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第5話 俺の名前を言ってみろ




「さて……。これで問題は無いかな?」


 あの予期せぬ再誕を迎えてから、早くも一ヶ月が過ぎようとしていた。

 この一ヶ月、魔王は何を行っていたかと言うと、全く何も行っていない。モテストの街をぶらついては魔術学院の寄宿舎へ寝に戻るだけ。

 その寄宿舎も一ヶ月が経った為、家賃の更新日となり、魔王は寄宿舎を引き払おうと、寄宿舎の管理を行っている魔術学院の事務局を訪れていた。


「はい……。

 ……って、えっ!? こちらも提出でよろしいのでしょうか?」


 事務局受付のお姉さんはカウンターへ差し出された退寮届けを受け取り、その下にあったもう1枚の用紙を見るなり、驚きに見開いた目を魔王へ弾かれる様に向けた。

 退寮届けの下に隠れていた用紙は魔術学院の退学届け。そのテンプレートが印刷された用紙の必要事項には魔王が書き入れた名前と入学日。つまりは一ヶ月前の日付が記載されており、事務局受付のお姉さんが入学からたった一ヶ月で退学しようという魔王の行動に驚くのも無理はない話。

 モテストの魔術学院は魔術を学ぼうと志す者全てに門戸を開いており、入学時期は1年に1回だが、試験を必要としない。身元を証明するものと入学推薦人の名前の2つが有れば良い。

 但し、毎月の受講料は比較的に安価だが、入学者か、その保護者の身分に応じた入学金を支払う必要があり、これがどの身分の者にとっても結構な金額になる為、モテストの魔術学院生は真面目で熱心という評判が高い。

 無論、魔術に関する才能が無い、または低いのを入学後に知り、泣く泣く退学をしてゆく者も存在するが、そう言った者達の受け皿として、魔術の才能を必要としない薬学部なども存在しており、実家によっぽど余裕がある貴族以外は滅多に退学しようとはしない。

 また、そういった貴族ですら、モテストの魔術学院に在席していたという箔を付ける為、数年間は在席するのが普通であり、入学から一ヶ月で退学するなんて者は前代未聞と言えた。

 もっとも、魔王は叡智を極めた存在。最も歴史を持つモテストの魔術学院とは言え、図書館の蔵書は読んだ物ばかり。教えられている魔術とて、児戯に等しい。

 それ故、魔王は未練をこれっぽっちも魔術学院に持っていなかった。事務局受付のお姉さんへ頷いて応えると、もう用は済んだと言わんばかりにさっさと立ち去る。


「ああ、間違いない。では、頼んだぞ」

「えっ!? ……あっ!? ちょ、ちょっとっ!? ほ、本当によろしいんですか?」


 しかし、事務局受付のお姉さんは目の前の退学届けが未だ何かの間違いだと信じて疑わなかった。慌ててカウンターから身を乗り出して、呼び止めようと右手を伸ばすが、魔王は振り返ろうともしない。

 改めて、この一ヶ月間、魔王が何を行っていたかと言うと、それは歓楽街通いである。貴族御用達の高級店から冒険者達が通うリーズナブルな店まで幅広く、数多の女性の元へ通っていた。

 それこそ、その日の一軒を選んだら店こそは変えないが、2人、3人を相手にして毎日が朝帰り。夕方前に起床して、再誕初日に訪れた『けろろん亭』で食事。歓楽街をぶらついて、その日の女性を物色するという不健康な生活サイクルを繰り返していた。

 当然、この様なお大尽遊びを行っていたら、お金が幾らあっても足りる筈はなく、再誕初日は金貨や銀貨がぎっしりと詰まっていた魔王の革袋は今日のパン代を残すだけにまで減っていた。

 ちなみに、魔王は思い出そうともしていないが、この一ヶ月間の豪遊に使ったお金はレイモンドが皇族籍と皇位継承権の返還と引き換えに得た手切れ金であり、大事なお金。少々の贅沢な暮らしをしても、3年は十分に保つ金額だった。

 その事情を知る者達がこの一ヶ月間の魔王の放蕩ぶりを知ったら、一部の者達を除き、呆れて嘆くのは間違いない。あの聡明な皇子は何処へ行ったのだろうかと。

 だが、魔王にとって、この一ヶ月の食べて、飲んで、遊んだ生活は1000年ぶりのボーナスタイムであり、神秘を解き明かす為の勉強代。後悔は微塵も無かったし、財布は寂しくなっていても明日からの生活を心配もしていなかった。


「ふぅ……。こうして、太陽の下をまた歩ける日が来るとはな」


 事務局の建物を出ると、空は雲一つない秋晴れ。

 陽の下に出られなかった一ヶ月前を懐かしみ、魔王は右手を細めた目の前に翳しながら太陽を見上げて微笑んだ。




 ******




「……あそこか」


 魔王が持っている叡智と技術。それ等を生かせば、高給取りな定職を得るのは容易い。

 しかし、魔王は1000年もの間を絶対者として君臨し続けてきた支配者。誰かの下で働くのは無理だろうと自覚していた。

 その反面、魔王としての名乗りを挙げて、再び君臨する気も無かった。同じ事を繰り返すなど、まるで心が踊らず、やる気が湧いてこなかった。と言うか、最終的にあの耐え難い退屈の日々が待っていると考えたら真っ平御免だった。

 そう言った事情から、魔王が生きてゆく糧の職業として選んだのが、冒険者。極論を言ってしまえば、自由気ままな定職を持たないその日暮らしの駄目人間。

 だが、その実は一流と呼ばれている者やそれを目指す者ほど、日頃から欠伸を噛み殺して警邏をしている街の衛兵よりしっかりとしており、朝早くからきっちりと動き出す。

 何故ならば、冒険者達を管理して運営する人材派遣会社である冒険者ギルド。その掲示板へ朝一に張り出される仕事の雇用契約は早い者勝ち。報酬が良い仕事や割の良い仕事はすぐに消えてゆくからである。

 現在、その波の真っ最中、冒険者ギルドのロビーは人でごった返しているが、誰もが掲示板に夢中であり、新顔の魔王を誰も気に留めない。

 魔王は辺りをキョロキョロと見渡しながら歩き、人が混みあう中、そこだけが不自然にスペースをポッカリと空いている場所を見つけて、その場所こそが目指す場所と知って向かう。


「失礼、新規登録を願いたい」

「あっ!? はい、それでは……。えっ!?」


 天井からの吊り看板に『冒険者名簿管理部』と書かれたカウンター。

 それを越えた近くの机で仕事を行っていた女性は魔王の呼び声に手を止めて、席を立ち上がりかけるが、魔王へ視線を向けるなり、中腰体勢のまま固まって、見開いた目をパチパチと瞬きさせた。

 なにせ、魔王ときたら、足を肩幅に開いて、腕を組みながら胸を張り、その威風堂々とした姿は見た目こそは若いが、どう見ても歴戦のベテラン冒険者。とても初心者には見えなかった。


「どうした? 新規登録を願いたいのだが?」

「はい、失礼しました! ……重ねて失礼を申し上げますが、字の方はお書きになれますでしょうか?」

「もちろん、書ける」

「では、こちらの用紙の赤い枠で囲まれている必要事項に記入をお願いします」


 しかし、繰り返された魔王の言葉に聞き違いでは無かったと知り、慌てて受付嬢はカウンターへ駆け寄り、その上にペンと冒険者新規登録用紙を置く。

 余談だが、この巨大大陸には種族や地方によって、独自の言葉が今でも存在するが、遠い昔に人間達が大陸を支配した時から各地の言葉が混ざって洗練され、長い長い時を経て、今では1つの大陸共通言語が出来上がっている。

 但し、字を読み書きする識字率はあまり高くは無い。上級貴族や王族、皇族は必須技能となるが、下級貴族は字を学ぶのは頭首と嫡男くらい。平民に至っては町長や村長、名主、商人と言った字を必要とする者以外はまず学ばず、せいぜい日常で必要な単語を読める程度でしかない。

 その点、魔王は元皇族。三つ子の魂、百までもどころか、千に至っても厳しく教えられたソレは身に付いており、ペンをすらすらと走らせて書く文字は美しかった。


「……はい、結構です。

 次に簡単な審査を行います。この水晶玉に利き手を置いて、私の質問に全て『はい』で答えて下さい。

 例え、答えが違っても『いいえ』とは答えず、必ず『はい』と答えて下さい。……では、よろしいでしょうか?」

「解った。始めてくれ」


 そして、魔王が必要事項を用紙に書き終わると、受付嬢は用紙を受け取った後、掌より一回りほど大きな水晶玉を『よいしょ』とかけ声を呟き漏らしながらカウンターの上へ乗せた。

 冒険者になるのは実に簡単である。今、魔王が行っている様に簡単な審査を受けて、冒険者ギルドの名簿に登録されたら、その瞬間から冒険者として認められる。

 但し、殺人や強盗の経験がある重犯罪者や指名手配犯を登録してしまうと、色々な面で冒険者ギルドの信用問題となる。

 その為、そう言った悪党達をここで振るい落とす為の道具がこの水晶玉『嘘発見器』である。単純な『はい』と『いいえ』の判別のみだが、掌を置いた者の心をダイレクトに感じ取って反応する魔術が込められており、その的中率は99.99%を誇る。

 大抵、後ろ暗い過去を持つ者というのは、魔王が今先ほど書いた冒険者新規登録用紙のプロフィールを詐称している事が多いが、その詐称を日常生活の中で装えても、自分自身の心に本物だと認識させるのは難しい。

 特に名前は生まれ出でた時に与えられ、死後も絶対に無くさないもの。その絶対のアイデンティティーを偽れる者はまず存在しない。


「では、最初の質問です。あなたの名前はレイモンドですね?」

「はい」


 ところが、その第一問目にして、水晶玉は激しく赤い光を瞬かせると、ロビーに響き渡るほどの大きな音を『ブーー』と鳴らした。

 その瞬間、ざわめいていたロビーが瞬時に静まり返り、全員が視線を一斉に魔王へと集めて動きを止める。

 受付嬢に至っては冒険者の職種の中で素早さを売りとするスカウトが見惚れるほどの素早さを見せた。

 その音が鳴った瞬間、即座にバックダッシュ。スカートの裾を引き上げて、冒険者ギルド職員なら誰でも携帯が常に義務付けられている短剣を太股のホルダーから引き抜き、いつでも魔王へ投擲が出来る様に身構えた。


「待て! ……待て! 待て! 待て! 違う! 違う! 違うぞ!

 もう一回だ! もう一回! 今のはちょっとした手違いがあっただけだ!

 家名だ! 家名! それが足りなかったせいだ!

 今は事情があって、それを名乗れないから、さっきの紙に書かなかっただけだ!」


 再誕以来、魔王は初めて焦った。激しく焦りまくった。

 ロビーの空気が急速に張り詰めてゆき、前方の受付嬢のみならず、近くの数人の冒険者達が魔王を取り押さえる合図を待つかの様に腰を落としたのを視界の端々に見つけて、これは只ならぬ事態だと察知。魔王は顔を左右に振りまくって制止と潔白を叫ぶ。


「そう言えば……。」


 すっかり静まりきった中、受付嬢がポツリと呟き、魔王をしげしげと眺める。

 冒険者ギルドを訪れるのは冒険者だけでは無い。そう、冒険者の飯の種となる仕事の仲介を申し込む依頼人である。

 それ故、受付嬢はたくさんの人、様々な職業の人を知っており、平民では滅多に会えない上級貴族との交流もあった為に気付く。

 先ほどまで1対1だった為に気付かなかったが、数多の冒険者達が居る中、改めて見ると魔王が着ている服はかなり上等な品であると。

 それが解ると、魔王が必死に訴えた言葉の中にあった『家名』の意味も解り、新規登録者でありながら不思議なくらい堂々としていた理由も貴族だからかと納得して頷いた。

 その様子に旗色が変わったのを悟り、魔王は大きく安堵の溜息を漏らして、一安心。受付嬢を後押しする。


「だろ? だろ? そうだろ?」

「それなら、そうと最初に言って下さい。では、こちらへもう一度……。」


 受付嬢は構えを解いて、警戒心も解き、短剣をカウンター内側のテーブルへ置くと、二度手間を取らせやがってと心ではぼやきながらも表情は笑顔を繕い、先ほど魔王が書いた冒険者新規登録用紙を再び差し出した。

 それをきっかけにして、当事者でない冒険者達も警戒を解いてゆき、ロビーはゆっくりと元のざわめきを取り戻してゆく。


「いや、今も言ったが事情があって、家名は名乗れない。

 だから、耳を貸せ。俺に問いかける際も家名は小声にしてくれ」

「解りました……。

 ……って、ええっ!? 大変、失礼を致しました。知らずとは言え、非礼の数々をお許し下さい」 

「気にするな。こちらにも非はあった。それより、早く頼む」


 だが、魔王の災難はまだ終わっていなかった。

 魔王が受付嬢へ耳打ち、受付嬢が魔王の素性が皇族であると知って驚き、二度目となる改めての問答を行った次の瞬間。


「では、改めまして……。

 あなたの名前はレイモンド……。様ですね?」

「はい」


 水晶玉が再び赤い光を瞬かせて、大きな音が『ブーー』とロビーに響き渡った。

 警戒は解いたが、興味は失われていなかったらしい。冒険者達の視線が先ほど以上の早さで魔王と受付嬢へ戻り、今度は静まり返らずにざわめきを増してゆく。


「な゛っ!? ……な、何故だっ!?」

「それはこっちの台詞です。レイモンド(仮)様」


 水晶玉がヘソを曲げている理由が解らず、目を驚愕に見開いて絶句するしかない魔王。

 受付嬢は先ほど同様に魔王から距離を取りたかったが、それを懸命にグッと堪えて、せめてもの抵抗に魔王へ白い目を向ける。

 なにしろ、魔王は皇族を素性に名乗っている。それが水晶玉の判断通り、嘘なら問題は無いが、もし本当だった場合、これ以上の失礼な態度は許されず、下手すると不敬罪に問われて、自分のみならず、冒険者ギルドにも責任が及ぶ可能性があった。

 緊張が冒険者ギルドに走る。どうしたら良いのか、誰もが動けずにいる中、冒険者ギルドの2階から足音を立てずに下りてくる初老の男性が居た。この冒険者ギルドで最も偉い人『ギルド長』である。

 ギルド長は階段を下りる途中、魔王の死角に居るギルド職員達へ目配せを無言で送り、冒険ギルドの各出入口を密かに封鎖させると、鋭い眼差しの表情をにこやかな笑顔へと変えた。


「おいおい、滅多に聞かない音を2度も聞いた様な気がしたがどうした?」

「あっ!? ギルド長、実は……。」

「……な、何っ!?」


 そして、受付嬢の元へ歩み寄り、顛末の最後に魔王の素性を耳打ちされて知ると、ギルド長もまた受付嬢がそうだった様に息を飲んだ。

 だが、さすがは経験豊富なギルド長である。魔王へ頭を深々と下げると共に表情を取り繕い、そのわずかな時間の中で水晶玉を使用しない代案を頭に閃かせていた。


「なるほど、そう言った事情でしたか。大変に失礼を致しました。

 では、レイモンド様。身分を証明する物をお持ちでしょうか? もし、お持ちでしたら拝見させて頂けると幸いです」

「う~~~ん……。おおっ!?

 有る! 有るぞ! ……ほら、これならどうだ?」


 魔王は申し込まれた代案に腕を組みながら首を傾げて考え込む事暫し。左掌を右拳で叩くと、懐から短剣をギルド長へ差し出した。

 それは機能一辺倒の無骨な品だったが、鞘と柄の継ぎ目を割り符の様にして、紋章が刻まれており、その上に刻まれた紋章が価値を失った事を意味する不名誉印が新たに大きく彫られていた。

 貴族や王族、皇族の素性を表す紋章。その数は星の数ほど有り、それを専門とする職『紋章官』でさえ、判断は困難を極めるもの。

 しかし、インランド帝国は今現在の大陸における最大の雄。モテストとインランド帝国の間に2つの国を挟んではいるが、その侵略の足音は確実に近づいており、インランド帝国の国旗は知識階級の者達なら誰もが知っていた。


「これは確かに……。

 はい、確認を致しました。お収めになって、結構です」

「そうか、良かった。これでもう大丈夫だな?」


 当然、ギルド長も知っていた。

 インランド帝国の国旗に描かれているのは交差する3本の剣と盾。その中の盾には皇帝紋が刻まれており、それは短剣に刻まれている紋章と酷似していた。

 ギルド長は間違いないと頷くと、魔王は短剣を懐へ戻して、今度こそは一安心かと確認を尋ねるが、魔王の災難はまだまだ続く。


「はい、名前はレイモンド様で登録させて頂きます」

「ああ、よろしく頼む」

「ただ、周りをご覧下さい。

 このままレイモンド様の申請を許可しますと、当ギルドが何らかの不正を許容したのではないか?

 そう思われかねず、それはレイモンド様の今後の冒険に支障をきたす恐れも有ります。

 ですから、ここはやはり水晶玉を用いた審査を今一度だけ行う必要がある。そう、私は考えているのですが如何でしょう?」


 魔王はギルド長の指摘に頷く他は無かった。

 事実、ギルド長が魔王と受付嬢の前へ現れて、声を潜めると共に身を自然と寄せ合って密談する形となると、3人は注目と興味を集めていた。

 ヒトとは隠されると余計に知りたくなる生き物。ギルド長に遠慮をしているのか、はっきりと声にこそ出していないが、3人へ向ける目の中には不満も混ざっていた。


「むぅ……。確かにそうだな。だが、また鳴ったらどうする?」

「それでしたら、ご安心下さい。

 レイモンド様は尊き御方。普段は尊称で呼ばれていたのではありませんか?

 もし、そうでしたら、それが恐らくは原因です。

 実を言うと、ある貴族様を審査した時、水晶玉が同じ理由で音を鳴らしてしまった事が過去にも有ったのです。

 ……と言うのも、この水晶玉は旧型でして、融通が効かないのです。ですから、こちらの新型に変えて、いつも呼ばれている尊称で行えば、二重の意味で確実です」


 だが、また水晶玉が音を鳴らしては恥の上塗り。

 魔王は表情を渋くさせて難色を示すが、ギルド長はニッコリと微笑むと、カウンターの内側から取り出した新たな水晶玉とカウンター上の水晶玉を取り替えた。


「あっ!? ……いえ、何でも有りません」


 それを見るなり、受付嬢が思わず驚き声を漏らす。

 そう、受付嬢は知っていた。その水晶玉が故障しており、どんな質問に対しても真実としか反応しない嘘発見器だと。

 しかし、その指摘を敢えて飲み込む。何故、水晶玉が2度も嘘と告げたのかは解らないが、ギルド長が身元の確認を取った以上、それは間違いない。

 現在進行形で解る通り、貴族や王族、皇族と言った存在は厄介事しか持ってこない。だから、これ以上の関わりを持つのは御免だというギルド長の心が痛いほどに解ったからである。

 また、以前からの疑問。カウンター内側のスペースを随分と取り、いつも邪魔に思っている故障品の水晶玉を何故に捨てずにいるのかを解決して、それを指示したギルド長の深慮遠謀に感心する。


「良し、もう一度だ。次はこう尋ねてくれ」


 斯くして、出来レースな魔王の3回目の審議が始まった。




 ******




「あなたは偉大なる魔王様ですね?」

「はい」


 青い光を瞬かせて、間延びした『ピンポーン』という音を鳴らす水晶玉。

 今までと違う水晶玉の反応に喜び、魔王は笑みを口元に描いて、乗せていた右手を水晶玉から浮かせると、力強くギュッと握り締めた。

 考えてみれば、それは極めて単純な理由だった。『レイモンド』と言う名前は確かに魔王が人間だった頃の名前だが、それを使っていたのは1000年もの遙か昔。

 しかも、その自分の名前をつい一ヶ月前まで忘れており、まだ魔王の中に実感として伴っておらず、1000年の間を呼ばれ続けた『魔王』の尊称こそが魔王の中にある自分の名前であって、最初の水晶玉が嘘と判断するのは当然だった。

 だが、そんな事情を知る由もなく、周囲の反応は魔王とは違った。誰もが目を見開きながら口もポカーンと半開きにして、ロビーはシーンと静まり返った。


「ぷっ!? ……おい、今の聞いたか? 魔王だってよ!」

「聞いた、聞いた! しかも、偉大なるとか言ってたぞ!」


 その状態が暫く続き、1人の冒険者が堪えきれずに吹き出したのを合図として、笑い声が彼方此方で湧き上がり、ロビーは静寂から一転。大爆笑の渦に包まれる。

 人類にとって、魔王とは恐怖の存在である。親から子へ、子から孫へ語り継がれ、それを知らない者は1人として居ない。

 有史以来、魔王と呼ばれる存在がこの大陸に現れたのは6回。その度、文明と文化は破壊し尽くされ、人類自体が壊滅寸前にまで至った例すらもある。

 最も記録に新しい魔王の出現は約250年前。過去6回の例から、その出現周期は200年から300年と言われており、今現在が周期範囲内だけに人々は恐怖を潜在的に抱きながらも、毎日の生活にソレを忘れたフリをして敢えて口には出さないでいる。

 言い換えるなら、魔王はタブーの存在でもある。それこそ、どの国においても『魔王が出た』という噂を流しただけで騒乱罪となり、年齢や身分を問わずに死刑となる。

 その恐怖とタブーの存在が目の前に居るなど、まさかまさかの出来事。と言うか、冒険者ギルドへ冒険者登録に現れる魔王は人々のイメージの中に有り得ない。

 ましてや、6人の魔王の姿を描いた絵が現在も残っているが、そのいずれもが魔王と呼ばれるに足る恐ろしい風格を持っており、貴族のボンボンにしか見えない今の魔王とは正反対が過ぎて、皆が笑ってしまうのも当然の出来事だった。


「ギルド長、どうしましょう? 

 名前の欄、魔王様って書いた方が良いでしょうか? ……ぷぷっ!?」

「こら! 仕事は真面目にやりなさい。……くっくっくっ!?」


 あまつさえ、ソレを問うと前もって密談で知っていた筈の受付嬢とギルド長までもが魔王から顔を背けて笑い始める。

 どうやら暫くは止みそうにない笑い。魔王は肩をブルブルと震わせて、顔を俯かせながら奥歯をギリギリと噛み締め、少しでも気を抜くと爆発してしまいそうな感情を必死に耐えていた。


「……く、屈辱だ」


 それを許したが最後、実際に超大爆発が起こり、このモテストの街が跡形もなく吹き飛んでしまうが為に。




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