父さまが呼び止めたので、私たちはベッドサイドに戻った。
並んで座ると、父さまは大きく息を吐いて話し始めた。
「ふたりにはとても感謝している。今まで生きてきて、これほど人の優しさを感じる生活は初めてだ。ふたりがどんなに俺を思ってくれているか、俺に気づかせてくれた。それだけでも、この両足を失った意味があると思えるんだ」
私は胸が熱くなった。
「ユーナ、ありがとう。いままで寂しい思いをさせてすまなかった。俺を恨んでいるだろう? それなのに、こんなに優しくしてくれて……」
胸の熱さがこみ上げてくる。
あっという間にまぶたにたどり着き、熱さがあふれだした。
父さまは私を見て手を出した。優しい目だった。
私は父さまの胸にすがりつき、何度も首を振った。
父さまは私を抱きしめて頭をなでた。氷丸と同じように。
でも、今私を抱きしめ、優しく頭をなでてくれているのは氷丸じゃない。
父さまなのだ。
私は初めて父さまの腕に抱かれながら、涙が止まらなかった。
こんなにも、父親の愛に飢えていたなんて。
嬉しくて嬉しくて、涙が止まらなかった。
「お前が赤ん坊のころ、俺はちょうど仕事が乗ってきたところで……仕事が楽しくて仕方がなかった。お前の母さんは身体を壊して転地療養していたし、ほとんど家にも帰らなかった」
「……」
「たまにお前に会っても、どうしたらいいかわからなかった。俺は赤ん坊の世話なんてしたことがないし、お前は小さくて柔らかくて……壊れ物みたいで恐ろしくて、ろくに触ることもできなかった。モエに叱られて何度か抱いたが、泣き出すお前をどうしていいかわからなくて、次第に遠くから見ているようになった」
ドキドキする。
父さまが、こんな風に自分のことを話すのは初めてだ。
「そんな俺にお前がなついてくれるわけもなく、大きくなるにつれてお前も俺を避けるようになっていった。自分で蒔いた種とはいえ、正直寂しかった。昔から周りの人間に可愛がられる性格じゃなかったが、自分の子供にすら愛されない自分が心底情けなかった」
父さまは息をついた。
「だから……氷丸は、精一杯愛してやろうと思った。ユーナにしてやれなかった分も、俺のすべてをかけて、氷丸を愛して育てようと思った。氷丸も俺の愛情に十分応え、素晴らしく成長してくれた。俺を愛してくれた。それが……俺は、嬉しかった」
氷丸が動いた。
「それは……、それならなぜ。気づいたときから、姫様にも同じように愛情を注げばよかったじゃないですか」
まったくだ。
「しかし……気づいたときにはもう、ユーナは結構大きくなっていて。俺は赤ん坊が苦手だが、女の子も苦手なんだ。どうしよう、どうしようと思っているうちに、どんどん大きくなってしまって。俺は、女の子っていうのはどうも苦手なんだ。どう扱っていいかわからん。照れくさくってな」
私は呆れて顔を上げた。
父さまは真っ赤になって鼻をかいていた。
「ユーナを自然に可愛がるお前がうらやましかったよ」
「呆れましたねえ」
氷丸も呆れたらしい。
「自分の子供なのに、なにが照れくさいのよ! もう!」
父さまはモジモジと「うん」とか「そうだな」とか小声でつぶやいている。
「ま、炎丸様はシャイですからね。無理もないか」
なにっ? 父さまがシャイ?
「でもこれからはそんなことじゃいけませんよ。姫様が可愛いなら、ちゃんと可愛いと言わないと。言葉にしないと通じませんよ、姫様は鈍いんだから」
「そうよ! いい年して照れないでよ!」
氷丸は私の頭をコツンと叩いた。
「こら、なにを威張っているんですか。さっきまで自分だってモジモジしていたじゃないですか」
私は赤面した。
父さまがニヤリとする。
悔しくなって、私は父さまに抱き着いておでこにキスをした。
父さまは目を見開いてオタオタしている。
やったね!
「姫様、見事な一本勝ちです。いや、素晴らしい」
氷丸は声を殺しながら笑っている。
「ばかもん、親をからかうな! いいから早く帰れ!」
「はあい。帰ろ、氷丸」
「ええ、そろそろ帰らないとサエキさんに怒られますね。行きましょう」
私たちはもう一度父さまにお休みを告げ、部屋を出た。
なんだかウキウキが収まらない。
氷丸の腕に手を通すと、彼も嬉しそうに私に微笑みかけた。
「初めてだね。父さまが私のことあんな風に言ったの」
「炎丸様は今までもずっと姫様のことを愛していましたよ。ただ、どうしようもなく照れ屋なんです。だからつい、ぶっきらぼうになってしまうんですよね。姫様もこれからは、そこのところを汲んであげてください」
「そうだったんだ。モエとハルトにも言っちゃおうっと」
「ふたりともわかっていますよ。炎丸様の気持ちに気づいていないのは姫様だけだったんです」
「……」
今まで、父さまは私のことを要らないんだと思っていたけれど。
そうじゃなかったんだ。
父さまも本当は私のことを好きなのに、照れて言動に出せなかっただけなんだ。
私はもう、要らない子供じゃない。
愛され、必要とされている子供。
この場所にいていい人間になれたんだ……
しゃぶしゃぶをつつきながら、ふと思い出して「サエキさんって誰?」と聞いてみた。
「なにを言っているんですか。特別室担当のナースエイドじゃないですか」
あの美人の看護助手か。
それにしても……
「何度か顔合わせてるけど、名前なんて知らなかった。いつ自己紹介しあったの?」
「それは……ええ。大切な炎丸様をお願いするのですから」
……さすが。
私は精一杯皮肉な声で言ってやった。
「氷丸は女の子が苦手じゃないんだね。むしろ得意なんでしょう」
「はは……女の子の扱いは姫様から学ばせてもらいました。俺は幸運ですよ。シャイじゃありませんからね」
氷丸はあれからサングラスを気に入ったようだ。
仕事に行くときもプライベートでも、薄いカラーレンズのサングラスをかけることが多くなった。
どうして外さないの、と聞くと「姫様がかっこいいと言ってくれたので」と答えた。
父さまは家の近くの大病院に転院した。
インターネットがつながる豪華な特別個室におさまり、リハビリ、義足の調整、車いすの練習、と忙しそう。
さらに、最近出回り始めたノート型パソコンを病室に持ち込んで仕事もしているようだ。
療養しなさい、とドクターたちに叱られているとのこと。
今、執務室や父さまの寝室、トイレやお風呂にリフォームが入っている。
父さまは部屋のしつらえを変えることに渋ったけど、氷丸が強引に進めてしまった。
車いすや義足でも使いやすいように、水回りも介助ができる安全仕様に作りなおしている。
父さまが入院している間に完成する予定なのだけれど、「できるだけ早く済ませろ」と騒ぐので氷丸になだめられている。
私は学校が終わると、そのまま父さまの特別室へ顔を出す。
家にいてもリフォームの工事音がうるさくて勉強できないから、と言うと父さまも止めなかった。
父さまは、数字や図や英語がいっぱい載っている資料を見ながら、パソコンをダカダカやっている。
難しそう。
父さまも氷丸も、よくこんなのずっとやっていられるなあ。
宿題が終わってソファーで暇そうにしていると、父さまが話しかけてきた。
「ちゃんと覚えているか?」とライエの家系図を見せたり、「なになに社は知っているか?」と仕事相手の会社を教えようとしてきたり。
「わかんない。ねえ、もういいでしょ。マンガ読みたいんだけど」
「こら、真剣に聞きなさい。いずれはお前がライエの屋敷も本部も引き継ぐことになるんだぞ。今から少しずつ慣れておきなさい」
「!」
冗談じゃない。こんな難しいこと、まっぴらごめんだ。
私は改めて宣言した。
「私、ライエの仕事は向いてないよ。だから跡も継がない」
父さまは「ばかもん。お前が継ぐことに決まっているんだ」と怒ったけど、もう怖くなかった。
氷丸が来ると、父さまはプリプリしながらその話をした。
氷丸は苦笑いしながらこう言った。
「姫様はまだ子供ですから。いずれ俺がなんとかしましょう」
なんとかされてたまるもんか。
父さまと仲直りはしたけど、それとこれとは別問題。
長い戦いになりそうだ。
でも負けるもんか。
本当の自分らしさはまだ見つけられないけど、私は私の居場所を見つけた。
だからこそ流されちゃだめ。
これからは自分らしさを探していかなくちゃ。
私は私の望む私らしい生活を手に入れるため、これからも戦い続けるのだ。