横切る魔物を斬りつけながら馬は駆ける。
しかし魔物の軍勢はどんどんアンジェリカの隊に迫っており、これでは到底追いつくことは敵わない。
(ダメ、このままじゃ間に合いませんわ!)
アンジェリカは聖女として目覚めるまでは普通の少女だったはずだ。
士官学校でマキナにいじめられていたと証言したところから、恐らく魔法士部門に所属していたことになる。
アンジェリカの
戦術部門だったなら、トップの成績を収めていたマキナがその存在を認知していたはず。しかし聖女と名乗り出るまで、マキナはアンジェリカのことなど顔も名前も知らなかったのだ。
それならきっと、魔法士部門に所属していた――ごく一般の生徒だったのだろう。
(聖女の力を行使しないアンジェリカは、ただの一般市民も同然ですわ。それにあの隊には恐らくリカルド王子も引率している可能性が高い……。引き連れている兵士たちも、騎士団も、みんなみんな……我が国の大切な民! 侯爵家の者として大事な国民を守らなければ!)
「わたくしに……、自分だけじゃなくて皆さんを守る力があれば……!」
そう心に強く念じた時だった。
マキナたちの頭上から輝かしい光の柱が現れる。
天から射す光にその場にいた全員が目を逸らした。
「な、なんですの!? この光は!」
マキナたちが乗る馬も突然の光に目が眩み、クラストが落馬しないように必死で馬を落ち着かせようとする。
光の柱は地上にまで届いており、光の先にいた魔物たちは一瞬にして浄化され姿を消していた。
「こ、この光は……! あの時の? あたしが聖女として神託を受けた時と同じ光だわ!」
アンジェリカがそう叫ぶ。
神による奇跡、とでも言うのだろうか。光の柱の中に人影のような何かの姿がうっすらと確認できた。
それを見るなり魔王は恐れ慄く。
「神め……、気まぐれに人間たちに力を貸そうとでも言うつもりか!」
魔王の言葉で確信した。
この光はやはり本物の神の奇跡だったのだ。
しかしなぜ今になって姿を現したのか、疑問に思えてならない。
これまでずっと魔族と人間の間で死闘が繰り返され、地獄のような日々を送ってきたというのに。
今になって現れるとはどういうことなのか。
『アンジェリカよ、神の期待に背きし愚かなる娘……。今この時より、お前から聖女の奇跡を剥奪する』
「え、なんで!? 一体どういうことなの? あたしは聖女としてこうやって戦場まで来て、自分の危険も顧みずに邪悪なる者と戦ってるじゃない! あたしのどこに不備があるって言うのよ!」
神に対して堂々とした反抗。
マキナはアンジェリカこそ真に恐ろしい存在なのかもしれないと思った。
『浅慮なる娘よ、お前は聖女の資格を自ら放棄したことを忘れたと言うのか。聖女とは神にのみその清らかな体を捧げる、神聖なる存在でなければいけない。お前はそこにいる男と交わり、清らかさを失ったのだ』
周囲がざわつく。
罰が悪そうにリカルドは馬車の中へと引っ込んでしまう。
アンジェリカはたじろぎ、言い訳しようとするも、リカルドと夜を共にした事実だけはもはや隠し通せそうもないと覚悟した様子だった。
相手は全てを見通す神であるのだから、アンジェリカの下手な嘘が通じるはずもないのだ。
かつての婚約者が、聖女と名乗っていた娘と心も体も愛し合っていたと聞いて、マキナは自分がひどく傷つくものだと思っていたが、意外に平気だったことに驚く。
何年も恋焦がれ、愛してきたリカルド王子のことを今では心の底から何とも思っていない自分。
こんなにも早く忘れることができるとは思っていなかった。
今ではもう目の前にいるクラストのことしか考えられない。
『お前は普通の娘に戻るのだ。罰を与えないだけ幸いと思うがいい。ただお前に聖女の役割は荷が重すぎたというだけだ』
「え……、今さらそんな言い草、ひどいわ! それじゃあたしは一体何の為に聖女になったと!?」
『真なる聖女が現れるまでの、お前はただの繋ぎに過ぎない』
「つな、ぎ……?」
アンジェリカの顔が引きつる。
しかしそんなことはどうでもいいと言わんばかりに、神はアンジェリカに対して突き放す言葉を発したと同時だった。
マキナの体が温かい光に包まれていく。
馬に跨っていた体が空へ浮かぼうとして、クラストに必死にしがみつこうとするが敵わない。
「マキナ様!」
クラストも空に浮かび上がるマキナを離すまいと互いに手を握り締めるが、マキナはクラストがこのまま落下してしまってはいけないと思い、手を離すように促した。
『他者を慈しむ心、ただ一人を真に愛する心、気高く美しいその心、そなたこそまさしく聖女に相応しい。真実の愛に目覚める時を、長い間待っていた。仮初めの聖女を作り出してまで待った甲斐があったというもの』
「ちょっと! さっきからあたしの扱いひどすぎない!?」
歯を食いしばって悔しさを露わにするアンジェリカだが、もちろんその声は誰にも届かない。
聖女でもなんでもなくなったアンジェリカに、誰も感心を抱かなくなった。
『さぁ、その力で魔の者を一掃するのです』
「突然現れて勝手なことを! こんな茶番はもううんざりだ! どいつもこいつも魔王であるこの俺をバカにしおって!」
『聞く耳を持ってはなりません。この者らはお前たちに害を為す存在。今ここで引導を渡すのです』
「うるっさいわ! こんな何の攻撃も通じん非常識な小娘がいる時点で、侵略もくそもあるか! 人間どもが魔族の領域に侵入さえして来なければ、こっちだってもう関わるつもりはない!」
半ばやけくそになっている魔王が捨て台詞を吐いていった。
どんな攻撃も一切通用しないマキナの存在、それが今度は聖女として覚醒したとなると、もはや魔族側に勝ち目などないと即座に判断した為だ。
そしてそんな自暴自棄になった台詞を聞き逃さなかったマキナは、魔王に交渉を仕掛ける。
「今の言葉は本当ですか? 嘘偽りはございませんわね!」
「は? 何だ急に」
「さっきの言葉ですわよ。そちらの領域に干渉しなければ、互いに争ったりはしない。その言葉を信じてもよろしいのかと聞いているのです」
「貴様、今まで何十年にも渡って互いに殺し合った者同士……。何の遺恨も残さず平和的に解決できるとでも思っているのか」
「そんなこと思っていません。これまで失われた命、家族や友人の悲しみは永遠に消えることはありませんわ。でもこれから先、互いに歩み寄らずとも干渉さえしない努力をすれば、次代の命が奪われることがないという未来を実現させることができるかもしれないと、そう言っているのです」
マキナの提案に誰もが戸惑った。
最もな言葉だが、これだけたくさんの命を奪い合い、理想論ともとれる綺麗事で片付けられるほど簡単な問題でもない。
それでもこれが成立すれば、もう戦わないで済むかもしれない。
命をかけて戦ってきた騎士たちは互いに顔を見合わせ、そして頷く。
誰もが同じ思いだった。
……死にたくない。
「聖女マキナ様! 万歳!」
「万歳!」
突然の喝采にマキナは恥ずかしくなる。
自分は聖女として交渉したわけではなく、あくまでマキナ・ブルート侯爵令嬢として目の前にいる魔王に戦争締結の条約を提案しただけだ。
しかし一向に止まない歓声、いつしか魔族側からも魔王に対するコールが響き始めた。
当人たちを差し置いて盛り上がる周囲に、お互い引くに引けず、期待に応えないわけにはいかないと、その場で停戦条約を結んだ。
正式な書類は後日、という形になる。
こうして長年に渡る魔族と人間による戦争は終止符を打った。
聖女マキナの、力に頼らない戦い方によって。