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第5話

夏の太陽は過ぎ、夕暮れはセーターが恋しくなるほど涼しい。

10月になった。


父さまも氷丸こおりまるも疲れていた。

今、ふたりはライエ一番の重要事業である「リサーチ・テスト」の解析をしている。


リサーチ・テストとは、ライエが毎年9月に開催する質の高い実力テストのことだ。

小学校から高校まで、希望者は誰でも無料で受験できる。そして、ライエ側も好成績の学生にアプローチをかけることができる。

ライエが実施する学生教育プログラム、俗に「エデュケイション」と呼ばれるカリキュラムに参加するつもりはないか、と。


そして心身ともに鍛え上げるそのえげつないエデュケイションを乗り越え、双方合意が取れれば「ぎょくの継承者」としてライエに迎える。

まあ、継承者レベルに達することができるのは数年にひとり程度ではあるのだけれど。


つまりリサーチ・テストは、次世代の継承者を探すための青田買い装置なのだ。


ライエは大企業ではないけれど、継承者数人で莫大なコンサル料をせしめて潤っている。

自由に運営できるようあえて上場もしていないが、なにしろ数人の給料と備品のリース料くらいしか費用がかからないし、持ちビルとかもいくつかあって、不動産収入での利益も半端ないらしい。


頭脳に自信のある学生にとって魅力的な話だろう。

伝統と実績のある総合コンサルティング企業ライエの「ぎょくの継承者」と言えば世間的にも鼻が高いし、業界の信用も抜群。なにしろ報酬がいい。


きついカリキュラムと巷で噂のエデュケイションだけど、無料だし、いやなら辞めればいいし、損はないと毎年たくさんの学生が申し込む。

だけどエデュケイション受講資格を勝ち取るには厳しい審査を潜り抜けなければならない。

ペーパーテストの成績はもちろん、運動能力審査もパスしなければいけないのだ。


もともと天丸てんまる地丸ちまるは初代夫婦の持ち物だ。

それ以外のぎょくは、ライエ家に仕える優秀な護衛兼従者に下賜したもので、代々石と名前を引き継いできた。


その流れを汲んで、今でも要人警護に必要な知識と技術を身に着けなければ継承者にはなれない。


要人とはもちろんライエの家族。

つまり継承者はライエという企業とライエの家族を守るのがお仕事であって、氷丸が私を守るのは当然ということ。

私をフラフラさせる氷丸に父さまが切れ散らかすのも当然ということ。


ライエを継続的に儲けさせるためには、優秀な継承者に事業を引き継いでいかなければならない。

そのためふたりは必死になって学生の選別を行っているのだ。


ライエ継続のためと言われれば私も他人事じゃない。

がんばって増収増益を目指してほしい。


ふたりは私の誕生日以降、ろくに帰ることもなく本部に詰めている。

特に氷丸は夏休みが終わって、大学も始まったから余計大変そう。


約束の10日は過ぎていたけれど、私はなにも言えず、本当はひとり暮らしの件を氷丸にせっつきたかったけど我慢していた。


今、空いている玉は風丸かぜまる雪丸ゆきまる、それに天丸と地丸だ。


天地は初代以来、誰にも引き継がず家宝にしているので、実際今度玉を引き継ぐのは風丸か雪丸ということになる。


けれど、ふたりの渋い顔を見ていると、どうやら今回もめぼしい人材は見つからないらしい。


襲名はまだまだ先になりそうな気配だった。



その晩珍しく、氷丸は21時半過ぎに帰ってきた。

正式な学生選抜のスケジュールは教わってないけど、例年通りであればそろそろ最終審査が終わってひと段落つくころ。


やっと落ち着いたのかな? ちょっと様子見に行ってみようかな。


部屋に行ってみると、椅子の背にスーツの上着を放り投げ、ソファーでぐったりしている。品行方正な彼には珍しい。


私が近づくと、体を起こしてタイを緩めた。珍しく煙草くさい。


まだお疲れモードね。ひとり暮らしの話は出来そうもないか。


「父さまはまだ?」

「ええ」


ちょっと可哀そうになって上着をハンガーにかけてあげた。なんて優しい私。


「テスト、だめだったの?」

「ええ、まあ」


氷丸は面倒くさそうに答えた。


「ふうん。でも今はふたりもエデュケイションに入ってるじゃない」

「実は、レイジがエデュケイション辞退を申し出てきましてね」

「へえ。レイジってどっち?」

「17歳の方です」

「そっか。やっぱりカリキュラムがきつすぎるのよ。勉強だけじゃなくて体鍛えたり武道習わせたりするでしょ? 自由時間なんて全然ないんだもの」

「ええ、まあ」

「辞めたい人は辞めさせればいいのよ」

「まあそうですが……惜しい人材で。今、炎丸様が話をしていますが」

「父さまが引き留めるなんて珍しいね。そんなに優秀なの?」

「武道のセンスはありますね」

「もう一人はだめなの? たしか中学生だったよね」

「14歳ですね。彼は頭はいいのですが、総合的な器が今一つで」

「でもがんばってるんでしょ?」

「普通ですよ」

「普通って?」

「姫様」


氷丸が私の言葉を遮った。

驚いた。こんなことめったにない。


「申し訳ありませんが疲れてますので。なにか御用ですか?」

「……」


びっくりして、すぐには反応できなかった。


だけど、そのふてぶてしい姿に徐々に怒りがわいてきた。


なんなの、その態度。こっちが気を遣って黙ってあげてたのに、なんなのその態度。


疲れてるのね。機嫌が悪いのね。そう、わかった。

だけど機嫌の悪さじゃこっちも引けを取らないわよ!


「なにか御用じゃないでしょ? 約束はどうなったのよ」

「約束?」


時計をはずしながらだるそうに立ち上がる。その態度にますます腹が立つ。


「ひとり暮らしの話はどうなったのって言ってるの!」

「……ああ」


氷丸はタイを抜き取りシャツのボタンをはずし始めた。

びっくりして、それから顔に血が上った。


「もう少し待ってください」

「ちょ、ちょっと!」

動揺して、私は後ろを向いた。指先がしびれ、心臓が高鳴ってくる。


「じょ、女性の前で着替えるなんて失礼じゃない!」

「不愉快なら席を外してください」

ゴン、と靴を放り投げる音が聞こえた。


私は乱暴にドアを開け、出て行った。


なんていやな奴!

あったま来た! 本当になんて失礼な奴だろう!


しばらくは怒りが収まらず、部屋に戻ってジタバタしていた。


でも……


徐々に冷静になると、なんだかザワザワしたものが胸に湧き上がってきた。


なにかおかしい。


氷丸は私の前で服を脱ぐなんてこと、今までに一度もなかった。

それになんか変な感じがした。疲れてはいても、あんな機嫌の悪い自分を隠そうとしないなんて氷丸らしくない。


なにかあったんだろうか。父さまとけんかでもしたんだろうか。それとも辞める子のことでなにか?


私は自分の部屋で立ちすくんだ。


放っておこうか。それとも戻ってみようか。


しばらく迷った末、そっと氷丸の部屋に戻り、こっそり中を覗いてみた。


氷丸はソファーに座ってうなだれていた。


顔は見えないけど。

なんか……泣いているみたい。


胸がドキドキしてきた。


どうしよう。こんな氷丸は初めてだ。


私は静かに部屋に入り、近寄ってみた。

私が入ってきたことは気づいているはずなのに、氷丸は動かなかった。


そっと肩に触れてみた。

ピク、と動いて……氷丸はゆっくりと顔を上げ、どんよりした目で私を見上げた。


なにも映っていないようなうつろな瞳。少し充血してるけど、泣いてはいない。


ザワザワしたものがさらに広がっていく。

……これは、不安? ……かもしれない。


「大丈夫?」


声が震えるのがわかる。


「なにか、あったの?」

ゆっくり小さな声で問いかけた。氷丸を刺激したくなかった。


氷丸はなにも言わなかった。


しばらく石のように動かなかったけど……やがて、左手で前髪をかき上げた。


氷丸が動いたので、私はホッとした。こっちも泣きたい気分だったから。


「な、……泣いているのかと思った」


氷丸は首をかしげた。


「あれ? 気を失っていたようですね」

「……」

「2日寝てないんです。姫様が怒ってるなあ、とは思っていたんですが……なんの話でしたっけ?」


私は氷丸を蹴飛ばして部屋を出た。

なんてことするんですか、という声が後ろから聞こえたけど無視した。

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