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第2話 雨宿り




「弱ったな……。」



 社の軒先から雨空を見上げて呟く。

 鳥居を潜った時から雨がポツリ、ポツリとぱらついて降ってはいたが、こうもいきなりの土砂降りは予想外が過ぎる。


 社務所の巫女さんも驚いたらしい。

 横目をちらりと向けてみれば、御札などが陳列されている販売口から身を乗り出して雨空を見上げていた。つい先ほどまで聞こえていた篠笛の音が止まっているところから察するに音色の主だろう。


 こうなっては是非もない。

 社務所への距離は20メートルほどだが、この軒先に立っているだけで足元が大地に叩きつけられた雨の跳ね返りで濡れるほどの土砂降りの中、御朱印を求めるのはさすがに非常識だ。迷惑でしかない。賽銭箱の前まで戻って、雨宿りするしかない。


 ただ、問題は今夜の宿。

 時刻は夕方の一歩手前。この土砂降りが夏特有の夕立なら暫く待つだけで足りるが、このまま夜まで振り続けたら辛い。


 この後、戸隠神社を参拝して、新潟県まで北上する予定だった。

 だが、バイクを移動手段に用いている以上、ずぶ濡れになるのは必死。宿泊手段も一人用の折り畳みテントの為、雨音が叩きつける中での安眠を得られる筈も無い。


 それこそ、旅の途中で風邪を患ってしまったら最悪だ。 

 夏だからと油断は出来ない。雨に濡れた地面とほぼダイレクトに接しているテントの中は朝が底冷えするのだと今日までの旅の中で得た教訓になっている。


 こうなったら、早め早めの行動。

 予定を変更して、今日の旅はここまで。素泊まりが出来る安い宿を長野市内で探すとしよう。


 幸いにして、軍資金に余裕は有るが、それは出来るだけ使わずに済みたい。

 旅はまだまだ続く。この先、どんなハプニングが待っているかは知れず、余裕は大きければ大きいほど良いに決まっている。



「にゃーん!」



 土砂降り前のハイテンションは何処へやら。

 憂鬱な溜息を深く漏らすと共に顔を下ろすと、珍客の登場。黒猫が雨の中を足早に現れた。



「おっ!? お前も雨宿りか?」



 猫に話しかける。人前だったら気恥ずかしくて躊躇う行為だが、ここには俺しかいない。

 横目でチラリと窺ってみれば、巫女さんは販売口の窓を閉めて、社務所の奥へ引っ込んでいる。


 手持ち無沙汰も加わって、黒猫を愛でようと腰を屈めながら笑顔で手招きすると、首輪を着けていない野良と思しき黒猫はどうやら物怖じをしないタイプらしい。

 軒先の手前で一旦は立ち止まって、俺との視線を合わせた後、すぐに歩き出して、足元へと近寄ってきた。犬派か、猫派かと問われたら猫派と即答が出来る俺の沈んでいた気分は再び上向き、黒猫の頭を撫でようと右手を伸ばす。



「にゃ?」



 しかし、俺は大事な事を忘れていた。

 ずぶ濡れになった猫が雨宿りに来て、真っ先に取る行動はたった一つしか無いのを。



「ちょっ!? ……痛っ!?」



 黒猫が身体を左右にブルブルッと素早く振るわせて、体毛を濡らしていた水滴を飛ばす。

 その直撃を間近で受けて、反射的に開いた両手を顔の前に翳しながら上半身を仰け反らせて後退るが、俺が立っているのは賽銭箱前。後退ろうにも後退れず、腰を賽銭箱の角に打ち付けて、視界全体に火花が飛び散る。


 ここが自室なら床をのたうち回りたいほどの痛さ。

 それを少しでも和らげようと左手で顔を握り締めながら右手で腰を懸命にさすり、辛さが過ぎ去るのをただただひたすらに待ち続ける。



「にゃっしっしっし!」



 やがて、三十秒ほど経っただろうか。

 額の脂汗を拭って、深呼吸を一つ。激痛と同時に力強く閉じていた目を開けてみると、黒猫はまだそこに居た。


 それも俺と目が合うのを待っての一鳴き。

 気のせいだろうか、それがしてやったりと俺を小馬鹿にするような笑みに聞こえた。

 そんな筈は無いが、可愛さ余って憎さ百倍。右拳を勢い良く挙げて怒鳴る。



「こらっ!」

「にゃっふーん!」



 だが、黒猫はずる賢かった。

 脇を素早く駆け抜けて、賽銭箱の上へ跳び乗ると、もう一跳び。薄暗い本殿の中へと逃げて行く。



「あっ!? 卑怯だぞ!」

「にゃっしっしっし!」



 最早、手も足も出せない。

 黒猫を追いかけて、本殿へ上がるのは畏れ多すぎる。せめてもの反撃に怒鳴り声を薄暗闇に向かって飛ばすが、所詮は負け犬の遠吠えに過ぎなかった。




 ******




「どうせなら温泉に入りたいよなぁ~~……。

 でも、この値段はちょっとなぁ~~……。おっ!? ここ、良いかも!」



 雨が振り始めてから既に三十分。

 雨足は弱まってきて入るが、その中を行くには躊躇いを感じる雨足。


 暇潰しの相手だった黒猫は戻ってこず、スマートフォンをポチポチと操作。

 長野市内の安宿を探していると、自分が腰を下ろしている拝殿の石階段に小石が飛んできた。石と石が軽くぶつかり合う音に集中力が途切れて、視線を反射的にスマートフォンから上げる。



「んっ!?」



 あとからよくよく考えてみると、これまた明らかな怪奇現象。

 音が鳴ってからの認知である為、正確な方向は解らないが、小石は正面から飛んできた。


 少なくとも左右からではない。

 左右からだったら、小石は階段にぶつかった後は飛んできた方向とは逆に跳ね返る筈だ。小石は階段の正面に跳ね返っている。


 だが、この社の正面には小さな社が建っている。

 その社と俺の間の距離は三メートルと離れておらず、そこに誰も居ない。どう考えても小石が正面から飛んでくるのはおかしい。



「おおっ!? さすが、川中島!」



 しかし、目の前の光景が俺に冷静さを失わせた。

 いつの間にか、前方の社をうっすらと隠すほどの濃霧が立ち込めており、まるで自分と世界が隔絶されたような感覚に驚くと共に感動で胸が一杯だったからだ。


 正しく、第四次川中島の戦いの再現。

 耳を澄ませば、馬蹄の音が聞こえて、今にも上杉謙信が突撃をしかけてきそうであり、そうなったらここにいる俺は必然的に武田信玄の役割を担う事となる。これで冷静さを失わなかったら嘘だ。


 それに雨もいつしか降り止んでいた。

 夏の雨上がり特有の蒸し暑さを感じながら拝殿の軒先から右掌を差し出してみるが、雨粒は一粒も落ちてこない。


 だったら、お待ちかねの御朱印だ。

 スキップを踏みたくなるのを堪えて、その姿が完全に濃霧の中に消えた社務所へと向かう。



「えっ!? マジかー……。」



 だが、三歩目で歩みが止まる。

 なんと御朱印帳が入った巾着袋の口をいそいそと開けてみれば、その中にあったのは表紙が赤い御朱印帳。既に全てのページが埋まった満願済みのもの。


 出鼻を挫かれて、テンションが少しダウン。

 今現在、御朱印を収集している三冊目の御朱印帳は表紙が蒼の為、中身を開いて確認しなくても自分の失敗が解り、思わず溜息が漏れる。


 多分、入れ違いが起きた原因はここを訪れる前、上田市で立ち寄った蕎麦屋での事だ。

 注文した天ぷら蕎麦がなかなか運ばれてこずに暇を持て余してしまい、ここまでの旅の道中で頂いた御朱印を鑑賞した時しかない。



「しゃーなしだな……。戻るとするか」



 三冊目の御朱印帳があるバイクへ戻る為、気を取り直すと、雨に濡れた石畳を蹴って駆け出した。




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