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第6話 Re:(後編)

古びた扉の向こう、埃とフィルムの匂いが混じったような空気が迎えてくる。

照明は抑えられ、スクリーンはまだそこにあった。


ふたりは年季の入った座席に座った。


「⋯⋯いい空間ですね。静かで」


「ありがとうございます」

老人は小さく微笑んだ。


「この映画館は、私がまだ若い⋯⋯あなたくらいの歳の頃に、一念発起して建てました。赤字のほうが多く、“道楽に身売りした男”だと馬鹿にされたものです」


「それでも、ここにはたくさんの“物語”が流れていきました。誰かの思い出になって、誰かの涙になって」


「でも、それは永遠では無い。人は必ず死ぬ。そうなると、記憶はそこで終わる」


貘は静かに聞いていたが、ふっと鼻で笑った。


「記憶なんて、今はどこにでも残せるでしょ。動画、写真、SNS⋯⋯好きなだけ」


「そうですね、確かに」


老人は頷きながらも、少し寂しそうに言葉を継いだ。


「人間というのは欲深い。先に無が待ち受けてもなお、欲するものです。いや、だからこそ、焼き付けたいのかもしれません」


「⋯⋯私は、ここを開館したとき、親しい人達を招待し、貸切で上映会をしました。そのときの映画が忘れられなくてね」


(うん⋯⋯嫌な予感がするね)

貘は目を泳がせた。


-----


「どの記憶を喰いますか?」

「映画の記憶を喰ってください!あの衝撃をまた味わいたくて⋯⋯」

「はぁ⋯⋯またか」

(何人同じ依頼してくるんだよ〜)


-----


「もし出来るなら、その映画の記憶を消して、もう一度観たい。それをこの映画館の最後の上映会にしたい」


老人は苦笑いしながら、

「まぁ、そんなこと無理なのは承知してますがね」


貘は投げかける。


「おじいさん、そうやって言う人たくさんいるけど、そんなに映画はいいものなの?」


「あぁ、映画は“人生”なんですよ」


老人は感慨深い様子だった。


「人生、ねぇ⋯⋯」

貘は席を立ち、出口へと向かう途中で立ち止まる。


「⋯⋯おじいさん、それは“依頼”ということでいいですか?」


「⋯⋯依頼?いや、ただの願いだよ。でも願いってやつは、叶わないと分かってても、口にしてしまうもんでね」


「⋯⋯よく周りを見てください。おじいさんの想いが強ければ、願いは叶いますよ。では、僕はこれで」


貘は傘を持ち、外に出た。

雨は止んでいた。





ツヅリは帰り道に迷っていた。


「弱ったねぇ。道を覚えたつもりだったけど」あてもなく歩いていると、


「あれ、ツヅリ?何してるの?」

貘がたまたま通りかかった。


「⋯⋯まったく、どうしてこういうときだけ都合よく現れるんだい?」


少し呆れたように笑って、でも声はどこか安心していた。


「それより聞いてよツヅリ〜」


貘は最近の依頼の質の低さ、先程あった映画館の老人の話をした。


「フッ⋯⋯それは笑えるねぇ。記憶喰いなんて化物の所業だからね。⋯⋯でもあんた、その老人の依頼は受けな」


「⋯⋯あれは本気だったね。仕掛けはして来たよ。あとはそれに気づくかだけだね」


「あたしもついて行ってやるから、やりなよ」


「まぁ正直やらなくてもいいかなって思うけど、やることになるだろうからね〜」


ふたりはヒカリ座に向かった。




貘が出て行ったあとも、老人は映画館の座席に座っていた。


(後悔が無いと言えば嘘になる。でも、ヒカリ座は私の一部。最後を思い出と一緒に過ごそう)


老人はあのときの映画のフィルムを取り出し、映写機にセットした。

照明が暗くなり、スクリーンに映像が映し出される。


そのとき、老人はスクリーンの端に何かがついているのに気づいた。


座席のある階に降り、それを見た。


その紙には、





あなたの記憶、喰います





と、殴り書きで書いてあった。


「夢が⋯⋯叶うのか?」


老人はそれを剥がし、縋る気持ちで裏面を見た。





「「目が合いましたね」」





耳元とチラシから聞こえる声。

その瞬間、辺りは一面闇に包まれた。


「おじいさん。願い、叶えに来ました」

貘は老人の額に右手を翳し、目を瞑る。


「君はさっきの若者⋯⋯」


「確認します。この映画館が開館した日、親しい人達を集めて貸切で観た、映画の記憶。これを喰えばいいですね?」


「⋯⋯あぁ、頼む」


「分かりました。いただきます」


-----


賑やかな館内。


町内の商店の人達、友人、彼女。


皆が上映を心待ちにしている。


若き日の老人が、スクリーンの前に立つ。


「皆様、お忙しい中、お集まり頂きありがとうございます。こうしてヒカリ座を開館出来たのは、皆様のおかげです。改めて御礼申し上げます」


「おい正(ただし)!固いぞ!」

「早く映画観せろ!」


皆が笑顔で野次を飛ばす。


「分かったよ⋯⋯それでは、ごゆっくりご鑑賞下さい」


照明が落ち、スクリーンに映像が映し出される。


今でいう恋愛映画のような内容。


「うお〜この女優美人だなぁ〜」

「うるせぇ!静かにしろ!」


時々こんな会話も聞こえる中、正も座席に座って映画を観ている。


右隣から小声で、

「正さん、おめでとう。私も嬉しい」


と、声をかけたのは、昌代。


「ありがとう、昌代」


ふたりは座席の下で手を握り合い、それは上映終了まで続いた。


-----


「作り物って味しないし、喰ってる感覚もないんだけど⋯⋯これは見た目が違うんだよなぁ。ピカピカっていうか⋯⋯」



貘はそれを喰い終えた。



「ごちそうさまでした」



指を鳴らすと闇は消え、館内の景色が戻った。


「ここは⋯⋯私は何を⋯⋯」


「やぁおじいさん、最後の上映会するんでしょ?僕らも後ろのほうで観てもいいかな?」


「さっきの若者⋯⋯あぁ、そうだった。老人の戯言を聞いてくれたからね、観て行ってください。で、お隣は?」


「あたしはツヅリだよ。こいつが世話になったね。ふたりでちゃんと見届けさせてもらうよ」


「ほぉ、着物がよく似合う美人だ。お似合いのふたりだね」


正は柔らかい笑顔を見せた。


「そ、そうかい?こいつはガキ過ぎて困ってるくらいだよ」


「ツヅリ、この場は僕を立てるべきだよ?」


「は?」


「文句ある?」


ふたりは睨み合う。


正が間に入り、

「まぁまぁ。ケンカするほど仲が良い。よし、上映の準備をして来るか⋯⋯待てよ、何の映画だった?みんなで観たあの映画⋯⋯」


貘は知ってるような口で、

「今、映写機に入ってるフィルムそのまま流せば大丈夫だよ」


「そうですか⋯⋯分かりました」


照明が暗くなり、スクリーンに映像が映し出される。

正は座席に戻り、映画を観る。




(こんなに古い映画をどうして最後に⋯⋯しか

も恋愛映画なんて⋯⋯)




「⋯⋯正さん。⋯⋯正さん?」


隣には若き日の昌代がいた。


「昌代⋯⋯どうして?」


「何言ってるの?あなたが上映会するって言ったのよ?ねぇみんな?」


周りには友人や商店の人達が、あの頃のままそこにいた。


「正!随分老け込んだな!」


「でも正ってすぐ分かるな」


「俺達もたくさん映画観させてもらったな」 


「無くなるのは寂しいけどな⋯⋯」


「正、お疲れさん!ありがとうな!」




正は自然と涙が溢れた。


昌代は正の手を取り、


「私は映画が大好きなあなたがずっと好きでした。もちろんヒカリ座も。もっとあなたの妻として一緒にいたかった」


「昌代⋯⋯昌代⋯⋯」


正は嗚咽を漏らした。


「昌代⋯⋯私ももう少しでそっちに行くから。そのときは⋯⋯ふたりでヒカリ座をやろう⋯⋯」


昌代は目を細めて、


「はい、よろしくお願いします」


と、優しく言った。


映画が終わり、正は袖で涙を拭いた。


周りを見回してみたが、誰もいなかった。

若者とツヅリの姿も無かった。


「⋯⋯若者、ありがとう。最後に相応しい上映会だった」


正はただ、満足そうに、スクリーンを見つめた。





「もうさぁ、結局便利使いだったんじゃないの?」

貘は自分の仕事に満足していないようだ。


「少なくとも、あたしが知ってる中では一番の仕事したんじゃないかい?いい色の滲み方が凄かったよ」


「いいよねツヅリは。そういう変化が分かってさ」


「記憶を喰ったあとだって変化してるだろ?あんたは気分屋過ぎるんだよ」


貘は背伸びをしながら、

「あーあ、正解ってあるのかな〜」

と、投げやりになった。


「それが分かりゃあたしらだってこんな苦労しないよ。人間ってのは複雑だよ」


「じゃあさ、僕らの苦労を映画にしない?タイトルは⋯⋯ズバリ!『貘とツヅリ』!」


「⋯⋯内容が全く分からないつまらない題名だね。それよりもどうしてあたしが後なのさ。『ツヅリと貘』だろ?」


「つまらないっていう割には自分を先にしろって⋯⋯けっこう乗り気じゃん」


「あんたがどうでもいいこと言ってくるからだろ!」


「どうでもいいって何だよ!」




この罵り合いはアジトに着くまでずっと続いた。

初夏の夕陽を浴びながら。

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