貴族の娘、ネイティス・スプレワールと出会う一時間前の話だ。
「……ねっむい。けど、おはよう世界」
茶髪の少女、レリア・ティームスは少しだけ早起きをした。
今日から通うことになる魔術学校『アスガスタ王立魔術学校』行きの馬車の時間に合わせるためだ。
朝食をとらない派であるレリアは、昨夜の内に準備したバッグを手に持つ。
「父さん、母さん、アリア姉さん。行ってきます」
レリアがそう言った相手は写真立てだった。レリアを真ん中に、両親とそして姉の笑顔が写っている。
写真立てに埃がつかないよう、小さな布を被せ、彼女は家を出る。
しばらくの間、この家には戻らない。
何故なら、今日からレリアはアスガスタ王立魔術学校の生徒なのだから。
このアスガスタ王国では、一定の条件を満たす者はアスガスタ王立魔術学校に通わなくてはならない。
一定の年齢になった者を対象に入学案内をしたり、一定以上の魔力の者は強制入学などなど、入学に関する決まりは沢山ある。
レリアに関しては、直接家に郵便が届いた。
こうなれば基本的に無視することはできない。
魔術に関する法律は色々とあるが、魔術学校で一定以上の勉強をせずに魔術を使うと、場合によっては罪が重くなる可能性がある。
そうなれば非常に面倒なことになるので、レリアはこの度、生徒になることを選んだ。
「別に学校に行かなくても、魔術の勉強は出来るのにな。あぁ……集団の中にいるのは疲れるんだよなぁ」
レリアは全くの素人ではなかった。むしろ、魔術という存在が好きで、一人でこっそりと研究をしていたくらいだ。
だからこそ入学の必要性を感じなかったのだ。勉強をしたければ、自分でやる。人に迷惑をかけないよう、ひっそりと家の中だけでやる。
それだけで良かった。
「とはいえ、ルールはルール、か」
ルールを守ることは大事だ。それが社会とよろしくやっていくための鉄則なのである。
「アスガスタ王立魔術学校行きは……っと」
最寄りの馬車駅には様々な馬車がある。アスガスタ王立魔術学校行きの馬車は一体どこにあるのか。
目立つように旗でも立ててくれたらいいのに、と思いながらレリアは人が行き交う馬車駅をうろうろする。
「あ、あの……もしかしてアスガスタ王立魔術学校に行きたいんですか?」
後ろから声がしたので振り返ってみると、そこには赤髪おさげの少女が立っていた。
視線を合わせず、ほぼうつむいていた。しかし、レリアはそれについては一切気にしていなかった。
(おっぱいデカ……)
同じ女性として羨ましくなるほどの爆乳がレリアの視線を奪っていた。
赤髪おさげの少女の声が一瞬聞こえなくなるほどの破壊力だった。
「あっと……ごめんごめん。ぼーっとしてた。そう、今日からアスガスタ王立魔術学校に行くんだけど、馬車が分からなくてね」
「それなら、向こうの少し大きな馬車がそうです。何台か停まっているけど、校章のついている馬車ならどれでも行けます」
「なるほど……人数が多いから沢山あるのか。ありがとうね、助かったよ」
「そ、それじゃうちはこれで……」
赤髪おさげの少女は足早に去って行ってしまった。お礼がちゃんと届いたかも怪しい時間だった。
しかし、レリアはすぐに思考を切り替える。
同じくらいの背丈、馬車のことを知っている、何より学校の制服を着ていた。
アスガスタ王立魔術学校の生徒であることは明白。それならばあとで探して、ちゃんとお礼を言えば良いだろう。
(アスガスタ王立魔術学校、か)
レリアが入学を決めた理由は二つ。
(アリア姉さんもこの学校に通っていた。アリア姉さんがどんな風に過ごして、どんな風に学んだのか、少しは分かるのかな)
――レリアの両親および姉のアリアは行方不明だ。
原因は分かっている。事件の一部始終に自分もいた。行方不明の元凶も分かっている。
そこに、レリアが入学を決めた二つ目の理由が込められている。
(私は学校で力をつける。ヤツを、ついでに人を襲う魔物を殺すためにね)
知識を深め、家族が消えた原因である存在を倒すために。
「っと」
考え事をしていたら、馬車が到着した。
皆、馬車から降りていく。それに合わせて、レリアも馬車を降りた。
「うっお……でっか」
人は言う。
アスガスタ王立魔術学校は一つの街だ、と。
その噂に偽りはなかった。広大な土地だ。正門に立っただけで、その規模感を想起させる。
歩いて回ったら一日は確実に潰れそうだ。
そんな巨大さに圧倒されている間にも、ここの生徒たちは皆、迷うことなく歩いていく。
これから自分もそうなれるのだろうか、とレリアは一抹の不安を感じる。
「いかんいかん。棒立ちしている訳にはいかないか」
レリアの目的地ははっきりしていた。
まずは教員が詰める棟へ行き、そこから自分の教室へ案内してもらう手筈となっている。
……のだが。
(地図はないのか地図は)
広大すぎる。とりあえずメインストリートらしき道を歩いているのだが、看板等が見当たらない。
不親切極まる。せめて矢印くらい設置するべきだろう。そんな文句を内に秘め、レリアは歩き続ける。
「ん?」
一瞬、赤髪おさげの少女が見えたような気がした。誰かと一緒に歩いていたような気もする。
レリアは好都合だと思った。馬車の位置を教えてくれたお礼がまだだ。
教員棟へ行く前にお礼を言おう、そう思い、レリアは赤髪おさげの少女の後を追った。
これは分岐点だ。
このまま教員棟へ行けば、何事もなく、学園生活を送ることが出来ただろう。
だが、レリアは彼女を追った。
ようこそ、アスガスタ王立魔術学校へ。
ようこそ、レリアの物語へ。
「んん?」
赤髪おさげの少女を取り囲むように、女生徒達が立っていた。
その中でも目立つのは、金髪ツインテールの女生徒だ。他の女生徒がちらちらと顔色を窺っているので、恐らくリーダー格なのだろう。
「ちょっと聞いてみるか。――強化の魔術」
レリアの右人差し指につけられた指輪が光る。
彼女の魔力を受け、『
指輪から青白い光が生まれ、レリアの両耳に移動する。
「よし、聞こえる」
強化された聴力が彼女たちの会話を捉える。
「朝からどんくさい顔を見るなんて、わたくしはなんて不幸なのかしら」
「……うちの顔を見るのが嫌なら、関わらない方がいいよ」
「平民がわたくしに口答えをしないで!」
金髪ツインテールの言葉に反応するように、取り巻きが赤髪おさげの少女を押した。
赤髪おさげの少女は抵抗することもなく、バランスを崩す。
「……あぁ、これは私が最近一番嫌いになったやつか」
気づけば、レリアは金髪ツインテール達の前に姿を見せていた。