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第3話

目を覚ました瞬間、強烈な頭痛が襲ってきた。


時々起こるこの頭痛……痛い。痛い。痛い。


頭にきて悔しくて、情けなくて涙があふれた。

なんで私がこんな目に合わなきゃいけないの?


時計に手を伸ばすと夜中の2時を回っている。

手を伸ばし、枕もとの受話器を取ってコールした。



「大丈夫ですか?」

「大丈夫じゃない」


泣きじゃくりながらにらみつけた。

この頭痛だってきっと氷丸こおりまるのせい。


父さまに怒鳴られた私を、氷丸がちゃんとかばってくれないから。

ひとり暮らししたいって言ったのに、父さまも氷丸も私をないがしろにするから!


「薬は飲みましたか?」

「まだ。なんとかして」

「はいはい」

氷丸は奥のミニキッチンに消えた。


体を起こして待っていると、氷丸はいろいろ持って戻ってきた。

飲み薬を渡される。

飲んでいる間に氷丸は毛布をはがし、枕を移動してマッサージ体制を整えた。


「さ、うつぶせに。襟元はゆるめて」

「うん」

言うとおりにして横になった。胸がつぶれて痛いので場所を調整する。

「少しオイルを塗りますよ」

「うん」

いつもの謎の中華系液体オイルだ。ツンと鼻が通る。きついペパーミントの匂い。


肩と首にオイルをすべらせ、氷丸は首筋からマッサージを始めた。

私は昔から頭痛もちで、ひどくなってしまうと飲み薬も効かない。そういうときは、氷丸にじっくりマッサージしてもらうとだいぶ楽になる。

氷丸は医学、薬学、整体あたりも一通り勉強しているのだ。


首筋から肩。背筋を通って肩甲骨へ。頭のてっぺんから髪をかき分け、耳、ほほ、こめかみからひたい。氷丸がゆっくり通っていく。


大きな手……


いつでもそばにあった。


そう。氷丸はいつも私のそばにいた。

氷丸が12歳で襲名し、この家に来たとき、私は4歳。

そのころのことはなにも覚えていない。


ただ、氷丸はいつも優しかった。いつでも私の味方だった。


父さまは仕事仕事でろくに顔も合わせないし、合わせれば合わせたで勉強しろ、自覚を持て、立場をわきまえろ、俺がお前の年のころは……と文句ばっかり。


父さまが怒って私が泣いて氷丸がなだめる。もう何年繰り返してきただろう。


氷丸は私の味方。そう思っていた。


でも、最近わかり始めてきた。

氷丸は決して私のために私の味方をしているのではないということを。


氷丸はただもめ事を収めたいだけなのだ。

父さまをなだめるより私にうんうん言ってるほうが早いから、そうしているだけ。氷丸にとって優先すべきなのは父さまで私じゃない。


氷丸は異常に父さまを敬愛している。教育をしてくれた人との結びつきはどの継承者も強いらしいけど、氷丸は異常すぎ。


あんな頑固ジジイ……自己中心的で思いやりがなくて人の気持ちなどまったく考えない仕事バカ。

どこがそんなにいいのか全然わからない。


でも氷丸は父さまの言うことならなんだって聞くし、やれと言われれば人殺しだってするだろう。


父さまだってそうだ。

小さいころから私のことはほったらかしだったけど、氷丸はいつもそばにおいていた。


私のことも全部氷丸に任せっきりだ。

父親らしいことなんてなにもしてくれない。

しつけだの育て方だの氷丸を責めるけど、父親の自分はノータッチでいいとなんで思えるのか。


そりゃあ、私は優秀じゃないけど。

勉強も運動も容姿もなんでも人並で、継承者の父さまには思いっきりがっかりな子供だろうけど、実の娘だ。可愛くないのか。


できる人間以外、ばっさり切り捨てるのが父さまのやり方で、仕事でも鬼のような冷徹さで人を切り捨てるらしい。


私も切り捨てられた人間のひとりだ。


出来の悪い子供は、父さまには、ライエには要らないのだ。

必要なのは氷丸のような優秀な人間。


私は要らない子供だった。


いつからだろう。

そのことがじわじわと私の首を絞め始め、息苦しくてたまらない。


ライエの直系でひとり娘の私は相続権第一等に当たる。

だから父さまは氷丸を私と結婚させ、ライエを継がせるつもりでいるのだ。


ふたりの間でどんな会話が交わされているか想像がつく。


「あと10年もしたらユーナと結婚してライエに籍を入れろ。ライエの権利も資産も、すべてお前に譲るつもりだ」

「わかりました。姫様を正妻に迎えます。これも第四代氷丸の責任のうちでしょう」

「すまんな。亡くなった俺の妻はとびきり美人だったのに、あんな娘で」

「言わないでください。大恩ある炎丸ほむらまる様ため、姫様があんなでも俺は不満など……」


なんかなんか腹立ってきた!


ガバッと顔を上げると、氷丸は手を止めた。

「バカ! ひとでなし!」

「お、元気になりましたね。どうですか? 頭痛は」

「え?」


そういえば……


「治った」

「それはよかった。ではそろそろ部屋に帰らせていただきます。……ところで」


立ち上がった氷丸が振り返った。


「ひとでなしとはどういうことですか?」

「あ……う」

「なにかそう思う理由があるのですか?」


想像の会話が人でなしだったとは……さすがに言いづらい。


「理由なんて、ないけど」

「そうですか。理由なく人を中傷するのは品性を落としますよ」

「……」


なんかやたら悔しい。


私は毛布を引っ張って横向きに丸まった。


「では戻りますね。オイルが残っていますから、首筋やこめかみを触った手で目の周りをいじらないように気を付けて」

相変わらず指示が多い。

「またぶり返すようなら呼んでください。すぐ来ますから……我慢してはいけませんよ」

「……」


優しい……


うなずくと、氷丸は毛布越しに私をなでて頭にキスをした。

優しいキス……


「おやすみなさい」

「……ありがと」

灯りを消して氷丸が出ていく。


……いつもこうだ。


氷丸にはかなわない。


憎たらしいのに心底嫌いになれないのは、ああいう優しい瞬間に私の怒りや憎しみが溶かされてしまうからなのだ。


私は一度も父さまにキスされたことがない。

私にキスをくれるのはいつも氷丸だった。

子供のころからいつも。氷丸はいつも……


ハッとして私は唇をかんだ。


だめだめ、こんなんじゃ。優しいバージョンの氷丸に丸め込まれちゃだめ。


だって私はもう子供じゃない。もうすぐ16歳になる。なだめるようなキスを喜ぶ子供じゃない。


16歳になったらひとりで暮らして、本当に私らしい、私のための生活を送るんだ。

父さまや氷丸の言いなりにはならない。

一生ライエに縛り付けられて生きるなんてまっぴらだ。


私の人生は私が選ぶ。


つぶやいて私は目を閉じた。

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