「くっ!? ……こ、殺せ!」
有史以来、幾度となく繰り返されてきた勇者と魔王の戦い。
今回、とある国に認定された勇者一行は数多の冒険と難関を乗り越えて、魔王が座する謁見の間まで辿り着く事に成功した。
それは実に約9年ぶりの快挙ではあったが、その勇敢なる剣の切っ先は玉座までは至らなかった。
勇者一行は魔王を玉座から立ち上がらせるどころか、魔王が最も得意とする攻撃魔術の呪文を口から一片も紡がせる事もなく、玉座前を守護する二本足で立つ緑色した豚の魔物『オーク』に、それも1匹に打ち倒されていた。
本来、オークとは駆け出しの冒険者が手こずる程度の強さ。複数で挑み、油断さえしなければ、楽勝で倒せる魔物。
魔王との戦いの前哨戦。玉座を守護するオークを見るなり、勇者一行は思わず声をあげて笑ったが、蓋を開けてみれば、そのオークは規格外が過ぎた。
今や、勇者と思しき若い男性、魔術師と思しき初老の男性、僧侶と思しき中年の男性は息絶えており、生き残っているのは勇者一行の紅一点。騎士と思しき女性のみ。
しかし、その女性も既に息も絶え絶えに満身創痍。つい先ほどまで身に着けていた美しい白銀の鎧を剥かれて、豊満な胸と金髪の恥部を晒された状態にて、前髪をオークに掴まれて持ち上げられながら魔王へ供物として捧げられていた。
それでも、女性の目は未だ死んでいなかった。前髪を掴まれている痛みにだろう。涙目になってこそはいたが、魔王を気丈に強く睨み付けていた。
「ブヒヒ! 魔王様、この者をいかが致しましょう?」
「ひぃっ!?」
ある種、それは加虐心を誘うものでもあった。
実際、オークは下卑た笑みをたまらず漏らして、腰に巻くボロ布の下に隠す小オークをいきり立たせ始め、その変化を間近で目の当たりにした女性が思わず悲鳴を飲む。
「……好きにしろ」
だが、玉座に身を沈める黒いローブのフードの中に感情の動きは一欠片ほども無かった。
何故ならば、魔王は骸の王『リッチ』である。精神攻撃に対する完全無効化の特性を持っている。と言うか、性欲そのものを持っておらず、肉を持たない骨だけの身体の為、魔王は男性ではあるが、ソレ自体も持っていない。
その声も感情の籠もらない淡々としたもの。魔王は頬杖をついている反対の掌を煩わしそうに手を上下させるだけ。
「ブヒヒ! 有り難き幸せ! 魔王様へ絶対の忠誠と感謝を!」
「い、嫌ぁぁ~~~っ!?」
しかし、オークは違った。豚鼻の鼻穴をより膨らませて、鼻息をフンフンと荒くさせながら女性を見下ろして舌舐めずり。
小オークも喜びにビクンビクンと震えて舞い踊り、ぬらぬらとした粘る涎を待ちきれないと言わんばかりに床へ垂らす。
それ等の醜くもおぞましい姿に最後の一線でぎりぎりで耐えていた精神を女性は遂に決壊。これから己の身に襲う悲惨な未来を想像して恐れおののき、歪めた顔を左右に勢い良く振りまくりながら狂った様に泣き叫ぶが、その反応はオークを喜ばせるだけだった。
「ブヒヒ! さあ、来い!」
「殺して! お願いだから、殺してぇぇ~~~っ!?」
「ブヒヒ! 安心しろ。俺はオーク一の紳士だからな。たっぷりと可愛がってやるぞ」
「嫌! 嫌! 嫌ぁぁ~~~っ!?」
オークは女性の前髪を掴んだまま、満面の笑顔で抵抗に暴れる女性をモノともせずに引きずり、謁見の間を出て行く。
魔王城に響き渡り、謁見の間から徐々に遠ざかってゆく女性の悲鳴。それを耳にしながらも、魔王の感情はやはり一欠片も動かない。
だが、勇者一行が現れた時も、死闘が目の前で繰り広げられている時も、その決着が着いた時も、右肘を突きながら頬杖をついて座り、微動だにしなかった魔王が初めて動きを見せる。
「うーーーん……。」
腕をゆっくりと組み、
視線の先をやや上の何もない虚空へと向ける魔王。
その何やら思案を巡らせて唸る心の内は、勇者一行を差し向けた人類へ対する報復か。それとも、別の何かか。
******
その世界に存在する巨大大陸、パンゲーニア。
大陸の住人達は大きく分けて、人間、亜人、魔物、魔族の4種。
個体としての強さなら、ドラゴンと言った一部例外が魔物の中に有れども、力、知恵、生命力の3つにおいて、魔族が群を抜いて優れていたが、大陸を一番早くに支配したのは最も弱い人間だった。
その理由は適度な繁殖力と知恵を積み重ねられるだけの生命力に優れた為、文明を築いてゆく速度が他の種族よりも圧倒的に早く、種族全体としての強さがあった。
なにしろ、人間が『国』と言う概念を作り始めた頃、亜人はようやく村単位の集団を作り、魔物と魔族に至っては未だ血族単位の活動にしか至っていなかった。
大陸各地にて、ほぼ時を同じくして興った人間の国々。その中でも当然の事ながら優劣は存在した。
人間は覇権を求めて争い、興亡の繰り返しの果て、今から1000年以上の古の昔。大陸の1/3を支配するにまで至る強大な帝国が出来上がる。
その名はインランド帝国。『我が国こそが大陸の中心、我が国の外は等しく蛮地』と言う意味を国名に込め、周辺国家へ服従を強いて、従わない場合は武力による侵略を繰り返してきた軍事大国である。
当然、周辺国家はインランド帝国を共通の敵とする様になり、インランド帝国へ対抗する連合や同盟が幾度も組まれたが、インランド帝国はあまりにも強すぎた。
その最大の理由として挙げられるのが、首都の位置。当時の測量技術はまだまだお粗末なものであり、大陸全土の地図は完成しておらず、知る由もない事実だったが、その国名の通り、インランド帝国は実際に大陸中央という絶好の位置にあった。
しかも、首都周辺の国土は肥沃で広大な平原。南は大河に、北と西は険しい山脈に囲まれて、天然の堀と城壁が有り、生命を育む環境とそれを守る環境が整っているのに加えて、東は大きな湾となって海に面しており、交易による文明と文化が大陸の何処よりも早く進み、国が富んで発展する要素が詰まっていた。
詰まるところ、この地を支配した者こそが大陸を支配する。そう断言が地政学的に出来る大陸の超一等地であった。
だが、それも今は昔の話。この大陸における人間の歴史は黄金期を既に去っていた。
今、その超一等地を支配するのは魔物。大賢者や大僧侶が絶望の果て、秘術を用いて転生すると言われる骸の智者、リッチ。
嘗て、インランド帝国皇帝が座っていた玉座に座り、『魔王』と呼ばれる存在。その支配は既に約1000年の時を超えていた。
無論、これを人間達は手を拱いて見てはいなかった。この約1000年の間、この地を奪還する為、あの手、この手を使い、魔王の打倒を幾度も試みている。
しかし、前記の通り、その地は天然の要塞に守られており、インランド帝国が要所、要所に築いた要塞も存在。幾度か、数カ国が連合、同盟を組み、100万を超える大軍勢を率いて、魔王領へ侵攻したが、その大軍勢が魔王城まで届いた事は過去に一度たりとも無かった。
ならば、国中、大陸中から選出された少数精鋭の勇者一行はどうかと言えば、その少数精鋭の身軽さ故に隙を突き、魔王城へ侵入。魔王との戦いにまで至る強者達が過去に十数回ほど存在してはいたが、いずれもが玉座前を墓所として命を散らしている。
そうした数々の侵攻を受けて、魔王もまた黙ってはいなかった。
最近は声を静めており、ここ約200年の間は大規模な行動を行ってはいないが、それ以前は苛烈な大侵攻を人間領へ対して何度も起こしている。
それこそ、約500年前に行われた大侵攻は恐怖と共に『死者の大行進』の名で呼ばれて語り継がれており、魔王という絶対の恐怖を大陸に住まう者達全ての心に根付かせていた。
現在、各国の王達や各宗教の長達は祭事などで常に魔王の打倒を声高らかに叫んではいるが、その本音は触らぬ神に祟り無し。魔王領と領土を接する国々へ嫌々ながらも支援金を送るくらい。
また、その領土を魔王領と接する国の王達も父、祖父、先祖の代から延々と続いている魔王領沿い城壁の建設費用に嘆きながら、魔物や魔族が領内へ入るのを防ぐのが精一杯。魔王領へ攻め入る予算など、夢のまた夢だった。
だが、それだけでは沽券にかかわるとして、各国の王達や各宗教の長達は魔王の報復にビクビクと怯えながらも、時たま『勇者』を選出しては魔王領へ送り出していた。
即ち、魔王とはこの大陸における事実上の支配者であり、絶対者。今や、人間達は魔王の影にすら怯えて、魔王の気まぐれが自分達へ向けられないのを祈る存在となっていた。
大陸の中心にして、恐怖の中心地。1年を通して、灰色の分厚い曇天が空に広がり、常夜の世界に染まる魔王城。
謁見の間、魔王は一人。その身を玉座に深く沈めて、虚空をぼんやりと眺めながら気怠そうに今日も今日とて嘆息する。
「あーー……。おっぱい、もみもみしたい」