翌朝から丸2日、私は氷丸と口を利かなかった。
なにを話しかけられてもうなずくか首を振るかで答えた。
本当に一言も口を利かなかった。
人の心を解さないロボットに対するには、こちらも機械化するしかない。
並ロボットだから会話機能はありません。
私の中には、またフツフツと家出心がわいていた。
もうすぐ冬休みだし、どこかで無断外泊でもしてやろうか。
そういえば、同じグループのエマちゃんが「冬休みになったらうちに泊まりにきなよ。オールで遊ぼう」って言ってくれてたっけ。
でも、エマちゃんの御宅は貧乏だからその気になれなかった。
だけどこの際、贅沢言っていられない。
私が出かけたきり帰ってこなかったら……
いくらロボットでも、青くなって心配するんじゃないかな。
もっと姫様を大切にするんだった、って反省するんじゃないかな。
ざまあみろ。ちょっとワクワクしてしまうんですけど。
3日目、氷丸は珍しく夕食に間に合うように帰ってきた。
「もう、勘弁してください。どうか機嫌を直して」
そう言って私にカラーの花束を手渡した。
大好きな花だからちょっと嬉しいけど。
それにこの時期、カラーを探すのは大変だったに違いない。
その努力は認めるけど、まだまだ許す気にはなれない。
この程度で機嫌が直ると思ったら大間違いよ。
私は無言で首を振った。
「参ったなあ。そうそう、今日は炎丸様も8時には帰ってきますから、夕食は久しぶりにみんなでとりましょう。お腹が空いていたらお菓子でもつまんでいてください」
私は無視してキッチンへ向かい、準備をしているモエに「先にひとりで食べる」と告げた。
「氷丸様が帰っていらしてるじゃありませんか。もう少し待ってください」
「いいの、先にひとりで食べる。父さまが帰ってくるそうだから、氷丸は父さまと食べればいいのよ」
「もう、本当にいつまでもつんけんしているものじゃありませんよ。炎丸様がお帰りになるなら、それまで食事は出しませんからね」
「なんでそんな意地悪するの! モエのばか!」
「ええ、私は意地悪ですよ。ああ忙しい。姫様、手伝ってくださらないならあっち行っててくださいな」
「もういい。食事いらない」
「まあ、残念。今夜は姫様の大好きなチキンのフリカッセなんですよ。焼きパプリカのサラダもありますし、パンは柔らかいフォカッチャが届いたところです。食後にはアップルクランブルがあるんですよ。姫様の機嫌が悪いから、今夜は特別に姫様の好物ばかりを揃えたのに」
「……」
「アップルクランブルにはなにを添えますか? 生クリーム? バニラアイス?」
「クリームチーズ」
「わかりました。意地はらないでもう少し待っていらっしゃい」
そこまで言われると、食べないとは言えなかった。
私はプリプリしながら父さまが帰ってくるのを待った。
8時に帰ってくるということは、8時半ということだ。
イライラしながら待っていたけど、意外にも父さまは7時半すぎに帰ってきた。
父さまも私の機嫌が悪いことを気にしているのだろうか。
ちょっと気分がよかった。
食事は最高だった。
思わず頬が緩んでしまうほどみんな美味しい。さすがモエ。
氷丸は食事中に仕事の話はしないけど、父さまは仕事のことしか話題にしない。
氷丸も父さまと一緒のときは仕事の話につきあうので、私にはちんぷんかんぷんで、おかげで一言も話さずにすんだ。
「コーヒーは場所を移しましょう」と氷丸が言う。
いやなので首を振る。
が、ゴトゴトと音を立てながらアップルクランブルとコーヒーを乗せたワゴンが後ろを通っていった。モエの意地悪。
仕方なくティールームへ移動し、3人でデザートタイム。
飾り台にはさっき氷丸からもらった花束が飾ってあった。
ハルトに頼んだんだけど、さすが素敵に活けてある。
私の部屋に持ってきてくれればいいのに。
美味しい食事をして、大好きな花があって、少し気分がよくなっていたけど私はまだ無言だった。
私が少しご機嫌な顔をしているので、氷丸はパーティーのことを蒸し返してきた。
美味しいものを食べ、機嫌がよくなったところの隙を突こうとするあざとさが鼻につく。
私はムッとして無言を貫いた。
「知らない女性に厳しいことを言われて不愉快になったのはわかります。ケントくんと踊っているときに、姫様がいやがっていることに気づかなかったことも謝ります。俺が無神経でした。今度パーティーに行くときは、決して姫様のそばを離れません。約束します」
「……」
「姫様……」
「……」
氷丸は大きくため息をつき、あごをさすった。
私は黙ってコーヒーを飲んだ。
「いい加減にしてください」
ドキン、とした。
氷丸が突然厳しい声でそう言ったのだ。
氷丸は目を伏せ、不愉快をあらわにしていた。
「なにを言っても返事もしないなんて卑怯じゃないですか。こっちが誠意を尽くして謝っているのにそんな態度じゃ、いい加減俺も頭に来ます」
私はあっけにとられた。
こんなことは初めてだった。
氷丸に叱られることはしょっちゅうだけど、こんな氷丸は初めてだ。
怒っている。氷丸が怒っている。
「そうやって一生俺と口を利かないつもりですか? 気に入らない相手に対して自分の気持ちを説明することもなく、無視し続けるつもりですか? そんな幼稚な態度が押しとおるとでも思っていたら大間違いですよ」
呆然としていたけど、次第に胸がドキドキしてきた。
言い返そうと思ったけど言葉が出てこない。唇が震える。
「氷丸、言いすぎだぞ」
私たちは同時に振り向いた。
「そこまで言うことはないだろう。もとはと言えば、お前がユーナに対して無責任な態度をとったのが悪いんだ」
ど、どうしたのだろう。
父さまが、父さまが私をかばっている?
「それはそうですが」
氷丸はムッとした。
「自分の無責任さを棚に上げて、ユーナを責めるのは筋違いというものだ。ユーナにしてみれば無理もないぞ。パーティーで置き去りにされるなんて、不安になるのが当たり前だろう。仕事上の付き合いだかなんだか知らないが、きちんとエスコートしなかったお前に非がある。ユーナを責める前に、自分の態度をもっと真剣に反省したらどうだ」
「反省はしています。だからこそ、こうやって誠意を尽くして謝っています。それなのに、姫様の態度はあまりに……」
「言い訳するな! お前はいつだってそうやって屁理屈を並べて自分を正当化する。自分の非を認めずにすべて人のせいにしているだろう」
「非を認めないわけじゃありません。認めているからこそ、こうやってきちんと謝っています。炎丸様こそ、事情も知らないくせに口出ししないでください。これは俺と姫様の問題ですから」
「都合が悪くなると人に意見も言わせないつもりか。たいしたもんだな。お前のそういう態度、いつか言おうと思っていたんだ。お前のその傲慢な態度で傷ついている人間がいるってことがわからないのか」
「お言葉を返すようですが、意見を言わせないのは炎丸様の方こそでしょう。炎丸様の強引なやり方で泣いている人間を、俺は何人も知っています。ご存じないかもしれませんが、その都度俺がフォローしているんですよ。みんな俺が炎丸様のフォローをしているからついてきてくれるんです。ご自分のリーダーシップを過信するのはいかがなものかと思いますがね」
「なんだと!」
父さまは立ち上がり、氷丸の胸倉をつかんだ。
氷丸は引きずられるように立ち上がり、その手をつかんで振り払った。
食器が揺れ、家具が震える。
私の心臓は飛び出しそう。
どうしよう、こんなことになるなんて!
喉の奥が熱くなってきて、ふたりがぼんやりしてきた。
父さまはまた氷丸の襟をつかんだ。
「思いあがるのもいい加減にしろ! 誰のおかげでここまでになれたと思っている!
「やめて、もうやめて!」
私は泣きながら二人の間に割って入った。
「ごめんなさい、私が悪いの! お願い、けんかしないで!」
私は必死で氷丸にしがみついた。
「ごめん、氷丸、ごめんなさい。私、もう怒ってないから。もう、ちゃんといつも通りにするから。だから父さまとけんかなんかしないで。お願い!」
「姫様……」
父さまは氷丸から手を放した。
私は泣きじゃくりながら氷丸に抱き着いていた。
「姫様……大丈夫ですよ。もうわかりましたから。すみません、驚かせてしまって」
氷丸は私を抱きしめ、頭をなでた。
久しぶりだった。氷丸の胸。
大きくて、やっぱり安心できる。
頭をなでられるのも気持ちいい。
「姫様、すみませんでした」
私は頭を振り、もういい、と泣きながらこたえた。
「よかった。許していただけるんですね」
「うん」
父さまは気まずそうにソファーに腰かけた。
「いや……そうか。……悪かったな、氷丸。つい興奮して」
「いえ、俺の方こそ失礼なことを。申し訳ありません」
照れくさそうに笑っている。
ふたりが仲直りしたので、私はホッとしてもう一度氷丸に抱き着いた。
頭をなでられるのが嬉しくて、ずっとそうしていてほしい。
「姫様、最近無理をしているのではないですか?」
私は顔を上げた。
「ここ数か月、なんだかよそよそしいですよね。子供扱いしないでほしいとか、なんでも自分でできるとか。ご立派ですが、急にがんばりすぎて疲れているのでは?」
「……」
「無理せず、自然に甘えていた方が姫様らしいですよ」
「で……でも。私、自立しようと思って。氷丸に甘えてばかりじゃいけないって」
氷丸は首を振った。
「急に大人になろうなんて焦らないでください。そしていつものようにわがままを言って甘えてください。姫様に甘えてもらえるのは俺の生きがいなんですよ」
「……」
がんばっていることを否定されるのは嬉しいことではなかったけど。
でも、氷丸は私が本当に聞きたかった言葉をくれた気がした。
「い、いいの? 甘えても」
「もちろん」
氷丸はにっこり笑った。
私は胸のつかえがスッと取れた気がした。
甘えていいんだ。氷丸はそれが嬉しいんだ。
「うん」
私はうなずいた。
氷丸もうなずいた。
父さまもうなずいていた。
翌日、二人はいつも通り仲良しだったので私はホッとした。
私は父さまをちょっと見直した。
私のために氷丸とけんかするなんて、父さまにも父親らしいところがあったんだ。
頭に、体に、氷丸の手の感触が残っている。
あれは血の通った優しい手だった。
氷丸はロボットじゃない。
感情のないロボットなんかじゃない。
本当に私を大事にしてくれるって感じられた。
私に無視されて困っている顔だって本物だった。
怒った顔だって本物だった。
氷丸は人間なんだ。
私と同じで、たくさんの感情をもった人間なんだ。
きっとつらいことだって感じている。
並人間の私と同じように、泣きたいくらい悲しいことだってあるに決まっている。
ただ違うのは、それを態度に表さない強さを持っているということ。
すごいなあ。
きっと血のにじむような努力を積み上げて、その強さを手に入れたんだ。
甘ったれの自分が恥ずかしい。
でも氷丸は「甘えている方が姫様らしい」と言った。
私は、私らしく生きるために氷丸から自立することにしたのに、それは「私らしい」ことじゃなかったのだろうか。
本当の私らしさはいったいどこにあるんだろう。
いったいなにが本当の私らしさなのかな。
考えれば考えるほどわからなくなってくる。
でも、焦らなくていいんだ。
自然にしていていいんだ。
きっとそのうち見つけられる。
それまでは甘えていよう。
それが生きがいだって氷丸が言うんだから、それでいいんだ。
せっかくだから喜ばせてあげよう。
クリスマスはなにを買ってもらおうかな。