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ディアルクとの生活

 ディアルクは、山小屋にルダとウーケを連れてきた。ルダは軋む床に降ろされ、目の前の男を見つめた。金髪に、同じ色の瞳。見た目から察するにその年齢は三十台ほどだろう、と彼は見当をつけた。


「お前、何がしたい」


 唐突に問われ、少年は人の形を取り戻した掌を見つめて答える。


「あいつを──イゼルハートを、殺したい。いや、魔族を全部、この世界から消し去りたい」

「そうか。だが、今のお前には無理だ」


 きっぱりとした、残酷なまでの否定。


「お前、変身してみろ。どうせできんだろうが」


 舐められた、という不快感はあれど、ルダはそもそもの問題として姿を変える方法を知らなかった。


「いいか、お前はまず力を制御できるようになる必要がある。激情に任せた暴走では、いずれ全てを傷つけることになるぞ」

「何も見てないくせに」

「わかるんだよ。俺だって最初は制御できず、徒に力を振るっていたからな。いいか、俺はお前の復讐を否定したいんじゃない。成し遂げるために、まず現実を見ろと言っているんだ」


 現実。誰も、二度とは戻ってこない。


「……今は休め。明日、みっちり稽古をつけてやる」


 ディアルクは壁の収納から布団を二組取り出し、床に敷いた。広さは、三人が横になればそれでいっぱいになる程度だ。少し臭う布団の間に体を挟み込んで、ルダは目を閉ざした。


 七時間後、空に昇った朝日が彼らを起こす。庭で飼っている鶏も鳴く。もう少し眠っていたかったルダは、顔をはたかれて強引に目を覚まされた。


「手伝え。飯を用意する」


 眠い目を擦って庭に出た彼は、まず水を汲みに行かされた。金属製の、取っ手がある大きな桶を両手に、少し上にある湧き水へ向かう。透き通った水を幾らか入れている内に、彼は動物の糞の臭いも、堆肥の臭いもしないこの美しい空気で肺が満たされていくのを感じていた。


 十リットルの水を、彼は持ち上げた。人が生きていくには、毎日一リットル半の水を飲まなければならないという。そして、自分がこれから何かしらの運動を行うことを考えると、冬と雖も水は多く飲むのだろう、と彼はぼんやりと考えていた。


「泉から引っ張ってくればいいじゃないか」


 小屋に戻るなり、彼はそう告げた。


「稽古の一環だ」


 短く言い切ったディアルクは、魔法で火を点けた竈門の上で、卵とソーセージを焼いていた。


 今日の朝食は、ソーセージと目玉焼き、黒パン、林檎だった。裏庭で栽培されているものを、ウーケが採ってきたのだという。


「エーリエスよ、あなたが与え給うたこの食事に、心からの感謝を捧げます」


 ディアルクは目を閉ざして深く祈った。それに倣って、二人も祈りを捧げた。


 食事の間、彼は一言も発さなかった。ただ、淡々と食べ物を口に運んでいる。硬い黒パンを千切り、咀嚼し、ソーセージを食む。後の二人も、楽しく食べるという態度にはなれなかった。


 十数分の後、全てを胃に納めた三人は小屋に置いてあった防寒着に身を包んで外に出る。


「魔法には、三種類ある」


 剣を抜きながら、ディアルクが言う。


「ナーデルの神々の力を借りる『赤魔法』、神々の内慈愛と癒しの神の力を借りる『白魔法』、邪悪なる魔神の力を借りる『黒魔法』だ。ルダ、魔族が使うのはそのうちの黒魔法だ。そして、お前が使うのもな」


 彼の剣を黒い稲妻が覆ったかと思うと、彼自身の肉体が変貌し始める。蒼い甲殻が現れ、細長い角が額から一対生えた。


「変身も黒魔法の一つだが……基本はどれも変わらない。外なる魔力のマナを取り込み、内なる魔力のオドと練り合わせることで、魔法という現象を起こすんだ」

「いきなり言われてもわかんないよ……」

「そうだな。まずはマナを取り込むことから始めるぞ」


 とは言っても、ルダには何の知識もない。そして、ディアルクもそれは承知の上だった。


 まず課されたのは、瞑想。森の中にある岩に座り、目を閉ざす。じっと、この世界という巨大な生命の息吹を感じるのだ。


 胡坐をかいて静止していると、木々の揺れる音や、鳥の鳴く声がやたら大きく感じられる。雪が降り始めれば、その声も吸い込まれるように消え去った。


(なんで、僕はこんなことしているんだろう)


 頬を斬り付けるような風の中、疑問が湧いてきた。


(全部ほっぽり出したって怒られやしないのに)


 何故だか、甘い誘惑が耳元で囁くようにして頭に流れ込んでくる。


(と言うか、マナを取り込むってなんだよ。いいじゃないか、魔導式のある道具を地脈につなげれば暮らせるのに)


 地下を流れる巨大な魔力ネットワークに、魔導式という魔法を発動する情報媒体を繋げ、様々な恩恵を得ることが、現代文明の根幹となっている。


(でも、僕が逃げたら、妹は、母さんは、父さんは、みんなは……)


 無駄になる。何も結ばない徒花として散ったことになる。それだけは、嫌だった。


 そういう瞑想を、三日ほど続けた。食事と睡眠、そして排泄以外は岩の上だ。その間、彼はなんてことのない疑問をディアルクに投げかけた。


「マナを取り込めないのに、どうやって僕は変身したの?」

「オドは感情の起伏によって増幅されることもあれば、削弱されることもある。お前は激しい感情によってオドを増幅して、変身に足る魔力を確保したんだ」


 赤いスープを飲んだディアルクは、言葉を続ける。


「常に怒っていればいいじゃないか、とでも思ったろう。だが、人間慣れていくものでな、村の一つ消し飛んだ所で感情もそう動かなくなる。それに、どこの誰とも知らない人間が殺されただけで一々怒っている暇もないだろう」


 どこか不快感を覚えながら、ルダは黒パンを千切った。


「だから、だ。どんな精神状態でも安定した魔法を出力するために、マナを効率的に取り込む必要がある。それが、お前を生かすことになる」


 腹の中で先程食べたものが溶かされていく中、ルダは冬風に当たっていた。


(マナ、マナかあ)


 四日目ともなれば、何かを感じられるだろうか、と思っていた。何ということもなく、冷たい空気で肺を満たしてみる。途端、尻に触れるひんやりとした岩が脈打つように感ぜられた。


 なんだ、と問いかける前に、彼の体に異変が起きる。全身が熱を持ったようだ。細胞の一つ一つが燃えるように熱い。心臓が、魔核が叫び声をあげる。


 次の瞬間、彼は変身を遂げていた。だが、心は凪いでいる。肉体が作り変えられる激痛もなく、自分が本来そうであったかのように、自然とそれを変貌させていた。


「得たな」


 ディアルクがそれを見ていた。


「次のステップだ。お前は、料理人で言えば偶然調味料のいい塩梅を見つけたところ……今度は、それを理論を以て行えるようになるんだ」


 今、ルダの体内にある疑似神経組織は取り込んだマナを全身に循環させている。この状態であれば、イゼルハートにも勝てるやもしれない──そんな思いさえ、生まれてきた。


「変身を解除するには、マナを取り込なければいい。そうだな……息を止めてみろ」


 それに従って数秒、ルダは元通り、少年になった。


「まず、マナを取り込む際のルーティーンを決めるぞ。ないか、普段から行う癖のようなものは」

「逆に……息を吐く癖があるって」

「なら、深呼吸を鍵とするのがいいだろうな。空気中のマナを取り込む、というイメージも繋がって効果的だ」


 ディアルクは岩に腰掛け、ルダに目で促す。


 少年は、冷え切った空気を大きな動きで吸い込んだ。そして吐く。何度か繰り返す。少しずつ、肚の深い所に熱が溜まってくる。


「そのマナを保持しろ。変身するな」


 先ほどの変身で、体中に張り巡らされた魔力の流路を感じ取っていたルダは、どうにかそれを閉ざそうとする。


「水門を閉めるようなイメージだ。そう、少しずつ、流れる量を減らせ……」


 だが、結局彼は姿を変えてしまった。解除はできたので、その後、ひたすらに変身を行った──。

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