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6-3

雪久ゆきひさが言いかけてその後ろで悲鳴が上がった。すぐに振り向きそれを見る。

群集の中で倒れこんだ男が体を起こしている所だった。傍にいる女性は震えていた。雪久は花蓮かれんに断りを入れると男の傍に駆け寄った。

『大丈夫か?猿渡さるわたり君。』

男は顔を上げると雪久に気づき微笑んだ。

『ああ、続木つづき先生。』

手を貸して会場の端に移動すると泣き出しそうな瑪瑙めのうが傍に駆け寄った。

『君も…大丈夫か?』

『先生…ううっ。』

『とにかく何があったのか説明をしてくれるか?』

猿渡は笑うと頭を掻いた。会場に瑪瑙を送って来たのはいいものの、彼女が軍服に声をかけられてしまい助けようとしたところ投げられてしまった。

『それは災難だったな。酒が入ってるからか、血の気が多いのか。』

『はい、困りました。私は腕っ節だけで雇われていますから…お嬢様に恥ずかしい思いをさせてしまいました。』

『いいのよ、そんなこと。怪我はしてない?』

瑪瑙が首を横に振ると猿渡は頷いた。

『大丈夫です。でもどちらにいらっしゃるんでしょう、あの方は。』

『誰のことだ?』

雪久が問うと猿渡は辺りを見回した。

『藤田様です。藤田当夜ふじたとうや様。』

『ほう、なるほど。今ので気がついてくれればいいんだがな。』

『そうですね。それにしても今日は先生、素敵ですね。男ながら見惚れます。』

『ああ、それはどうも。でもあそこ。』

雪久は群集の中を指差した。中央には小鹿がいる。七十近い老人なのに五十ほどにしか見えない。若い軍服の男たちより目を引いている。美しい立ち姿に振る舞いは貴族のようだ。

声にならないような顔をして猿渡は唸った。それを見て雪久は笑う。

『あれにはかなわない。』

そんなやり取りをしていると瑪瑙の傍に背の高い男が歩み寄った。

『瑪瑙さん?ああ、猿渡君もそこにいたのか、よかった。』

『ああ、藤田様!』

藤田当夜はすらりと背が高く勇ましく整った顔をしている。軍人にも負けない体躯の良さでスーツが美しく映えている。

『すいません、お騒がせをしました。瑪瑙様をお連れしました。』

猿渡が頭を下げると藤田は頷く。

『うん、あとは任せてくれると嬉しいが?』

『はい。よろしくお願いいたします。』

瑪瑙にも頭を下げて猿渡が会場を後にする。壁際に残された雪久にどこか助けを求める瑪瑙の視線が絡みついた。

『ええと、そちらは?』

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