「ニャー……。」
本来は2、3頭の牛や馬を飼う小屋だったのだろう。経年劣化で出来た隙間が彼方此方にある石造りの小屋。
現在は牢屋として使用されており、細い丸太を並び立てて作られた格子が小屋の半分を仕切り、その中に下着姿の女の子が土の床に顎を乗せて俯せとなり、疲労困憊といった様子で倒れている。
「もう駄目ニャー……。」
蒼い瞳、褐色の肌、セミロングな金髪。彼女を表す3つの特徴。
だが、それ以上の3つの特徴が彼女にはあった。両頬に長く生えた3本の髯、細長く伸びた体毛に覆われた耳、パンツのゴム下に空けられた穴から伸びている虎縞の尻尾。
そう、彼女は大陸北東部に多く存在する亜人種の1つ、『獣人』に属する虎族の女の子。
「ニャー……。」
彼女の名前は『タリア』、無謀な女の1人旅の途中、空腹のあまり毒キノコを食べてしまい、幻覚と酷い腹痛で倒れていたところを盗賊団に捕まった間抜け。
もっとも、身ぐるみを剥がされ、獣人と判明したが為、盗賊達の慰み者とならずに済み、牢屋とは言えども粗末な食事と屋根のある場所を得られたのだから、運が良いのか、悪いのかは解らない。
ちなみに、タリアの容姿は決して醜いものではない。今は疲労困憊でとても情けない顔を晒しているが、普段は愛嬌を感じさせるものを持っている。
では、スタイルが貧しいのかと言えば、それも違う。サラシが巻かれた胸ははち切れんばかりであり、ウエストはキュッと引き締まって、白いショーツに包まれたお尻は肉付きたっぷり。
そのどれを取っても申し分は無いのだが、盗賊達が興味をタリアに向けなかった理由。それはこの大陸に古くからある迷信に原因があった。
「死んじゃうニャー……。」
亜人とは、人の前に『亜』を付けるので解る通り、この大陸を人間が最初に支配したからこそ、人間の下位種として括られた者達の事を示す。
その種族は大きく分けて、獣人、エルフ、ドワーフ、ホビットの4つ有るが、亜人が亜人たる理由は人間を含めた5種族の間で交配が可能という事である。
但し、その妊娠率は決して高いとは言えず、生まれてきたハーフに至っては生殖器と生殖機能は持っていても、生殖能力は持っておらず、人間と間にも、亜人の間にも、同種のハーフ同士でも交配は成せない。
即ち、ハーフは人間にも、亜人にも属さない存在となる。それは種族繁栄こそが第一と古代社会において、忌むべき存在とされ、ハーフは徹底的に白眼視された。
その風習は今現在でも根強く残っており、大抵のハーフは人間社会にも、亜人社会にも馴染めず、定住をなかなか持てない為、大陸各地を転々としながら芸を売り物とする吟遊詩人や大道芸人に多い。
また、ハーフを生ませない事前手段として、ある迷信が古くからある。それはハーフが生まれると、ハーフを成した両親はハーフ同様に子を成せなくなる呪いを受けるというもの。
この迷信は子供が年頃に成長すると、親が必ず何度も言って聞かせるものであり、知らぬ者を見つけるのが困難なほど。実際は根も葉もない嘘なのだが、誰もが知っている当たり前の常識となっている。
つまり、盗賊団の中に獣人が1人も居らず、見た目麗しくとも禁忌感を破れる勇者も居らず、それ以上に盗賊団は飢えていなかった為、タリアの貞操は守られたのである。
「ニャー……。」
もっとも、貞操こそは守れたが、盗賊団に捕まった事実は変わらず、この牢屋の居住性も最悪だった。
辛うじて、身に着けていたサラシとショーツだけは取り上げられなかったが、やはり年頃の女の子だけに半裸で居るのは辛かった。
しかも、牢屋の片隅に置かれている酒樽がトイレという屈辱。捕まった初日は酷い腹痛に耐えきれず、何人もの男共に用を足している姿を見られた上にゲラゲラと笑われ、恥ずかしさと悔しさに何度も泣いた。
そのトイレにしたって、蓋は一応有るが、元が牛小屋、馬小屋っぽい小屋だけに窓が何処にもなく、臭いは充満しきり、既に獣人自慢の鼻は効かなくなっていた。
おまけに、昼は蒸し暑く、夜は寒すぎる温寒差が体力を自然と奪ってゆき、この牢屋へ入ってから今日で4日目。今朝、ようやく幻覚と腹痛は治まったが、タリアは疲労困憊。脱獄する体力は殆ど残っていなかった。
だが、決して諦めてはいなかった。タリアは今夜こそはと覚悟を決めていたが、そのチャンスは前触れもなく突然に訪れた。
「ニャっ!? ニャんだっ!?」
こんな小屋など崩れ落ちてしまうのではと思うほどの凄まじい揺れ。
すぐさまタリアは疲労困憊に半開きだった目をパッチリと開けて跳び起きた。
******
「一体、何が起こっているんニャ~?」
耳を壁に張り付けて、外の様子を懸命に探るタリア。
ところが、その様子が今ひとつ解らない。盗賊達が何かと戦い、右往左往して逃げているのは騒ぎ声から解るのだが、その何と戦って逃げているのかが解らない。
最初は領主軍か、国軍が盗賊退治に現れたのかと目を輝かせたが、軍隊特有の罵声と号令の喧しさが無い。似た様な理由から、魔物の大軍でもない。
そう、盗賊達を追う集団は声一つも漏らさず、黙々と追いかけているのである。その点がタリアは不気味で仕方がなかった。
「とにかく、今はやるニャ! 頑張るニャ!」
だが、今が千載一遇のチャンスであるのだけは明確に解った。
先ほどの地震の際に倒れがかり、危うく中身が床に漏れるのを必死に防いだトイレ代わりの酒樽。
その蓋をシャベル代わりにして、タリアは部屋の半分を仕切る格子の右から2番目。出入口ドア近くの丸太の根本をせっせと掘ってゆく。
前日までの3日間、幻覚と酷い腹痛に悩まされていたタリアだが、ただ苦しんでいた訳では無い。脱獄方法を懸命に探り、見つけた方法がこれだった。
細い丸太を並び立てて作られた格子、その中央の1本。ここだけは角材であり、小屋を建設した時に組み込んだものなのだろう。しっかりしていて、押そうが、引こうがビクともしない。
事実、牛か、馬を中に閉じ込めておく為の棒をひっかける錆びきった銅製のフックがタリアの腰辺りの高さ、出入口側に付いており、左右の壁の同じ高さに棒を射し込み置く程度のへこみがある。
しかし、角材以外の細い丸太は新たに加えられたもの。床に溝を掘り、その溝に天井との長さを合わせた細い丸太を列べて、溝を再び埋めて踏み固めたらしき跡があった。
それ故、丸太を固定しているのは根本のみ。丸太を根気よく前後左右に振っていると、ほんの僅かではあるが、天井を擦って動くのをタリアは発見。根本が比較的に緩い丸太を事前に選んであった。
決して、根本まで掘り起こす必要は無い。丸太を20センチか、30センチ、前後のどちらかに傾けさえすれば良い。タリアは自分の身体の柔らかさに自信があった。
問題は牢を抜け出た先にある出入口のドア。そこにもタリアを逃がさない何かしらの工夫が施されているだろうが、見た目は板を何枚か合わせて作っただけの薄いドア。タリアは蹴り破るか、体当たりで何とかなるだろうと今は深く考えないでいた。
「う゛ーーー……。
やっぱり、気になるニャ! 外はどうニャっているんニャ!」
とにかく、今は一心不乱に掘るべし。それは重々承知していたが、外の様子が全く見えないだけに外の騒ぎがどうしても気になり、集中力が長く続かない。
せっせと掘っては手を止め、せっせと掘っては手を止め、それを何度も繰り返した末、タリアが迷いながらも作業を中断して、再び壁に耳を張り付けたその時だった。
「愚かにも、俺の女を奪おうとした盗賊達に告げる!」
「お、俺の女って、何ですか! わ、私はレイモンドさんのものじゃありません! わ、私には好きな人が……。」
「ニャっ!?」
「五月蠅い、黙っていろ。お前の声も聞こえているんだぞ」
「えっ!? 嘘っ!? ……ええっと、ごめんなさい。でも、ちゃんと訂正はして下さい」
「ニャ、ニャ、ニャ、ニャっ!? ニャっ!?」
突如、聞こえてきた男女の声。それは耳からではなく、頭の中に直接響いた。
タリアは初めて経験する不思議な現象に狼狽え、辺りを頻りにキョロキョロと見渡しながら後退り、お尻にトイレ代わりの酒樽をぶつけてしまう。
その結果、酒樽は壁へ向かって倒れ、一旦は辛うじて倒れきる前の角度で動きを止めるが、すぐ壁沿いに転がってゆき、最後は床と平行になって中身を撒き散らした。
「ニャーーーーーーーーーっ!?」
転がる事によって、十分に撹拌された内容物は鎮めていた臭いを思う存分に発揮。強烈すぎる悪臭が狭い牢屋に充満した。
******
「それにしても、意外なくらい良い暮らしをしているな」
魔王はアオイに説得され、渋々ながらも盗賊団に対して降伏勧告を行った。
但し、路銀を得るという目的は下げられない為、降伏条件として、貯め込んだ全ての財貨を差し出せという旨も一緒に告げてである。
当然、貯め込んでいる額が大きいボスや幹部達は冗談じゃないと憤慨して、徹底抗戦を叫んだが、懐を大して痛めない下っ端から順々に降伏してゆくと、最後はボスや幹部達も降伏した。
今、盗賊団の面々は降伏の証としてパンツ1枚の姿となり、デスナイトとスケルトン達の監視下の元、貯め込んだ財貨をアジト中央の広場に集める作業を行っている真っ最中。
一方、魔王とアオイの2人はアジトの各家を丁寧に見て回り、盗賊達に監禁されているだろう捕虜を捜していた。
「そして……。悪くない酒だ」
この家に住んでいた盗賊は真っ昼間から酒盛りをしていたらしい。
テーブルに置かれた飲みかけの木製ジョッキが3杯。魔王は興味を覚えて、その内の1つを手に取って飲んでみると、それは意外なくらい美味かった。
魔王が各家を見て回って驚いたのは、とても人里から孤立した盗賊団の秘密のアジトとは思えない豊かな暮らしぶりだった。
例えば、魔王が今持っているジョッキが置かれていたテーブル。機能一辺倒で凝った装飾は施されていないが、歪みや反り、がたつきが無く、実に見事な出来映えであり、木の日焼け具合から真新しい品と言えた。
しかし、この世界には家具職人は居ても、家具商人は居ない。理由は簡単、机や椅子、ベットといった品を交易品として扱うにはモノが大き過ぎて、その割に利益が出ないからである。
それ故、この盗賊団のアジト各家にある家具の充実ぶりから考えると、盗賊団の中に元家具職人か、それに匹敵する知識と手先を持った者が最低1人は居ると推測が出来た。
他にも、この今居る見事な丸太小屋もそうだが、近くの川から水路を引き、水洗の公衆トイレや公衆浴場が作ってあったりと驚く点が多すぎた。
「安易な道に走りおって、馬鹿が……。」
魔王はジョッキをテーブルに戻して舌打ち、吐き捨てながら家を出て行く。
残るは最後の一軒。つまらない確認の作業だけに思わず溜息を零していると、道の向かい側に列んでいる家を担当するアオイが最後の家に入ってゆく姿があった。
その横顔はこれから確認の為に訪れるというにも関わらず、視線が最初から伏せられており、明らかに酷く落ち込んでいる様子が見て取れた。
言うまでもなく、監禁されている捕虜とは女性である。やはり同じ女だけに監禁されていた女性達の姿に色々と思うところがあったのだろう。男の魔王ですら、顔を顰める場面がここまでに何回か有ったほど。
だが、ソレを見るのは今のアオイに必要な事だと切り捨てて、魔王は最後の一軒のドアノブを引いた。
「ぶへっ!?」
「……ニャ?」
その瞬間、強烈すぎる悪臭が襲った。
魔王はまるで壁と激突したかの様に身体を思いっ切り仰け反らせて、慌てて鼻を摘みながら右足を退く。
そして、出入口のドアの真正面、格子の丸太を傾けようと頑張っているタリアと目が合い、魔王はあまりの悪臭に息を止めているが、一呼吸の間を置き、顔を気まずさに背けると、今度はアオイと目が合った。
「こっちは終わりました。そっちはどうですか?」
担当する最後の家を調べ終えて、玄関のドアを開けて出ていたアオイは魔王の妙な様子を思わず足を止める。
なにせ、あの魔王が大いに動揺しているのだから気にならない筈が無い。もしや、最後の最後で凄惨極まる光景があったのかと息を飲んだ。
魔王は横目を怖ず怖ずと向けると、タリアはようやく助けが来たと知り、今にも泣き出しそうなくらい顔を歪めていた。
「あ、ああ……。こ、こっちもだ。ね、猫が用を足していただけだ」
「ニャっ!?」
そんなタリアを安心させる様に大きくゆっくりと頷いた後、魔王は視線をアオイへ戻すと共に左掌を突き出す。
そう、魔王は勘違いをしていた。強烈すぎるアレ特有の悪臭と丸太の根本を両手で持ちながら腰を落として力みに踏ん張るタリアの姿、その2つから凄いモノを生んでいる最中に違いないと。
何故、そこでとは考えない。目の前の小屋が牢屋であるのは見た目にも明らかであり、牢屋とは収監者の心を折る為、トイレが備え付けられていない場合が多い。
「えっ!? 猫っ!?」
「ば、馬鹿! よ、止せ!」
「キャっ!? 臭っ!? ……ごほっ!? ごほっ!? へくちんっ!?」
しかし、実は猫が大好きなアオイ。たちまち目を輝かせて小走り、魔王の制止を聞かずに小屋の中を覗いて、襲ってきた強烈な悪臭に悲鳴をあげる。
挙げ句の果て、10歩ほど全力で駆け戻ると、両手を両膝に突きながら苦しそうに咽せ込んだ末、よっぽど鼻を刺激されたらしく、くしゃみまで漏らす。
「ち、違うニャ……。ち、違わないけど、違うニャ……。
それにニャーは虎ニャ! 猫じゃないニャ! ニャニャニャニャーーーーーーーーーっ!?」
身も、心も消耗しているところに酷い勘違いと酷い反応。
タリアはその場に腰を落として女の子座り。全身をワナワナと震わせながら色々と耐えていたモノを決壊。とうとう涙をポロポロと零して泣き出した。