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邂逅する二人

 チグルハ・オベスが家に帰り着くと、そこに飼っている魔物が寝ていた。


「来ちゃ駄目だって、言ったじゃん……」


 そっと屈んで撫でた時、背後に現れる影があった。


「君、名前は?」


 唐突な疑問に度肝を抜かれた彼女は、あたふたしながら振り向いた。


「それ、魔物だろう?」


 その穏やかな声音の主は、中年に差し掛かったであろう女性だ。田舎育ちの夜目で、チグルハは女の腰に禍々しい空気を纏った剣があることを認める。


「魔物は危険だよ……引き渡してほしい」


 警戒の目を向けて、チグルハは魔物の前に立つ。


「私は魔物の研究をしていてね。人間と魔物が共生できる社会を目指しているんだ……だから、人間に懐いた魔物にどのような変化があるか、調べたい」

「……名前」


 少女は思わずそう言っていた。


「名前、言ってください」

「ニエルゴッシュ」

「ニエルゴッシュさん、くーくんは、無事に帰ってきますか」

「約束しよう」


 暫し悩んでから、チグルハは魔物への道を開いた。


「ありがとう、助かるよ」


 彼女はくーくんと名づけられた狼めいた魔物を見送る。悲しい目を見せていた。彼女もまた、背筋を冷たい汗が滑っていくような感覚に襲われていた。





 朝日が昇る頃。ディアルクの部屋に、班員三名は集められていた。


「それぞれ、巡回の結果を報告しろ」


 座った師に言われて、並んで立っていたルダらが口を開く。


「僕は北エリアを回った。魔物は三体で群れてた。人を食う直前に助けに入れたよ」

「ベルノークとしての姿は見られたか」

「うん。でも、僕がそれだとは思われてないはず」

「ならいい。ウーケ」


 うつらうつらと船を漕いでいた彼女は、名前を呼ばれてハッとする。


「は、はい! 東エリアにはいませんでした。でも、嫌な気配はずっとしてますね。魔族がいるかも……」

「それは俺も感じていた。今夜、探知結界を使うとするか。ソウマ」


 赤い翼の少年は、一度欠伸をしてから応える。


「西エリアは魔物が五体ほどの群れでうろついていました。全部斬りましたが、毎日ちまちま潰すんじゃ終わりませんよ。元を断たないと」

「その元を調べるための探知結界だ……南エリアで、大型の魔物と遭遇した。幸いすぐ討伐できたが、お前たちが単独で交戦していれば苦戦していたかもしれない。気をつけろ」


 ディアルクが立ち上がるので、新人たちは背筋を正す。


「ひとまず、夕方まで休め。解散」


 背を向けた彼らに、班長はあることを思い出して声をかけた。


「これを飲んでから寝ろ」


 床に置いていた木箱から、茶色い小瓶を取り出す。中には液体が入っていた。


「疲労回復効果のある薬だ。ヴァルオールと呼ばれている」


 それをそれぞれの個室に持って帰って、蓋を部屋に置かれた栓抜きで開く。途端、ふわっと甘い香りが漂った。


「美味しそうな感じはするけど……」


 ルダは暫し観察してから、思い切り飲み干した。口の中に広がる、甘酸っぱい味。いつだったか行商人が持ってきた苺という果物に似ていた。


 だが、その快感に酔いしれる暇もなく、眠気に襲われた。ふらつく足でベッドに向かい、倒れ込む。そのまま、意識は闇の中だった。


 昔の夢を見た。妹のエルが遠くに行って、家族総出で探したあの日。いつも黙々と畑に向き合っている父が、あの日だけは顔を青くした。


 結局、エルは不思議な植物の匂いを嗅いで眠ってしまっていた。いつ獣に食われるかわからない状況だったが、彼女はあっけからんと日常に戻った。


 エルは酷く叱られ、薬草集めも他の家の子供と行くことになった。きっと、それはいいことだったんだ、とルダは思っていた。人見知りで自分を表現できない妹が、誰かと一緒にいることに慣れてくれれば、手もかからなくなる。


 そういえば、あの日もシチューを作っていた、と思い出す。食べ物が多くないなりに満足できる食事を目指すと、暖かい液体に行き着いてしまう。


 鍋から器へ、白い液体を移す。それを居間に持って行った。だが、誰もいない。そう、最早誰もいないのだ。


 木の椀を取り落として、足先に熱さが走った瞬間、目が覚めた。真昼の馬鹿みたいに明るい太陽が、部屋の中を温めている。


「……出よう」


 誰に告げるでもなく、声を出した。そうしなければ、ベッドに体が縛り付けられて動けなくなりそうだった。


 街は、あまり元気がなかった。それでも買い物に行く者の姿はある。どんよりとした瞳でそれらを見送りながら通りを南下していると、大きな荷物を抱えた女性が、疲れてベンチに腰掛けていた。


「持とうか?」


 特に意図もなく、彼は亜麻色の女に声をかけた。


「あなたは……」

「首都から来た軍人。対魔族部隊って言えばわかるかな」


 ルダは承諾を受ける前に、パンや果物、肉の詰まった紙袋を持ち上げる。


「軍人さんに、そんなこと……」

「気にしないで。僕がやりたいだけだから」


 女性の目の下に、疲れた色があることを彼は見逃さなかった。


「私の娘も、あなたと同じくらいというのに……もう軍人さんだなんて。随分と優秀な方なんですね」

「別にそういうわけじゃないよ。ただ、ちょっと他の人より強いだけ」


 マナを体に巡らせ、荷物の負担を軽減。ルダは陰のある笑顔で女性の後ろを歩いた。


「オルルハ・オベスと申します。どうですか、お茶でもご一緒しませんか」

「いいの? ありがとう」


 街を外れ、田園地帯。緩い上り坂を進み、民家へ。


「今日は娘の学校もお休みですから、家族みんなでお礼いたしますね」


 家に上げられた彼は、当たり前のようにリビングへ通され、席を勧められた。


「チグルハ! お客さんよ!」


 二階に声をかけた後、どたどたと足音。現れたのは、母によく似た髪色の少女だった。


「チグルハです。どうも」

「……ルダ」


 古ぼけた魔力灯が、チカチカと光を放つ。湯を沸かして茶を用意する母を横目に、チグルハはルダの右側斜向かいの席に座った。


「ルダさんは、何かお仕事されてるんですか? それとも学生?」

「一応軍人。タメでいいよ」

「私と変わらないくらい?」

「最近十七になった」


 すごーい! とチグルハが声を上げる。


「私、今年十五。やっぱり、軍人になるなら学府卒業した方が有利なのかな」

「僕はツーシューイン? も行ってないからわからないな。色々あって先生に拾ってもらったんだ」


 好奇と疑いの目線が向けられる。彼自身わかっていた。経歴としては異色だ。


「でも、僕くらいの年齢で選抜を受ける人も少なくなかったよ。班のメンバーだってみんな同い年だし」

「軍に入ったら学府への推薦を貰えるとか……ない?」


 ルダは首を横に振る。


「聞いたことないなあ。先生なら何か知ってるかもしれないけど」

「その人に会わせてもらったり……」

「いいよ。暫くこっちいるし」


 チグルハは大げさに拳を突き上げてみせた。


「約束だよ⁉ ねね、先生の名前教えてよ」

「ディアルク。ディアルク・ガンヴェインだよ」

「え⁉ すごい、どこでそんなコネ手に入れたのよ」

「色々あったんだよ、色々」


 そうこうしている内に茶が運ばれてくる。


「ごめんなさいねえ、満足なお菓子も出せなくて」

「大丈夫。お茶だけでもうれしいよ」


 ふんわりと立ち上る、柑橘系の香り。そこにジャムを添えて。


「ジャム? なんで?」

「私の家系はオルガクラム王国の北の方から来たんです。そこでは、ジャムを舐めながら紅茶を飲むんですよ」

「へぇ~……」


 玄関の方から、重い足音が聞こえてくる。脚も腕も、まるで金剛石で作られているのではないかという雰囲気を纏った男が、扉を開いた。


「……妻が何かしたか」

「荷物を持ってくださったのよ。ルダくん。この年で軍人さんなんですって」

「そうか。随分と若いものだ……この街に出る魔物を追い払いに来たのか?」

「うん。とは言っても、僕の任務は調査だけなんだけど」


 その大きな体は、ルダと反対側の席に収まった。


「妻が迷惑をかけたな。すまん」


 太い首で重い頭を下げ、父は謝意を告げた。


「まあ、お父さんったら。人に頭を下げるところなんて、初めて見たわ」


 騒がしい茶会は、少しずつ終わりへと向かって行った。


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