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風の章

第1話 川中島古戦場




「えっ!? 本当にここ?」



 燃費と頑丈さに定評を持ち、その見た目の無骨さが俺的に格好良いと思って疑わない国産の原付二種125CCバイク。

 エンジン音に紛れて、ハンドル中央のホルダーに取り付けられたスマートフォンのカーナビアプリが『目的地近くです』と教えてくれ、視線を左右に走らせて驚いた。


 何と言ったら良いのだろうか。目的地はまだ先かと思いきや、いきなり目の前が目的地だった。

 長野県の特産であるりんごの果樹園が右手側に在るだけ。目立つ看板も無ければ、それと解る大きな建物も建っていない。

 観光地特有の土産物屋は有るには有るが、その数は少ない上に半分がシャッターを下ろしている。ここを目指して走っていなかったら、それと気づかずに通り過ぎてしまう寂しさがあった。


 しかも、ウインカーを点滅させて右折。駐車場へ入ってみると、観光客が一人も居ない。

 今日は平日だが、それを差し引いても少ない。ガラ空きの駐車場隅にバイクを駐めて、フルフェイスのヘルメットを小一時間ぶりに脱ぐ。



「ふぅ~~……。」



 額の汗を右腕で拭って、大きく溜息を漏らす。

 今、季節は夏。諏訪湖を北上、塩尻峠を越えた辺りから入道雲がもくもくと昇っていた空が曇り始め、今や空は曇天に覆われて涼しさを感じるが、夏にフルフェイスのヘルメットはやっぱり暑くて辛い。


 それに想像していたより寂しい場所とは言えども、ここが本日最大の目的地。

 暑さも、ここまでドライブしてきた疲労感も何処へやら、設置されている自動販売機のジュースで喉を潤すのは後回し。リアキャリアの貨物ボックスの中から唐草模様の巾着袋を取り出して、探すまでもなく近くに見える鳥居へと向かう。


 さて、突然だがここで質問だ。

 戦国時代の大名と言ったら、貴方は誰を真っ先に思い浮かべるだろうか。

 恐らく、関東なら徳川家康、関西なら豊臣秀吉、全国的になら織田信長。この三者の名前を挙げる人が多いだろう。

 無論、地域によってはご当地の大名が居り、その名前を挙げる人もいるだろうが、この三者の圧倒的な知名度にはやはり敵わない。


 では、次に戦国時代の有名な合戦と言ったら。

 この質問は難しい。約2700年の永き渡る日本史の中、恐らくは戦国時代が最も人気がある時代であっても、全国各地で勃発した戦いまで詳しい者はそう居ない。

 大多数は日本史の授業で必ず学び、テストに高確率で出題される関ヶ原の戦いを回答し、それに次いで織田信長の知名度から桶狭間の戦いを挙げるのではなかろうか。


 それまで通用していた戦術が根底から覆された長篠の戦い。戦国時代の代名詞たる最大の下克上である本能寺の変とその勝者があっさりと敗北者へと落ちた山崎の戦い。

 もし、この織田信長を語る上で大事な三戦を知っていたら、戦国時代に興味を持たない者から見たら物知り博士も同然だ。


 そんな物知り博士達を限定して、今挙げた二つの質問を行ったらどうなるか。

 それもそれぞれを五つ挙げろと言ったら、その回答は回答者の好みや生まれた故郷、今住んでいる場所によって、無限の組み合わせにまで広がる。


 しかし、上記で挙げた回答例を除き、物知り博士五選の中にかなりの高確率で入ってくる回答が存在する。

 それが越後の大名『上杉謙信』と甲斐信濃の大名『武田信玄』であり、その二人が長野県の長野盆地とも、善光寺平とも呼ばれる地で五度も激突した川中島の戦いだ。


 その五度の激突の中でも特に有名なのが第四次川中島の戦い。

 濃霧の中、上杉謙信は敵本陣へと突撃。武田信玄は振り下ろされた上杉謙信の太刀を軍配で受け止め、両者は痛み分けで戦いを終えるという日本史どころか、世界史を広く紐解いても例が極めて少ない鮮やかな奇襲劇と総大将同士による一騎打ちのダブルパンチ。ロマン溢れまくる逸話がある。

 譬え、それが大げさに語られた後世の創作だろうと薄々感じてはいても、戦国時代好きとしてはワクワクドキドキが止まらず、その一騎打ちが行われたとされる『川中島古戦場』へ俺は今来ているのだからテンション爆上がり。観光客が俺一人だけの寂しい光景に腹立たしくもなってくる。


 どうでも良い余談だが、俺の住まいは九州寄りの西日本。この地まで各地の史跡と温泉を巡りに巡って、十五日目。

 何故、こうも自由な旅が出来ているかといったら、それは四ヶ月ほど前に七年勤めていた家具会社工場が出勤したらいきなり倒産しており、すったもんだの大騒動の末に勝ち取った退職金で今は自分探しの旅の道中とだけ言っておく。



「おっ!?」



 鳥居を潜ると、篠笛を奏でていると思しき独特の音色が聞こえてきた。

 もしや、宮司さんがご祈祷を始めたのだろうか。その厳かさが逸る気持ちを自然と抑えて、拝殿へ向かう道中の歩みをそのまま三歩戻し、手水舎で口と手を清める。


 この辺りはもう慣れたものだ。

 作法に関する注意書きの看板は有れども、それを見なくても手順はしっかりと憶えている。


 実を言うと、神社へ訪れて、御朱印を頂く。十年以上続いている数少ない俺の趣味だ。

 大学に入学するまで御朱印どころか、信仰に興味すら持っていなかった俺だったが、この趣味を持っていた友人から教えられてからは大ハマり。

 それまで元旦イベントだからと初詣に訪ねる程度だった神社をただ散策するだけで楽しくなり、特に大学時代の四年間はちょっとした暇があったら西へ、東へと神社巡り。今では日本神話がすっかり詳しくなり、それなりの信仰心を持つまでに至っている。


 ちなみに、御朱印とは神社を参拝した証に頂く判子を指す。

 但し、判子は判子でも只の判子とは違う。神主さんがご祈祷をあげた判子であり、押し印にはその神社で祀られている神様が宿る。


 元々は明治元年に神仏分離令が公布される以前に神社と寺院が一緒の存在で納経した証に頂いていたものらしい。

 その為、強いて言うなら寺院の御朱印こそが元祖と言うべきかも知れないが、俺は寺院の御朱印は不思議と興味が持てず、神社の御朱印のみを収集していた。

 今回の旅の道中で訪れた神社は五十箇所を超えて、御朱印を綴った御朱印帳は三冊目に突入。今、右手に持っている巾着袋の中に入っているのが、その三冊目である。


 そして、ここからが本題。

 神社の面白いところは日本神話の神々のみならず、海や山、土地そのものを祀っていたり、日本刀や槍、日本史の偉人を祀っているところにある。


 そう、ここは川中島古戦場を祀った神社であり、その境内には川中島の戦いに縁があるものが幾つも存在する。

 戦国時代が好きで御朱印集めが趣味な俺にとって、ここはパラダイスと言える観光地。明日は長野県を北上して、新潟県上越市へ行き、武田信玄の宿命のライバルである上杉謙信が居城にした春日山城跡に在る春日山神社へ訪れる予定を立てている。



「良し! 奮発して、五十円だ!」



 拝殿の階段を上り、財布の中から取り出した五十円玉を賽銭箱へ投入。

 まずは軽く二礼した後、柏手を高らかに二度打ち、改めて頭を腰まで深々と垂れながら今日までの旅の道中の神社で願ってきた様に『どうか、ホワイトな再就職先が見付かります様に』と願ったその時だった。



「んっ!?」



 まるで俺の願いを聞き届けたかの様に本殿から風がふわりと吹いて俺の髪をそよいだ。

 思わず頭を上げてみれば、賽銭箱上の注連縄にかかる御幌が微かに揺れている。どうやら勘違いではないらしい。


 だが、奇妙だ。

 こう言っては不敬かも知れないが、ここの神社の社はそう大きくない。

 一見したところ、本殿の中は薄暗くて、自分が立っている場所からしか光は差し込んでおらず、窓は見当たらない。


 あとから振り返って考えてみると、明らかな怪奇現象。

 この時の風こそが最初の兆しであり、これから始まる数奇なる運命の入口だったに違いない。

 もし、それに気づいていたら違った結果が有ったかも知れないが、後悔とは後から悔いるから後悔と呼ぶのであって、先に悔いる事は出来ないもの。


 ましてや、この時の俺は参拝を終えて、次は御朱印を頂こうと気もそぞろ。

 奇妙に感じたのは数瞬。社の右手側、約ニ十メートルほど先にある社務所へ向かおうと階段を下り、拝殿の軒先から右足を一歩踏み出した次の瞬間。



「おおうっ!?」



 突如、バケツをひっくり返したかの様な土砂降りが降ってきた。




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