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第5話 「変換魔法」

「それじゃあ、これはわたくしの魔法……ということで間違いないのですね?」


 マキナは謁見の間を出た後、まっすぐに魔法研究院に足を運んでいた。

 ここでは主に魔法の研究や魔法アイテムの作成などを手掛けている、国の中枢のひとつだ。

 魔法界の権威でもある魔導士ウルアは、非常に珍しい検体に出会ったとでも言うように、マキナをあちこち調べようとしていた。


「それ以上触れたら騎士を呼びますわよ」

「冗談じゃ、研究結果はすでに出ておるからの。マキナ様の魔法は非常に珍しく、そして強力なものじゃ」

「どうして今さら……。もっと早く発現していれば、魔法の訓練をちゃんとしましたのに」

「無理もない。これは変換魔法と言っての、意識して発動するものではないのじゃよ」

「……と言いますと?」


 魔導士ウルアの見解はこうだ。

 マキナの持つ防御魔法は、感情の変化により常時発動するというものだった。


 例えば物理・魔法攻撃力を底上げする魔法を扱える人物が、その魔法を使用する時。

 その者が、絶対に負けないという『諦めない心』を魔力の糧とすることで、魔法を発動させるという。


 マキナはそういう部類の発動条件を持っていて、その気持ちが強ければ強いほど魔法の威力は上がっていく。


「マキナ様の場合は、相手に自分を強く見せることで魔法が発動したようじゃの。しかもその威力は絶大じゃ。大鷲の魔物フレスベルグのあごですら噛み砕けなかったとなると、防御力は数値で算出されないほど高いものとなる」

「要するにわたくしが強がれば強がるほど、魔法の威力は上がるということなのかしら」

「そういうことじゃの。マキナ様は強がるのが得意じゃろ」

「……別に得意というわけではありませんわ。気丈に振る舞わなければ、リカルド様の婚約者なんて務まらなかったんですもの」


 今はもう、そうやって強がる必要は無くなったが。


 自分に起きた謎はわかった。

 そして魔法の内容も理解した。

 あとはそれをどう上手く活用していくかである。

 最後に魔導士ウルアは付け加えた。


「気をつけることじゃ。魔法の発動条件が『強がる』ということならば、心が折れればその魔法は威力を消失してしまう。それに気付かず間違って攻撃を受け、死ぬことのないようにな」


 ……心なら、とっくに折れている。


 ***


 死地に向かう準備は出来た。

 あとは明日、戦場の最前線となる基地へと単身で向かうのみ。

 当然だが見送りなど期待していなかった。

 何も不思議に思うことはない。

 父や母も、国王の口から婚約解消を宣言されたその日から口も聞いてくれなくなった。

 貴族出身の女は道具も同然。

 せっかく次期王妃という将来が約束されていたのに、娘の愚かな悪行のせいでその確約を無効にしたと、そう両親は信じて疑わなかったのだ。

 滑稽に思えることといえば、実の両親が娘の冤罪を疑わなかったというのに、侍従たちはマキナが聖女により陥れられたと、泣いて訴えてきたことだ。

 無実を証明しましょう、と進言してくれたのは喜ばしいことだったし、何より心強かった。

 謁見の間で唯一、真実を共有していた騎士団長クラストだけがマキナの為に動いてくれた時と同じように、これほど嬉しいことはない。

 ただマキナは、自分を理解し、信じてくれる人間が一人でも多くいてくれただけで十分だった。

 妙な動きをして侍従たちを巻き込むわけにはいかない。

 マキナは侯爵家に従事している者たち一人一人に声をかけ、必ず帰ってくると約束した。

 声や手の震えに気付かれたりしなかったかどうか、それだけが気がかりだったが……。


「マキナ様、お客様でございます」


 こんな状況で自分に用があるとは、一体誰だろうと思うマキナ。

 まさかこんな所まで聖女が笑いに来たのだろうかと、つい勘繰ってしまう。

 聖女への恨みつらみなど忘れて、これからは前線基地で戦う者たちの命を守る為に思考を働かせなければと、そう割り切ろうとしていたのに。

 どうしてこんなにも醜く恨みがましいのかと、マキナは自分に嫌気が差しながら訪問者のところへと急いだ。


「って……、クラスト騎士団長様!? どうしてここに」


 玄関口に立っていたのは、聖女の嘘にただ一人疑いの目を向けていたクラストだった。

 彼は普段着ている白銀の鎧を脱ぎ、軽装で姿勢を正している。

 しかしその腰には、騎士らしく剣を提げていた。

 無骨で生真面目な騎士団長のラフな格好に、マキナは目をしばたたかせる。

 格好は軽くなっていても、クラストは普段と変わりない仏頂面で一礼し、用件を口にした。


「突然の訪問、失礼致します。その、マキナ様は明日の朝早くに前線基地へ赴かれると聞きまして……」


 その別れの挨拶だろうかとマキナは察し、毅然と振る舞う。

 貴族令嬢として恥じぬように、今ではもう過去のこととはいえ仮にもルンセント王子と婚約していた者として、今まで築き上げてきたキャリアと気品を汚さぬように。


「わざわざご挨拶に来てくださったのですね、ありがとうございます」


 震えないように、みっともなく泣き出してしまわないように。


「今後クラスト様にはご苦労、ご負担をおかけするかと思いますが。どうかルンセント王国をお守りくださいますよう、よろしくお願いいたします」

「はい、……ではなくて。マキナ様、少しお時間よろしいでしょうか」

「え? まぁ、今はもう他にやることはありませんけれど。何か?」


 急に頬を赤らめ、クラストの仏頂面が崩れていく。

 視線を外してどこかそわそわしているような。

 そんな様子に、マキナは思う。「クラスト様はどこか体調が悪いのだろうか」と。


「あの、激務で体調が優れないようでしたら」

「私と出かけませんか!?」

「えっ?」


 突然の言葉に聞き間違えたのかと思ったマキナは、オウム返しのように聞き返そうと口を開いた瞬間、クラストが思い切ったような勢いで畳み掛けてくる。


「私のような無愛想な男と一緒だと、マキナ様を退屈にさせるかもしれませんが。私はどうしても、今この機を逃したら、一生貴女のことを知ることが出来なくなりそうで……」


 そこまで言い切って踏ん切りがついたのか、今度は真っ直ぐにマキナの瞳を見て告げる。

 真剣で、熱のこもった眼差しで。


「昨日、魔物に襲われた箇所の視察を……一緒にしませんか」


 あぁ、そういうことね……。

 クラストの先ほどの言葉から、自分は一体何を期待していたんだろうと思ってしまう。

 マキナは自分の浅ましさと尻の軽さに嫌悪してしまった。

 だがそれは決して、目の前にいるクラストのせいではない。

 いつまでも割り切れない自分の心の弱さのせいだと言い聞かせ、笑顔で応えた。


「そうですわね。では今すぐ準備をしてきますので、少しお待ちください。誰か、クラスト騎士団長様を応接室にお通しして、お茶を」

「いえ、お気遣いなく」

「そうはいきませんわ。レディの身支度には時間がかかりますの。どうぞ、ブルート家自慢の菓子職人が作った焼き菓子でも召し上がりながら、ゆっくりとお寛ぎください。とてもお疲れのようですから」


 言ってる間に侍女がクラストを応接室へ連れて行った。

 ほぼ無理やり手を引っ張るように。

 あたふたとまだ何か言い足りなさそうなクラストを尻目に、マキナは早足で着替えに戻る。

 急ぎクローゼットを開けてドレスを吟味した。

 これはダメ、派手すぎる。仮にも市井しせいへ赴くのだから。

 だけどこれはさすがに地味すぎるだろうか。

 クラスト様の前でこんな……。

 ふと手が止まる。


「わたくしは一体何を張り切っているのかしら。これは視察なのだから、もっと動きやすい格好をしないと」


 ふぅと小さくため息をしつつ、それでもほんの少しでもクラストに見てもらう為にと、マキナは去年の誕生日プレゼントにもらった髪留めをした。

 それは決してきらびやかなわけでも、高価なものでもない。

 ブルート家に仕える侍従たち全員でお金を出し合って、マキナを祝う為に用意してくれた心のこもったプレゼントだ。

 マキナはその髪留めをとても大切にしていた。

 見てもらうなら、王子にもらったゴテゴテに宝石があしらわれたアクセサリーではなく、シンプルだが落ち着いた色合いのこの髪留めがいい。 


 応接室ではクラストがぎこちない表情でマキナを待っていた。

 侍女が淹れてくれたお茶は確かに美味しい、菓子職人による焼き菓子も絶品だ。

 だが心はどこか上の空。

 ふと思い出す。

 これを提案した同僚や部下を恨めしく思ったらいいのか、よく言ってくれたと褒めていいのかわからない。


『堅物で有名な騎士団長の心を射止めたご令嬢、後にも先にもそんな女性は現れないぞ!』

『自分はあの時現場にいましたが、マキナ様の心強い立ち居振る舞いに勇気をもらいました』

『あの方が汚名を着せられるのは耐え難いです!』

『前線基地へ行ってしまう前にデートに誘え! クラスト! 男ならそうするべきだ!』


(あいつら……、人の気も知らないで……)


 思い出すとお茶の味がしなくなった。

 コンコンとノックの音がして、今度はどんな焼き菓子が来たのだろうかとドアへ視線をやる。


「お待たせいたしました、クラスト様。さぁ、視察へ参りましょう」


 凛とした表情、落ちてくる前髪を留めている髪留めがとても似合っている。

 そして動きやすいようにとパンツスタイルで出て来たマキナに、クラストはどうしたらいいのかわからなくなっていた。


(これはこれで素敵なのだが……)


 ドレス姿ではなく、視察用にパンツスタイルを選択したマキナにさすがと言うべきか。

 はっきり「デートしましょう」と言えなかった自分を憎らしく思いつつ、マキナのパンツスタイルも悪くないと思ってしまっている自分のやましい心に、真面目一徹で通ってきた自分にも不純な部分があったのだと思い知らされた気分になった。


「どうかなさいました? お茶と焼き菓子を気に入っていただけたのなら、持ち帰るように用意させましょうか」

「いえ、なんでもないです。それでは参りましょうか、マキナ様」

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