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第8話 涙と決意

この事故で父さまは両足を失った。


プロジェクトの契約を進めていた企業の工場を見学にいったとき、開発中の機械がコントロール不能になり、父さまと従業員二人を巻き込んだそうだ。


ただ、機械の誤作動に不審な点があり、プロジェクトに反対しているエンジニアの関与が疑われている、という話があるそうだ。


もし、故意に事故を起こしたのだとしたら許せない。


どんな理由があったとしても、自分の意見を主張するために人を傷つけるなんて許されるわけがない。


被害者にもその家族にも、一生消えない傷を負わせたのだ。心にも身体にも。


証拠はまだない、警察が調査中です、と氷丸は言ったけど。


私は今まで感じたことのない、強い怒りと憎しみに身体中支配され、息が詰まりそうだった。


「殺してやりたい」


思わず口にすると、氷丸はこう言った。


「殺したところでなんの解決にもなりません。事実を明らかにし、罪があるならば償わせなければいけません」


「でも、自分だって本当は殺してやりたいと思ってるんでしょう?」


「……いいえ」


「うそ! きれいごとばっかり言って」


「殺したところでこの怒りは収まりません。死ぬよりもっとつらい目に合わせてやります。死んだほうがましだ、と相手が後悔したところで死なせてやったりしません。何十年でも生き地獄を味わわせてやります。炎丸様や俺たちが味わった以上の苦しみで罪を償わせる。それが法というものです」


私はポカンとした。


氷丸の目は燃えるように光っている。


この男……本気だ。


怖すぎる。


氷丸の裏に潜む凶暴性に、私は鳥肌が立った。


冷静さの裏に、激しく荒ぶる感情を持っている。


その名のとおり、氷のような冷徹な凶暴性を……


私は氷丸を心底恐ろしいと思った。


この人を本気で怒らせたら絶対だめなんだ。

なにが起こるかわからない。


おかげで私は毒気を抜かれ、激情にかられていた頭が冷えた。


氷丸がいなかったら私はなにかしでかしてしまったかもしれない。

危なかった。


そんな私を見て、氷丸はにっこり笑った。


「大丈夫ですよ。俺は普段はとても優しい男です。でも、炎丸様を故意に傷つけたということであれば、相手を許すことはできません。俺の大切な人を傷つけるものに対しては、厳格な裁きをくだしますが、普段はとっても優しい男です。めったなことで怒ったりしませんよ。安心してください」


その笑顔がかえって恐ろしかった。




例の契約も、なんとか滞りなく済ませたらしい。


「自信がない」「俺には無理だ」と散々泣き言を言ったくせに、やればなんでもないことのようにできてしまうのが氷丸の憎たらしいところだ。


氷丸は毎日寝る暇もないほど忙しく働いている。


大学院には休学届を出したそうだ。

だけど、本部の仕事も、エデュケイションも、事故の調査協力や後始末も、すべて彼一人の肩にかかってきたのだ。


氷丸は必死だった。


こんな氷丸はみたことがないくらい必死だった。


すべてひとりで完璧にこなそうとしている。

そしてそれなりにやっている。


でも私はひとりで朝食をとることになった。


氷丸は6時過ぎには家を出ていく。

大型連休の間も、毎日仕事へ行っているのだ。


朝練はなくなり、朝食はとらず、あわただしく家を出る。

そして帰りはいつも真夜中だった。


私も早起きして氷丸の顔を見ようと思うのだけど、父さまの病院へ行ったり来たりの生活なので、疲れてしまって起きられないこともしょっちゅうだ。


氷丸は「無理して起きないでください」と言うけれど、朝しか会えないので私はがんばっている。

氷丸の顔を見ないと不安で一日中落ち着かないのだ。


でも、泣き言は言わなかった。


氷丸は「寂しいでしょうが、我慢してください」と言っていた。


氷丸の苦労に比べれば、私の不安なんてなんでもないことだ。


私はなるべく明るくして、氷丸やモエ、ハルトに心配をかけないようにふるまっている。

私のことでまで、みんなの負担を増やしたくなかったのだ。


ひとりで朝食をとっていると、こらえきれずに涙が落ちたりするけれど、氷丸には言わないで、とモエにも口止めしていた。


「強くならなければいけない」と思う。


氷丸も、そして父さまも戦っている。


私は一番楽なところにいるのだから、泣き顔を人に見せたりしてはいけない。


そう思っている。


でも、時々自分でも気づかずに涙が落ちることがある。

ふと気づくと、授業中でもノートにポトポト涙が落ちるのだ。


まわりはみんな同情してくれた。


私は学校に心を許せる友達も先生もいなかったけど、今はみんなの優しい同情が胸にしみた。


小学校からずっと女子校で、私に近寄ってくる女の子たちはみんな「ライエの娘」という私に対する好奇心か、ライエとコネクションが欲しいと思っているか、もしくは氷丸に興味がある子ばっかりで、私はすっかり女性不信になっていた。


でも、今回のことで近寄ってくる人たちは、私を心配してくれたし、父さまを心配してくれた。

たとえそれが無責任な同情心であったとしても、私は嬉しかった。


女の子の友達も悪くないかな、と思い始めている。




入院して3日目の朝に父さまは目覚めた。


足のことを知って、しばらくはひどく落ち込んでいた。


あの父さまが、土気色の顔で静かに泣いているのを見ると、いてもたってもいられなかった。


数日後にはICUを出て特別個室に移ったけど、看護師たちの目が届かなくなるのはかえって不安だった。


自傷行為に走らないよう、私はもちろん、氷丸も忙しい間をぬってできるだけ顔を出した。


でも、個室に移って数日たつと次第に活力を取り戻し、いつもの父さまらしさが戻ってきた。


一時はあんなに死にたそうな顔をしていたくせに。


私は安堵を通り越して呆れたくらい。

みんなが体力お化けだと口をそろえたのがわかった気がする。


ベッドの中から氷丸に仕事の指示を出したり、お医者さんを呼びつけて治療や待遇について詰め寄ったり……義足を作るのに専門家やメーカーを何社も呼びつけて、大プレゼン大会になってしまったときはさすがに恥ずかしかった。


父さまが元気になって、氷丸は心底ホッとしたようだ。


私も、生まれて初めて感じていた。


父さまを、愛していることを。


この人のためになんでもしてあげようと思う。


もう、家を出るなんて子供じみたことは考えない。


父さまのそばにいて、ずっと父さまを支えていきたい。



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