二か月。冬も終わりに近づいた山中で、ルダは変身を遂げた。そのまま、深く息を吐き、元に戻る。
「ベルノーク」
彼は、自身に与えられた名前を呟く。古い言葉で『抵抗』を意味するらしいその言葉が、彼に使命感を与えていた。
「慣れてきたな」
その様子を眺めていたディアルクが言った。
「前にも言ったな。魔族を殺すためには、魔核を破壊しなければならない。魔族の姿に変化すれば、ただの打撃でも魔核にダメージを与えられる……そこで、だ」
彼はポンメルを触ってルダの目を真っすぐに見た。
「連邦軍の、対魔族部隊に入らないか」
「……僕にマナの使い方を教えたのは、それが目的なんだね、先生」
「ああ。後進の育成が必要だからな。それに、イゼルハートを見つけるにも、情報が入ってくる居場所を確保するべきだろう?」
筋は通っている。食っていくことを考えても、これ以上ない提案だ。古来、軍隊とは金もない家の、継ぐ職もない次男坊三男坊の行くところだという。自分は長男だが、金も職もない。身を立てるなら。
「ウーケも行くだろう?」
木の後ろから二人の様子を見ていた彼女に、ディアルク言う。
「俺も、いつまでも穀潰しを抱えているわけにもいかないんでな。既に推薦状を送ってある。首都に行くぞ」
「行くって、今から?」
師が頷いてからは、忙しかった。防寒着と食料、水を携え、西に山を下る。ナリスティア連邦は、群島から成る国家だ。彼らがいるのは北方から東方にかけて位置する島の東端付近。対して首都オバルは中心部の島の、東端に存在する。
従って、移動には船が必須だ。一日かけて港に来た一行は、宿屋で一先ず夜が明けるのを待つことにした。
そこで出た食事は、豪勢なものだった。大きく切られたハムに、ふかふかの白パンと、具沢山のポトフ、そしてチーズ。今朝水揚げされた魚まである。飲み物はワインだった。
だが、ディアルクが祈りを捧げた後、何も言わずに食事を進めるため、弟子たちもそれに倣った。
賑やかになってきたのは、彼らが食べ終え、屈強な海の男たちが宿屋に入ってきてからだ。
「坊ちゃん、どこに行くんだ」
立派な髭を蓄えた、眼球全体が真っ黒な男が一人、ルダと肩を組んでそう問うた。
「首都。軍に入る」
「にしちゃあ、細いな。もっと食え。大将! この坊ちゃんに肉持ってこい!」
大声で言い返す前にオーダーが通ってしまった。助けを求めて向かいのウーケを見た彼だが、その彼女は大将の妻と談笑している。
結局、ルダは吐き気がするほどに肉を食わされてしまった。重い腹を持ち上げて外に出る。もうすぐ春が来るこの街は、夜でも活気づいていた。
右を見れば女をひっかけた巨体、左を見れば酒瓶を片手に酔っぱらっている男たち。そんな街だった。
「どうしたんですか?」
宿屋から出てきたウーケが問うた。
「みんな、元気だなって」
「すごいですよねえ。村のお祭りと同じくらい賑やかですよ」
「なんか、村にいたのがすごく昔のような感じがするんだ。まだ二か月しか経ってないのに」
「私もです」
潮風に吹かれて、二人は歩き出した。
「ウーケは、どんな修行してたの?」
「マナを取り込む効率を上げる修行が主でした。魔法を直接使うことは、あんまりなかったですけど……」
「僕もそうだ。ずっとすぐに変身できるように、マナの吸収を繰り返してた。戦い方の一つくらい教えてくれたっていいのに」
魔法の灯が照らす道の中、自分たちよりずっと縦にも横にも大きな船乗りとすれ違う。
「僕は……やっていけるだろうか」
「やるしかないですよ。だって、私たちに行き場なんて……」
そこまで彼女が言った時、ルダは立ち止まって踵を返した。
「行くしかないんだ。わかってる」
彼の表情には、儚さと覚悟が同居していた。
「寝よう。明日の朝の船で出発なんだから」
夜が、明けた。
◆
ナリスティア連邦から遥か西方、オルガクラム王国領。魔族に支配された地だ。その王都であったデビンに、魔王がいる。
「計画は進めているか」
その掌には、映像が浮かんでいる。三本角の魔族──イゼルハート。
「現在、各地に魔族を潜伏させております」
イゼルハートは恭しくも頭を下げて言った。
「三賢者の造反を見抜けなかった分、働いてもらうぞ」
彼は何も答えなかった。
「連邦侵攻の足掛かりを作るのだ。わかっているな?」
「ええ、勿論……」
「なら良い。下がれ」
映像が途切れた。魔王は溜息を吐く。
「全く、どうしてこうも……」
そんな彼女は、まだ幼い子供のようだった。
◆
魔導船が、港を出た。とはいっても大航海というわけでもない。群島から成るナリスティア連邦は、幾つかの海峡が存在し、それを超える渡し船にしては大きい程度の存在があるだけだ。
距離で言えば四十キロメートルほどだろう。時速二十キロで海の上を滑るこの船が着くまでは、およそ二時間。
だが、初めて見る光景に、田舎者二人は大興奮だった。
「すごい! 回ってる!」
甲板から外輪を見て大はしゃぎするルダに、ウーケも同調して余計に騒がしくなる。
「お前たちは運がいいな」
そんな二人に、ディアルクが声をかける。
「慣れていない奴はよく吐くんだが……そんな様子もない」
「吐く? なんで?」
「さあな。とにかく、そういうのを船酔いと言うんだ」
遠くに見える港を眺め、ウーケがルダを呼ぶ。
「私があの村に行ったときは、人が漕ぐ船でした」
「どこの生まれなの?」
「……南部の島です。ほんとに小さな島ですよ」
「それが、なんで北に?」
ウーケは俯いて手を震わせた。
「五歳の頃、魔法で弟を怪我させてしまって、追い出されたんです。そこから親戚の間を転々として……二年前に、エレイオン家に行き着きました。それも……」
涙を零した彼女の肩に、ルダが手を置いた。
「必ず、仇を討とう。みんなの死を、無駄にしたくない」
頷き。舳先でたたずむ二人は、この風のような湿度を持った空気を共有した。
「もし、軍に入れなかったら僕らどうなるんだろうね」
「ルダさんは大丈夫ですよ。変身だってできるんですから。私は……ちょっと魔法が使えるだけ」
「でも先生言ってたよ。魔法を使えるって時点で、かなりの才能だって。普通の人間は、魔力を放つための疑似……神経組織? がないって」
またもウーケは頷いた。だが一つ、自分が所謂『人間』でないことを明かさないまま。
「わかってます。わかってるんですけど……不安なんです。イゼルハートに効かなかったんですよ」
「それはあいつが強いからだよ。ウーケが弱かったからじゃない」
励ましを受けて、彼女はどうにか顔を上げた。
「……正直、僕も怖い。変身できたくらいで魔族に勝てるとは思わないし」
「先生、取り込めるマナを増やす修行ばっかりでしたし……なんで実戦的なことはしないんでしょう」
答えは出ない。
「まさか、僕が首都に行くとは思ってなかったなあ。ウーケは? たらいまわしにされる間に一回くらいあるんじゃない?」
彼女は首を横に振った。
「田舎ばっかりですよ。人を傷つけて嫌われた人間が、人の多い場所に行かせてもらえるわけないじゃないですか」
「確かに……そうか……」
話している内に、水平線の向こうから街がせり上がってくる。
「あれかな」
「ええ、きっと」
そこから港に入ったのは、三十分後のことだった。
先ほどまでいた港も、元気な街だった。だが、首都オバルの港はその数倍のにぎやかさで充たされていた。各国への輸出品が船に載せられ、輸入品と入れ替えられる。
「エンロッドのワインは美味いぞ。いつか飲ませてやる」
酒瓶を運ぶ水夫を見て、ディアルクが言った。
その耳が痛くなるほどの活気から離れ、少し静まった住宅街を抜け、更に街の外れに向かう。田園地帯の中に佇む、ディアルクの屋敷だった。