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第3話 俺たちの青写真

キザキ・リョータを家に送り届け、俺はあてもなく車を走らせた。


気持ちがたかぶっていて冷静になれない。

少し頭を冷やすつもりだった。

だがどうにも収まらない。

次から次へと思いやアイデアが溢れて興奮が増すばかりだ。


結局俺は炎丸様のもとへ向かった。

面会時間ギリギリだったが、彼にこの気持ちを聞いてほしかった。


俺が病室に入ると、炎丸様は苦笑した。


「やっぱり来たか」


「はい」


俺は息を切らせてベッドサイドに座った。


「どうだ? 可愛い子ちゃんは。口説き落とせたか」


思わず笑ってしまった。


「どうでしょう。でも、感触は悪くありません」


「そうか。さすがだな」


「炎丸様」


俺は彼の手を握った。


「初めてなんだ。こんな気持ちになったのは」


「お?」


「俺はキザキ・リョータが欲しい。どうしても彼にエデュケイションをしたい。初めてです。今まで何人も優秀な子供たちにエデュケイションをしてきたけれど、こんなにワクワクするのは初めてなんだ」


「そうか」


「あいつには、底知れない……なんていうか。そう。可能性がある。精錬して、鍛錬して、磨きあげて……あの、力強い薄碧はくへきの石。あの石を、彼に与えたい」


「……第四代、風丸かぜまるというわけか」


俺はうなずいた。


「いいだろう。キザキ・リョータがそこまでの男なら……お前のすべてをかけて教育してみるといい。簡単なことじゃないぞ、人ひとり育て上げるということは。覚悟はできているんだな」


「はい……!」


炎丸様は俺の手を強く握り返した。


「楽しみだ。長生きしなくてはな」


「当たり前です。風丸が活躍するライエを見届けてください」


「お前と風丸のライエだ。俺は安心して、家で裏方仕事にいそしめるってもんだ」


少し寂しい気持ちで、俺はうなずいた。


「というわけで、お願いがあります」


「なんだ」


「これから俺は、プライオリティ第一位にキザキ・リョータの教育をあてるつもりです。炎丸様がコーポレート部門を担ってくださるのはありがたいですが、それでもどうしても手が足りない。この際、仕事をいくつか整理するつもりです。炎丸様が開拓してきた業務を切るのは心苦しいのですが、あくまでライエの本業は教育であるべきだと思うのです。どうか、俺のわがままを許してください」


「……そうか」


「お許しいただけますか?」


「それな。俺が言おうと思っていたことだ」


「!……」


「もう、目星はつけている。お前とすり合わせようと思っていたところだ」


「炎丸様……」


「だがな、氷丸」


「はい」


「エデュケイションだけじゃない。お前自身のことも忘れるな。目途がついたら復学も考えろ。そしてドクターも取れ。お前も欲しいだろ? 博士号のひとつやふたつ」


「……それは……」


「俺も若いころ、なんとかやりくりしてドクターを取った。あの達成感は忘れられない。だが、本当はもっと学問をしたかった。もっと研究に時間を割きたかった。その後悔をずっと引きずっている。だからお前には、万全の態勢で、思う存分学問をさせてやるつもりだった」


「……」


「こんなことになるなんて思わなかったんだ。……すまない」


俺は強く目を閉じ、あふれる涙をこらえた。

炎丸様は慰めるように、ポンポンと俺の手を叩いた。


「キザキ・リョータが一人前になったら、順番にドクターをとればいいな。うん」


俺は深呼吸で涙を抑えた。


「はい、そうします。……ただ」


「なんだ」


「まだ正式にイエスの返事をもらっていません。これで断られたら、俺たちの青写真は仕切り直しですね」


「それはショックすぎる。不吉なことを言うな」


俺たちは笑いあった。


「祈りましょう。俺たちの思いがキザキ・リョータに届くように」


「そうだな。できることはそれくらいか」


美人のナースエイドがやってきて「面会時間終了ですよ」と声をかけてきた。




祈りは通じた。

その夜、キザキ・リョータから電話で「よろしくお願いします」と正式な返答があった。


俺たちの青写真は、約束された未来を鮮やかに描き始めていた。



*****


リョータのエデュケイションが始まった。

まずは生活スケジュールを調整し、課題の質と量を見極めていく。


リョータは張り切っていた。


俺は髪を短く切り、リョータとの新しい生活に胸を躍らせていた。




夏休みを前に、モリがエデュケイションを辞めると申し入れてきた。

中学受験で失敗した憧れの男子校に、高校受験でチャレンジしたい。そのため、受験勉強に集中したい、というのが理由だった。


だが、俺も本人もわかっていた。

俺のエデュケイションにかける熱量が、リョータとモリではまったく違うことが。


申し訳ない気持ちがなかったわけじゃない。

しかし、玉の継承が遠すぎることはモリも身に染みていたはずだ。


モリは明敏だ。

俺の気持ちが自分にないことを自ら受け入れたのだろう。


方向転換は決して負けじゃない。

これまでのエデュケイションは、必ず彼の財産となることだろう。




カリキュラムが始まると、リョータは俺の指示した基礎勉強が退屈そうだった。

身体トレーニングの時間は実に生き生きと楽しそうだったが。


だが、最近は基礎から見直し学習に面白みを感じているようだ。

そして早くも芽が出始めている。

まさにスクスクといった表現そのままに点数が伸びている。


こんなに早く、如実に成果が表れたのは、リョータの性質によるものと俺は分析している。


リョータの長所第一、「素直」であることだ。


氷丸様に従う、と自分で決めたときから、疑問や不服があってもひとまず飲み込み、すべて俺の指導に従った。


その学習態度が成果に表れている。

言われた通りにやればやるだけ点が伸びることにリョータ自身が驚き、さらにやる気が出る好循環だ。


裏を返せば単純であり、深慮にかける傾向ありとも言える。

だがそのマイナスを補って余りあるほど、この素直さはかけがえのない美点だ。


この先の人生、壁にぶつかる日は必ず来る。


そのとき、この素直さは彼の成長の推進力となるに違いない。


挫折も痛手も柔軟に受け止め、勇気をもって変化に飛び込んでいける力になるだろう。




夏休みに入り、リョータは毎日のように本部に顔を出すようになった。

隣接する自習室で勉強をするためだ。


ミーティングルームの一室は自習室として開放されており、このビル内の企業に勤務する従業員が資格の勉強や仕事の調べものなどに使用している。


一般の社会人や学生にも有料で貸し出しているが、エデュケイション中の学生は席を確保して使用することができる。もちろん無料だ。


家で勉強し、定期的に成果物を報告に来るという方法もある。

レイジもそうしていたし、モリもそうだった。


だがリョータは「家では集中できない」と言って、弁当持参でやってくる。

雨の日も風の日も、自慢の愛車をかっとばして1時間かけてやってきた。


朝から夕方までみっちり勉強し、16時からはジムでトレーニングだ。

専属トレーナーをつけたのでメキメキと力をつけている。

また、週に3日は今まで通り柔道の道場にも通っている。


「自習室って、土日も借りられるんですか?」


ついに平日だけでは飽き足らなくなったか。

勉強が楽しくてたまらないフェーズに入って来たな。よしよし。


「もちろんだ。平日と同じ時間帯で開いているぞ」


「やった、ジムも開いてますもんね。あ、でも本部はお休みですよね。氷丸様もミズキさんもいないけど、直接自習室に行っちゃって大丈夫ですか?」


「かまわないよ。いつも通り暗証番号で入っていいい」


「わっかりました!」


「実は、なんだかんだ俺も土日に本部にいることが多いんだ。9月のリサーチ・テストの準備もあるしね。手が空いたら声をかけるから、本部でマンツーマンで勉強しよう」


「え、そんな。土日もお仕事ですか?」


「まあ、年俸制だから休みは流動的だ。でも平日はなかなか時間が取れないからな。楽しみだよ」


「えー、贅沢だなあ! 俺もめっちゃ楽しみ! 氷丸様の指示通りやってると、なぜかどんどん点が伸びるんですよね。本当にびっくりですよ」


可愛い奴だ。


俺もワクワクして微笑んだ。


そろそろギアをあげてもいいころだ。

俺への信頼も十分醸成されているとみた。


ライエ伝統の飴と鞭教育を存分に味わうがよい。


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