物に集中している。


「面白いのは間違い無いけど⋯⋯」


「何だい、記憶を喰うのが嫌になったのかい?」

 茶化すように言うツヅリ。


「記憶を見て喰って、その人を分かった気でいても、結果はズレるんだ」


「そりゃあ、『世の中そんなに甘くない』ってもんさ」


それから会話が無くなった。

貘は眠りについていた。


「⋯⋯あたしもそろそろ切り上げて寝ようかね」

ツヅリはリビングの電気を消して、自室へと入っていった。





翌朝。


目覚めたツヅリが自室のカーテンを開けると、外は雨が降っていた。

関東地方は梅雨入りが発表されていた。


「この時期は布にとっちゃ厄介なんだよねぇ。それに湿毒にも気をつけないと」


ツヅリがリビングに行くと、ソファで寝ていた貘の姿は無かった。


「⋯⋯あいつなりに思うところがあるんだろ」


そう言ってツヅリは紅茶を淹れた。





人々が激流を作る時間。

貘は傘を差し、それを眺めていた。


「こーんなに人がいて、それぞれに記憶があって。その数だけ正解不正解があって。それでも生きていく」


雑多な世界。

貘はその流れの記憶を、漠然と眺めていた。


人は川。

記憶は雨。

どれだけすくっても、手のひらからこぼれ落ちる。


それでも人は、手を伸ばす。

溺れかけながら、なお、過去にしがみつく。


「⋯⋯僕は分からない」


誰に向けるでもなく、ぽつりと落ちた言葉。


人は、なぜそこまで──記憶に縛られるのか。まるで誰かに問いかけているようで、けれど誰にも届かないまま、その言葉は雨に紛れて消えていった。





ツヅリは昼前にアジトを出た。

傘を差し、水溜まりを避けながら歩いていた。


「あいつにお使い頼めばよかったかね⋯⋯いや、下手に刺激しないほうがいいか」


ツヅリは除湿剤が欲しかったが、何処に売っているか分からない。

でも、このタイミングで貘に頼むのはデリカシーが無いと思い、とりあえず外に出た。


「誰か知り合いがいるといいんだけどねぇ⋯⋯」

ツヅリが周りをキョロキョロ見回していると、奇跡が起きた。


「あっ⋯⋯舞だ!おーい、舞ー!」

ツヅリは大きく手を振った。


舞もそれに気づき、小走りでやって来た。


「ツヅリさん!また会えたね!」


舞は嬉しそうにはにかんだ。


「な?だから言ったろう?必ず会えるって」


「⋯⋯ツヅリさん、ドヤ顔してるけど⋯⋯また道に迷ったんでしょ?」


ツヅリはギクッとして、

「まぁその⋯⋯湿気を無くす薬剤みたいなものがあるって聞いて、それを買いたかったんだ。でも何処に売ってるか分からなくてねぇ」


「それなのに歩き回っていると。無謀と挑戦は紙一重ですね」


「ま、まぁそうだね⋯⋯」


「しょうがない、私がドラッグストアまで案内しますよ」


「舞、ありがとう〜。奇跡を信じて正解だったよ」


(そんな低い確率に賭けてたの?⋯⋯でもツヅリさんならそんなのも関係無さそう)




ツヅリはドラッグストアで除湿剤を数個購入した。


「舞、ありがとうね。おかげで欲しい物が買えたよ」


「いえ⋯⋯代わりにと言ってはなんですけど、ちょっと付き合ってほしいところがあって」


「ああ、時間もあるから大丈夫だよ」


「本当?じゃあ行きましょ!」


ふたりは並んで歩き始めた。




しばらく歩くと、お洒落なカフェに着いた。


「ここです。前から来てみたくて」


「何の店なんだい?」


ツヅリは店内を覗く。


「カフェです。ここに美味しいパンケーキがあるってSNSで見たんです」


「かふぇ⋯⋯ぱんけーき⋯⋯えすえぬえす?よく分からないけど、美味い物があるんだね」


「はい、じゃあ入りましょう」


ふたりは傘を畳み、店内へ入った。

客層は若い女性が多く、しきりにスマホで写真を撮る人が多かった。


「みんなスマホで何してるんだい?まじまじと見て嬉しそうだけど」


「あれは写真を撮ってるんです。SNSに乗せる人もたくさんいますよ」


「しゃしん⋯⋯前にあたしの姿が写ってたようなやつかい?」


「そうです。ツヅリさんのはキャプチャ画像なので、ちょっと違いますけど」


「⋯⋯よく分からないけど、要は思い出として取っておくのかい?」


「そうそう!そういう人もたくさんいますよ」


「じゃあ、思い出を目に見える形にするのが、今の流儀かい?」


「そうですね。でも、撮ったあとあんまり見返さない人も多いですよ」


「⋯⋯なんだい、それじゃ記憶とは違うね。でも、人は忘れることが怖い生き物だからね」


「そうですね⋯⋯あ、何食べるか決めましょう?」


舞はメニューを広げ、ツヅリに見せた。


「う〜ん、どれも美味そうだねぇ」


ツヅリはニヤニヤしながら品定めをしている。(そう、このギャップ!たまらん!)


「ん?舞、あたしの顔に何かついてるかい?」


「え?あ、いや、その、私はイチゴとブルーベリーソースのやつにしようかな〜」

舞は誤魔化すようにメニューに目をやった。


「あたしはこれにしようかね。キャラメコーンの味に似てそうだしね」


ツヅリは塩キャラメルソースのパンケーキを指差す。


「キャラメコーン?何ですかそれ」


「野球を観に行ったときに食べたんだ。白くて小さくてふわふわして、たまに歯ごたえがあるやつ」


「⋯⋯もしかして塩キャラメルポップコーンですか?こういうやつ!」


舞はスマホで検索した画像をツヅリに見せた。


「あぁ、それだよ!甘じょっぱくて美味かったんだ」


「それで塩キャラメルが好きになったんですね」


「あぁ、昔はこんな菓子無かったからねぇ。いい時代になったよ」

(出た!昔の人ムーブ!本当にタイムスリップしてきたのかも⋯⋯)


「すみません、注文お願いします」

舞が店員を呼んだ。


「はい、お決まりですか?あ、SNSでバズってた人ですよね?本物だぁ〜!きれ〜い」


「あ、ありがとね⋯⋯」


ツヅリは瞬時に色を感じ取った。

(この子、澱んでるね⋯⋯気づいてほしいのかい?)


「⋯⋯ツヅリさん?どうしました?」

舞がツヅリの表情を見て声をかけた。


「いや、何でも無いよ、ちょっと考え事をね」ツヅリはばつが悪そうに笑った。


「そうですか⋯⋯えっと、このイチゴとブルーベリーソースのと、塩キャラメルのをお願いします」


「かしこまりました、少々お時間かかりますのでご了承ください。お姉さん、ごゆっくり」


そう言って、店員は厨房へ向かった。


ツヅリは辺りを見回し、他の客の色を見た。


(それなりに良くない色もある。でもそれは普段生活していたら当たり前のこと。でもあの子は何かを抱えてる)


「ツヅリさん、今日何か変ですよ?」


「⋯⋯そうかい?こんな所初めてだから色々気になっちゃってね、ハハハ」


しばらくすると、それぞれのパンケーキが運ばれて来た。


「ん〜いい匂いだ。あれ、これどうやって食べるんだい?」


「フォークを右手、ナイフを左手で持って、こうやって切って食べるんですよ」


舞は実演して見せて、一口食べた。

「う〜ん、美味しい!」


「そうやって食べるんだね⋯⋯」


キィィィ〜ッ。

「ひっ!」


店内に嫌な音が響き、客がこちらを見る。

ツヅリも思わず声が出た。


「⋯⋯背筋がゾクッとする音だね。薄気味悪い色も出てた」


「ツヅリさん、ナイフをお皿にあてすぎなんです。このパンケーキは柔らかいから、フォークだけでも切れますよ。こうやって⋯⋯」


「何だい、その方法があるなら最初から教えとくれよ⋯⋯こうやって⋯⋯っと」


ツヅリは何とかフォークでパンケーキを切り、食べる。


「ん~~〜!美味いねぇ!!あっという間にパンケーキが無くなっちまったよ!歯がいらないねぇ」

(口の横にソースついてるの可愛すぎる!)


(はっ!つい美味すぎて忘れるところだった。あの子⋯⋯人間関係の色かね)


ふたりはワイワイ言い合いながら、その時間を楽しんだ。


「あっ、もうこんな時間。そろそろ行かなきゃ」


「おや、予定があるのかい?」


「いえ、家に帰らないといけなくて」


「そうかい、じゃあまた今度だね」


舞が立ち上がり、おもむろに紙ナプキンを手に取る。

それをツヅリの口元に。




「⋯⋯いつも口の端についてます」




舞は頬を赤くして、目を細めた。


「あ、ありがとう⋯⋯」

ツヅリはぽかんとした。


「じゃあツヅリさん、また街の何処かで!」


「うん、またね」


舞は傘を差し、小走りで去って行った。

(何やってんだろ私!恥ずかしい〜)


(舞は可愛いね。去り際はぽっと色が溢れてた。でもあの子の色は、誰かに気づいてほしがってる。気づかないフリも、時には優しさになる。でも、これは⋯⋯どうだろうねぇ)


ツヅリは悩んだが、店員に声をかけることにした。


「なぁあんた、人間関係に悩んでないかい?」


「えっ?どうして分かるんですか?」

不躾な質問だが、的を射ていたようで、瞬時に反応していた。


「まぁその⋯⋯何となくね。お節介かもしれないけど、話を聞きたくてね。仕事は何時くらいに終わるんだい?」


「えっと⋯⋯もうちょっとで終わります」


「そうかい。じゃああたしはそこの公園の東屋にいるから、気が向いたらそこへおいで」


「はぁ、わかりました⋯⋯」

(占い師か何かなのかな?でも悪い人じゃ無さそうだし⋯⋯)


そう伝えるとツヅリは店を出て、傘を差して公園へと向かった。



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