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第8話 「魔王」


 魔王城から戦場を眺める者がいた。

 魔物の群れを薙ぎ倒していく人間が戦場にニ箇所、怪訝な表情を浮かべると側近に訊ねる。


「おい、あそこにいる人間……。あれはなんだ」

「一番近い場所で猛威を振るうは、ルンセント王国一の剣の使い手である騎士団長……とありますね。名は確か、クラストと言いましたか」

「ではその後に続いているあれはなんだ?」

「あれは……、うぬぬ……あれは? はて、こちらの情報にない者のようですな。性別は女のようです」

「ではあれが噂に聞く聖女だな」

「魔王様、そう断言されるにはまだ早いかと」


 しわしわの老人のような青い皮膚をした人型の魔法使いは、魔王の参謀を務めている。

 いわば魔族側のブレーンだった。

 知能の高い魔族に情報収集させ、それをまとめ上げ、魔王に知恵を与える役割を担っている。

 黒髪の長髪に、バッファローのような大きなツノを生やした成人男性の姿をしている者はこの城の主人、魔王だった。

 魔王は興味深そうに魔物の群れを突き進む女性に注目していた。


「いや、あれはさすがに聖女だろう。普通の人間にあんなことができるか?」

「確かにそれはそうですが、もしかしたら防御魔法の使い手なだけかもしれませぬ」

「面白いな、ちょっと見に行こうか」

「ふぇっ!? 魔王様、今なんと?」


 参謀の助言も虚しく、魔王はマントを広げると背中から巨大なコウモリの翼を広げ、テラスから戦場へ向けて滑空していった。


「魔王様ー! 話を聞けこのスカポンタンンンン!」


 ***


 一体どれほどの攻撃を受け続けてきたのだろう。

 クラストを追いかけ、魔物に襲われ、攻撃を受け、味方に反撃してもらう。

 気が遠くなるほどに、追いかけても追いかけても永遠に追いつかないような気持ちになってくる。

 しかし挫けてなんていられなかった。

 心が折れれば魔法は解ける。

 そうなればクラストにこの想いを伝えることができなくなってしまうのだから。


「もう! いい加減にしてくださいまし!」


 グリフォンの吐く炎を全身に浴びても、着ている服すら無傷であった。

 やがて襲っても襲っても傷ひとつ付けられないマキナに対し、魔物の方が恐怖を抱いていく。

 この人間を殺すことは出来ない、そう魔物たちが認識した時だった。


「情けない! それでも魔王に仕える者どもか!」


 上空からそんな声が響き渡り、見上げると大きな翼を羽ばたかせ、ゆっくりとマキナの目の前に降り立つ。

 その容姿からマキナは一目でその相手が魔王だと察した。


「まさか魔王自らが戦場に降り立つとは思いませんでしたわ」

「お前だな、聖なる力で我が眷属を薙ぎ倒していった聖女というのは」

「違いますわ」

「違わない」

「あなた失礼ですわね。わたくしをあんな性格の悪い女狐と一緒にしないでいただきたいわ」

「……違うのか」

「違います!」


 否定し続けるマキナに魔王はため息ひとつ。


「そうか、ならば死ね」

「させない!」


 魔王が振りかざした長剣を受け止めたのは、颯爽と駆けつけたクラストだった。


「クラスト様! ご無事でしたのね!」

「マキナ様こそご無事でよかった。いえ、そうではなくて! なぜ追いかけてきたりしたんですか! それでは私があなたを守る為に走り出した意味が全くないではありませんか!」


 さすがにカチンときた。

 今まで婚約者であったリカルド王子相手ですら、このように感情をぶつけたことは一度もない。

 強く気高く美しくをモットーに生きてきたマキナは常に自分の感情を抑え、怒りなどぶつけたことはなかった。

 しかしなぜかクラストにだけは、自分の本当の気持ちをぶつけたくなる。

 何も知らず、勝手にいい格好をして説教をする。そんなことはもう許したくなかった。


「何も知らないくせに、格好つけないでください!」

「か……、格好つけたりなんて、別にそんなつもりは」

「いやいや何話してんのお前ら? 剣交えながら痴話喧嘩とかやめろ?」


 魔王がうるさい。


「わたくしだってあなたのこと好きなのに、それを聞かないまま戦場の真っ只中に走っていくなんて! わたくしが喜ぶとでも思っているんですか!」


 マキナの言葉にクラストの剣を握る力が弱まったので、このまま長剣を力一杯押し付ければこの男の命を奪えると魔王は確信していた、ができなかった。

 未だかつてないほどにやる気を削がれた魔王は、静かに剣を引いていく。

 それでも構わず痴話喧嘩を続けるので、本気でバカらしくなってきた。


「マキナ様、今の言葉は……」


 クラストがそう問いかけた瞬間だった。

 味方陣営側から戦いのパレードを思わせるような管楽器の音が鳴り響く。

 見ると城塞都市のある方角から大軍勢が押し寄せ、その先頭の馬車には聖女アンジェリカが仁王立ちして高笑いを響かせていた。管楽器の音よりうるさいかもしれない。


「皆様、お待たせしたわね! この聖女アンジェリカが来たからにはもう安心よ! 魔族なんて、あたしの聖なる力の前ではみーんな無力なんだから! おーっほっほっほっ!」


 聖女と名乗ったアンジェリカに前線基地の兵士たちは湧き立った。

 歓声を上げて聖女を讃える。

 それを見た魔王がやっとやる気を取り戻し、目の前のバカップルは無視してまだ生き残っている魔物たちを鼓舞させた。

 魔王の魔力に充てられ、みるみる勢いを取り戻す魔物たちは目の前に現れた聖女めがけて突進していく。


「さてはお前が本物の聖女だな!? 覚悟しろ! 勝つのは我々魔族側だ!」

「聖なる力よ、悪しき者どもに裁きを!」


 聖女が片手を天に振りかざした。

 しかし何も起こらない。

 魔物はなおも迫ってきている。

 慌てふためくアンジェリカに馬車の奥からリカルドが顔を出した。


「ど、どういうこと?」

「どうしたアンジェリカ! 君が魔物を一瞬で片付けられるって言うから安心してついて来たのに!」

「リカルド様……、えっと……どうしよう?」


 一向に聖女の力を発動させない様子に気付いたマキナは、何か問題が発生したことに気付く。

 もうすぐそこまで魔物が迫ってきているというのに、遠くに見えるアンジェリカはどこか狼狽えているようだ。

 クラストも異常に気付き、二人は馬に乗った騎士を呼び止める。


「馬を借りるぞ。マキナ様、乗ってください」

「え、えぇ……」


 戦争の最中だと言うのに、馬に乗ってクラストに抱きつく想像をしただけで顔が真っ赤になってしまうマキナ。

 今はそんなことを言ってる場合ではないことはわかっているのに、自分の気持ちに気付いてしまっては意識するなと言う方が無理な話だった。


「しっかり掴まっていてください!」

「わかりましたわ!」


 冷たい白銀の甲冑に頬を押し当て、両手でクラストにしがみつく。

 大きな背中、今まで意識してこなかったがクラスト騎士団長はこんなにもたくましく勇ましい男性だったのだと、冷たい甲冑越しから感じ取った。

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