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幕間 その1 エリザベートの大冒険




「おっ!?」


 モテストの何処にいても見える街中央の高い塔。そのてっぺんに設置された鐘が一回、二回、三回と鳴り響く。

 その夕刻を告げる音色に思わず足を止めて、西の空を見上げると、陽が落ちかけて、山の麓は既に赤みを帯びていた。

 冒険者ギルドの受付嬢は秋が確実に先週より深まっているのを感じながら、溜まった疲れとコリを解そうと組んだ両掌を上に掲げて爪先立つ。


「ん゛~~~……。」


 今、鳴った鐘は予鈴である。

 本鈴は1時間後。それが鳴ると、石畳の壁に囲まれたモテストの街の東西南北にある全ての通用門は閉ざされる。

 その為、予鈴が鳴ったら、街の外にある農場へ出ていた農家やモテストの街へ向かっている商人は閉め出しを喰らっては堪らないと急ぐ。

 一度、門が閉まってしまえば、それを開けられるのは急報を所持する特使か、よっぽど高位の貴族くらい。通常、街の外で夜を明かさなければならなくなる。

 一応、そう言った者達の為、素泊まりだけは出来る小屋が東門の一角にあるが、その安全度は街の中と雲泥の差。万が一、魔物達が襲ってきても衛兵達は街を護る為に門を開けず、全ては自己責任となる。

 それ故、冒険者ギルドはこれからが書き入れ時。今朝、街を散っていった冒険者達が一斉に帰ってくる為、ここでへこたれてはいられない。


「……良しっと!」


 受付嬢は伸びきって、ガッツポーズ。最後の一踏ん張りに頑張るぞと決意を新たにして、再び歩き出そうとしたその時だった。

 伸びを行っていたからこそ、気付けた流れ星。天頂より南東の方角へ向かって、流れ星がキラリーンと輝いた。


「あっ!? 流れ星! 何か良い事がありそうな予感!」


 まだ星すら見えない時間。受付嬢はささやかな幸せを感じて、つい微笑みをニッコリと零した。




 ******




「……のじゃ?」


 空は黒くて、大地は丸いものだと実は解るモテストの街の遙か上空、高度50000メートル。

 魔王が再誕したその瞬間。時を同じくして、勇者がこの世界に召喚されたその瞬間。世界はもう1人の来訪者を迎えていた。


「の、のじゃああああああああああっ!?」


 突如、そこに現れた黒いゴスロリのドレスを身に纏った金髪赤目の幼女。

 彼女の名前は『エリザベート』、魔王の娘にして、齢600を超える吸血鬼。

 現れると同時にまるで口から種をペッと吹き飛ばす様に放られ、いきなりエリザベートは巨大な大陸を一望する事が出来るほどの高さから、スカイダイビング。


「……なのじゃっ!? ……んなのじゃっ!? 何なのじゃっ!?」


 まず感じたのは、吸血鬼の生命線とも言える身体中の血液が沸騰する様な熱さ。

 それと共に全身の肌を絶え間なくザクザクと突き刺す様な痛い冷たさも有り、内は膨れあがろうと、外は縮まろうとする相反する温感に触覚が瞬時に麻痺して無くなる。

 そして、何と言っても、風を切り裂く轟音。凄まじい風圧に指先一つすら動かない中、エリザベートは真っ逆さまに落ちてゆき、その先端速度は音速の壁を突破して、ソニックウェーブを生みながら自分の悲鳴を置き去りにする。


「くっ!? ……舐めるなよ! 何処のどいつの企みかは知らぬが、この程度!

 妾を誰だと思っておる! 我が名はエリザベート! 大陸の支配者にして、魔を統べる者、魔王が一人娘! エリザベートじゃぞ!」


 暫くすると、今度は全身の血液が足の方向へと急速に引っ張られ、血の巡りが悪くなった視界が黒く染まりゆくと同時に意識が薄れてゆく。

 しかし、魔王の娘たる矜持がそのまま屈服する現実を許さない。エリザベートは固まって動かない指を一つ、一つ、ゆっくりと曲げてゆくと、握り拳を力強く作り、奥歯をグッと噛み締めた。


「はあああああああああっ!?」


 全力全開で練り上げられてゆく膨大な魔力。

 ところが、エリザベートはまだまだ足りないと、尾骨、ヘソ、鳩尾、胸、喉、額、頭頂の魔力孔を開き、周囲の魔力を根こそぎに奪ってゆく。

 その濃密すぎる魔力の動きが次第に可視化。黒いオーラとなって現れ、その姿はまるで大空を滑空する巨大な黒蝶。

 エリザベートが満足そうに頷き、自信たっぷりに口の端をニヤリと吊り上げて笑う。


「四季を司る風よ! 天の戒めを解き放ち、我は汝を翼として共に踊る! エアロウイング!」


 魔力が力ある言葉に反応して、巨大な黒蝶が羽ばたき、美しい七色の鱗粉を広げる。

 その時、地上の幾人もの者達がこの光景を遠い空の果てに目撃。あれこそが天におわす神の化身に違いないと、その場に思わず膝を折り、各々の信じる神に祈りを捧げた。

 それほどまでに美しく幻想的な光景だった。まさか、その正体が人間とは対極の位置に居る吸血鬼だとは誰一人として考えなかった。


「……のじゃ?」


 だが、その天に七色の尾を引いて輝かす黒蝶の姿は残念ながら数秒足らずで消える。

 なにしろ、エリザベートが落下する現在の速度はマッハ超え。その巨大すぎる壁の前では飛行魔術など屁の様なもの。ちょっぴりだけ落下速度が緩和された程度に過ぎない。


「の、のじゃああああああああああっ!?」


 先ほどまでの余裕は何処へやら、たちまちエリザベートは大混乱。

 いよいよ地上は目前に迫り、混乱は更に加速して、魔力制御が狂ってしまい、飛行魔術が解除。落下速度が再び増してゆく。


「ち、父上ぇぇぇぇぇ~~~~~~~~~~っ!?」


 その結果、エリザベートは約5分の空の旅を終え、モテストの街から南東に約500キロほど離れた荒野のど真ん中に衝突。大量の土砂と埃を巻き上げて、巨大なクレーターを作った。




 ******




「ゴブ? ゴブゴブ?」

「ゴブブ! ゴブブ!」


 エリザベート落着より数分後、何事が起きたのかとクレーターへ集まってきたゴブリン達。

 どれくらい居るのか、このただっ広い見渡す限りの荒野中から集まったらしく、その数は推定不能。

 ところが、直径が100メートル近くあるクレーターを囲んで居並び、一匹たりともクレーターの内側へ入ろうとしない。

 その様子から察すると、『お前、見てこいよ?』、『いやいや、お前が行けって』と誰がクレーターの中心を調べに行くかで揉めているっぽい。


「ゴブっ!?」


 だが、誰かが調べるまでも無く、クレーター中心に深く抉られた穴の底から右手が穴の縁を掴んで現れ、ゴブリン達が一斉に驚いて動きを止める。

 数拍の間の後、今度は白い左脚が穴の縁に引っかけ現れ、更に一呼吸を置いて、鼻息をふんすと荒く力みながらエリザベートがようやく地上へ姿を現す。


「あーー……。死ぬかと思ったのじゃ」

「ゴブンッ!?」


 その第一声に仰天。ゴブリン達は息を飲み、揃いも揃って大口をあんぐりと開け放つ。

 なにせ、ここは遮蔽物が殆ど無い荒野。ソレが空の果てより飛来したのは誰もが見ていた。

 その上、インパクトの瞬間に放たれた衝撃波は荒野の隅々まで届き、誰もが吹き飛ばされまいと必死に踏ん張ったほど。

 そんな天変地異にも等しい現象を起こしておきながら、その感想だけは有り得ない。いかにおつむが小さいゴブリンとは言え、それだけは解り、数百匹が心を同じくした。

 おかげで、見た目が幼女でしかないエリザベートは格好の獲物であり、本来なら目の色を変えて我先にと群がるところが、ゴブリン達は怯えて後退った。


「むーーーっ!? 父上に貰ったお気に入りが台無しじゃ!

 城へ早う帰って、セバスチャンに洗って……。んっ!? お前等、何じゃ?」


 一方、エリザベートはたいそうお冠だった。

 成層圏からのスカイダイビングに加えて、地上大激突。怪我は1つも無かったが、そのトレードマークと言える身なりはさすがに崩れていた。

 ロングツインテールの髪型は右側のレースリボンが無くなって解けており、黒いゴスロリは全体が土汚れている上にフリルやレースが焼き焦げてのボロボロの状態。

 それでも、エリザベートは身なりを整えようと、髪を手櫛で何度も梳いたり、ゴスロリの土埃を何度も叩き払う。

 しかし、根本が駄目なものは幾ら整えても駄目。その機嫌を次第に傾けてゆくが、ふと自分に集う数多の視線に気付き、辺りをキョロキョロと見渡して、何やら目をこれ以上ないくらいに見開いて驚愕した。


「な゛っ!?」

「ゴブッ!?」


 天空より飛来した怪物が驚くほどのモノとは何か。ゴブリン達に緊張が走る。

 エリザベートが震える右の人差し指で指し示す方向に居るゴブリン達が後退り、居並んでいた壁の一角に隙間を作る。

 そこへ全てのゴブリン達が視線を集めるが、特に何も見当たらない。在るのは何処までも続く荒野とこれから沈みゆく山裾の上の太陽。

 ところが、エリザベートにとって、それこそが一大事だった。


「た、太陽ぅぅぅぅぅっ!? そ、それは吸血鬼の弱点なのじゃああああああああああっ!?」


 エリザベートが顔を両手で覆い隠しながら仰け反る。

 大絶叫が荒野に轟き、慌ててゴブリン達がエリザベートへ視線を戻すと、信じ難い光景があった。

 夕陽手前の太陽の光を浴びて、長く長く伸びた影の元、エリザベートの露出している肌が沸騰して煮立つ様に泡立ち、水ぶくれを次々と作っては破裂を繰り返して、鉄臭い赤い湯気をもうもうと立ち上らせていた。

 それはまるで生きながら炎に焼かれている様な光景であり、その凄惨な様子に本来は残虐なゴブリンですら思わず顔を顰める。


「のじゃっ!? のじゃっ!? のじゃああああああああああっ!?」


 すると当然、本当に自然発火。青白い炎が瞬く間にエリザベートを包み込んでゆく。

 とうとう立っているのすら耐えきれなくなり、その場を激しくのたうち回るエリザベート。

 最早、そこに汚れがどうのと言っている暇は無く、ただひたすらに痛みから逃れようとする姿だけがあった。

 唯一の活路は大地へ落着した際に抉った穴へ戻る事だったが、それを今のエリザベートに気付く余裕は残念ながら無かった。

 ゴブリン達が固唾を飲んで見守る中、肉体を守る肌が完全に焼かれてしまい、その内にある筋肉が露出して焼かれ、エリザベートの身体の彼方此方から血が血煙となって噴き出す。


「の、のじゃ……。」


 どれほどの時が経ったのか、荒野に響き渡っていた絶叫が次第に弱々しくなってゆき、遂に途切れる。

 いつの間にか、先ほどはまだ青かった空が完全な夕焼けとなっていた。荒野は一転して静けさに満ち、その中を荒野特有の一陣の風が吹いて、土煙と血煙をさらい、覆い隠していたクレーター中心の姿を晒す。


「ゴブ? ゴブゴブ?」

「ゴブブ! ゴブブ!」


 黒焦げに焼かれたソレは俯せとなり、右手を何かへ向かって必死に伸ばしたまま動きを止めていた。

 その姿は遠目にも無惨の一言だったが、何かを力強く訴えるモノがあり、遙か天空より飛来した正体不明の物体と言えども、そのまま放置は出来なかった。

 むしろ、遙か天空より飛来した正体不明の物体だからこそ、その存在がどうしても気になり、ゴブリン達が騒ぎ出す。


「ゴブブ!」


 やがて、1匹の勇者ゴブリンが現れ、黒焦げたソレへ恐る恐るといった様子で近づいてゆく。

 それこそ、途中からは抜き足、差し足、忍び足。遅々とした歩調だったが、他のゴブリン達は誰も文句を言わず、勇者ゴブリンと黒焦げたソレを緊張の眼差しで見守る。

 そして、あと3歩ほど余らせた限界ギリギリの間合い。勇者ゴブリンは右手を目一杯に伸ばして、持っている錆びた槍の先で突っつき、俯せとなっている黒焦げのソレをひっくり返す。


「ゴブゥ……。」


 黒焦げたソレの正面を見た瞬間、慌てて勇者ゴブリンは後退った。

 その上、黒焦げたソレから顔を背けるだけでは飽きたらず、背を向けると、たまらず何度もえずく。苦しそうに顰められた顔が言っていた。こいつは酷すぎると。


「ゴ、ゴブブっ!?」

「……ゴブブ?」


 常日頃から自らの手で残虐な光景は慣れっこのゴブリン。

 そのゴブリンですら、吐き気を覚える光景とはどんなものなのか。他のゴブリン達が怖い物見たさに興味を覚えて、生唾をゴクリと飲み込んだその時だった。

 黒焦げたソレが唐突に動き出す。まず膝を少しだけ曲げて、足の裏を大地に着けると、人体構造学を無視して、仰向けの状態から足と腹筋の力だけで身体をゆらりと持ち上げた。

 その信じ難い光景にゴブリン達がざわめく。両手を膝に突きながら蹲っていた勇者ゴブリンは何事かと顔を上げて、仲間達の様子にまさかと目を見開いて背後を振り返る。


「見ぃ~~たなぁぁ~~~?」

「ゴブっ!?」


 だが、振り返りきる寸前、その首根っこが掴まれたと思ったら、勇者ゴブリンの頭と胴体は袂を永遠に分ける。

 未だ絶命を知らずに立ったままでいる勇者ゴブリンの胴体の切断された首から噴水の様に高く撒き散らされる緑色の体液。

 それを避けるどころか、逆に喜々と浴び、黒焦げた身体を緑色に染め上げ、ソレは大きく開いた左手で顔を隠しながら肩を震わせて笑う。


「く~~っくっくっくっくっ……。

 ゴブリン如き、下賎な分際が……。よりにもよって、父上にも見られた事の無い無様なこの姿を……。」


 そう、エリザベートはギリギリ寸前のところで生きていた。

 太陽があと数秒でも沈むのが遅かったら、その魂は完全に焼かれてしまい、エリザベートという吸血鬼はこの世から灰となって消えていた。

 しかし、今や太陽は沈みきり、天に月が輝く夜の眷属たる吸血鬼の時間。ただ黙っていても、今度は逆に世界がエリザベートへ力を与える。

 もっとも、先ほど浴びた太陽のダメージは甚大である。その傷を癒すには大量の血と数日の時間が必要となり、露出した肌は焼き爛れて焦げたまま。

 だからこそ、許せなかった。魔王から可愛いと褒められた自慢の美貌が焼き爛れて焦げ、その醜くなった様を見た挙げ句、吐瀉した勇者ゴブリンを許せる筈が無かった。


「こうなったら、貴様等の不味い血で構わん!

 妾の血となり、力となる為に滅せよ! 一匹残らず、血祭りにしてくれるわ!」


 当然、それを見守っていたゴブリン達も同罪である。

 顔を隠している左手の指の隙間、その目に怒りの業火を燃やすと、エリザベートは荒野の大地を緑色に染める狂宴を開催した。



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