アオイがこの世界へ召喚されてから、3日が過ぎていた。
その間、召喚された場所に留まり、アオイはこの世界における基礎知識や一般常識と言ったものをナルサスから学んでいた。
「どうして、ナルサスさんは私が召喚された時にタイミング良く現れたんですか?」
「うん、とても良い質問だ。
アオイ君を召喚したと思われる老人がどの程度の魔力と技術を持っていたのか、今は知る術も無いが……。
世界と世界を繋ぎ、その門を開いて、望みに叶うモノを召喚するとなったら、非常に高い魔力と技術を必要とする。
なにしろ、この神秘の探究者たる私でさえ、それを利用する事は出来ても、それをゼロから再現する知識と技術は持っていない。
ならばだ。その老人は神託を受けたのではないだろうか、と予想される。
そう、この世界では神が実際に居るんだよ。
無論、普通は見えないし、聞こえないが……。極々希にね。神と呼ばれる者がこの世界の者へ接触してくる事が有るんだよ。
つまり、君の召喚には神の意志が絡んでいる。
なら、どんなに上手く隠蔽しようが、それは神の意志。ただ在るという事実でとても強大な力だ。
だったら、見えずとも、聞こえずとも、それを感じ取れる者は居る。まあ、決して多くはないがね。
当然、その1人が私なのだが……。 たまたま近くを通りがかっていてね。本音を言ってしまうと、最初は只の興味本位に過ぎなかったんだよ」
「ナルサスさん、この建物って……。どうして、こんな山奥に有るんですか?」
「うん、とても良い質問だ。
そもそも、この建物が何かと言えば、神殿だ。半ば朽ちて、只の石の山となっているが、この石像が証拠さ。
ここは七大神の1人、闇と欲望を司る神の神殿だよ。
では、その神殿が何故に人里を遠く離れた山奥に建てられているかと言えば、その教義が発端となっている。
汝、己を律せよ。堪え忍ぶからこそ、解き放たれた時、欲望とは何にも勝る快楽となり、闇が明けた時の光は眩い。
元々、闇と欲望の神の教えはこうだったとされるが、その教えは長い長い時を経て、次第に変わってゆく。
汝、律する事なかれ。堪え忍ばず、解き放て、欲望とは何にも勝る快楽であり、その闇こそがヒトの本性なり。
詰まるところ、自制を第一にしていたのが、その正反対となってしまった訳だ。
まあ、各宗派が後生大事に保管している神の第一声を刻んだとされる石板の文字なんて、超々々古代文字だからね。
その解釈なんて、それを翻訳した者の匙加減でどうとでも変わるものなのだが……。
約700年前、この大陸に第5の魔王が現れた時、闇と欲望の神の教徒達は後者の教えに従い、欲望のまま魔王側に味方した。
しかし、5代目勇者によって、魔王が倒されると、そのツケはしっぺ返しとなって返ってきた。
そう、闇と欲望の神の教徒達へ対する弾圧……。いや、大弾圧だよ。それは徹底的に行われ、大陸全土に及んだ。
その禍根は約700年が経った今現在ですら根深く残っている。
人が住んでいる場所なら神殿や教会は必ず建っているものだが……。闇と欲望の神のモノだけは絶対に無い。
だが、人の信仰心というものは、どんな理由が有ろうとも絶対に止められないし、曲げる事も出来ない。
だって、神は確実に存在するのだからね。
だから、こんな山奥に建てるしかなかったんだよ。例え、ここでの暮らしがどんなに不便だったとしてもね。
もっとも、ここや他の部屋の朽ち具合を見る限り、何十年と放置されていたんじゃないかな?
その事実から考えると、アオイ君を呼んだ老人は街で暮らしていた闇と欲望の神の隠れ教徒だろう。神託を受けて、ここへ来たのではないかな?」
但し、ナルサスは説明好きなところがあるのか、説明を一旦始めると長くなる傾向が多々あり、アオイは疑問を尋ねる時は慎重を要した。
そして、今日は4日目の朝。この神殿を遂に旅立つ旨をナルサスから前日の夜に告げられ、アオイは期待と不安を入り混ぜて、目をいつもより早く醒ましていた。
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「やあ、随分と早い目覚めの様だけど、ちゃんと眠れたかな?」
神殿の裏、近くの沢から引っ張っている新鮮な冷たい水が常に流れ、驚くくらいの透明感がある水を貯えた手水舎と水浴び場。
アオイは洗顔をしているところに話しかけられ、慌てて顔をタオルで拭いながら背後を振り返ると、サングラスをかけた金髪の男性が居た。
「あっ!? おはようございます。
……って、ええっと……。ナルサスさん、ですよね?」
だが、アオイは一目見るなり、その人物がナルサスだとすぐに気付いた。
髪色は違うが、声と背丈、雰囲気がナルサスそのものだったからだが、普段から素顔を隠しているナルサスである。
本来であるなら、最も特徴付ける要素が元々足りない。アオイは念には念の警戒心を残して、いつでも逃げ出せる様に右足を引く。
「当然じゃないか。……って、ああ、この髪の毛か。
ほら、さすがに白髪は目立つからね。だから、魔術で染めたんだよ。
街まで着くのに、3、4日はかかるけど、いつ他の者に会うか解らないからね。このサングラスも目立たない為の一つさ」
その様子にまずは及第点かなと頷きながらも、ナルサスは金髪に変えた長い髪を掻き上げて、まだまだ注意が必要だと心に留め置く。
アオイと出会ってからの3日間。ナルサスが特に何度も口を酸っぱくして教えたのが、アオイの警戒心の足り無さだった。
なにしろ、ここはアオイが暮らしていた平和な日本とは違う。街の外へ一歩でも出たら、殺人や強盗が当たり前の様に存在する世界。
全てが自己責任であり、被害が幾度も続出しない限り、領主や治安機構は動いてくれず、話を聞いてはくれても、お気の毒にと軽く済まされる。
ましてや、ここは人里を離れた山奥。警戒に警戒を重ねても足りず、最低限の警戒として、あの黄金剣を護身に持ち歩いていないのは呆れるしかない。
しかし、今日は旅立ちの日であり、今はその出発前。アオイの気分を害するのはデメリットになると判断して、ナルサスは小言を我慢する。
「なるほど……。そうかも知れませんね」
そんな駄目出しをされているとは露知らず、アオイも頷きながらも、その実は心の中で『むしろ、逆に目立っているのでは?』と駄目出しをする。
変装前のナルサスを一言で表現するなら、それは畏怖。白髪の長い髪は神秘性が、黒いマスクは得体の知れなさが、その2つが混在となって人目は確かに引くが、それは直視が出来ずに盗み見るもの。
それに対して、変装後のナルサスを一言で表現するなら、それは絢爛豪華。神秘性と得体の知れなさに隠されていたナルサスの貴公子然とした気品と所作の美しさが現れてしまい、それが何処の貴族様だろうと想像させて注目を自然と集める。
特に若い女性達は黄色い悲鳴をあげて、ナルサスに目を奪われるに違いないとアオイは思った。まだサングラスで目元は解らないが、昨日までのマスクからサングラスに変えた事によって、隠されていた部分が多少なりとも明かされ、シャープな二枚目だというのが十分に解る。
むしろ、そのサングラスという存在が最も注目を集める原因となっていたが、アオイは外した方が良いですよとは言えなかった。普段から顔の半分を隠しているのだから、何か事情があるのだろうと推測が出来たからである。
だが、アオイが読んだ6代目勇者の冒険譚の中、6代目の勇者がナルサスのイケメンぶりに嫉妬するシーンが多々有ったが、その中でナルサスが仮面を着けていたと言う描写は一度も無かった。
どうして、それが今は仮面を着け、顔を隠す様になったのだろうか。ナルサスと出会って以来、何度目になるか解らない興味を再び抱きかけていると、風呂敷の包みをナルサスから手渡される。
「まあ、私の事よりもだ。アオイ君、これを出発前に着けなさい」
「はい、解りました。
……って、え゛っ!? こ、これを着けろと? な、何故?」
その包みを解いて、アオイは中身を見るなり、大きく見開いた目をパチパチと何度か瞬きさせて固まった。
毎朝、何処から仕入れてくるのか、ナルサスは食料品やアオイが足りないと感じた身の回りの品を提供してくれ、突然に始まった山奥のサバイバル生活だったが、アオイは随分と助かっていた。
ところが、今朝の提供品は黒いオーバーニーソックスと黒いガーターベルト。この3日間、ナルサスという異性を前にして、生足を晒し続けていたアオイとしてはとても嬉しい品ではあったが、前者はともかくとして、後者は下着に属する品物。アオイはナルサスの思惑が解らなかった。
また、異性から下着をプレゼントされたという事実もさる事ながら、異性が選んだ下着を身に着けて、それが選んだ異性に知られているという状況を想像して、アオイは思わずいけない気分になってしまう。
「何故って……。君は素足のままで森を渡るつもりか?
もし、そのつもりなら止しておく事だ。肌を草や枝で傷つけてしまうよ?」
しかし、それは只の邪推であり、あくまでもアオイの事を思っての品だった。
ナルサスは何故と理由を問われるとは思ってもみなかったのだろう。軽い驚きに目を丸くさせた後、顔を紅く染めて戸惑っているアオイを怪訝に感じながら視線を下げた。
「そ、そう言う意味が有ったんですね! し、失礼しました!」
アオイはとんでもない勘違いをしていたと知り、ナルサスが自分の生足を凝視している事もあって、耳まで真っ赤っかに染めると、その場から恥ずかしさのあまり逃げ出した。
******
「イヤぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
神殿があった山を下りるのに半日。昼食を済ませてから麓の森へ入ると、10分も歩かない内に魔物達は襲ってきた。
アオイより小さく見えるが、それは極端な猫背の為、その実はアオイより大きな体躯を持ち、首から上は体毛に覆われた犬の顔が特徴的な『コボルト』である。
その数、8匹。粗末な衣服を深緑色した肌に纏い、それぞれが棍棒や錆び付いた剣を持って、どいつも、こいつも荒い息。だらしなく開いた口から舌を突き出して、涎を垂らしている。
「来ないでぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」
当初、ナルサスはアオイが平和な世界で育ち、日々の糧となる動物すら殺した事が無いと事前に聞き、ちゃんと戦えるのかと心配した。
特に懸念したのが、その見た目こそは醜悪ではあるが、人間をある意味で連想させる人型の魔物。今、正に戦っているコボルトがその一つだった。
ところが、そのおぞましさ故か、生命の危機を本気で感じてか、鬱蒼とした森の中、決して戦い易い場所では無いにも関わらず、アオイは立派に戦っていた。
無論、ナルサスが魔術を巧みに使い、コボルト達の攻撃がアオイへ集中しない様に気を引いているからではあるが、その戦いぶりは十分に及第点と言えた。
「あっちへ行けぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」
但し、その戦いぶりは何と言うか、見た目にちぐはぐ感を感じさせる微妙なモノでもあった。
まずは何と言っても、この悲鳴。コボルトが放つ断末魔より五月蠅い。こうも五月蠅くては森に響き渡り、目の前の一団を倒しても、すぐに別の一団を引き寄せてしまうに違いない。
次に失笑を誘うほどのへっぴり腰。それでいながら、アオイが振るう剣は何故か当たる。その斬線の範囲にコボルトがわざわざ当たりに来ているのかと思うくらい面白い様に当たる。
最後は見た目自体のちぐはぐ感。アオイの身長が155センチに対して、振るっている剣の長さは1メートル弱。所謂、『バスターソード』と呼ばれている剣に分類され、片手持ち、両手持ちのどちらも選べる剣である。
常識的に考えたら、とてもアオイの筋肉の欠片もない細腕で扱える剣では無い。持つだけなら、両手で持てるだろうが、あくまで持つだけ。二度、三度と振っただけで手首を痛めてしまうだろう。
だが、戦闘が開始されて、既に約3分。アオイの剣速は全く衰えていないどころか、次第に増してゆき、時には片手で剣を振るい、風をヒュン、ヒュンと斬り裂く音を立てていた。
しかも、アオイは学校の制服の上に防具として、肘から下を守るガントレット、胸部と背中を守るキュライス、腰部と股間と臀部を守るフォールドとタセットとキュレット、膝から下を守るソールレットを着けている状態。
その全てが薄黒い金属製の防具であり、総重量は20キロを超え、これも常識的に考えたら、細身のアオイでは10メートルも歩けば、息をゼイゼイと切らす筈が平然と走り、跳ね、時には転がり、息を切らす様子は全く見えない。
「あっ!? 逃げた!」
「おっと、任せたまえ。
万物に糧を恵む光よ。今は集いて、猟犬となり、我が敵の喉元へ噛み付け。マッジクアロー」
「コボコボォォっ!?」
余談だが、アオイが振るっている剣は召還時に得た黄金剣だが、その刀身が目立ち過ぎるというナルサスの魔術処理を受けて、今は一般的な鋼の輝きに変えられている。
また、アオイが身に纏っている金属製の防具一式。ハーフプレートは神殿の奥に保管されていたものであり、恐らくは闇と欲望の神に仕える神官戦士達が過去に使用していたと予想される品。
その為、闇と欲望の神の神印が胸部の中心に刻まれていたのだが、要らぬ誤解を招いて騒ぎとなるのを防ぐ為、これもナルサスの魔術処理を受けて消されている。
「わわっ!? 凄い! 今、木を避けて当たりましたよね?」
「まあ、そういう魔術だからね。
それより、思った以上に戦えているよ。どうなる事かと思ったけど、まずは一安心だ」
総論としては、今のアオイは剣を振り回していると言うより、剣に振り回されていると言う印象を強く受けた。
しかし、戦いに対する恐怖心を克服さえすれば、その腰が引けた不自然な戦いぶりは消えるのではなかろうか。そう考えて、ナルサスは森を抜けるまでの課題とした。
同時に脅威と感じざるを得ないのが、身体も、精神も伴っていないにも関わらず、アオイを立派な戦士に変貌させている『勇者の刻印』の恩恵だった。
「はい……。でも、不思議なんです。
一昨日も言いましたけど、剣道とか、武術の経験は全く無いし、喧嘩だってした事も無いのに……。
第一、いつも体育の成績は1か、2で運動神経だって、良く無いのに……。
でも、何となく解るんです。どうやって、剣を振ったら当たるとか……。
そのせいか、最初は本当に怖かったけど、段々と……。これって、やっぱり刻印の……。私に与えられた力なんでしょうか?」
戦いが終わってみると、アオイの戦果は3匹。
その上、かすり傷すら負っておらず、才能溢れる冒険者でも初めての戦闘はこうも上手くはいかない。
アオイ自身、驚いていた。剣を大地へ突き刺して、開いた両手を見開いた眼差しで茫然と見つめて、信じられないという思いで一杯だった。
そもそも、この世界へ召喚される以前のアオイなら、アオイも加わって作り上げた周囲の凄惨な光景に耐えられず、確実に蹲って嘔吐している。
今、まじまじと見つめている両手とて、コボルトの命を絶った感触が未だ残っていると言うのに、今のアオイの心にあるのは戦いに勝って生き残り、ナルサスの期待に応えられたという大きな達成感。それがアオイへ少なからずの自信を与えていた。
それでも、やはりアオイはアオイ。自分の評価だけでは自信を持ちきれず、ナルサスへ褒めて、褒めてと言わんばかりの視線を向ける。
「恐らく、間違いないだろう。
だが、慢心してはいけない。所詮、コボルトは雑魚中の雑魚だからね」
その熱い期待が籠もった眼差しに抗いきれず、苦笑を漏らしながらもウンウンと頷くナルサス。
アオイは満足をようやく得て、開いていた両手をギュッと握り締めて、小さくガッツポーズ。笑顔を花を咲かせる様に輝かせる。
「はい!
……って、やっ!? ど、何処を見ているんですか!」
だが、それも束の間。アオイはナルサスの知的好奇心に突き動かされた目が自分の股間を熱心に凝視していると気付き、顔を真っ赤に染めると、股間をスカートの上から押さえながら腰を引く。
そう、アオイの乙女の秘密の近く。左太股の付け根内側こそ、今話題となっている『勇者の刻印』が刻まれた場所だった。
「おっと……。申し訳ない。紳士として、あるまじき行為だったよ。
だが、アオイ君。私と2人っきりとは言え、刻印に関する事は決して口へ出してはいけない。
例え、こんな場所とてだ。いつ、何処で誰が聞いているか、解ったものではない。
何度も言うが、君にソレを与えた神は世間の評判が悪すぎる。もし、見つかりでもしたら、君自身が大変な事になる」
すぐさまナルサスは謝罪して、視線をアオイの股間から外すが、その表情は厳しかった。
『勇者の刻印』とはその名の通り、神に認められた勇者の証であり、歴代の魔王を倒した勇者達がいずれも身体の何処かに刻んでいたと言われる印。
実例が過去に6人しか居ない為、確証に至っていないが、その印を身体に刻まれた者は神の恩恵を受けて、何かしらの才能が大きく開花すると伝えられている。
しかし、その存在は極秘中の極秘。それぞれの宗派、七大神に仕える最高権力者の教皇7人によって、口伝のみで代々に渡って伝えられている。それ以外で知る者はナルサスを含めて、数人しか居ない。
何故ならば、『勇者の刻印』を持つ者が現れるという事は、魔王の出現が迫っているか、既に出現していると同義。その存在を知られたら、大陸中がパニックとなるのは必然だからである。
ところが、その呼び名を偽り、その印の意味も偽り、各宗派の教皇達は教徒達へ命じて、いつの世も常に『勇者の刻印』を持つ者を捜し続けていた。
なにせ、魔王を討伐した後、勇者を抱えていれば、大量の新規教徒獲得は間違い無し。そうやって、各宗派は時代、時代の隆盛を繰り返していた。
正直、ナルサスとしては各宗派の勢力争いなど、どうでも良いのだが、アオイの性格を考えると、巻き込まれたら不幸になるのは目に見えており、だからこその心配だった。
「……はい。
でも、ナルサスさん。こんな所、教えでもしない限り、絶対に見つからないと思うんですけど……。」
これで何度目となる忠告か。アオイは耳が痛かったが、変な勘違いをしていた手前もあって、素直に反省する。
だが、同時に『しかし』と考える。『勇者の刻印』が刻まれた場所は左太股の付け根内側。まず見つかる筈が無い。
なにしろ、本人のアオイですら、その刻印に気付いたのは2日目の昼間になってから。用を足し終えて、股間を覗き込んだ時にである。
しかも、確かに刻印は黒くて目立ちはするが、その大きさはピンポン玉程度しかない。スカートを下から覗かれた程度では絶対に見えないし、スカートを履いていなくても足を普通に閉じてさえいれば見えない。
それこそ、アオイが気付いた時の様に足を大きく開いていない限りは見つからず、そんな状況はソレが何を意味するのかが解らずに不安となり、ナルサスに調べて貰った時の1回っきりで十分過ぎた。
「まあ、左手の甲に刻印が刻まれたファンベルトと比べたら、確かに随分とマシだろう。
だが、その油断が思わぬミスを呼ぶんだよ。
例えば、誰しも気が緩んでしまう風呂場なんて、どうだろうか? 周りは同性しか居ないとなれば、尚更だ」
「あっ!?」
しかし、ナルサスはアオイが考えてもいなかった盲点をあっさりと見つけていた。
アオイは場所が場所だけに異性の目だけを考えていたが、同性こそがより気を付けなければならない相手だと知り、愕然と大口を開ける。
「それに……。」
「それに?」
その様子に溜息をやれやれと漏らして、ナルサスは更なる忠告を与えようとするが、それを途中で思い止める。
飲み込んだ内容は『いつか、君にも愛する相手が出来るだろう。その時、君はどうするつもりだ?』だったが、今のアオイにはまだ早過ぎるのと今からソレを考えさせるのは酷だと考えたからである。
もっとも、ナルサスが常に張り巡らせている感知範囲に引っ掛かるモノが有り、無駄話をしている暇が無くなっていた。
「いや、何でもない。それより、新しいお客さんだよ」
「……えっ!?」
ところが、まだ1戦のみの経験しか無いアオイはソレが全く解らない。
辺りをキョロキョロと見渡した後、眼鏡を押し上げ、顔を突き出しながら目を細めて、ようやく森の奥に人影を発見。慌てて大地に突き刺していた剣を握って構える。
今度は豚面のオークが6匹。アオイとナルサスへ近づいてくる際、2人の内の1人が女性だと気付いて立ち止まり、醜悪な顔を綻ばせると、ゴリラの様に胸を何度も喜び叩き、唱和させた気勢を森に轟かす。
「ブヒヒヒヒ!」
遠目にも解るほど、いきり立つオーク達の股ぐら。
最早、6匹のオークの目にナルサスの姿は写っていなかった。その凶悪な槍をアオイへ向けて、俺が一番槍だと争っての全力疾走。
「はわわっ!?」
女性にとって、それは正に悪夢としか言えない光景。
アオイが受け入れられない生理的嫌悪感に身体をブルルッと振るわせて、たまらず腰を引きながら後退る。
だが、これも乗り越えなければならない試練。ナルサスがアオイを落ち着かせようと、アオイの肩へ右手を優しく置いた次の瞬間。
「あれも雑魚に過ぎない。
だから、落ち着きなさい。アオイ君なら楽勝の相手だよ」
「は、はい! ……イヤぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
それが開戦の合図となった。
アオイは悲鳴をあげながら駆け出すと、目標のオークとの間にあった10メートルほどの距離を一気に詰めて、肩に担いだ剣を振り落としての袈裟切り。
正しく、一瞬の出来事だった。斬られたオークは自分が斬られた事を自覚しないまま、緑色の体液を噴水の様に吹き出しながら絶命。その場へ膝を落として、前倒しに倒れる。
「ブヒヒッ!?」
「ブヒッ!? ブヒッ!?」
アオイをか弱い獲物と捉え、戦いの後の狂宴を目論んでいたオーク達に戦慄が走る。
まさか、まさかの先制攻撃を喰らった上に仲間がたったの一撃で葬られ、信じられないと言わんばかりに目を見開いて固まる。
「犯されるぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!?」
「破壊と再生の火よ。我が戦意を具現化させて、矢となれ。ファイアーアロー」
その隙を突き、アオイが2匹目を、ナルサスが1匹目を呆気なく倒す。
大勢は完全に決した。つい数秒前の勇ましさは何処へやら、残った3匹のオーク達はいきり立たせていた股ぐらをすっかり縮めていた。
「やれやれ、悲鳴は相変わらずだけど……。2戦目にして、これか。末恐ろしいね。
しかし、何と言うか、その……。勇者と言うよりは狂戦士。バーサーカーと言う感じだね。これは……。」
その後、アオイの悲鳴なのか、気合いなのか解らない叫び声が2回あがると、戦いは終わり、森は静けさを取り戻した。