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第18話 決着と蠢動




「キスした癖に……。キスした癖に……。キスした癖に……。」


 東の空に明るみが差し始めた薄暗闇の早朝。

 村長宅前にて、アオイは体育座り、焚き火の炎を虚ろな目でぼんやりと見つめながら右の親指の爪を囓り、何やらブツブツと呟きを繰り返していた。

 その儚げな姿は怨嗟を唱える幽鬼そのもの。腹ペコなゴブリンでさえ、腰を抜かして逃げ出してしまいそうなくらい不気味だった。


「キスした癖に……。キスした癖に……。キスした癖に……。」


 時は遡って、夕食後。魔王は『絶対に誰も入ってくるな』と告げると、メアリーが待つ村長宅へ入っていった。

 その後、残されたアオイ達は村長宅の様子を暫く気にしていたが、幾ら待てども変化は何も起こらず、これは長丁場になるのではないかと判断して、メアリーの未練を断つべく奮戦している魔王を護る為、寝ず番を立てると、それ以外は村長宅の向かいの家を借りて眠りに就いた。

 寝ず番はタリア、アドソン、アオイの順番。人を導く僧侶の立場故か、フェミニストなのか、アドソンは2番目の最もきつい順番を自ら選び、その順番はあっさりと決まった。


「キスした癖に……。キスした癖に……。キスした癖に……。」


 おかげで、順番最後のアオイは比較的に眠れたが、やはりぐっすりとまではいかない。

 アドソンに肩を揺すられ、自分の番が来たと知り、ハーフプレートをのろのろと着込んで起きてはみるも寝ぼけ眼。

 その眠気を醒ます為、夜の寒気に冷えた水を井戸から汲み上げて洗顔するが、眠気は今ひとつ醒めなかった。欠伸が勝手に連発して、アオイを夢の国へ誘った。

 だが、火力が弱まっている焚き火に薪をくべてから、焚き火の前に座り、大きく欠伸をして一息吐いたその時だった。


「キスした癖に……。キスした癖に……。キスした癖に……。」


 耳が痛いほどの静寂の中、あはん、うふんと女性の艶声が微かに聞こえ、アオイは目を大きく見開かせると共に立ち上がり、眠気を一気に醒ました。

 辺りをキョロキョロと見渡して探ってみると、その発生源は村長宅。衝動的に駆け寄り、玄関のドアノブに手を伸ばしたが、そのドアを開ける事は出来なかった。

 それは魔王の『絶対に誰も入ってくるな』という言付けがあったからでは無い。ドアの向こう側にどんな光景が待っているのかが近づいた事によって、はっきりと解ったからである。

 その場に暫く立ち竦んでいたが、メアリーの艶声に混じり、魔王の声が聞こえると、アオイは茫然とした表情のまま、まるで時が戻すかの様に元の位置まで後退り、腰を抜かした様に尻餅をついて、両耳を両手で塞いだ。

 ところが、耳を幾ら強く塞いでも聞こえてくるソレ。明らかにソレは自分が助けたいと訴えたメアリーの声であり、その経験は無くても、魔王とメアリーが何を行っているのかは明白だった。

 いつしか、アオイはソレから身を守る様に身体を精一杯に縮めて体育座り、自分の声でソレを打ち消す様に呟きを繰り返していた。

 同時に瞳が涙に濡れて、炎がより揺らめいて見えるのは何故なのだろうか。そう考えて、自身のモヤモヤとはっきりしない苛立ちを持て余してもいた。


「アオイ殿、ご苦労様です」

「えっ!? は、はい? ……あ、あれ? も、もう朝ですか?」


 そのせいか、アオイは寝ず番でありながら、アドソンが焚き火の向かい側にいつの間にか座っていたのすら気付けなかった。

 自分の名前を呼ばれて、その存在に初めて気付き、身体を過剰なまでにビクッと震わせると、尻餅をついた様に両腕を後ろに突いて目を白黒させる。


「いや、職業柄でしょうな。いつも陽が昇りきる前に目が醒めるのですよ」

「あっ!? ど、どうも……。」


 その様子を苦笑しながら、アドソンは湯気を立ち上らせるマグカップをアオイへ差し出す。

 アオイは受け取った後、マグカップを両手で包み込む様に持ち、熱々のお湯に息を吹きかけて冷ます傍ら、アドソンをこっそりと盗み見て思う。いつから、そこに居たのだろうかと。

 実を言うと、アドソンは約10分も前からそこに居た。その証拠に焚き火の周囲に石を列べて作った即席の竈にはアオイが置いた憶えのないヤカンが置かれており、その口から湯気を盛んに噴き出していた。


「どうしました? ただの白湯ではありますが、身体が温まるだけで疲れが随分と取れますぞ?」

「は、はい」


 だが、アドソンは何も応えず、ニッコリと微笑むだけ。

 だからと言って、それを問う勇気は無く、アオイはマグカップを勧められるまま傾けて、ゆっくりと一口だけ飲み込んだ。

 お湯の熱さが喉を通り、身体全体へと染み渡ってゆく感覚。アドソンが言う通り、それはアオイのささくれて乾いた心を急速に潤すものだった。


「……ゃうっ!? ら、らめぇぇ~~~っ!?

 あっ!? ……あっ!? ……ああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」


 しかし、それも束の間。微かどころではない、はっきりとしたメアリーの艶声が聞こえ、アオイの心は再び澱んだ。

 それこそ、メアリーが何かに達したと思われる瞬間。アオイはこめかみに青筋を走らせて、奥歯をギリリと噛み締め、両手に包み持っていたブリキ製のマグカップを歪にへこました。

 その般若さながらの表情に顔を引きつらせるが、アドソンは迷える子羊を導くのは僧侶の役目と心を奮い立たせて説く。


「実に気高い御方ですな。レイモンド殿は……。」

「はっ!? はぁぁ~~~っ!?」


 一瞬、アオイはアドソンが何を言っているのかがさっぱり解らなかった。

 大きく見開いた目をパチクリと瞬きさせて呆けた後、すぐに信じられないと言わんばかりに語尾を上げた素っ頓狂な声をあげて、勢い良く立ち上がった。


「そうでは御座らぬか。我々の無理難題を聞き入れて、ああして身を捧げている。そうそう出来る事では御座いませぬ」

「あれの何処がですか! 何処が!」


 ある程度、そう言った反応を予想していたアドソンは動じない。

 それどころか、魔王を更に褒め称えるものだから、ますます興奮したアオイは唾を飛ばして怒鳴り、村長宅を力強く二度指さす。


「アオイ殿、良く考えてもご覧なさい。

 メアリーの未練とは、恋人のロバートを想うが故のものです。

 だが、ロバートはご承知の通り、想いを遂げようにもゾンビ……。その想いは絶対に遂げられない。

 ならばこそ、メアリーがロバートを想う心の上に新たな想いを上書きすれば良い。

 そう、レイモンド殿は考えたのではないでしょうか? ロバートへの想いが消えれば、メアリーの未練は無くなるのですから」

「ぐっ……。でも、だからって、あんな方法っ!?」


 それでも、アドソンは動じなかった。

 激昂するアオイを落ち着かせる為、厳つい顔に精一杯の微笑みを携え、アオイが考える前に止めてしまった魔王の行動理由を懇々と諭し説く。


「なるほど、一理ありますな。

 ですが、甘い言葉を囁いて、愛をゆっくりと育む時間が我々に有りますかな?

 レイモンド殿の言葉によれば、この村はメアリーを起点として、呪いが日毎に増してゆくとか。

 であるならば、些か性急な方法とは言え、あれもまた愛の語らい。我が神はレイモンド殿をお許しになってくれるに違い有りません」

「それはアドソンさんがレイモンドさんの事を良く知らないから言えるんです!

 レイモンドさんはスケベなんですよ! この前だって、私が水浴びしているのを覗いていたし、スケベで、スケベでどうしようもないんですよ!」


 だが、アオイは納得が出来なかった。納得したくなかった。

 その理由は言うまでもない。アドソンの言葉が正しいのなら、魔王とメアリーがアレをしているのはそもそもの原因が自分となるからである。

 また、アオイは自分が何故にこれほど憤っているのかが解らなかった。解らなかったが、必死に反論を探して、半ば涙目となりながら怒鳴り続けた。

 その結果、それは反論として意味を成しておらず、とてもお粗末なものだったが、アドソンは真剣に受け止めて頷き、今度は逆に問い返した。


「では、アオイ殿。逆の立場で考えてみてはいかがでしょう?

 今回の事件の発端がメアリーではなく、ロバートだとして……。

 アオイ殿、貴殿はロバートの未練を無くす為、アンデットであるロバートを抱く事が出来ますかな?」

「そ、それは……。」


 たちまちアオイは二の句を継げずに口籠もると、たまらずアドソンから視線を逸らして伏した。

 最早、アオイの完全な負けだった。急速に詰まってゆく鼻を啜り、その際に涙が零れて、小さな染みを大地に1つ、2つと作る。


「この際ですから、正直に言いましょう。

 拙僧は僧籍に身を置いて、既に13年となりますが、未だ死体に嫌悪感を覚えます。

 例え、それが役目であっても、出来るなら触りたくない。それが本音です。

 ましてや、それを抱くなど、以ての外……。例え、メアリーが近隣の村々にも噂される器量好しでもです。

 であるが故に感じたのです。なんと、気高い御方だろうと……。

 そして、自分の不甲斐なさに涙が出てきました。幾ら説法を学ぼうが、それを実践する事が出来なくては意味が無いと」


 アドソンもまた感動に泣いていた。すっかり明るくなった空を仰ぎ、涙をハラハラと零して。




 ******




「あぁ~~あ……。さすがに疲れたな。

 ……って、うおっ!? 何があった? どうしたんだ?」


 完全な徹夜となってしまった気怠い疲労感を少しでも消そうと、大きく伸びをしながら現れる魔王。

 ところが、ようやく一仕事を終えたにも関わらず、玄関のドアを開けてみれば、泣いているアオイとアドソンが居り、当然の事ながら今度は何事だと驚く。


「レイモンドさん! ……キャっ!?」


 だが、アオイは魔王以上に驚き、慌てて顔を両手で覆うと、背を魔王に向けた。

 何故ならば、魔王の姿は一糸纏わぬ全裸。細身ながら程良い筋肉質の身体を披露して、その中心にアオイが数年ぶりに見る物体を堂々とぶらさげていた。

 しかも、その物体は激戦を物語る様にテラテラと滑り輝き、未だ芯を持って戦後間もない興奮を伝えており、アオイの記憶にある父親のモノより遙かに大きく、弟のモノより凶悪すぎる姿だった。


「おい、本当にどうした?」


 しかし、情事の後は全裸が当たり前の魔王。

 その上、元々が皇族。入浴や着替えなど幼少の頃から侍女の世話を受けてきた為、必要な場に裸で居るのを躊躇いも、羞恥も持っていない。

 だが、この世界以上に道徳観が遙かに進んだ世界で育ったアオイには堪らない。


「それはこっちの台詞です! どうして、裸なんですか!」

「いや、結構な汗を掻いたしな。水でも被ろうかと」

「だ、だからって……。も、もう嫌! レ、レイモンドさんのエッチ、馬鹿、変態、スケベ、女ったらし!」


 背後へ確実に近づいてくる魔王の気配に怯えまくり。

 その反面、アオイも年頃の女の子。己が持っていないモノに興味を持つのは自然の摂理。

 アオイは耐え難い好奇心に駆られ、一瞬だけ振り返り、顔を覆った両手の隙間から魔王の雄々しさをばっちりと目撃。もう頭は沸騰寸前、顔を真っ赤っかに染めて逃げ出した。


「おいおい、いきなり何なんだ? 何故、あそこまで言われなくちゃならん?」

「まあ……。難しい年頃ですからな。

 それより、レイモンド殿。メアリーはどうなりましたか?」


 何処へ行こうと言うのか、そのまま村を囲っている木の柵を跳び越え、麦畑の中を駆けてゆくアオイ。

 やがて、聞こえてくるアオイの奇声。どうやら剣を振るって鬱憤を晴らしているらしく、麦畑が乱雑にドンドンと刈られてゆく。

 その様子を茫然と暫く眺めて、魔王は首を傾げて尋ねるが、アドソンは苦笑するのみ。ただ簡単に答えを与えては魔王とアオイの仲がぎくしゃくするかも知れないと考え、自分が興味を持っている方向へ話題転換を図る。


「ああ……。思った形にはならなかったが、未練は解けた。結果オーライという奴だな」

「……と言いますと?」

「隷属化した」

「ま、まさかっ!? デュ、デュラハンをっ!?」


 そして、予想外すぎる結果に驚愕して、アドソンは目が点。口をアングリと開けて固まった。

 なにしろ、メアリーはデュラハン。アンデットの代表格である吸血鬼ほどでないにしろ、高位の存在。それを『ターンアンデット』させるのは大司教クラスでも難しい。

 それほどの困難さが有ると言うにも関わらず、その上を行く隷属化。即ち、使い魔とするなら、大司教クラスどころか、宗教世界における最高位の教皇ですら不可能と言っても過言でない。

 もし、可能性が有るとしたら、それはアンデットと属性が比較的に近い闇と欲望の神に仕える教皇か、枢機卿クラスになるが、それでもやっと可能になるかという程度の困難さ。

 詰まるところ、この事実は魔王の格が闇と欲望の神に仕える教皇に匹敵するか、それ以上という事に他ならず、これを驚かずして何に驚けという話。


「おい、メアリー」

「な゛っ?」


 しかし、アドソンの驚きはまだ終わらない。

 魔王が指をパチンと鳴らしたと思ったら、魔法陣が魔王の隣に描かれて発光。その中からメアリーが浮かび上がる様に姿を現す。

 最早、その自分の首を脇に抱えながら魔王へ片跪いて控える姿は昨日までの只の村娘では無かった。アンデット特有の白い肌の中、目を惹く真っ赤な口紅を引き、胸元を大胆に見せる貴婦人が夜会で着る様な黒いドレスを身に纏い、アドソンが知るメアリーでは無くなっていた。

 恐らく、魔王の使い魔となった事によって、メアリー自身の格が上がったのではなかろうか。正しく、その姿は死を告知すると言われるデュラハンの迫力が有り、あとはデュラハンに付き物の馬車か、騎馬が居たら完璧だった。


「マ、マスター、お呼びでしょうか?

 で、でも、もう一回は無理。ちょ、ちょっと休ませて……。お、お願い……。」


 もっとも、メアリーが畏まっていたのはほんの2、3秒。

 つい先ほどまで行っていた魔王との激戦による消耗が激しいらしく、メアリーは力無く崩れ落ち、腰を頻りにピクピクッと痙攣させながら肩で必死に息をしている有り様。


「レイモンド殿ぉぉ~~~っ!?」

「のわっ!? 今度は何なんだ?」


 アドソンは身も、心もフルフルと打ち振るわせる。

 到底、己では成し得ない奇跡を目の当たりにして感極まり、両手を大きく左右に広げたかと思ったら、いきなり大木が倒れる様に魔王へ向かって立ったままの状態から倒れた。


「拙僧、猛烈に感動を致しました!

 愛とは捧げる事にその意味もあれば、価値もある! 貴殿のその気高き姿に我が仕える神の教えの真髄を見ました!

 ならばこそ、何卒! 何卒、お願いします! 拙僧を臣下の端に加えて下され! 貴方様の往く道をこの目で直に見てみたいのです! 我が勇者よ!」


 ソレは土下座の上をゆく最高礼の五体投地。

 だが、ソレを知らない魔王はアドソンの狂行に息を飲み、思わず飛び退くが、顔を伏したまま必死に思いを告げるアドソンの言葉に堪らず噴き出した。

 挙げ句の果て、腹を抱えて蹲ったと思ったら、身体を反らしながら天を仰いで大笑い。アドソンを勢い良くビシッと指さす。


「ぷっ!? 俺が勇者だと?

 くっくっくっ……。あ~っはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ!? 

 よりにもよって、この俺が勇者とは面白い! 面白いぞ!

 だが、良かろう! どうも、あの女共は俺に対する敬意が足りんし、お前の様な道化が居るのも一興よ! 俺の側に仕える事を許す!」

「はっ! 有り難き幸せ!」


 願いが叶い、嬉しさのあまり涙をハラハラと流して号泣するアドソン。

 しかし、五体投地はやはり無茶だったらしく、上げた顔の鼻は真っ赤に腫れており、両方の穴から鼻血がタラタラと流れていた。




 ******




「レイニャン、そろそろ出発するニャー!」

「解っている! 今すぐ行くから少し待て!」


 魔王は完全な徹夜。そんな事情から、アドソンを新たに加えた魔王一行は魔王の仮眠が済むのを待っていた。

 その結果、出発は昼食を済ませてからとなり、その昼食も済んだのだが、魔王は出発の準備もせず、何かを探して麦畑の中をウロウロと歩き回っていた。


「おっと……。そこか?」


 もっとも、アオイがストレス解消に麦を都合良くに刈ってくれた為、麦畑は歩き易く、さほどの手間をかけず、探し物は見つかる。

 魔王は立ち止まり、その場所へ右の人差し指を向けると、指先から小さな光弾を放った。


「ふんっ……。」


 小さいが威力の有る爆発が起こり、麦畑の表面を抉って、土が周囲に高く飛び散る。

 その中に煌めくテニスボールほどの大きさの丸い玉。魔王は自分の手元に飛んで落ちてきたソレを宙で掴み取り、鼻を不機嫌そうに鳴らす。


「今の音は何ニャ!」

「大丈夫ですか!」

「何か有りましたかな!」


 当然、魔王以外の面々は突然の爆発音に驚いた。

 即座に出発準備の手を止めて、魔王の元へ駆け寄ってくるが、魔王が左掌を突き出して制止させる。


「気にするな。俺の屁だ」

「くっ……。さっさと準備して下さい! 先に出発しますよ!」

「人騒がせな屁ニャ」

「はっはっはっ! レイモンド殿は屁も豪快ですな!」


 それは明らかな嘘だったが、近寄るなという魔王の強い拒絶は受け取り、再び出発の準備に戻る魔王以外の面々。

 アオイは人騒がせな魔王に腹を立て、タリアは呆れて肩を竦め、アドソンは大きく笑いながら。


「何処のどいつかは知らんが、下らん事を考えるものだ」


 何故、魔王が皆を近寄らせなかったかと言えば、それは右手に持つ水晶球に原因があった。

 そう、この中心に黒い靄を渦巻かせる水晶球こそ、メアリーが『死者復活』の魔法を行う為に使った触媒。

 同時に龍脈と呼ばれる大地のエネルギーの流れを堰き止めて、この土地で行われた惨劇全ての呪いを一身に受け止めるべく仕掛けられていたもの。

 魔王は元が骸の王。呪いそのものであり、様々な呪いを完全無効化させる特性を持っているが、それを持たないアオイ達の場合、この水晶を直視しただけで精神が汚染される可能性があった。

 なにせ、埋められていたのはたったの3日間とは言えども、龍脈の膨大なエネルギーを受け続けて、最低でも100人近くの村人達の怨嗟がたっぷりと凝縮されて詰まっている呪われた逸品。

 また、昨夜はメアリーの未練を断つ事が優先されて、メアリーがどの様に魔法を使ったのかがあまり議論されず、うやむやのままに終わったが、魔王だけは気付いていた。

 メアリーがデュラハンである事実から、メアリーの首を斬った第三者が居り、その第三者こそがメアリーを唆して『死者復活』の魔法を行った黒幕であると。

 しかも、この水晶球に呪いを溜めて回収する事こそが黒幕の目的であり、水晶球の成長具合を観察する為、この村を常に何処からか覗き見ている事さえも。


「下衆が……。これは俺が有効に使わせて貰うぞ?」


 魔王は口の端を吊り上げてニヤリと笑い、水晶球を頭上に高々と掲げる。

 魔力の迸りと共に白く輝いてゆく魔王の右手。暫くすると、水晶球は氷が解ける様に水滴を滴らせ始め、それがやがてはコップから水を零すほどの勢いとなる。

 その呪いと大地のエネルギーに満ちた黒い水を真下の大きく開けた口で受け止めて、魔王は全てを飲みきる。


「レイニャン、置いてゆくニャよ! 早くするニャー!」

「解った、解った! ……ったく、ニャーニャーと五月蠅い猫め!」

「ニャーは猫じゃないニャー! 虎ニャー!」


 そして、頭上に挙げたままの右手を大きく開き、覗き見している誰かに水晶球が無くなったのを見せ付けた。




 ******




「馬鹿な……。有り得ない。

 この私ですら、アレを直接触れる事は出来ないのに……。あの男、何者なの……。」


 昼間でも薄暗い森の奥に立ち並ぶ大木の枝の中、巧妙に隠された監視所。

 寝転び、座るスペースしかないそこから村を眺めていた黒いローブ姿の女性は驚くしかなかった。

 魔王が水晶球を掘り起こした時、すぐさま水晶球の回収に走ろうしたが、今は思い留まったのが正解だったと胸をホッと撫で下ろすばかり。

 なにしろ、あの呪いと大地のエネルギーを受けた水晶球を物質変換させて飲み干すなど信じ難い行為。どう考えても、魔王の方が遙かに格上であり、身体が恐ろしさに自然と震えるほど。

 無論、あの水晶球を失ったのは確かに痛手ではあるが、他に代わりが無い訳でも無い。遠大な計画の一欠片に過ぎず、今は魔王という予想もしていなかった不確定要素の出現を上に伝える事こそが重要だと考えた。


「とにかく、計画は失敗。あの男の件も合わせて、枢機卿にお伝えしなくては……。」


 こちらに気付いているのか、勝ち誇ったニヤリとした笑みを見せる魔王。

 黒いローブ姿の女性は下唇を噛み締めると、もう用済みとなった監視所を破棄して飛び下り、森の更なる奥へと駆けて行った。




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