そうですねぇ……。二歳頃でしたか、母上が数カ月ほど病気で入院したていたのですよ。そのときは母上の実家に預けられました。
お祖母様、お祖父様そして伯父様。私を含めて四人の生活でした。あ、あと、少し歳を老いた猫。猫にとって子どもは天敵ですから、触らせてもらったことはないんです。その猫が亡くなるまで。
お父様は?と言いますと?いますよ。戸籍上の父も血縁関係上の父も同一人物で、普通の家庭でしたから。
ああ、母親の入院中に世話をするのは父親でしょう。と、言いたいのですね。分かります。今ではそれがスタンダードですからね。でも、私の記憶の中で、初めて父上と二往復以上の会話をしたのは、小学校高学年のときが初めてでした。ですから、なかなか子どもに関わらない人だったというのは、言わずもがなってところでしょう。
祖父母宅にいるときは楽しかったですよ。人生初の納豆ご飯と卵かけご飯、焼魚の食べ方もそこで学びました。こう見えて魚を食べるのは上手いのですよ。どう見てもそう?それは、恐縮ですわ。
母上をお見舞いに行った時の事も覚えていますよ。白い廊下で、床に映る蛍光灯に乗ろうと跳ね回っておりました。微笑ましいですね。
管に繋がれた母上を見たときは、母上だと分からず、泣き叫びました。それまで見ていた母上とは姿かたちが全く違いますもの。大人だって、管に繋がれた知人を見ると、ちょっと怖いなと思いますものね?え、思いませんか?そうですか。
母上が退院してからというもの、幼稚園に入園するまで、片時も……自分が用を足すときはもちろん、母上がお手洗いに入られるときも、本当に片時も離れませんでした。離れなかった、というよりは、離されなかった、の方が正しいかもしれませんね。